『煙の行方ビビ編9』
「ナミ。これが貴女の報償よ。仲間の海賊を裏切ってまで予想以上に働いてくれたわね。貴方の身柄だけは安心して貰って良いわ。」 彼女はワザとゆっくり、はっきりと“裏切り”と言う言葉を発音した。それはまるでこの部屋の全てに聞かせるように。 だがその挑発をナミは無視した。 「・・・・・ちゃんと本物でしょうね。」 「疑い深い子ね。」 くすくすと鼻で笑ってその書類をナミの鼻先にひらひらと見せた。そして茶色の地味な紙挟みにしまい込む。 「さぁ、どうかしらね?」 ナミは鋭く彼女をにらみつけた。その反撃を軽く交わして彼女は不思議な種類の笑みで微笑んでいる。 「後もう一つ聞かせなさいよ。どうして判ったの?」 あたしが泥棒だって。 島で知らないものはいない。けど今更、すべてが終わった今更島の誰かが密告するとは思わない。 「その前に私からの質問をいいかしら。『あのココヤシ村の一億が盗品だ』と一介の私が手に入れた情報ならすでに軍には当然知れ渡り誰でも手に入れられる、有名なものだと思わない?知ってのとおり海賊から盗んだ事は罪にならないけどその前の持ち主への返還義務は半額、もしくは賠償金と引き替えに現物を返す事になってるわ。軍に押収されという形を取って軍人の懐に入れられてしまう事も珍しくないのに。」 中佐はサングラスの向こうから紅い瞳を覗かせてナミの問いを遮った。口を窄ませてナミは鼻白んだ。 「いいえあたしは騙されないわよ。そんな簡単で有名なものなら他にも海兵引き連れて追っ手がでているか、このネタで強請に来る人間があらわれる。そういうのが軍の下っ端の仕事なんでしょ。そしてあんたが手に入れた情報をそう易々と他人に譲るようなタイプにも見えない・・だからあんたの解説も一応聞いてあげる。何か自慢したい事があるみたいだし。」 腕を組んで座ったままの相手を見下ろすように正面に立つ。 ナミはゾロの方を決して見なかった。 頑なに。 ゾロはじっとナミを見ていた。 頑なに。 「ふうん。人間観察力は合格点かしらね。」 ナミはじっと彼女見つめたまま動かなかった。白い髪。もう一度眉間で押し込まれた濃い色のサングラスからはもう何も見えない。 「解説と種明かしがご希望?」 彼女は煙草に火をつけた。煙は部屋をわたる風に舞う。吹き飛ばされ無かった残り香がナミの鼻先をかすめ、知らず彼女は愁眉を寄せた。だが瞳の気迫は失われない。橙の髪も風にあおられながらナミはかたく、きゅっと唇を引き締めてほんの少し頷いた。 「以前・・。私の物が盗まれたの。そのものの価値もさながら、来歴の方が私には大切なものだったのだけれど。その消息を訪ねた。そうしたら盗んだ海賊も誰かに盗まれていた。私はそれをずっと追いかけていた。」 「・・そしていつしかあの一億の中に紛れ込んでたって訳?」 「あれは貴方が海賊から盗んで集めたのですものね。」 ナミは頷いた。 もう今更ナミは自分の前歴を隠そうとしなかった。この相手に向かうには嘘よりも真実。それ以外の武器はない事を知っている。同じ理由で以前の生活でも「泥棒のナミ」という名を無理矢理隠そうとしなかった。子供の自分が海賊と渡り合う上で大切なところ以外は嘘をつかないのも相手を欺すための手段の一つだった。『海賊専門の』という真実を隠すためにはやむを得ない。 「でも、もう足はつかないわよ。」 ナミの口元は勝利の確信を浮かべる。そうだ、注意深く、価値は下がろうとも、宝石も飾りも来歴のわからぬように処理しておいた。あの夜の快感が体の奥に沸き上がってくる。あくまで冷静なままの興奮が指先にまでみなぎってくる。 女はゆっくり口端をあげた。 「処理しようのないものもあったでしょう?たとえば・・腕輪とか。」 「!」 (これ、持ってって。) ノジコの笑顔が浮かんだ。 ナミの背がぐっしょりと火のように水を吹いた。舌の先まで干上がった感じがするのを必死に堪えた。 「・・ないわよ。」 ええ。あれはもう、あたしの手元にはない。 だが入れ替わったノジコの腕のそれは余人の目につきはしなかっただろうか?それが情報として流れていたならどうする?己の思いつきで彼女を危険にさらしたりは・・・。 「そうね。あなたは今それを持っていない。・・つまり彼女と交換したのよね。私の腕輪は彼女が腕に着けていたわね。」 「ノジコっ・・・!」 それでは・・・彼女の身の安全は・・・・・・・。泥棒の仲間としての手は及んでいないだろうか・・・。己が拘束されるよりもより一層身の締め付けられる思いがする。 煙草の煙が鼻先にゆっくりとたゆたっていく。 「ノジコは大丈夫よ、今も元気に蜜柑を育ててる。けど貴方次第でどうかしらね?最初からの約束通り貴方が海賊を止めればこの紙を貴方にあげてそれでそれで皆が安全になるのだとしたら・・?」 「汚い・・ほんとに汚いっ!