待ち合わせた建物の入り口で男が一人立っていた。 「お忙しい所をすみません。たしぎ曹長。ここからご案内します。」 自身との階級の差に敬礼を解かないたしぎの姿にツバイは苦笑した。 「は、お手数をおかけしますツバイ少尉。先ほどのは見事な陽動作戦でおいででした。」 「姫のお知り合いに小生の名前まで覚えていただき光栄です。でも・・姫の命令とは言えスモーカー大佐相手にあれは制服の下で冷や汗たらたらでしたよ。」 姫とは部隊の連中が呼びならしているカイの通称だ。 「で、・・あの・・スモーカー大佐は今どちらにお出でなのでしょうか?」 「お帰りになりました。」 「ええ!?・・・そうなんですか?私てっきり・・・。」 「姫の指示だったんですよ。そちらの入港の知らせが入ってすぐに『スモーカー君は往生際が悪いからお迎えに行ってあげないと駄目ね』って。いきなりだろうがあの方は鶴の一声で反対出来ませんからね。」 つまり、反対させない何かがあるということだ。 これを部隊に徹底させるカイの実力は不意打ちなどしなくてもスモーカーと良い勝負だろう。 「失礼ですが・・ツバイ少尉はカイさんの下は長くていらっしゃるのですか?」 「そうですねぇ。かれこれ自分の軍歴と同じくらい。」 「そんなに?」 「あの可愛らしさに騙されたのが運の尽きでした。」 ツバイはくっくっと口元に拳を寄せながら笑っている。爽やかな好青年だ。この少尉もこの若さであの中佐の下でそれだけの期間を過ごしているとなれば見た目とは裏腹、只者ではあるまい。 カイは見た目は可愛らしいお嬢さんなのだから見た目で判断してはいけない。この海には化け物が多すぎる。 「さて。もうしばらくお待ち頂くようにとの指示です。指定の時間まで何かのお相手をしましょうか?それともこの基地の見学でもなさいますか?退屈させるなと言われておりますので。」 「基地を案内して頂けるのですか?」 「はい。・・どうせなら自慢のラボはいかがでしょう?パイロブロインから作った人造拘束具はここで作られているのです。成果は先ほどごらん戴きましたでしょう?」 黒檻のヒナの能力に対抗しようと始まりはカイが始めた研究だったらしい。先ほどスモーカーを縛ったそれがそうだ。 たしぎの好奇心が跳ね上がった。 「是非お願いします!あ、それと・・私のような下士官に敬語はおやめ頂けないでしょうか?」 「気になります?」 「はい。」 くすくすと笑う爽やかさの中で目だけが不敵に微笑んでいた。 「ここ・・・・・ですか?」 「ええ。驚かれました?」 ラボは位置は町中、作りは普通の民家に見えた。てっきり基地の中でいかにも科学的な建物を想像していたたしぎは正直がっかりした。 だが本当のラボはその地下にあり長い階段を下りた先の更に長い廊下の先に音も漏れないような設計が成された部屋に通された。想像も付かない機器が溢れる部屋に目を丸くしたたしぎはもう一度尋ねた。 「これって重要機密なのでしょう?」 「貴方は姫の一言でフリーパスですよ。仲のよいお知り合いだそうで。」 自分が個人的に・・というのは虫が良すぎだ。 「親しいスモーカーさんの部下だからでしょう。」 「・・なるほどユニークな方ですね。」 ツバイの声に少し棘を感じたような気がしたがもう一度見上げた表情からはそのような印象は受けなかった。 「本当に良かったんですか?」 「記念のお土産くらいは構わないですよ。量産する予定ですから。」 時間が来るというので突かれ、名残は惜しかったがラボを出た。柔らかいはずの日差しは地下から出たての目には少し眩しい。ツバイは顎で行く先を示しすっと先へと歩いてゆく。たしぎは置いて行かれるともう方向に自信はない。黙って必死について行くうちに町中の裏道に出た。飲食街は昼ご飯の喧噪が終わった所で食事の匂いと満載のゴミ箱が見える。だが周囲を見渡せばさすがは基地のお膝元。町並みはきちんと整っている。落ちているゴミも少ないし清潔そうだ。 基地の門扉が見えた。 それ以外の光景も。 何処にでもいるものはやはりここにもいた。 軍服なのにまるで格のない歩き方をしている。その騒々しい声は耳障り。オープンカフェのテーブルに足をのせている男が二人と、その横で赤ら顔で酒のボトルから直接ぐいぐい飲んでいるものもいる。飲酒は勤務中は禁止されている。昼食時の一杯くらいは通例的に許容範囲とされているが、スモーカーなどもそこは厳しかった。そうでなくとも彼らのような泥酔はいただけない。しかも制服を着ている・・つまり彼らは正規の軍人で公務中なのだ。 ここの規律は一体どうなっているのだ?たしぎは眉を顰めた。 「わぁかるぅ?俺たちがまもってるぅからぁここがぁ安全なんだよぉ。」 「わぁかってんのかぁ?」 「ちょいと酒注いで尻の一つも触らせときゃ良いんだから安いもんだろう!」 「そうそう!水と安全は只じゃねぇんだよ!」 下卑た笑いが耳障りに響く。 先に歩みを進めていたツバイが無視して基地に戻ろうしたが、たしぎは刀の鯉口に手を掛けた。 「いけない!あいつ等は余所の部隊です!関わりになってはいけな・・・・・・・!」 「たしぎ、お待ちなさい。」 きつめの台詞が柔らかい声で低く、耳に心地よく滑り込んできた。 「気持ちはわかるけど・・。見ててね。」 「カイさん!!」 「姫!?」 たしぎの横にいきなり立ったカイの体がすっと大気に溶けた。 髪も服も靴も一切が見えなくなった。 