その日は風が身を切るように寒かった。 冬島の夏は気候も穏やかで過ごし安いはずだが、久しぶりの寒波が島を襲ったと後で人づてに聞いた。 寒空の下では外の席に座るものは2〜3人しかいなかった。それでも隅の植え込みの陰に少し隠れた案外目立たないよい席を選ぶ。足下が涼しい格好のウェイトレスは少し震えて黙ってメニューを持ってきた。指定のオーダー連れが来てから持ってくるよう頼み、もう一つマネージャーを呼んで貰った。人払いをとお願いするとこの寒空に何を言うやら?と言う台詞を飲み込んで肩をすくめて頷いてくれた。 「この私をこんな所に呼び出しとは良い度胸ね。ま、人に聞かれたくないと言うならそれはそれで構わないわ。」 「相変わらずお綺麗ですね。」 寒さの中くるぶしまで隠れる毛足の長いコート。それは始めて紹介されたときの姿を思い出した。 カイの到着に会わせて先ほど頼んだ紅茶を大きめのポットでウェイトレスは持ってきた。地味な白のカップが並べられて寒気の中湯気が表面に溜まる間もなく風に飛ばされる。たしぎはカイの椅子の後ろに回り、給仕のように椅子を引いた。手のひらを上向きに差ししめした。 「どうぞ。」 カイは薄く微笑むたしぎの表情に視線を定めて微妙に居心地悪げに椅子に座り、背後から椅子押して問う。 「本当はこの紅茶をお好みでしたよね。」 風下のカイの席にはちょうど香りが届いていた。小寒気の中ではその温度も肌に嬉しい。 「覚えていた?先日は貴方に合わせたのよ。」 「はい。」 「こいつはヒナでこいつはカイ。俺の同期だ。どっちもただの変態だ。」 「貴方に言われる筋合い無いわ。ヒナ、不愉快よ不愉快。」 「そうよねぇ。スモーカー君と比べたら私たちなんて一般人よ。」 「貴様等に んなこと言われる筋合いはねぇ。」 台詞のぶっきらぼうさとは正反対に三人の気配はとても穏やかだった。たしぎの出したコーヒーを褒めながらも「次はこれを頂戴」と次があることを示してくれた。初対面の二人の見た目の派手さの中でしてくれた話や心配りはその人格を伝えた。心温まる人たちで心強い人たちだった。 (やはりスモーカーさんの信頼している人たちだ) そんなことを言ったらスモーカーにそこまで心酔したのかと聞かれるだろうが、そういう筋合いではないと思う。 自分の目で見て、彼らは信頼出来た人のはずだった。 「それで?社交辞令は結構よ。決心は付いて?」 背後に居るたしぎに席に戻る間も与えず振り向きもせず。カップを運んだふかふかのファーに覆われた襟元の上の真っ赤な唇。いきなり切り出したカイの口元は微笑んでも目は真剣そのものだった。 「はい。」 たしぎは動かなかった。 まだカイの背後にいてその表情が読まれてしまうわけではないのに、口が干上がっている。唇の内側を舌で突き崩しながら口を開く。一度唇を引き結んで、でも最初の声はかすれて出なかった。 「カイさん。・・・その前にもう一度、条件を確認させて下さい。」 「条件??」 カイは自分の椅子を引いたまま席に戻らないたしぎを見上げて座るように指で指示を出す。頷いては見たがたしぎの足は動かなかった。椅子を持つ手がくっついたように動かない。 「です、から・・・。」 「私が欲しいのは答えだけなのよ。」 強い語気が繰り返される。 「それでも、・・その・・そう確認しておきたいんです。」 「なぜ?」 振り向いた真摯な瞳はたしぎの逃げ出しそうな心をその牙と爪で押さえ込む大型猫類のそれだった。 「私は、自分の行動は自分で決めると そう決めたんです。責任も自分で取るには事態を知らずに何でも行動に移すわけには行きません。必ず確認を取ろうと。」 「ふぅん。で?」 軽く振った頭が理解の印だろう。 「カイさんはアラバスタの情報と引き替えに悪魔の実の能力を私に下さる。そうおっしゃいましたよね。」 「ええ。」 「そしてそれは上に内密の話で、悪魔の実がここにあることも政府には届けていないのですか?」 「そうよ。誰も知らないもの。」 「では・・・それは横領と同じですよね。」 空気が凍った。 「・・・あなた、何が言いたいのかしら?」 「犯罪者の私物、盗品の、横領は・・・例えどなたでも、重罪です。」 たしぎの顔は表情を失っている。だが瞳の輝きだけが深い光を奥底に湛えている。言葉は震えたままでも、ゆっくりとそしてしたたかに流れ出す。どう切り出すべきか迷っていたはずのたしぎの口から大切な言葉はつっかえながらも流れていく。相手の懐まで。 「そして、機密の漏洩の教唆、これも重罪です。」 犯罪者逮捕の時の通告。逮捕してから相手の罪を告げることが通例だ。これほど自分が緊張に満ちた通告はしたことがない。 「カイさん。今の貴方の場合この二つに該当します。」 「・・・・・・。」 「私は私の信じる道を信じたいから・・・・・貴方を告発します。」 カイの椅子の背に繋がっている両の手が震える。 だが相手が誰でも迷ってはいけない。信じたくても。事実をきちんと見据えて行動を決めなくてはならない。 だから・・・・まだ答えは出ていない。言葉の、視線の、態度の一つ一つを見落としてはいけない。 がっちりと掴んだ両手はカイの座った椅子から離さない。たしぎはまっすぐ手を伸ばして、カイの答えを待った。 冷たい空気が漂う。冷たい声がした。 「それが貴方の答えなの?」 「・・・・はい。」 冷たい声は攻撃を秘めて突き刺さる。 