『煙の行方ビビ編11』
「な〜みさ〜〜ん!お帰りなさ〜〜いvv特製ディナーが準備万端ですよぉ!!」 サンジがピンクのエプロンのまま手を振っている。横に居たビビは真っ赤に紅潮した頬とその大きな瞳を潤ませて飛び上がって甲板から下まで駆け下りて、そのままナミの首にかじりついた。 「ナミさん!ナミさ〜ん!!」 「なによ、ほんのちょっと留守にしただけじゃない。」 べそを掻いたおでこにナミは遠慮無くでこピンを入れる。二人は互いの目を覗いて・・ 「お帰りなさい。」 「ただいま。」 零れるように笑った。 「そいつの無事も心配してたんでしょ?」 ごちそうと聞いて既に目の色が変わっていたルフィだがビビと視線が合うとぽんと頭に手を乗せて、彼女の水色の髪をかき回した。首をすくめたビビが抗議しようと脹れるとルフィはわはははは・・と笑いながら腕を伸ばし、船に飛び乗った。 「サ〜〜ンジィ〜〜うまほーーーーー!おれ腹減った!」 そのサンジはルフィの叫びは無視して縄ばしごを登るナミを途中から引き上げて掻き抱き頬をすり寄せた。 片目をつぶって好きにさせてくれるナミが無理に離れようとする前に名残惜しげに自分の身体からひきはがして両肩を揺すった。 「ナミさん!心労でやせたんじゃないですか?今後町に出る時には俺、絶対について行きますからね。」 「そうね、ボディーガードよろしく。・・・・ルフィとゾロの。迷子は困るのよね。」 そう笑って脇を通り抜け、退ける手でそのチクチクを触れた。その一撫ででサンジは骨まで熔けた。 喰うぞ〜〜〜と心底嬉しそうな船長の口にまだ焼かれている途中の肉のかたまりが放り込まれる前に、祝いのディナーよりも逃げ足が先というナミの指示に従い船は島を後にした。 最後の騒ぎが疲れの原因ともあって皆船底で部屋でと白河夜船を漕いでいた。 今宵は月の夜。夜の海には波はない。浅瀬を見つけて付けて碇を降ろして得た休息の時。 甲板に浮かぶ影が一つじっと動かなかった。 手の中の一本を睨んだまま十数分。このままでは固まって彫像になるのではないかという時間がナミの回りですぎていく。 「寝れねぇならつきあうか?」 甲板の闇に声が響いた。 小さな島のオレンジの夕日の中。 想い出はいつもそこに帰っていく。 「べるめーるさぁん!おきゃくさんだってぇ!」 村の人に教わった家の玄関先で小さい空色の髪をした女の子が大きな目を開け大きなフードの中の私の色の強いサングラスをじっとみてから家の中に転がるように走っていく。 「ノジコ、しー。やっと寝たんだから。」 「ほぇっ」 女の子は急に息を吸い込みその口を両手で押さえた。堪えた口元から頬が膨らんでくる。苦しそうになりながらそれでもゆっくりと吸い溜めた息をそっと吐き出す。その呼吸で赤ん坊が起きないようにとの配慮が微笑ましい。 ベルメールの手の中にはおくるみの中からオレンジ色の髪の毛が見えた。その塊をそっと小さな箱に作った粗末なベッドに置く仕草はとても戦場で見たものと同一とは思えなかった。置いて、おくるみを解いて布団にする。そのまま軟らかそうな髪の毛を軽く梳く。くゎーと軽いあくびをして赤ん坊は再び唇を閉じた。 そして静かに立ち上がり、そのまま家の玄関先に呆然と立っていた私の横に並んだ。 挨拶も無し。これもいつものまま。 「その格好ならあんたでも外にいけるね?出ようか。ノジコ、ちょっとその子看ててね。」 「うん!」 脇の木箱に座り、足をぶらぶら揺らして赤ん坊に見入ったまま、ノジコと呼ばれた少女は頷いた。その背中をぽんと叩いてドアを開ける。日の光の下でも口元だけに笑みを浮かべた気怠い彼女らしい無愛想さに変わりはない。それに安心したわけではなかったが。 先に立って歩く彼女が足を止めたのは自宅からすぐの広く海の見える崖の上だった。村とは反対側で静かだ。他の人の気配はない。 「良い眺めだろ?ここの海は最高なんだ。」 先ほどからの無言の後。のんびりした口調に一気に溜めた私の神経がぴりぴりときれそうに尖っていく。 「故郷ってこんなに良いもんだと思わなかっ・・・」 ぱしっっ 耐えきれなくなって後ろから側頭骨を狙い拳を入れた。通常の人ならぶつかった衝撃が効率的に脳にダメージを与え脳震盪を起こさせられる所だが軍人の彼女が反応出来ないわけがない。 