今自分が一番何が欲しいと聞かれたらそれは疑いもない。
強さだ。
腕力がどうだとか剣筋がどうよりも何よりも戦いに勝てる強さ。
自分にそれがなかったために先のアラバスタでは遅れをとってしまった。
必ず強くなることは自分で決めた。
日々鍛錬もしている。それなのに。

今の自分は藻掻いている。
あがいても出られない所に落ち込んでいる。
沈んでいきそうで怖い。









空気と時間の停止は永遠かと思えた。心臓の拍動が一つ聞こえた直後から急にざわざわと世界が戻ってきた。
まずは外の世界から。
そして体内へ。
頭に逆流して登った血がすっと足下に下がってきた。
その冷たい不快感が全身に染み渡る。

「何処まで出来るか知ってるわよね?【悪魔の実の能力】のことは。」
ええ、嫌と言うほど。
「貴方の物にしない?」
耳元にゆっくり染み込む毒を含んだ甘さの声の誘惑だ。
その甘さに酔いしれて信じて縋りそうになってようやく、抵抗を振り絞って囁くような声で答えを返す。
「馬鹿なこ、と言わないで下さい。・・だって・・・有り得ないです。」
そうだ、有り得ない。

「どうしてそう思うの?」
目の前ににっこり微笑む自信に溢れたカイの顔が広がる。
たしぎは唇を引き絞った。

二人の前の白いテーブルはやや小さい。
楕円のその真ん中にテーブルクロスと砂糖壷と一輪挿しが置いてある。
カイはテーブルの上にその周囲を取り囲むように指で円を描いた。するとその中側だけが透明になった。テーブルの上の花もソーサーも宙に浮いている。その向こうに行儀良く揃えられた二人の足元が透けて見えた。何もないところに浮かんでいる二客のカップの中身は揺れてすらいない。
目の前の光景にたしぎは絶句した。
その表情に満足そうにカイはたしぎに向けて不敵に笑った。かと思うとウィンクしてそのカップも花瓶も全てを消して見せた。


「これが私の悪魔の実の能力『スケスケの実』。さっきもそうだし船上でも見せたわよね?今では着衣のまま自分の姿も消せるわよ?周囲の人間も少し位なら消せるわ。食べるだけで手に入る不思議な力っていわれてるけど食べただけなら金槌人間吃驚ショー程度にしかならない。強くなりたかったらそれを食べた者が自分を鍛えなくては駄目なのだけれど。」

カイは足下に置いていた茶色の紙袋をテーブル越しに指さした。透き通ったテーブルの中の円から見える脚元の靴先で袋の端をガサガサ音をさせたかと思うと紙袋の中に白っぽいでも変な色の丸い物が見えた。

「まさかっっそれ・・・。」
「トビトビの実。体裁きが早くなるらしいわ。貴方のような剣士なら必要なのは素早さと腕力。なら得手を磨いた方が勝てるようになるじゃない。貴方にはうってつけ。使いこなして今よりも敵の先手を打てるようになる。

どう?強くなれるチャンスよ。」


たしぎは下を向いたままだった。
カイの能力を目の前できちんと見たのは初めてだ。船上でスモーカーも捕縛した不思議な人外の力。先ほど目の前で見せつけられた力。一生望んでも望むだけでは手に入らないだろう力。
イーストブルーでは能力者も希で滅多にお目にかかれないため憧れも薄かった。自分などその実に出会うはずがなかった。ところがグランドラインで出会った猛者は大半が能力者とあってたしぎの心の中でその渇望は知らず膨らんでいた。
そして目の前にちらりと見えた大きな実。変な色で変な模様。噂に聞いたそれは海の秘宝。正当なルートでは手に入らない幻の実。
幻の力。
唾を飲む音が何度も何度も自分の中で大きく響く。