「たかが曹長風情が。私に縄を掛けようと言うの?しかも一介の剣士の分際でこの能力者たる私に勝てるとでも思っているというのかしら?」 「はい。上官の逮捕権は私にはありません。それでも・・・・です。」 賽は投げられるのか。 軍人としてたしぎは構えた手を離さず腰だけは低く落とす。心がまだ答えを求めているのに身体は勝手に臨戦準備に入っていた。 カイは構えるたしぎの気配を感じて居たのだろうか?態度を変えず前を向いたまま肩をすくめた。 「何故それほどまで拒むのかが判らないわ?たかが仕事の愚痴を言うだけで通常では絶対に手の入らない能力を身につけることが出来るのよ?それともスモーカー君の庇護下にずっと居れば女曹長さんは能力は欲しくないというわけ?」 一筋の赤みがたしぎの目元から頬を差す。 あからさまな侮辱。実力ある女性将校を排出してもなお治らない軍部に流れる男尊女卑の思考。カイはそれを表に出した。 一度会った人物への評価、情報は決して怠らないと言われる情報部きってのエース、カイ中佐にはそこがたしぎの弱点だと調べ知り尽くしていた。あえて選んだ侮蔑を込めた言葉で彼女を攻めた。 だが彼女はその攻撃にひるまなかった。 「私が、私だから・・・です。」 口にした時には絞るようなささやき声だった。 声に出してみて始めて、これが己の血肉の発言なのだとたしぎは気が付いた。意図して選んだ言葉ではない。ぎりぎりの緊張感の漂う攻防戦。全力を相手に向けて備えるには嘘や裏を作る余裕などあるわけがない。そうして口をついて出た言葉。ずっとたしぎが内なる己と戦いせめぎ合ってきた想いが形になる。 「ええ。私の軍人として力は欲しいです。他人を凌駕出来る力が!」 力を得てたしぎの声は地に足の着いた叫びとなる。 「それでも、私が私であるために。この線は譲れない。どれだけ些細でも横領には荷担出来ません。そして、どんなに些細でも機密の漏洩も出来ません。 カイさんお願いです。横領物を返上して撤回なさるか・・さもなくば私の縛について下さい。」 たしぎの叫びは静かに落ち着きを得ていた。 とても目の前に居るスモーカーをも押さえ込む一匹の猛獣に向かっているとは思えないほど。 震えはない。 空回りもしない。 そういう種類の声になっていた。 その声を聞いたカイの口元が少し動き、うっすら微笑んだ。 その変化もたしぎには関係なかった。 己のみを支えとして立ちながら気は充実している。相手の呼吸を掴んでいるというささやかだが確固たる自信がある。溢れてくる。 「なぜそんなに頑なに己に枷を掛けるの?もっと気楽に行きましょうよ。『楽して海軍』それも女の特権よ。」 「・・そんなもの特権なんかじゃない。少なくとも私にはそれは枷じゃないんです。私が決めただけの己への・・・・・・・・!」 カイの口端がゆっくり上昇した。 「なるほど貴方には上官である私の逮捕権はない。しかも互いの言葉の他に他人に見せられるような証拠もない。そしてこのまま私を逃がすつもりもない。 でもたしぎ。あなた強くなりたいんじゃなかったの?そのために修行を積み研鑽を積んでいるのでは無かったの?」 試すような誘うような問いを投げかけられる。 「強くはなります。 でも、・・・・・・そちらの道は、不実の道は・・私には 選べません。」 「不実・・・ね。悪魔の実はずるい?」 「そんなことじゃありません! それが正当な手段で私の物になるのなら喜んでお受けしたいです。もしそうならば、きっと・・・・躊躇うことはないと思います。でも、このやり方では駄目です。私には駄目なんです。 私は、私は強くなるとアラバスタで自分に誓ったんです。 『私』の求める強さは『私の正義』。ですから、譲れません。」 「貴方の正義?それは軍の正義ではなくて?」 たしぎは大きく頭を振った。 「違います。『私の』正義です。」 カイはいきなりその両手を気怠く三回拍手した。椅子に腰掛けたままたしぎを振り返った。 「ブラァヴォ。良く私相手にその啖呵を切ったわ。でもスモーカー君も連れてこないでどうするつもり?こうなったら貴方一人で返り討ちにあうのがおちよ?そうなった時には彼も無罪とは言えないんじゃない?」 拍手と共に一転して柔らかい声になっている。紅茶のカップをすいと奥にやり両手を椅子の手置きに婉然と広げた。 優雅な仕草だ。だがたしぎには底が見えない怖さを感じ、背筋を一筋凍らせた。 「罰は私が後で受けます。スモーカーさんに大切なご友人の所行を密告するようなまねは、私には出来ません。」 「馬鹿で綺麗で・・・・そして無謀ね。それ以上言葉も出ないわ。 ただ、私の申し出を拒否したと言うことは・・・・当然曹長風情では中佐たる私の手によって貴方を処分しても私に軍からの責めはない。それも判っているのね。」 基本的な軍則の一つだ。重々承知している。でも。 「もちろんです。」 たしぎの先ほど背筋から腰までに力が貯められる。 たしぎの重心が更に下がった。 「では覚悟の決まったというお手並み拝見しましょうか。。」 クスリと声を立てて笑いながらカイは足許から全身が空気に溶け出した。このまま消えてしまえばたしぎに捕まえられるはずがない。気を追えると言っても気配を消すことが情報部の所以と言える以上カイには朝飯前だろう。 「力の事も遠慮する気はないわよ。」 「・・・・当然です。」 カイの体が空気に溶け始めた。 |
戻る 続く |