忘れるというのか?自分が何者なのかを。 渾身の力を込めて打ち込んだ拳は伸びた腕のままの形で私から一番遠くで、しかも腕一本で軽く止められた。曲げられない腕は攻撃能力を封じられる。実践格闘の基本だ。 長袖の厚い軍服と分厚い手袋の隙間から私のいつもは隠した腕輪が飛び出すようにはみ出した。三連のそれは殺気を放つ私と受けるベルメールの間でしゃらんと澄んだ音を立てる。 こんな事は出来る癖に。 「危ないなぁ。」 にっこり微笑んで空いた方の手で煙草を取り出し箱から唇にくわえて、そして私にも差し出した。 「どう?」 煙草は仲直りの印だ、今の私は止めに来たのだ。まだ煙の登場は早すぎる。 「要らない。それより・・・・・・・・・・!」 「あたし、降りるから。」 確固たる声の響きが私の思考を止めた。 「ベルメール・・・・。あんた、行く前から既に士官候補に挙がってるんだよ?」 あたしと違って・・と言う言葉は喉に飲み込んだ。 「・・・。」 だが彼女の口元からでるのは煙草の煙だけ。 「あの特殊コースを終了したってだけで引く手数多な事も知ってるだろ?」 この私ですら・・日中の活動に制限を受ける為昼は総務系の仕事を、そして夜間は実行部隊をとの打診を受けている。日の当たらないスパイのようなものだが、ましてや彼女なら。 「・・・。」 「皆の期待も背負って、人に煙草の悪癖も押しつけて・・それでもあんたは降りるっての?」 私の言葉も言葉にならない思いも彼女に届いているのはわかっていた。 それでも。 「うん。もう決めた。あたし降りるんだ。」 そんな綺麗な顔で決断しないで。 理由は人づてに聞いていた。そして見た。 「理由はあの子達なの?あんたなら・・あたしと違うんだ!自分の子だって何人でも産めるんだよ?何でそんな見ず知らずの子なんて・・・。」 「冗談。あの子達はあたしの命の恩人よ。あの子達に会えなかったらあたし今頃ここにいないって。本当よ。本当ならあたしはあの空の下、冷たくなっているはずだった。」 ふざけながら示指と中指で首を切る仕草。余裕さえ感じる笑顔。 そんな笑顔で去らないで。 私をそのまま受け入れる貴方が、そんな理由で去らないで。 「あんたこそさぁ、残って上まで極めなよ。あんたのしぶとさなら将校クラスも夢じゃないって。」 「あたしじゃ駄目なのよ!・・・。」 「相変わらず寂しがりだよね。ウサギちゃん。あたしは変わらないわよ。あんたを判る人にもきっとどこかで会える。」 ウサギと人を揶揄する言葉が暖かい。 「あんたみたいな奴、他に居る訳無いじゃない。」 苛烈な軍の中で、この白髪紅眼を障害者扱いせず、邪魔者扱いもしない。 私の努力を見た目にとらわれずにそのまま評価できるそんな人間は。 「いるよ。ここに、必ず一人は。だから他にいないはずがない。」 綺麗な横顔が海を見た。 色の濃いサングラス越しにも海の輝きが見える。ベルメールの頬に映る空と海の夕映えも美しい。 この決意を崩せるものなど居るはずがない。 言葉も尽くした。一度決めたら引かない彼女に向ける事が出来るであろう引き留める方法は全て試した。 悔しさと無力感に拳を作る私の腕ではみ出した金の環がまた鳴った。普段はこんな目立つ物を長袖からこぼすような事はない。決して見つからぬように仕込んだ袖にしてある。それがこぼれた事にふと奇しき縁を感じた。 「判った。これもってって。」 自分の左の腕にある血飛沫が掛かってもその色も艶も失われない三本の金の細工。部族を切り捨てた私に残された部族の最後の品だ。 腕輪の上に通常の五倍の細さの線で描かれている細かい彫りの模様。さほど太くはない腕輪にびっしりと書き込まれた文様は部族が一番大切にしてきたものをモチーフに描かれている。通常の者が見てもそうとは判らないような象形の意味は判らずとも見る者の胸を打つ。 それを外してベルメールに押しつけた。 「馬鹿言わないで。それ、あんたの宝だろ?部族の誇りだろ?あんたの為のもんだろ?他にはない上に値段も途方もないって事知ってるよ。」 「だから、いざとなったら売っても良いよ。これを見せたら誰の手を介してもあんたがきたんだって判ってあげられる。