それが軍ってやつの常套手段なのね。」 軍は敵だ。助けて貰おうなどという思いはとうに捨てた。軍という組織は安全な物だけを守る組織だ。安全な町、安全な金持ち、安全な海軍。安全な物を危険にさらさないようにする為に仕事は仕組まれていて、今危機に陥っている物の叫びには耳を閉ざす。 信用などしたこともない。そんな軍に守って貰う安寧な生活になど興味はない。 「おい。」 背後から聞こえたその声にナミはどきっとした。ゾロがいることを忘れていたのだ。この男は普段から殺気の固まりのような男のくせに気配を消すことも決して不得手ではない。 ゾロの視線は中佐に向いたままだった。 「帰って良いか?」 今まで黙っていたゾロが口を開いた。片手をポケットにつっこんだまま入り口のドアを指さした。 「あら?もうお帰り?ここからが面白いのに。」 「悪趣味につきあう義理はねぇ。それに俺はもう土産はもらってるだろ。」 土産をもらったという事は帰れと言う事と同じ。ゾロがこの女から受け取ったという土産が何なのかはナミには判らなかった。そもそもいつの間にそんな事になっていたのだ? 「裏切り者は置いて?見ていらっしゃいな。この子は自分のためならあなた方を平気で裏切るわ。その瞬間を。」 「俺には関係ねぇ。」 「って言われてるわよ。ナミ。もう強情を張らなくて良いでしょ。」 彼女は机の紙ばさみを団扇のように大きく振りながら細いため息をついた。そして、先程ちらりと覗かせた紙ばさみから大きな書類を一枚取り出した。途中で手を止めてゾロの方を向いた。 「自分の身柄とこの書類と軍が捕まえる賞金首の一部。彼女に裏切りの代償として出した条件はこれだけよ。そしてこの娘は家族を犠牲に出来ないわ。さてこの状況。剣士君はどう思うかしらね?」 「ゾロがどう思おうと関係ないわ。」 ゾロに振り向いた彼女の後ろでナミの声が太く、低く唸った。 「そう、関係ないわ。だってもうあたしはこいつに自分の一番汚いところをさらしてしまった。」 欺して、裏切って、あたしを助けに来たこいつを溺れさせて重体の傷を更にたたきのめして・・その上で最後には縋った。それでも助けてくれたような馬鹿だった。その後も。何度素のままの自分を見せてもゾロは変わらない。 「だからあたしには今更もう隠すようなものは何もない。取り繕うものも、演じる必要もない。 もともとゾロはあたしが何をしたって驚くような玉でもないしそれに・・何よりこいつはそこまであたしに興味はないわ。 だから関係ないの。それは脅しの条件にはならないわ!」 「もう一度聞くわ。例えば船に戻って仲間として見て貰えない、軍の犬と疑われ続けるような海賊船を下りて安全な家に帰るつもりはないの?」 「何が言いたいの?村の安全と引き替えにあたしをあの島に連れ帰って?何をしろというの?あたしは海賊の航海士。今更さらし者にして処刑でもしようって?」 「ハンギングに近いのはいっそ今の生活でしょう?二枚もこんな巨額の手配書を乗せた船でそれのどこが良いの?」 「あんたにはわからない。解ってもらおうとも思わない。 でも絶対あたしはこの船を下りない。 あたしが絶対裏切らないなんていうつもりはないわ、目的の為だったら何でもするもの。でも何度裏切ったとしてもそれでもあたしはこいつらの仲間。これだけは変わらない。例え二度とこいつらに会えないような羽目になったとしても、あたしはこいつらの仲間よ!」 少しずつ声は大きくなり終いにはナミは叫んだ。 返ってきた答えは十分今までの予想を裏切る物だった。 「揃って同じ事を言うのね。つまんない。」 「何ですって?」 「もう良いわ。」 言葉が耳に入った気がしなかった。 「もう良いって・・・いったい何の事よ!」 「帰んなさいって事。」 「は?」 「あたしの目的は達したわ。だからもう良いの。帰っても。あれだけの啖呵を切って・・帰るんでしょ。」 「あたしの用は済んじゃにないわ!」 「時間のありすぎる貴方の都合を聞いてあげるほどこちらは暇でも優しくもないのよ。」 「何言ってるのよ!早くあの書類をこっちに渡して!」 「せっかちねぇ。余裕のない人生過ごすと早く老け込むわよ。」 彼女は件の一枚の紙をすっと投げてよこした。ナミはむさぼるように紙を開き隅から隅まで確認する。 軍の正式印の入った命令書。正式に管財人を配置し、その監視に村の代表が幾人か付く。交代制のその権利は既得権とならないよう設定されていた。これできちんとした島のお金として承認してもらえる 本物だ。これでココヤシ村が救われる。 ナミはその書類を受け取った。契約内容について検討を重ねる。間違いはない。正式な書類だ。裏は・・・無い。裏は・・・。 中佐は穴を開くほど見詰めたナミの前からその書類をすっと取り上げて鞄の中に埋めた。 「なにすんの!」 「欺されちゃ駄目よ。正式の書類にはここに印が二つ入るの。