「軍に入ったきっかけは・・・・住んでいた村が海賊に襲われた事で。目の前でお祖父様が斬られて可愛がっていたペットも目の前で・・・海兵に助けて貰った。・・とこういう所ね?辛い話をごめんなさい。」 一通りの話が終わる頃にはたしぎの緊張はすっかり解けていた。カイの話術は巧みで、本題とは関係ない話からいつしか過去の話や答えを引き出されていた。話題の途中で己の見習い時代の話や、今の生活やらも話題になり久しぶりにたしぎは自分のことを人に語っていた。 今の・・悩みも・・輪郭をぼかした形で。 ノックが鳴りコーヒーポットが持ち込まれた。新しいコーヒーを貰うと湯気の上からカイは角砂糖を自分のカップに一つ入れてゆっくりとかき混ぜた。 「で?どう?スモーカー君とは。」 「は?」 「は?じゃないわよ。あの鉄面皮の下で女性が勤まっているというのがそれだけで充分奇跡でしょ?同期の連中が聞いて皆目を丸くしているわ。彼ってどういう訳か女性にもてるけど本人は気にもとめないし何より天然で女性を怒らせるのの天才じゃない。その下で良くもまぁこれだけの期間貴方が続いたって。ま、貴方ならスモーカー君じゃなくても手放せないわよね。」 最初は同意を求めるようにゆっくりとした柔らかい口調だった。たしぎは数度大きくまばたきをした。 目の前のコーヒーのお代わりを貰ってゆっくり啜る。ソーサーにカップを置く音は壁に吸収されるらしく響かない。いつしか二人の座席は丸いテーブルに並ぶように近づいていた。 「・・スモーカーさんは強くて、私の至らないところはたくさんあるんですけど、そこもきちんとフォローもしてくださって尊敬してます。」 柔らかい笑顔を見せるたしぎの語る言葉にもあふれる本音にカイはいわゆる意地悪そうに口端をあげて見せた。 「確かに強いわよね。“能力者”だし。」 「ええ・・・あの力にはちょっと・・・刀での攻略もきかないと思うんです。カイさんはさっき組み敷いてお出でですけど。」 羨ましいという想いを真正面からぶつけて悔しそうに唇を噛む姿と握り拳。そこから見え隠れするたしぎの気持ちの強さを見たカイは数秒凝視して瞬きを繰り返して、その後で盛大に吹きだした。 「あっはっはっはっは・・!・・ってことは、貴方はあの男を倒すシミュレーションしてみたって事なのね?」 「ええ・・・その・・・・・・・はい。その、想像するだけなら・・いいかなって・・・・。」 小さく俯き頬を赤めながらたしぎは呟くように言葉を続けた。カイは満面に笑みをたたえたかと思うと更に言葉を継いだ。 「まだ勝ち目はないものね。でもいつか・・って思う?」 その問いの意味の深さにたしぎは背筋を伸ばし深く呼吸を吸い込む。 曹長風情には遠すぎる大望かもしれない。 「・・・・出来るなら・・高すぎるくらいの高い・・目標のひとつです。」 「・・・若いわねぇ。」 そのやるせなさそうな目と嘲笑するような口元を見てたしぎは更に赤面し、両拳を膝の上で硬くした。 「・・未熟者の戯言と聞き流して下さって結構ですよ。」 「いえいえからかっているんじゃないの・・羨ましいわ。」 「?」 「それ、限定の支給品だったって知ってる?」 彼女が指さしたのは細いたしぎの右手に巻かれた腕時計だった。 「上級将校用の一品。高性能超軽量で、記念にマリージョアの一点物の店に特注だったので滅多に手に入らない物だったはずよ。スモーカー君がかなりきつめに上を脅して一本取っていったって聞いたけど、あなたよほど可愛がられてるのね。」 たしぎは自分の腕時計を見直して表情を変えた。 この時計の価値は使えば使うほど判る。隠された機能や時計の精度からも狂いもほとんど無い上に表面のガラスも割れにくく壊れにくい。現場仕様に必要な能力を全て備えていると言っても良い。たしかに高性能でしかも軽い。スモーカーが「配給だ」の一言でくれた。 作戦の実行上、精度の高い時計は必須だが、重い大刀を振り回す身としては少しでも軽いものの方がありがたい。説明のないスモーカーの行動だが、負担にならない軽さでたしぎには嬉しかった。 以後ずっと宝物の一つに数えていた。 急にあの葉巻の香りが懐かしくなった。 「ところでさっき准将は何か言ってた?」 「は?」 話題が飛んでいる。 チェ・ジャンは先ほどたしぎが報告を行ったこの基地の最高幹部だ。年齢に見合った穏和な性質で有名な人物である。本来一船の報告に出てくるはずの無い人だった。 「さっきの訓辞の山よ。スモーカー君に報告すべきはもうまとめているんでしょ?」 「ああ、はい。」 「で?」 「普通の事です。船でのスモーカーさんの事などを聞かれました。」 「へぇ。なんて答えたの?」 「カイさんからスモーカーさんにばらされたら嫌だから内緒です。」 「・・・そう来たか。」 「は?」 