紙の山の中に黒い頭が埋もれている。驚異的なスピードで動いた右手が書類の山を一つ片づけたかと思うとそのまま同じ書類が隣に移っただけだったりする。今度は頭がぐるぐる同じように揺れている。合間に唸ったり溜息をついたりと忙しい。スモーカーの部屋の書類は乗船に伴って整理されたはずだった。散乱した山は一旦消えていたが、再び山と化している。だがどれもきちんとまとまった物はない。
「・・・たしぎ。」
「・・・・・」
「おい。」
「・・・・・」
「たしぎ、コーヒー。」
「え?・・はぁ、今すぐ・・・・・ってなんですか?この煙?」
部屋は手を伸ばした先が見えないくらいに煙っている。同室にいて気づかないたしぎもたしぎだ。
部屋にいたはずのスモーカーもたしぎと変わらないくらいの時間にこの部屋に外から帰ってきた。互いの挨拶や報告もそこそこに自分の世界にこもっていたようだ。自室と言ってもここはスモーカーの部屋なのだが、たしぎはいつものクセでこの部屋の隅で書類に埋もれていたし,スモーカーは土足のまま両足を机の上に並べて動かなかった。そして綺麗になったはずの灰皿には長さのまちまちな葉巻の吸い殻が溢れている.。
「何でもねぇ・・おいコーヒー・・・・・どうした?」
「はぁ」
「仕事進まねぇなら飯でも喰いに行くか?」
「そんなんじゃないんですぅ・・・・・。」
言っては見たものの、きちんと否定出来ない。いつもなら簡単に片づける事務からの宿題を片づけているつもりでも、敵を睨む目ばかりで一向に乗らない。掛けられた声に全身の力が抜けた。
「ふう〜う。」
机にへばりついて唸っても何の解決にもならない。
スモーカーの葉巻の先から煙はいつものように立ち上がる。吹っ切ったようにスモーカーも立ち上がった。
「おい、やっぱり外に喰いに行くぞ。腹が減った。」
「いえ私は・・・・そうだ!それなら食後にで良いですから付き合っていただけませんか?」
「飯の後に?」
急に立ち上がったので書類が机の山からいくらかこぼれ落ちた。それをも無視して力強くたしぎが微笑んだ。
「ええ、汗をかいて戴きます。私とやって下さい。」
「ほう?」
「本気で、ですよ。」







「これでか?」
「手を抜いたら承知しませんからね。」
「・・・ふぅ、人の気も知らんで・・・・。」
スモーカーの独り言は煙に紛れた。
「・・・・・・では・・・行きます。」



それ程度なら飯の前に済ませろ と言ったのはスモーカーだった。
基地内の道場は天井が高い。夜も深いこんな時間は他の誰もいない。夜勤の受付から鍵を借りてきたたしぎは緊張した面持ちで道場の扉を開けた。

空気は澄んでいる。館内に忍ばせた足音が響く。互いの呼吸音まで聞こえるようだ。
どちらも軍のジャケットを羽織り向かい合っている。
たしぎの手には愛刀の「時雨」が。スモーカーの手には本人愛用の巨大な十手が肩に担ぎ上げられている。リラックスした立ち方のスモーカーと、緊張した面持ちで青眼に構えているたしぎの間の距離は踏み込んでも数歩。いわゆる互いの間合いには入らない。

最初に動いたのは宣言通りたしぎだった。
ゆらりと髪が流れたと思った途端スモーカーの目の前に影が立った。
「行きます!!」
声よりも早くたしぎが上段から一気に頭部めがけて振り下ろした刀を、スモーカーは十手の握り手の側に近いところで受けてながした。ずっしりと来る重量感はないが、その早さに手が衝撃を感じている。その衝撃を受け返す隙をみて、抜く手をきり返してたしぎは下から切り上げた。
「ふっっ!」
「おう!」
重量のある十手を返す速度は間に合わないのでスモーカーは後ろに飛んだ。時雨の刃先は顎先をかすめてその衝撃風を肌がびりびり感じる。だがそれくらいでは全く気圧されない。飛びながらスモーカーは姿勢を変え返した十手で突きにはいる。先ほど飛び込んできたはずのたしぎは受ける手も早い。受けると言うよりもスモーカーの巨大な力を流してやり過ごす。スモーカーはかわされたと判ったときから狼狽もせず新しい攻撃を受けるために腰を落とした。
澱みなく攻撃に切り替えスモーカーの懐を狙ったたしぎの一閃を、スモーカーはぎりぎりこめかみの風圧でかわした。ヒヤリとする背中に覆い被さるように大気を切り裂く刃の音がごうっとスモーカーの耳に響く。かわし、反射的に退いた十手の鈎がのびたたしぎの刃に絡んだ。
「しまっ・・。」
「諦めろ!」
「まだですっっ!」
刀だけを跳ね飛ばすはずの十手の勢いはそのままなぎ払われた。
鈎に絡められた刀を逃げることなくそのまま全身を使って力で受けとろうとするたしぎは、身体ごと跳ね上げられた。小柄な体格では踏ん張りが効かない。たしぎは十手に押しあげられるように上へ突き飛ばされた。
「はうっっ!」
鈍い音がして肋骨の周囲に衝撃音が響いた。見切りきらぬ動きに逃げ切れず、堪える筋肉の少ないたしぎはその衝撃を余すことなく受けた。だが倒れ込んでも泣き言も言わずにすぐに地面を横転して逃げて体制を整える。
たしぎの息の方がかなり上がっているとはいえこの素早い先が読めない展開に、スモーカーも額に冷汗が幾筋か流れていた。