手を伸ばせば手に入る距離にそれがある・・・。

「・・・・だって悪魔の実だなんて、そもそもあれは幻の物で・・」
「でもここにあるわよ。これ実は軍務の途中で私が押収したの。細かいことは内緒よ。私の物にしたから貴方にあげても良いわ?・・どう?」
茶目っ気のあるウィンクとはいえない大きな瞳。
「軍務って事は・・これ、押収物件の一つですか??」
押収物件は報告義務がある。私物化横行への対策だ。事前の確認と隊内の次席による報告義務がある。
「無かったことにしておけば大丈夫。事前も事後も報告されてなかったから私の他は誰も知らないわ。」


相手がこの人でなかったらまがい物として相手にもしなかっただろう。
そしてたしぎは放置しておけなかったろう。
だがこの人が真剣な瞳で訴えてくるからこそ冗談にも
「嘘でしょう?それなら私は貴方を逮捕しますよ?」とは言えなかった。




「本物・・・ですか?」
低い声で下から自分よりも小さいカイの顔を見上げた。
「もちろんよ。私、偽物って嫌い。」
この人は下着に至るまで本物志向が強いとヒナさんから聞いた。ヒナさんはそういう物にはあまりこだわらない人間だ。人が驚くような衣装でも頓着せずに身につけたりする。それがまた似合うのだから誰も文句を言わない。反面いつも同じ格好でもそれも気にならないらしい。

たしぎはじっと息を呑んだ。
そして弱々しく頭を横に振った。
「でも・・無理です。悪魔の実の値段くらい知ってます。」
確か一億ベリーをくだらない代物。

その答えに感触を掴んだのだろう、カイは語気を和らげた。
「あら、私は欲しいのはお金じゃないの。」
カイは作戦の最後の大詰めにゆったりと椅子に身を落とした。
「判るでしょ?欲しいのはアラバスタの内乱の真の姿の情報なの。それを話してさえくれたらこれを差しあげるわ。そして話したことは決して貴方に迷惑なんてちょっとも掛けやしないわ。約束してよ。」

アラバスタの情報?
先ほどからのふざけた態度で求めていた、あれが?

「『アラバスタ内乱の顛末』貴方なら知ってるわよね?だって。貴方は直接関わったのでしょう?そして上から提示された昇進を蹴った。ここまでのことは誰でも知ってるわ。普通じゃないのは不満が残ったからでしょう?他じゃ言えない事もあるでしょう、ここでなら私しか聞いている人間はいないわ。只の愚痴よ。これくらいなら機密と言うほどの物でもなくってよ?」
「何故アラバスタの?情報が必要なんですか?それこそ貴方のお立場なら幾らでも・・」
「貴方の意見が聞きたいのよ。。」
「でも!そんなこと!出来ません!」
当然だ。私は軍人なのだから。スモーカーにたたき込まれたのは軍人の守秘義務。それを言葉で指導された。それをスモーカーと一部始終を過ごすことで見せられてきた。
膝の上でぎゅっと握られた両腕ががたがた震えている。だがそれをたしぎは気づかなかった。

私は軍人だ。私は軍人だ、私は・・・・。




「・・そんなに簡単ならスモーカーさんご本人に直接聞けばいいじゃないですか!そんな宝物を私に使うほどの値打ちがある訳がない!」
「でも、私にはあるの。知りたいのよ。」
たしぎはじっと黙って相手の表情を読もうとしたが、所詮経歴が違いすぎる。強者と戦って培った経験の歴史が雲泥の差だ。その海千山千な笑顔の奥まで読める物ではない。詰め寄ろうと立ち上がったときの、カイの見下ろす瞳の色は深くて、何を考えているのかはっきり見せない。広報部のエリートというのはもしかするととんでもない深さの底に闇を抱えているのかも知れない。
剣の腕もさることながらこういう強さも私にはない。望んでも望むだけでは私には手に入らない。これが強者の世界だ。


だから私は勝てなかったんだ。
受け入れるしかなかった。




「・・と言われましても・・それは私には無理です。・・・許して下さい・・。」


頭を垂れたたしぎを包むオーラが変わった。先ほどまでの強健な気配は何処へやら、狼狽するたしぎの姿に対してあくまで穏やかな、あくまで優しい笑顔でカイは寂しそうに微笑んだ。
たしぎの固く結んだ両手を今度は優しく握り包み込む。黒目の大きい円らな瞳がたしぎの周囲に広がり出す。
「ホンの個人的なレベルで聞きたいのよ。実は・・・・・私はあの国の出身なの。
 たしぎの逡巡も判るのよ。軍に在籍すれば当然軍務が優先なのは当たり前よ?でも・・個人的に私は知りたいの。故郷の事なんだもの。