「とぼけないの。スモーカー君の仕込み?まぁ、軍人の答えとしては合格よ。」 「あは、ばれてました?これって守秘義務の範疇ですよね?スモーカーさんってわりと細かくそういうところに気が付かれるので。」 「ああ見えて案外細かい男だからねぇ。」 あはははははと二人は笑った転がるような声で。遠くでくしゃみが聞こえたような気がする。 スモーカーは無口だし、滅多に自分の行動に理由を言わない人間だ。 その彼が、たしぎに初期訓辞として言い渡した事の一つが『守秘義務』だ。 スモーカーの訓辞といわれる物はほとんど無い。実践で語られることは山ほどあるのだが。少ないからこそ強烈に残る。部隊の連中にも同じように鮮明に残っているのだろう。 「でもね。」 「はい。」 「『アラバスタの件』についてはどういわれたの?」 「うわっっっっっっっ!!」 吹き出した勢いでコーヒーが零れて、でも何とかソーサーで受けた。 「地獄耳と呼んでv」 「な、、なんでそ、、それ・・・・!」 たしぎは予期しなかった突っ込みに口元がきちんと閉じることが出来ずにぱくぱくさせている。 「アラ有名よ?だってあの時スモーカー君がいよいよ将官かって情報局の上では色めき立ったんだからv」 「そ・・・・それ・・」 「たしぎあなたもね。一緒に昇進を蹴ったんだから『何かあった』って当然勘ぐられてるわよ。」 柔らかい口調でもたしぎを打つには充分だった。たしぎは緩んだ口元を締め直した。 呼吸を静めてもカップとソーサーが奏でる音は隠しきらない。手の震えを受けてカタカタと細かい音を立てるソーサーをコーヒーをこぼさぬようにたしぎはそっとおろした。 何かどころではない。脳裏に甦る屈辱の日。乗り越えたつもりでもまだ口に残るざらざらした砂の苦さ。唇を噛みしめないと耐えられないその苦み。痛み。 深呼吸を一つ。 「・・・・・・・・・私は何も出来なかったんです。ですから・・何も知りません。」 震える唇を押さえつけてそう言うのが精一杯だった。 ところが攻め始めたカイは容赦しなかった。獲物を追う狩人の視線で睨め付け、断言する。 「嘘。」 「嘘じゃないです・・。」 もう泣かないと決めた。 「少なくとも自分には答えられません。」 他の誰に出来ても自分には無理だ。 カイは下がらなかった。身を乗り出してたしぎに詰め寄る。そこまで詰め寄られてたしぎは始めてこの人が体臭を消していることに気が付いた。非人間的な匂いの無さだ。軍服を襟まできちんと着込んでいるクセに汗一つかいてない。 その人形的な美しい口元からだだっ子のような台詞が零れた。 「だって私、何があったか知りたいんだもん。」 自分が攻め込まれた、しかも反撃出来ない状況に、それでもたしぎは屈しなかった。 「・・・駄目です。」 「お・ね・が・い。」 「駄目ですっ!絶対に!だいたいカイさんの情報網って馬鹿にならないんだからご存じなのでしょう?」 たしぎの口元には誰も侵せない決意があった。 瞳には意志が宿っていた。彼女は身構えたわけではない。だが、心が構えた。 機を見るには聡いのだろうし予測もしていたのだろう。カイはあっさり戦術を変えてきた。 「じゃぁ。交換条件ってのはどうかしら??」 場の気配を覆す笑みでにっこり微笑んだ。そのくせ舌なめずりせんばかりの煌めきが瞳に爛々と宿っている。半身を乗り出して腰を浮かせてにじり寄る。黒い髪がきらりと揺れる。獲物を目の前にした勢いでたしぎの耳元にその赤い唇を寄せてきた。 詰め寄られる、視覚と、体温。 「あなたも、この力が欲しくない?」 緊張が高じてごくっと唾を飲んだ音が響く。 「・・・・・・・?この力って?何ですか?」 「『悪魔の実の能力』のことよ。」 何を言っているのかと目で問えば、意を得たりとカイの瞳は大きく瞳孔を開いた。 とてもたおやかな外見とは似つかぬ力でたしぎの腕をぎゅっと握り、放さなかった。 「強くなりたいでしょ?この【悪魔の実の能力】を手に入れたくない?」 「・・・悪魔の実の能力?大佐のような?」 「そう、彼や、クロコダイルのように強くなれるわよ。」 クロコダイルの名に今度はたしぎの表情は凍り付いた。 カイに捕まれた腕もその先から石のように固まったかと思った。 全身の鼓動が止まってしまったかと思った。 呼吸も瞬きも全ての時間が止まったかと思った。 耳を打つ音が作り出す波紋も 全てが。 無の世界にどうしてもたどり着けない。 私の存在など眼中になかった三人の顔がいつまでも心に重い波紋を鳴らし続ける。 幾時間の座禅を経ても幾千の幾万の素振りを繰り返してもあの世界に届かない。 私の中ではもどかしい嵐が吹き荒れて揺れている。 |
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