だが体力の差は埋めきらない。逃げ場を無くしたたしぎに容赦なく襲いかかるスモーカーの力任せの十手は、それを受けようと踏み込んできたたしぎをもう一度横っ飛びに飛ばした。突っ込んだ姿勢のまま受け身を取らない彼女はそのまま顔から壁に飛ばされる。変な姿勢で彼女が飛んだ先には壁の上方に、模擬とは言え刀や矛がむき出しで飾られていた。このままでは頭か顔で刃物を受け、深い傷になることになる。
「!」

スモーカーの腕が煙となって壁に飛び込むたしぎをぶつかる衝撃寸前にクッションになりはじき飛ばして、道場の床に下ろした。
助けてなお、助けられてなお、二人の息は荒い。
実力が伯仲とは全く言えないにしても、気迫と得手な速度で勝負を挑んだたしぎは深呼吸するスモーカーの姿に満足した。
「・・能力・・無しでって言ったじゃないですか。」
痣だらけであろう全身をかばうことなくたしぎはスモーカーを睨みあげた。
「やかましい。腕を上げてはいるが・・・まだまだ・・だな」
「・・・はい・・。」
たしぎが納得したときには既に夜は更けていた。






二人とも今更街に出ようという気はしなかった。だが空腹は感じ、立ち寄った基地の食堂にはもう人の気配はなかった。ただ海軍基地の夜は長い。彼らのように食べ損ねた人間のために弁当が置いてある。置かれた箱に入れた現金と引き替えに二人はそれを求め、船室に戻った。
黙って広げた弁当の中身は最後の余り物らしく配分がまばらでそれぞれの中身は全く違った。双方を開けて中身を見せあい、たしぎは量が少なく野菜が多めの方を選んだ。その間にたしぎが入れた付け合わせのお茶はぬるく、味は薄かった。


「筋力は若干足りんが・・お前の武器は早さだ。間合いの入り方は悪くない。それだけだが。」
咀嚼しながらスモーカーは寸評した。その感想を聞きながらたしぎは黙って箸を口に運んだ。たしぎの反応の無さにスモーカーは肩をすくめて煮られた芋を黙って口に放り込んだ。音をさせず食べるたしぎの横でスモーカーのお茶を嚥下する音が部屋に響く。

「スモーカーさん。その・・カイさんってどういう方ですか?」
突然の話題にスモーカーは目だけでたしぎの顔をちらりと覗いた。たしぎは顔を上げない。
「・・・・腕の立つキツネだ。」
「え?」
「研修中奴と同室だった。週一回の交代制で部屋の掃除をやる決まりだったんだが・・。順番を決めるのに奴が言った。『偶数週は私、奇数週は貴方と決めない?』その週は偶数週だったから最初はアイツが引き受けてくれたんだとその時は結構良い奴だと思った。その月は上手く行ったが、月の変わり目に奇数週が重なることがあるだろう?そのことに文句を言ったら『だから最初にそれで良いかって聞いたでしょ?一度決めたことをあれこれ言うなんて男らしくない。』ときた。
先回りの上手い・・・腹の立つキツネだ。」
未だに悔しげな口元を見てたしぎの脳裏にまだ若い海兵時代のスモーカーがかんかんに怒っている様が浮かんだ。思わず笑いを堪えるのに必死になって、口の中に残っていたおかずの処理に困り慌てて口元を必死に押さえた。

苦々しげな顔をしながらもそれでもスモーカーがカイに信頼を預けているのは、判る。部下をやって数年間。スモーカー独自の信頼の基準を最近のたしぎは何となく肌で判るようになってきていた。その機嫌も。

