『煙の行方ビビ編10』

「二度と手に入らないんだから。」
床に積まれていた後ろの古ぼけた紙包みからがさがさと更に古く黄ばんだ包みを出した。どしっと置いたテーブルにその重さが響き中から一本のガラス瓶が取り出された。


「彼女が送ってきた最後の一本よ。
『今年のできはいい。記念の一本になるはず。けど来年はもっと良くなるから期待してて』
それが最後の手紙だった。」
薄緑のガラス瓶の中に映るオレンジの液体。
飾りも光もない素朴な瓶でラベルは何もない。
蓋上と横にのコルクに焼き印で風車を描いたのはベルメールさんだった。
ベルメールさんが仕込んだオレンジ色の蜜柑酒。
最後の年には世話になっている皆に配って・・そんなことより換金しろと村人に怒られて嬉しそうだったベルメールさんがいた。前夜にこの瓶の配り先を三人で一緒にリストにした。お世話になっているおばさんにもあげたいし、ドクとげんさんはお酒が好きだから。夜遅くまで賑やかだった。

「ベルメールさん・・・・・・。」
底に眠っていた記憶が揺さぶられ、泡より先に浮上する。
そして配った先の名前の中にの一つが鮮やかに甦った。
「ウサギの・・みさご?」

(こいつにだけは自慢してやりたいの。だから二本送るね)
ベルメールさんが心から嬉しそうだった。

「・・・・・その名前聞いてた?」
その問いに記憶がもう一つ押し出されてナミの口から零れ出る。
「ベルメールさんはあまり軍のことは話さなかった。けどその名前だけは知ってる。ウサギの友達がいるんだよって白地に紅い目だって。綺麗だって。みさごも白い鷹で綺麗な名前なのに使いたがらないって。・・そうだ、けどウサギにはもっと素敵な名前があるんだって・・ベルメールさんそう言ってた・・。」
「そう。」
先ほどと同じような微笑みなのにどうしてこうも優しく映るんだろう?
遠くを見つめるその瞳には暖色が漲っている。その白い肌に映える紅い瞳が一転優しく映り始めた。

「だからあなたに会いたかったのよ。」







「さて、行きましょうか。ぐずぐずしていると暇になった海兵がきてしまうわ。帰るんでしょ?貴方の海賊船に。」
みさごは棚からもっと濃い色のサングラスを取り出して目にかけた。薄い方を入れ替えにケースに片付ける。

「私の客人として案内してあげるわ。」
「どうする気?あたしもこいつも面は割れてるわ。」
ゾロは黙ったままみさごの動きを見つめていた。
「あんた、目が見えてねぇな。」
「あら判るの?でも少しは見えるのよ。」
「ゾロ?」
「ああ。動きがな。変だ。」
「敏感ね。」
「敵の懐の中じゃな。けど、だからなのか?」
敵地内では一見無防備でもゾロの洞察力は常時の比ではない。またそうでなくては判らない位のごく・・僅かな動作の遅れだった。視覚と動きにズレがある。己の弱さを指摘されながらみさごの口元は更にゾロに向かってもしゃきっと、そして優しかった。
「まぁそうなのだけど。大丈夫よ。この基地は長いから。きちんと案内くらいは出来てよ。それより私の頼み事。きちんと果たしてね。」
「・・・・・・・・!」
「ゾロ?」
一気に体を前に折り曲げて笑うみさごと正反対にゾロは一気に紅潮し、顔を歪ませたかと思うと一気に黙って勝手に廊下に出ようとした。
その姿にあわててみさごは棚から自分の制帽を取り出した。
みさごに差し出された海軍の大きめのコートにくるまれて、制帽をかぶった二人は一見してはお尋ね者と昨夜ここの牢に泊まった人間には見えなかった。最後に渡された濃いめのサングラスをかけると世界がうっすら暗く映る。
「あんた髪がはみ出てるわよ!いくら何でもその目立つ毬藻頭をきちんと隠さないとばれちゃうじゃない!それに刀!三本を外に出すんじゃないわよ!」
「煩せぇ!てめぇこそその蜜柑頭を隠せ!俺よかてめぇの方がこの基地じゃ面が割れてんだぞ!」
着替えながらも喧嘩している二人にくっくっくっくとみさごは心から嬉しそうだった。
このようにリラックスした人間に敵はいない。
それはナミにも判った。ゾロは彼女に背を向けながらも、もっと判っていた。


闖入者を追いかけるだけで結局逮捕できなかった疲れた海兵が帰ってくるばかりの人の波に逆らって、外に出てみると夕日が三人を照らしていた。
「見事なまでに紅いわね。久しぶりの夕日だわ。」
みさごは言った。紅い瞳は紫外線に対して抵抗力がない。サングラスをかけながらも年を重ねると失明が待っている。それでもこの夕日は忘れられない。西を向いたままみさごはナミに声をかけた。
「いい女に育ったじゃないの。けどどうして?、煙草まで怖がらなくても良いのに。」
途中海兵に三度呼び止められてもひるまなかったナミがその言葉にびくっと反応して、堅くなった。今まで守護してくれたいた者からの不用意な攻撃に守る術を一瞬忘れたらしい。
「なっ・・・。」
「しっ。ここは黙ってちょうだい。・・・・・・・お疲れ様です。」
「お疲れ様ですミサゴ中佐。」
軽くうなずいて声をかける門番がみさごの姿に軽く会釈を返した。
さすがに息を詰まらせてうつむき歩くナミの姿にみさごは苦笑した。

