何も知らない海兵達は興奮していた。オークタウンの気候は冬島の初夏で澄み切った空気と煌めく日差しが眩しい。 陸だ。しかも街で、上陸許可は均等に渡っている。港の桟橋に接岸した途端飛び降りんばかりの勢いで前半部隊が飛び出していった。残る後半組からの野次やあからさまに自慢する声が交わされ合って喧しい。どんな猛者の群れでもざわざわした下船の雰囲気が賑やかになる。彼らにとってこれは久しぶりの休暇なのだ。 冬島の街中には建物の影に雪も見える。だがこの際休暇を南国リゾートでなどと贅沢を言うつもりはない。アラバスタを離れて以来久しぶりの任務抜きでの陸地の長滞在に猛者揃いのスモーカー隊も子供のように喜びを隠せない。 桟橋へ突進し港で拡散を始める長蛇と逆行するように一人の人間が立っていた。波に抗う澪のように動かない姿は同じ手合いの制服ながら浮かれた彼らの中でも目線を引いた。痩身でも俊敏そうな男性だ。爛々と輝く目で船を睨んでいる。きりっと揃えた髪そのままの落ち着いた性格のようだ。だがすぐにそれ以上に彼が大胆だと知る事になる。彼は降船者が途絶えた隙間を塗って桟橋から船上に向かって大きな声を掛た。声の通りは極上らしい。桟橋全体はおろか休息とばかりに一室で寝こけていたスモーカーの耳にも大音響がこだますることになった。 「スモーカー大佐!!私は当基地所属のツバイ少尉です!こちらに寄港と伺い至急お出で戴きこちらの書類に直接サイン願いたいと上からの命令を受けて参りました!お聞き届け頂けない場合、僭越ながら上司より船体への銃器の使用の許可も戴いております。速やかに応答願います!」 不穏当な意見はきっちりたしぎと軍曹の居た船室にも届いていた。 スモーカーは怒りを隠さない口元を引きつらせながらも目を閉じ、起きあがらなかった。そのまま無視を決め込んでもう一度ベッドで反転しようとした。 「スモーカーさん大変です!!あの方、グレネードランチャー持ってきてます!」 嘘で良いから昼寝を決め込んだが、その間に既に数回転んだ音を船内に響かせてたしぎが駆け込んできた。その情報と具体的銃器を伴った不穏当な挑発よりも慌てたたしぎの姿に、命令されるのが嫌いなスモーカーも腰を上げざるをえなかった。 ゆっくりと甲板に出る。手すりから身を乗り出した姿を見て下船中の兵達は耳を押さえた。直後大音声が響いた。 「この俺に良くもそんな口をたたけたな。俺は今虫の居所が悪いんだ。そんなもん俺はしらん!聞こえねぇし、いかねぇからな!俺に命令したきゃ本人がこのお天道さんの下に出てこいと、奴にはそう伝えとけ。」 「そんなことおっしゃっても無駄です!」 「しらん。だいたい俺を捕まえるのにてめぇの様なひよっこ一人で何とか出来ると思うな。」 会話中の彼が肩に構えていたランチャーは伸びてきた煙に叩き落とされた。弾かれた腕は痺れて使い物にならない。能力者に向かってそれを防ぐ方法はないらしい。 勝負はスモーカーの圧勝に見えた。 ところが。 「ごめんね。一人じゃないわよスモーカー君。」 いきなりスモーカーの背後の何もない空間から手が生えた。四本のうち細い二本が彼を羽交い締めにする。と言うよりは鮮やかな関節技でスモーカーを抑え込み左腕を高く上げた。残った二本の腕がぎこちない仕草でだが確実にスモーカーの身体に縄を掛ける。縄が掛けられた途端、抵抗していたスモーカーが動かなくなった。 身体を崩して前へ沈み込む。 「ぐっっっ。」 「大佐?!」 「スモーカー大佐っ!!」 それを見ていた全ての人間が目をむいた。スモーカーは逃げようと思えば自身を煙化することはいつでも可能だ。その彼が伸ばした手も力を失いとぎれ消えゆく煙として散っていく。散るばかりかいつの間にかその身体には更に幾重かの縄が掛けられていた。それに気づき解こうと手を伸ばしつつも膝が崩される。 声が聞こえ、腕が生えた彼の背後は今まで何もなかった空間のはずだ。 「油断大敵v捕獲成功!」 ところがいきなりスモーカーの真横に人間が二人立っていた。 