だから・・頼むからいつかで良いから復帰して。」 彼女の手にぎゅっと押しつける。だがベルメールはそれを私の掌に返してきた。 「復帰なんてしないって。子供を育てるのが精一杯よ。」 「それならなおさら。あたしらの給料の良さは判ってるでしょ。」 特殊訓練を乗り越えた者の出世のルートもその給料の良さも明確に一般兵と異なって設定されている。子供を育てるというのは絵空事ではない。食べて、住まわせて、管理する。可愛かったから・・というのは命あるものを守る為の題目かもしれないが、現実はそう甘くない。糊口を濡らす程度でも現実に金が要り用になる。ベルメールもそれは判っているはずだ、決して裕福に育った訳ではないと言っていたから。だからこそそれを奪う海賊を屠る仕事に就いたのだろう? 「・・でもやめる。子供と約束したの。何処にも行かないってね。・・あたしももう出たくない。敵の命を奪う事よりも手の中に残るわずかな者を守る方を選びたいんだ。」 潮風を受ける崖の上、夕日を帯びた風は海から運ばれてくる。遠い海があたし達の戦場だったはずだ。なのにお前はそれを傍らで眺める者に転落するというのか?潮風を受ける彼女の蜜柑畑はまだ小さくてどうなるかも判らない。今までの貯金で土地を買い、木を買ってそれで尽きたと聞いている。 胸のポケットからベルメールは差し出した。中に退職願が入った小さな袋。 「これ持って帰って届けといてくれる?それと悪いけど家にある正義の旗印もね。あたしにはもう、無用の長物だ。」 夕日を浴びながら銜え煙草の煙は風に乗って森の中に消えていく。まるで帰っていくように。 思わず腕を掴んだ。 返された細い腕輪達を取りもう一度ベルメールの腕に通す。腕輪は収まるべき腕を見つけたように骨太だが細くなったその腕に落ち着いた。ベルメールはその腕輪を目の高さにあげて三つの音色を楽しむように腕を軽く揺すった。 「これ軍人の方が必要だよ。少なくとも顔が無くなってもあんたの死体表示になるじゃない。」 「何言ってんの。あたしよりもあんたの方が絶対先に逝くわよ。長生きの相ないし。」 「それはないない、あたしはただの蜜柑農家になるんだ。」 凄みのある台詞ををあっさり流して彼女はくすくすと笑った。 「出来るもんか。それよりは約束しな。現役復帰。」 「あんたもしつこいね。」 自慢だった赤毛はその根元から皮膚をもケロイドに剥きその根元を奪いもはや波打つあの髪の煌めきを見ることはない。残り少なくなった髪をかき上げて軽くいなした口元に余計に腹が立つ。一度この職に就いた者は離れられないはずだ。本能的に。そう信じたのに。 もう彼女は行ってしまう。 遠い大地に根を据える。 「べるめーるさぁん!」 細い声が大気の間を通ってくる。声と一緒に小さな女の子が走ってきた。さっきの子だ。ベルメールと家族として生きていく子。 子犬のようにくるくるした髪で、はぁはぁと息を切らして全身でぶつかってくる。そのままベルメールの腰に両腕をまわして絡みついてしがみついて、あたしを睨んだ。 己の巣を奪おうとするモノへの敵愾心か、目つきだけは一人前に。じっとこちらを見上げて視線もそらさず睨んでくる。 「なんだいノジコ、あたしは今お客さんと話してるところだよ。」 子供相手でも唇を曲げて睨んで見せている癖にベルメールの眼は優しい。 「あのね、あの子、またないてるよ。こんどは、なきやまないの。いま、ドクターが、だっこしてる、けど。」 一身全てをベルメールに向けてたどたどしくもたくましく話す姿。空色の柔らかそうな髪。 いと小さきものを見たとき、この瞬間胸が痛い。自分の命を繋げないという誓いが私の根本を縛り付けている。誓いは絶対だ。長の命に従えなかった私でもバウの誇りはやはり捨てられない。逆らえない私こそがこの温もりを欲しているのに、ベルメールだけがこれを手に入れるなんて。過酷な戦場を下りるだなんて。 もうひとつの小さい命。それくらいは私が貰っても罰は当たらないのではないだろうか? そんな暗い誘惑が私の胸の隙間にこっそり忍び込もうとしていた。 「ノジコ。『あの子』じゃないよ。名前はナミ。」 ベルメールの声音は優しくてそして透き通っていた。 叱咤ではない。 