空間は何もなかったようになった。 だがたしぎにはうっすら自分の横から動く影の気配を感じ取ることが出来た。その影は一気に男達の集団の方へ詰め寄るとしばししてまた戻ってきた。 またたしぎの横に並んだかと思うとすいっとまたいつもの姿を現した。 「ふう。女の子なら喜んで脱がして差し上げるのにね。あんな不細工に触れたなんてぞっとする。」 現れたカイは両手に軍仕様の太くて厚い革ベルトがぶら下がっていた。 「!!!!!!」 男達は大騒ぎしている。ベルトがない!消えた!!取られた!!などと喧しい怒声が聞こえてその後ずるずると下がるズボンを抑えながら慌てて宿泊用の坊に駆け戻ってゆく。 「取られたのが首じゃないことに感謝して貰わなくてはね。ツバイ!これ、落とし物として届けておいて。」 ツバイ少尉の元に数本のベルトが放り投げられた。ベルトには弾薬や携帯の薬入れが付いている。個人の識別もナンバーが登録されている。顔の判らない死体になったときの一応の目安になるからだ。軍からの支給品だが、脱がない限り通常紛失のリスクが最も少ない物の一つで、滅多に請求するものではない。軍務以外で無くしたなど「女に・・」と噂されてしまう。恥さらしも良いところだ。 「どうやったんですか??」 「内緒v」 カイは人差し指を自分の艶々した唇にあててにっこり微笑んだ。 「さ、いらっしゃい。貴方と話が出来るのが、私とても楽しみだったのよv」 門をくぐる華やかな二人はカイの部屋に入るまで衆人の視線に曝されていた。 「准将の相手も長時間大丈夫だった?あの親父いつも要領を得ない話ばっかり長くて困るのよ。」 「あ、丁寧に答えていただきました。御陰でまとめやすくなりました。」 「スモーカー君への報告書?」 「ええ。でも長時間は大佐には無理ですね。」 「彼、だだっ子だから。其処も可愛いのよねv」 「はいっ。」 婉然とした微笑みに返された爽快な答えに、後方に控えていたツバイは吹き出した。彼の背後にいつの間にか数人の男女が立っている。うち二人ははっきりと客相手に剣呑とした気配と強い視線を向けている。その他も大差はない。 「あらあら、素直だこと。さ、こっちよ。あんた達は今はいいわ、下がって頂戴。」 カイは合図を送ると軽く全員を下がらせた。全員と言っても非常に地味なメンバーだ。多彩な髪の色、肌の色。纏っている気配もバラバラで制服がなかったら軍人の匂いが薄い者も少なくない。 それを言ってはおしまいだが、カイ自身、軍人というより少女モデルのようだ。花束を持たせればそのまま可愛いお嬢さんで通ってしまいそうな。始めて会った時から全く年を取らない童女のような魅力は変わらない。 『我が儘強引マイペース。【外見は砂糖菓子で中身は高速の重戦車】。あの部隊は独立してるようなもんだ。部下どもを手足代わりに遠くに出すわ手元で並べるわと容赦なくこき使いやがる。』 『スモーカーさん、それってうちと同じですね。』 「野暮な連中は全部追い出したし、さて、今度は私の仕事にお付き合いしてね。今の私は広報部の中でも対外冊子の紙面の責任者って所なの。で、お願いだけど。」 後ろ手にドアを閉め、たしぎを追いやってソファに座らせる。カイはスモーカーが評したその的確さ通り挨拶もそこそこ用件が切り出した。 「実は勤務3〜4年目の若手に今の貴方は?と聞く企画なの。手元にちょうどその辺りの年齢切らしているし締め切りは迫るしと困っていたのよ。あ、軍の広報といっても堅苦しく考えないで。一般人向けの理解を得て上意下達のこの世界で少し新風を入れた方が良いとかいうよくわからないテーマで始まったことだし。筆者個人が特定できないようにまとめるのも私の仕事だから。」 軍の事務系も仕事は多岐にわたる。広報部の仕事は宣伝が主になる。確かにこの活動が軍資金の一つである国家やそれを超えた企業からの寄付の額を左右し有志個人からの寄付や新人の確保、新規採用者の残留数の向上刷新が掛かっている。世界政府が世界の富をかなり牛耳っていて、軍の予算もそこから出ているとはいえ軍としても自立予算は喉から手が出る。寄進者の利害と軍務は無関係と言い切りながらもその中に収まりきらないものがある。派生する利権に対しての監査は非常に厳しい。法もさることながらその監査だけで軍の一部隊が構成されている。法に則り部隊の人間もマニュアル化することを要求される。 ただし。広報部はその限りでなくこの有能な人物にさせねばならない仕事ではない。 ただにこにこ笑っているだけなのにテーブルの向こうにから剣圧のようなものをたしぎは感じた。普通の人間ならばこの微妙な居心地の悪さはその微笑みに隠れて感じないだろう。たしぎの隙をあっさり暴くねじ伏せるような気力が肌で感じられる。この人などもっと上の方でむしろこの他に3足くらいの草鞋を履いてこそ似合う人だ。 おそらくは情報部の裏仕事を隠すためのダミーの職種といった所だろうとたしぎは推察した。 「・・・・と言う事でインタビュー受けてくれない?」 「はぁ・・広報部って色々なさってるんですね。」 「そう。大変なのよぉ。」 たしぎが圧力に抵抗しながら座っている事に気づいているのか、そらっとぼけた返事だ。 <かるら> やっと舞台設定完了。次から話が展開します |
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