 それに貴方は、確実に強くなれるわ。」


彼女の低く甘い声の波動は心にしみ通りやすい。甘い声と甘い言葉。
たしぎの心の中に【強くなれる】という言葉が共鳴した。
心地よい響き。そのまま堕ちていきたくなる響き。

出身?あの砂の国の?
初耳だった。人の混血は進んでいる。髪の色、肌の色では出身の判定などまるで出来ない。軍人の出身地も本人が明かさねば知られないまま終わる。しっとりとした色彩のこの人にあの砂の国は似合わない気はするが、そういう事もあるのかも知れない。
それならば興味のあることにも肯ける。
故郷の情報ならなんとしても知りたいのが人情という物だ。



同時に判っている。
理性的に対処しなくてはいけない、これは、緊急事態なのだ。甘すぎる誘惑は、甘すぎる。

だが心地よい言葉に縋りたがっている。
自分の心が真実を都合良い方向に判断し切り出したがっている。



考えすら避けなければ逃げ出せないと思うのにカイの足下の紙の袋に目がいった。
その瞬間をカイは逃さなかった。


「・・まぁ急がなくて良いわ。来週のこの時間ここに来てくれる?待っているから。」

カイはその答えを待つことなく袋を奥へずらして颯爽と席を立った。遅れてゆっくり立ち上がったたしぎを入り口まで手を取り案内する。
絨毯も敷かない乾いた床なのにたしぎの軍靴の音しか響かない。ドアを開けると隣の部屋には思った以上の人間が待機していた。その人たちの気配も靴音も響かない。船まで送るようにとツバイに向けられた指示をたしぎは丁寧に断った。




独りで外に出ると夕日が眩しかった。ゆっくり深呼吸をする。外の光が眩しいのはこれで二度目。
今度は空気まで重い。

あそこは軍基地の中の将校の部屋。
あの話はそんなところで取引されて良いようなものでも情報でもない。
決してなされるべきではない類の話なのだ。

「はぁ〜〜。どうしたらいいんでしょう。」
掛けていた眼鏡を外す。
ほんの些細なインタビューのはずがとんでもないことに巻き込まれた。







外に聞こえているのは砂漠の風?いいえ、ここは海。あれは海の風。
あれは暑い国。
強い日差しと風に絶え間なく奪われる汗よりも喉の渇きよりも、もっと飢えていた。


夢の中に何度も訪れる。私をねじ伏せた力。


「そこをどきなさいっ」
怒りとも取れそうな、だが真剣な瞳。
沢山の腕によって掛けられた関節技。能力者故の業だと判った時には動けなかった。
目元に据えられた己の剣をあれほど怖いと思ったことはかつてなかった。刀紋もくっきり見えてまるでスローモーションの様に今でも再生出来る。己を守るためあれほど磨いた武器が己を抑制した。混乱した恐怖は今も身体に少し枷を掛ける。
足を折られた音はまるで人ごとのように聞こえた。痛みなら我慢が出来る。骨が折れようが曲がってしまおうが。

あの時折られたのは、軍人としての私の矜持だ。


「正義ごっことやらをやりに行くんだな。」
力を持つ物にのみ許された嘲笑と侮蔑。既に抵抗出来ない私を更に押しつぶす能力者の重圧。それにねじ伏せられて何も出来なかった。


心は砕けた。



「ワニ、何処だ?」
助けを縋る私はあの能力者の海賊と対面した時にもう軍人ではなかった。
私など見ていない瞳。
力を持つ物の出す自信。
そして、私が持っていなかった力。


あの女にあって私に足りなかった物。
あの男との力の違い。
あの漢の見つめていた物。



私が彼らに敵わなかったのはいったい何なのだろう。やはり背景に持つ力なのだろうか。

座禅などでは決して答えは得られない。
答えは一体何処に?






戻る       続く