子供はきょとんとした眼をしていた。瞬きを忘れてぽかんと開いたまま。それが一呼吸置いてぱっと輝いた。 「・・きまったの?」 飛び上がってベルメールの回りを跳ね回る。 「うわ〜〜い!ナミ!ナミだね!!あのうみのナミなの?すっごい!」 「そうよ。それにもっと凄い意味もあるんだよ。」 「そうなの?すっごい!!」 跳ね回っていた子供はぽんと気が付いたように振り返ると慌てて来た道をとって返し始めた。 10歩ほど行った頃に振り返る。片手を大きく振っている。 「ベルメールさん!ナミ!ナミだね!!きっとそうよんだらなきやむよ!これがあんたの名前だよっておしえてくる!!」 ナミ・・・・私の唇だけがそう動いて、それは音にならなかった。 走りゆく子供を転ばぬように眼で追い掛けていたベルメールがそっと呟いた一言は私の心臓を止めんばかりだった。 「ノナミヴァス」 低い、ややかすれた声が私の名を呼ぶ。 ・・私の真の名前。部族に伝わるバウの古語で生まれた時に与えられる名前。赤ん坊はそれに由来した腕輪を送られる。私のは三環。三つの言葉を並べてある。 余人には教えない、部族に伝わる本人と親しか知らない本当の名前。 たった一度、別れる前に私が呟いた、ほんのささやかな言葉を彼女は確かに覚えていた。 「その三連とあんたの名前。」 「覚えていたの?」 与えられた環を己の子孫に伝え行く。その人の死後100年を超えてその輪は再生されてまた新しい命を繋ぐ。そうやって私の部族は受け継がれてきた。。 己の子孫にしか伝えることを許さないその名を例の訓練の最後の時にベルメールにだけ伝えておいた。たった一度、囁くように。 もう子供は持つことはできないこの名を伝えることが出来ない部族の掟に縛られてしまった自分への精一杯の抵抗だった。 ベルメールは指で軽く私の頬をはたいた。 「まぁね。子孫を持たないからもう命も何も繋げないってあんた言ってたけど命は続いていくよ。だってあんたもこの子の名付け親。この子に『命』をあげた親になる。だから。」 親?? 聞き慣れぬ言葉に戸惑う私をからかう、昔からの癖のある笑顔は更に大きく大きくなっていく。 「あの子等が大きくなってあんたが大地に根を下ろす気になったらその腕輪ごと伝えにここにおいで。あたしがそれまでその一本を預かるよ。何ならそのうちノジコにも継いでもらっとこうか?」 ベルメールは二環を外して私の腕に返してきた。返された二連の腕輪は日の光に輝いた。今までよりも誇らしげに。 部族がその灯を消し去る今、もう託す者などいなくなるはずの腕輪だった。名前とともに無くなるはずの私たちの命は今、別のところで胎動を始めていた。 「チビの・・ナミには大きくなったらあんたが渡しに来てやって。今からグランドラインとか行っちゃって出世したらキラキラの軍服でさ。 それまでこれだけは預かるから。」 ベルメールはもう一度胸のポケットから新しい煙草を取りだした。 オレンジの日差しの中、ベルメールは短くなりすぎた煙草を吸い殻入れに入れると新しい煙草に火を付けた。 二人の腕に細いオレンジ色の腕輪が輝き、私は差し出された煙草に手を伸ばしていた。 二人の煙が蜜柑色の夕焼けの中に消えゆく姿を色覚を失った今でも鮮烈に覚えている。 それはナミの髪の色の空だった。 後に手元に置かれた二環のうち、一環は奪われた。 奪われて、流転して。その腕輪はナミの盗品に含まれていることが調査で解った。 知ったとき心臓を捕まれるような運命を感じた。腕輪自身が自分でその行方を見つけたのだろうか。 すでにアーロンはその腕輪を受け取ることなくとらえられ、二度目の麦わら帽子の笑顔がグランドラインにばらまかれていた。 10年取らなかった休暇を無理矢理取って村を訪れると、絶対見つかるはずの腕輪は驚いたことにベルメールに渡した物とすり替えられてノジコの腕に光っていた。ベルメールに預けた物は今はナミが持っているという。 だが、あの腕輪はナミの物になるはずではない、あの子にあげるはずの腕輪はそれではないのだ 続 |
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Photo by Sirius