一人は小柄で清楚、絹を下ろしたような漆黒の髪が肩を過ぎ、肌理の細かい透けるように白い肌の映える黒スーツ。浮かんだ唇のぷっくりふくれた紅が印象的だ。 「お久しぶりね。せっかく会えたその姿が捕縛された姿だなんて悲しいわ。 でも以前貴方を捕まえることが出来たら何でもしてくれるって言ってたわよね。 あらあら、こわぁいお顔vスモーカー君ともあろうものが言い訳だなんて、私聞きたくなぁ〜い。 大人しくなさってね?今日は逃がさないんだからv」 崩れたスモーカーをから一歩離れて見下ろしながら低く甘さの残る声で台詞を並べ立てている。その媚びの入ったような誘う口調は、口元を歪ませたスモーカーの耳にもはねて良く通る。 「・・てめ・・・・・は・・な・・・せ・・・。」 絞り出す声が切れ切れになる。その真後ろには暗い色調の海兵服の男がスモーカーに巻いた縄の端を握っている。 「もう、あなたってつれないんだから。私から逃げようなんてそんなこと言っちゃ嫌v」 黒髪は少し遠巻きにしてスモーカーの周囲を跳ね回る。晴天の下影が踊るようだ。 こんなスモーカーの姿は滅多に見られない。 その小さな影は船内を睥睨し一言も口をきけない船内外に向かってにっこり微笑むと駆け上がってきた海兵から海軍将校のマントを受け取り羽織った。 中佐の印が太陽の光を受ける。そして差し出された軍服には不似合いな日除け用の瀟洒な白のパラソルを広げた。 海軍本部は実力主義である。性差は問わない。当然だが、上に上がれば上がるほど能力も体型も決して男性に引けを取らない女傑が多い。 その軍の中で、小さめに直した将校のマントを肩から掛けたほっそりとした小さな姿に、言葉も目元も色気のある愛くるしらしい長い黒髪と顔立ち。その登場に、驚きよりも違和感よりも視線で賛辞を送る海兵も多かった。 巨漢であるスモーカーの横に立てば子供のように可愛らしい大きさである。その横にいる海兵はと言えばこれが地味を体現したような存在の気配を見せない痩身中背の男だ。 「私に会えて声も出ないくらい嬉しい?私もよ。でも中尉の握ってるその縄は私も苦手だから今は熱い抱擁で迎えてあげる訳にいかなくってよ。許してね。さて。」 顔を上げるとちょうど目の前に呆然としながらも刀に手を掛けたたしぎが立っていた。口もきけない彼女を上から下まで無遠慮に眺めて流れる黒髪は微笑んだ。そしてウィンク一つ。 「お久しぶりねたしぎ。女っぷりがあがってるわね。そしてこれお借りするわ。」 指先の大きな獲物を示す。 「これも軍務なの。ではガド中尉。大佐を基地内の例の部屋にご案内して。ツバイ少尉もご苦労様vそしてたしぎ、貴方には私からお話があるの。これも軍務よ。本日1400私の所にも出頭しなさい。」 「・・・・・カイ・・さん?」 「文句は聞かないわよ?ああ貴方からの愛の告白なら喜んで聞くけどねvでもこうでもしないとスモーカー君に逃げられちゃうんですもの。シャイな私にはこうやって意中の相手に受け入れて貰わないと口もきけないのよ。」 「・・くそった・・れ」 「スモーカーさん!」 口をきいたスモーカーの姿に安堵したのかたしぎは脱力して肩の力を抜いた。あっけにとられながらも最初に構えた刀に掛けた手もようやく下ろす。自分より視線の低い相手に優しい目を向けている。 「カイさんは相変わらずのお姿で・・・全然お変わり無いようですね。」 その台詞に目の前の黒髪はにっこりと微笑んだ。戯れ言か本音かふわふわと形容したくなるその容貌にくるまれて、その強い光を秘めた瞳は正体が解らなくなる。その外見の魅力が男性にどう影響を与えるのが知り尽くし、計算し尽くされた仕草が見事に板に付いている。 男性に向けられたその魅力は船内の海兵どころか、艀の遠巻きの目のハートマークの群れを見ても明らかだ。 「ほどけ・・俺は・・行かん・・ぞ。」 「これに巻かれてしゃべることは出来たのって貴方が初めてだわ。じゃぁ、この海楼石入りの縄をもうちょっと増やしてみようかしら。」 うめきながら睨むスモーカーの姿をカイは面白そうに眺めて呟いた。 