海軍の印と承認した人間のサイン。」 「え?」 「それはあげる。後学のために持ち帰って良いわ。印の一つしか押されていないものなの。正式なココヤシ村への通達の内容はだいたいそんな感じだけど『公共の財として全島的に補修に努める』として一部は学校や道路などにもう当てられているわ。村人達自身が各戸への分配を拒否したの。『それは島の財産だから未来につなげるよう大切に使いたい。自分たちは今までもやってきたから今のままならこれからもやっていける』というのが彼らの言い分。偶然とはいえ私が立ち会ったから確かに本当よ。 さて。これでいかがかしら?」 彼女は立ち上がった。 椅子の後ろに綺麗に掛けてあった上着を取り肩に羽織った。 「苛めがいの無いったら。本当に強情よね。あなた方二人とも。」 彼女のあきらめの深い口調とは裏腹に口元には優しい表情が浮かんでいた。 「その戸棚の中から制服をとりだして着用しなさい。」 彼女は二人の背後のやや大きめの荷物入れのような棚を指さした。ゾロが開けると海軍の防風用のフード付きの長い上着が数本入っていた。靴から全身の一揃いが乱雑に置いてある。大きさはまちまちだ。 ゾロとナミは顔を見合わせた。 「ぐずぐずしないで早く着る!」 長く命令を出す側だった軍隊の命令口調は逆らう事を許さず考えがまとまらないままにナミはもそもそとフードを羽織った。あのゾロでさえ同じだったようだ。もたもたと大きめのを選んで身につけていた。 着終わると彼女は外を見ていた。 「他のお仲間はもういないみたいね。下が静かになってる。」 「・・・・嘘?だってルフィよ?」 言ってナミはやばっと表情に出したが彼女はそれに反応しなかった。 「逃がしてくれるのか?」 「いいえ。客を送り出すのはホストのつとめ。二人とも玄関まで送ってあげる。もう・・・用は終わったから。」 「用・・・?客・・ですって?!こんな扱いの客があるの?」 ナミの開いた口はふさがらなかった。 拉致されて。監禁されて。脅されて。ゾロにまでナミが裏切ったと連呼してナミの孤立をねらわれて。 人の心と恐怖をおもちゃにしすぎてる。この薄く色付いたサングラスの向こうの紅い瞳は何を考えているのだろうか? 「あんた一体何考えてんの?正義とやらを振りかざしてる軍人がそんなことして良いと思ってるの?」 「さぁ。私はもう軍人じゃないから内務規定に従う理由はないわ。」 「!」 「一昨日付で退職しているの。今ここにいるのは残務整理と引き継ぎの為よ。つまりここに貴方を迎えたときからもう軍人じゃないのよ。」 人間とは、思考できなくなると本当に真っ白になってしまうものだ。ナミは人と話してのこの状態は初めて経験した。確かにルフィをはじめこの船の人間といれば絶句してしまう事など日常でもう慣れたと思っていた。 ではつまり自分は軍人でもない人間に拘束されて軍に監禁されていたという訳か? 「まだ期日まではこの基地の全員が知っている訳でないから権限を使わせてもらったけどね。基地の軍規が・・ここはかなり甘いのよ。」 最後の一言にだけは苦い、非常に重い響きがあった。その重しのおかげで無重力状態に放り込まれたナミの脳がゆっくり落ち着いてきた。 白い髪と・・ふと見えた手に彼女が生きてきた人生の重みも見たような気がした。自分よりも小さな体。刻まれた古い傷。顔にも腕にも・・おそらくは全身に。 「一体・・。今回のこと・・何が目的だったのよ。」 詰問と言うよりは放心に近い言葉が返っていく。 「あなたに、今の貴方に会いたかったの。それだけよ。偶然フェルトが麦藁君に会いたがったからああいう手段を取ったけど。本来もっと穏和でもよかったのよ。」 くっくっと彼女の口元がゆるんだ。悪びれる気配もなく謝る気配もない。その雰囲気の変化に彼女寄りになっていた気持ちが一気に振り子を反対に振って消えたかと思った怒りがこみ上げてきた。 「いい加減自分の都合で人を玩具にするのはやめて!!」 ものすごく嬉しそうに種を明かす彼女にナミの平手が飛んだ。彼女はそれをそのまま一切避けもせずに受けた。一瞬の驚きは消え、真っ赤に染まった左頬を愛おしそうにさすった。 「おお、痛。産みの痛み・・・か。さて気が済んだ?」 「済んだ?じゃないでしょ!」 「仕方ないわね。せっかちな子。じゃ、これとこれ。貴方へのお土産に差し上げるわね。言っとくけど怒りの勢いで割らないでね。二度と手に入らないんだから。」 床に積まれていた後ろの古ぼけた紙包みからがさがさと更に古く黄ばんだ包みを出した。どしっと置いたテーブルにその重さが響き中から一本のガラス瓶が取り出された。 ナミの動きが止まった。 続 |
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Photo by Sirius