「あの方も能力者ですよね。」
「奴の家は生粋の軍人家系だからな。ガキの頃に喰ったそうだ。」
「じゃぁスモーカーさんはどうして能力者になったんですか?」
冷えた食事を最後まで平らげるスモーカーを眺めながらたしぎは空になった弁当箱を箸でつついた。少し、するべきでない質問をしたと判っている。双方に緊張が走った。二人の間の空気が固まっていく。先ほどの質問と今の質問。一見ありそうだが脈絡が無い。スモーカーはどう答えるのだろう。
「なんだ?今頃・・。」
スモーカーは横のぬるいお茶を急須から注ぎ音をたてて空にする。お前もいるか?と仕草で聞いて首を横に振るたしぎにスモーカーは手元の湯飲みを傾けた。
「いえ、・・そういえば今まで一度も聞いたことなかったなぁと思いまして。」
たしぎは慎重に言葉を選びあっさりと短くまとめた。この上司は付き合いも長い上におかしい気配に敏い。何を聞いて良いのか判らなくなっているたしぎの心などあっさり見通すだろう。
だが返ってきた答えは予想外だった。
「・・・・かなづちは困るか?」
十日前の捕り物でスモーカーが偶然飛ばされて海に落ちたため身動きが取れなくなり、また一部海兵が救助に回った為に、危うく寸でのところで海賊を逃がすところだった事を思い出した。スモーカーの苦笑いの顔を見て皮肉にとられては困るとたしぎは首を思い切り横に振った。
「ええ?・・いえそういう意味ではないんです。」
一人で食べた空箱を6つ山積みにして、スモーカーはまた葉巻に火を付ける。
非戦闘時の食後の一服はかなり美味そうだ。

「まぁ、便利だな。実際。
 本来『人』には出来ない事が出来る。俗な言い方をすれば『ずるい』かもしれん。お前もそうと思うか?」
「・・・・実は・・少しだけ。」

葉巻の煙が立ち上り天井付近で揺れている。
分厚いカーテンがこの部屋に敷かれているのは外からの攻撃を受けぬため。中の情報を封じ込めるため。

「お前は軍人とはどういう物だと思う?」
いきなり方向の違う質問を返されて、たしぎは驚いた。だが海軍では答えは決まっている。入隊が決まれば骨にまでたたき込まれるフレーズがある。
「“絶対的正義の執行者”です。」
「教科書通りならそうだな。」
「違うのですか?」
上で揺らいでいたスモーカーの煙は天井でゆっくり外側に向かって円のまま、広がる。


「この実は海の秘宝で当然海にある。だが・・これは諸刃の刃だ。」
能力との引き換えに海に嫌われ・・かなづちとなる。
海を離れれば最強の力が約束される、海に嫌われし者となる。
ところがスモーカーの語ったのはカナヅチの事ではなかった。

「今も昔も権力って奴は陸にある。しかもでかい権力もお宝もそういう者を欲しがる奴らにとって移動するのは海かも知れねぇがそれも陸に上がってこその価値だ。
それを欲しがって動いたのがクロコダイルだな。七武海も似たようなもんだ。海から嫌われる能力者は海から離れて陸に活動の場を移せばその能力は失われずむしろ敵なしとなる。
だが海賊って奴が自分で海から離れたら、それはもう海賊じゃねぇ。海賊は海賊でなくなり陸(おか)にあがってただの悪党になる。
それを捕まえるのは俺たちのはずだ。」

たしぎは頷いた。力強く頷いた。

「だが。 同じ事が海軍の『中』にも言える。人には欲があるからな。」
「そんな・・・!」

現在海軍本部は全ての海賊と公海に強大な権限を持つ。一歩でも海を出ると各国政府の関与は許されていない。
陸はそれぞれの島の自治。統括するは聖地マリージョアの世界政府。
最初の約束は細かい規定まできっちり分かれていた。
だが大航海時代が始まって二十余年。時節は移りその境界を都合よく温床として逃げ込む輩が出てきたことによりどんどんあいまいになっていく。グレーゾーンの増加は不安をあおるため、軍もその活動を海賊限定で陸にも配備するようになった。それゆえに今の世界のパワーバランスは不安定だ。

人間は生命を与えられれば、それを守らんとするだけで生きたいと言う欲が生じる。美しくなりたい。楽をしたい。強くなりたい。そういう欲が増大する。

「軍人も海賊も同じだというのですか?」

そんなはずはない!あっては・・いけない。
あんな非人道的な奴らが私たちと同じなはずはない。何と言っても志の高さが違うはずだ。
そのはずだ。

『ワニの奴ぶっつぶしてやる!』

走り去る海賊の声が心に響いた。
彼らはクロコダイルを倒して何を得たのだろう?海賊が満身創痍になって起きあがることも出来なくなって倒しても、何も得る物など無かったはず。
あの心は高くないのか?
それならば強くなりたいという私の中にいる欲もクロコダイルのような海賊と同じような化け物を生んでしまうのだろうか?

「俺も同じだ。誰だって力は欲しい。」









停泊中の船も寝台は多少揺れている。月が小窓からさし込んで青い光が船室に浮かぶ。
階級と性別のおかげで与えられた狭いながらもこの自室。揺れる板ベッドも馴染んで久しい気がする。こうすれば海賊を追ってかなりの年月を経た気もするが、まだスモーカーの域にはほど遠い。

「今の私に、追いつけるんでしょうか?」
誰に聞くでもなく一人たしぎは呟き、眠りに落ちた。








戻る   続く