「てめぇ・・覚えとけ・・・おい、たしぎ。命令だ。例の報告・・お前が行ってこい。」 「え?・・は、はい。けどちょっと待ってくだ・・・・。」 にらみつけるスモーカーをたっぷり半身離れた所から微笑み返してカイは後ろを見た。 「ガド。行け。」 「・・・・は。」 空気だけが動いた。その横でずっと黙ったままの男はたしぎに敬礼を取っただけで、更に増やされた縄にぐるぐるにくるまれて動けないスモーカーの巨躯を肩に担ぎ上げて船縁から降りていった。 「じゃぁ後で、待ってるわ。」 カイはその後ろでは軽やかに跳ねる子供の足取りで艶めいた長い髪を海の風に乗せる。中佐の階級章が眩しい光を反射した。人の波の真ん中が自然と開けられる。その間を二人は風のように動き、巨大な武器を持ったはずのツバイもいつしか姿を消していた。 困った顔をして二人を見送ったたしぎは下船途中の船員達皆を見渡した。 「多分あの方とスモーカーさんなら大丈夫です。通信斑、軍部の方にとりあえず確認をお願いします。」 その笑顔に下船の喜びに水を差された雰囲気はとりあえず解消された。再び人の群れが移動を始めた。 デッキで連絡を待つ間だけは口元の笑みは変えなかったがうなじの辺りから肩に掛けては過剰に緊張が走っていた。通信室から基地の方に先ほどの一件の確認を入れ、間違いなくスモーカーの身柄は確保されたことを知って初めてたしぎは全身の力を抜いた。そうとわかれば知人に拉致されてしまった上官の代理として命令が届くところで待機という当初の予定と変わりない。残った全軍に指示を伝え、それを聞いた下船組は、そろそろと町に消えていった。 「曹長、私もお供します。」 「いえ、軍曹さんは留守をお願いします。大丈夫、あの方は以前からのスモーカーさんのお知り合いですし、私も少しだけ面識があります。軍曹さんは?」 「いえ。」 「それにスモーカーさんのことですから全く心配しなくて良いと思います。」 「はっ。・・それはそうなのですが・・。」 たしぎの情報に安堵した表情を浮かべながらも軍曹の眉間のしわは寄ったままだった。 「曹長・・・・。あまり根を詰めて無理なさらぬよう・・お一人の身体ではないのですから。」 その心遣いに感謝したのだろう。たしぎの笑顔をとりあえず浮かべた。 たしぎの方も心構えはあるという物のまず上部への報告という職務がある。 内容はスモーカーと打ち合わせを済ませてある、彼女なりに自室に揃えた資料をまとめ大きな荷を背負って準備を整えて船を下りていった。 当然タラップの途中の何もないところでひっくり返るという離れ業に、見送ったクルーは日常の光景を目にしてようやくほっと一安心した。 基地管理を行う准将への報告をこなしたたしぎは事務方に一時間取られて諸手続をすませることになった。強引なスモーカーと細かく詰めるたしぎの二人で準備した資料には事務の付け入る隙はなく予定以上の裁量を手にすることに成功した。准将の話は長かったが終わってからの機嫌は良く、諸雑談にも花が咲いた。本来こんな報告を受ける程度の業務にこのランクの上官が出てきた事に驚いたが、本人の腰の軽さとスモーカーへの好意は隠しようがなかった。たしぎが一安心できたのは後者の恩恵が大きい。 「ふう。」 控え室のソファには自分だけが座っている。腕時計を見た。 次のカイに指示を受けた出頭の時間まで少し時間がある。総務に確認した時には「スモーカーの帰還を待て」という命令があったがやはり上司の確認が出来ないまま不案内な基地にいるというのは落ち着かない。たしぎは少しでもスモーカーの消息を掴もうと待合室のドアを開けた。廊下の長い左右を眺めて途方に暮れそうになったがふと思いついて先ほどの中佐を捜しに行くことにした。 そのまま部屋を出ようとしたその時備え付けの電伝虫が鳴った。 「もしもし〜たしぎ曹長お出ででしたらすみませんが出て頂けませんか?」 聞き覚えのある声が流れた。 |
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