「こんな簡単に出られて良いの?」
「困った基地よね。火の消えた灯台ほど邪魔なものは無いというのに。」
「あの成金趣味のおっさんのせいなの?」
「昔はいい人だったのよ。でも麦藁君に会えたら少しは変わってくれるかと期待したんだけどね。」
「ルフィ達ちゃんと出られたのかしら?」
「基地の中が静かだからたぶんね。ほら、貴方背中が丸いわよ堂々と歩きなさい。」
「この男にこれ以上堂々とされたら悪目立ちするわよ。」
思った以上に外に出るのは恐ろしいほどスムーズだった。門の外を出てナミが最初に捕まった広場の当たりまでみさごは案内をしてくれた。

外に出ると今度は二人とも並んで歩いたまま黙って歩いた。ナミは何も聞けなくなっていた。聞きたい事はたくさんあるはずだ。ベルメールさんの事、彼女の事。文句も、彼女だけが知る昔話も。

「外なら吸っても良いかしら?」
みさごは胸のポケットから一本取りだした。
「御勝手に。」
ナミはそっぽを向きそして余計に何も言えなくなった。
二人は並んで、そしてその少し後からゾロはゆっくりと二人の歩く速度に合わせて黙ってついて行く。
「多少の目端はきいても親の供養はしてないの?全く不甲斐ない娘ね。じゃぁこれ。餞別よ。」
みさごはポケットから一箱を取り出すとぽんと横を歩くナミに放ってきた。封を切らないそれはゆっくりと放物線を描くと立ちっぱなしのナミの手の中に綺麗に収まった。

「いってらっしゃい。そして頑張りなさい。」
彼女は二人が小さくなるまでじっと別れた場所を動かなかった。









ナミは言った。
「先に帰ってて。」
そして飛んでいった。
「で、ここどこだ。」
船に帰れと言う言葉を置いてナミは飛んでいった。
さて。
塔から落ちたのは丁度基地の中庭だった。目の前に倉庫。ルフィを見つけた海兵は一言も発しないまま伸びてきた腕に殴られて意識を手放した。




「あ"!ルフィ!良かったぁぁ!オレ・・おわれでで・・・・・。」
「おお!チョッパー!!・・・で、ここどこだ?」
涙声のチョッパーが鼻水を垂らしながら駆け寄ってきた。
「チョッパーお前何処行ってたんだ?勝手に迷子になるなよ。」
「それはこっちの台詞だよ!人の言う事聞かないで、ゾロも居なくなっちゃうし・・。」
「ゾロなら居たぞ。」
「何処に?」
「あそこ。」
空を指さした。
空?
上を向く。
じゃなくて一番海に面した塔の先だった。大きく海に張り出した、だが作りは一番地味な塔。幾らゾロとは言え何であんな所に紛れ込めるのか。
(やっぱり、迷子だ・・・・)

「ゾロの奴なんであんなとこにいってんだ?大体ナミを捜さないと・・・。」
「大丈夫!ナミが迎えに行ったぞ。」
「そうか!じゃ、安心だなっ!・・・・・ってどういう事だよ!俺たちがナミを助けに来たんだろう??」
「先に帰ってろだとさ。」
「なぁんだそうなのか〜〜〜・・・な訳無いだろっっっ!」
人型チョッパーの鉄拳が振り下ろされ掛けたその時。

「待ちたまえ。」
「誰?」
チョッパーの知らない人がルフィに声を掛けてきた。



「待ちたまえ君。」
「なんだおっさん。やんのか?」
フェルトが二人だけ海兵を従えて立っていた。一人の従者の手には大きめの皿が乗っていた。
「君、お腹はすいていないかね?」
「腹?!?!そういや空いてる・・・・空っぽだぁ。腹減った・・。」
急に力の抜けたルフィが萎んでしゃがみ込んだ。従者が皿の蓋を開けると。
「この基地には古い習慣があってね。『飢えたる者には等しく振る舞いを』良ければ茶にサンドイッチなどいかがかな?」
「食べて良いのか??罠かっ??」
「おっさん良い奴だったんだなぁ〜〜〜俺誤解してたぞ。」
チョッパーの懸念を吹き飛ばしてルフィは皿にがっついた。その姿にチョッパーの唾は溢れてきた。
「俺も喰う!!」
二人の姿にフェルトの顔は今までにないほど柔らかく優しかった。
「私も誤解していたようだ。私の知っている男を逮捕するつもりだったのに、誤って君を呼び出そうとしたようだ。
まずはこの失礼をわびさせてほしい。」
「ふぁふぁふぁふぇ〜ふぉ(かまわねぇよ)。」
ルフィは両手に掴み、口に放り込み手当たり次第にその皿をさらおうとした。チョッパーも負けてはいなかった。
二人は空になった皿を前に一息つくと『ごちそうさま』と謝意を示した。いくら海賊でもこの辺りサンジも厳しいし、マキノもくれはも厳しかった。

「これを受けてくれた事で今回の事は一度無かった事にしたい。許してくれるかね?」
「いいよ。」
「そして改めて今度この海域で姿を見かけたらその時は正式に、容赦なく逮捕させて貰う。私は海軍軍人だからね。」
「けど俺たちは海賊だから先に進むし、何よりも俺は逃げるぞ。」
「かまわんよ。私たちは海賊を逮捕すると同時に海を行く者の命を守る事が仕事だ。」
もう一人の従者が二人に大きなフード付きのマントを差し出した。
「私がここを出るまで同行しよう。今度ここに来るときにはこの基地は遠くからでも判るようになる。もし遭難しそうになっていたらここの灯を頼りに来てくれ。また馳走しよう。ただし今度は手錠付きでな。」
「そんときは飯だけもらいに来てやるよ。」

ルフィとフェルトは互いに真っ直ぐ見合った。
それが門を出る前の別れの挨拶だった。







          




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