『煙の行方ビビ編7』



チョッパーとルフィとはぐれ、周る方向で声が重なって聞こえる。その声は谺し注意しないとどちらから聞こえているのかも判らなくなる。侵入者の数以上に騒ぎがあるのだろう。もとより人目を避けようなどという考えを持たないロロノア・ゾロにとっては向けられた殺気や闘気以外さっぱり掴むことが出来ない。掴んだ所で行動が変わる訳でない。

そのゾロは今、一つのドアの前に立っていた。潮の香りがする。沢山ある塔のうちの一つの塔のかなり海の方だ。その最上階。だがまだ奥に行くと外に繋がる階段があるだけ。
ゾロの進入した塔は静かだ。窓の外から軍人がたまに走ったりしている足音が聞こえるようだが何故か自分と遭遇しなかった。本人は至ってのんびりと『ナミの居場所なら誰かに会えたら聞き出せばよい』そのつもりで誰かが通るのを彷徨きながら待っていたのだが。

部屋のドアと言うよりは倉庫の入り口といった風情か。錆びたドアからは更に海の匂いが強い。



「素通りしないで入っていらっしゃい。」
少しハスキーな声がした。やや年かさの女の声だ。
自分の気配を読まれているなら隠れても仕方ない。
ゾロは言われたとおりにドアを開け、歩を前に進めた。
将校の服を着た白い髪の女がそう多くない製本された書類を整理しながら一人いた。

彼女の目の前の机は折りたたみ式のよく見る・・言うなれば一番安い簡易机。キャビネットの中身は殆ど抜かれて床に中くらいのスーツケースが一つ落ちていた。まだ空いているスーツケースもあって書類が無造作に積まれていた。
彼女はそれらに目を通しながら顔を上げなかった。訪れた珍客に驚くふうもなければ怒る焦りもない。
「君だったか。どうぞ。」

言われてそのままゾロは部屋に入った。構えは解かないがあくまで自然な力みすぎない。いつでも腰のものを抜けなければ剣士とはいえない。だからといってこの状態に気後れする必要などまるで無い。
「お姫様のお迎えにきたのかな?」
「いや・・海賊を一人捜してる。」
探していた手がかりだろう。目の前の敵を量りながらも淡々とゾロは答えていた。
「お姫様とやらならそいつは人違いだ。ここにはいねぇ。俺が探してるのはただの口煩せぇ海賊だ。」
「泥棒な海賊なら確かにこの基地内にいるわよ。」
「どこだ?」
「あっちの塔よ。」
窓の外には高い塔が見える。鉄格子が縦横に、その小さな窓がよく見える。
「あそこか・・。」
ゾロは向こうの塔を窓越しに見た。椅子に座ったまま白髪の中佐はゆっくりと将校のマントのポケットの中から煙草を取り出し、火をつけながらサングラス越しにゾロの方をゆっくりと上から下まで眺めた。たゆたう煙が緩やかに斜めに流れている。建物の高さと風の動きがあるわけだ。
「君こそどうしてここに?それとも居場所がわかったら海兵の屍を乗り越えて迎えに行くの?」
「さて、どうするか。」

中佐はサングラスをかけたままほくそ笑むと、外を見るゾロの背中に向かってさらりと爆弾を放り投げてみた。
「でも遅かったわよ。あの子ならこちらに寝返って海賊はやめると言ったわ。彼女に裏切られて海軍基地に呼び出されたのよあなた方は。」

淡々と話すその口調。新参の海賊程度に後れを取るいわれはない。














普通の声のルフィとそれを頭ごなしに押さえ込んだナミのひそひそ話は机の横で行われていた。
「おしっ!とっとと帰ろうぜ。」
「まだ駄目。あたしはここですることがあるの。 あたしがやらないといけないの。」
ナミの瞳に宿る真っ直ぐ曇りのない視線。

ルフィの口元に笑顔が浮かんだ。その顔にナミはほっとして力を抜いた。
ところがルフィはそのままナミの腕を取ってすたすたと廊下に向かって歩き出す。
「・・・そっか判った。よし!じゃぁ帰るぞ!」
「人の言うことを聞けっていつも言ってるでしょうが〜〜!!」
鉄拳が飛んだか蹴りが入ったかは判らない。壁の置物に突っ込んだルフィの顔は痣だらけになっていた。
立ち上がったルフィの足許に飾ってあった皿と壺の破片が散乱している。
「静かにしなさいよ!あんた一体なにやってんのよ〜〜〜〜〜〜!」
「やったのお前だろうが!」
声が響いている。




「ふっふっふ!観念しろ麦藁!!もはや逃げ道はないと思え!」
劇画かかった口調で派手な服の大佐が大きくドアを開けた。背後の狭い廊下から数人が銃を構えて大佐の後ろから広がっている。
勢いのある悪人面を作り背後の兵は強固な顔つきで一勢にルフィの方に狙いを定めた。
「うわっ」
「あんたが騒ぐからよっ!」
「それ壊したのお前のせいだぞ!」
ナミは銃に視線を向け肝を冷やしたがルフィは全く意に介しない。


だが二人を眺める隊長であるフェルトの顔は愕然となった。身体はぶるぶる震え視線はきょろきょろと部屋中を探っている。
目の前の騒ぐ二人を見ては視線を外し、あげく二人には目もくれずに窓の外にまで視線を彷徨わせることを繰り返す。

部屋はなかなかの惨状だ。隠し金庫の鍵は開けられているし、書類も荒らされた後がはっきりしている。あるべき棚に自慢の食器の姿がない。部屋の正面の壁の壺のあったところには少年が破片の中に立っている。
そうだ少年と少女が立っている。少女は尋問室で見た顔だ。
他には誰もいない。
少年と少女を見てもう一度窓の外も見る。
そこにフェルトの捜す相手は居なかった。目的の者の捕り物にと勇んで駆け込んできたフェルトは思わず声を荒げ、苛立ちを含んだ怒声が部屋中に飛んだ。

「貴様は誰だ??麦藁は、モンキー・D・ルフィーは一体どこへ行った?隠し立てしても為にならぬぞ!」
どこだって・・?
ナミとルフィは互いに顔を見合わせた。
はっと気付いたナミの指はルフィの頭を指さした。
自分の手を頭にやったルフィは触れた髪の毛に、先ほどナミにどつかれて飛ばされた宝物が足下にあることに気がついた。
大切な麦藁を拾い埃を払ってしっかりかぶる。
「何だ?おっさんこそ誰だよ。」
二人の間に妙な沈黙が流れた。互いの誰何の声は微妙にかみ合っていない。

「ガキになど用はない!儂が用があるのはモンキー・D・ルフィー唯一人だ。」
「おれがモンキー・D・ルフィだ。」
「ばか!わざわざ名乗ってどうすんのよ!相手は見りゃわかんでしょーが!こいつたぶん一番偉い奴よ!」
ルフィの発言に驚き更に突っ込むナミはもう一発拳骨をルフィにお見舞いしてからちゃっかり彼を楯にして構える。
「・・・・・・・。」
「おっさん!俺は自分の名前言ったぞ?お前こそ誰だ?」
「制服見なさいよ!あの悪趣味加減といいこの部屋の持ち主に決まってるでしょ!」
「「!」」
ナミの台詞に己の口元を必死に引き締めた海兵が数人いた。


フェルトは動かなかった。
まだ動けなかった。
爛々と青白く燃えた視線をルフィと名乗った少年に向ける。頭の先から足の先まで。
「う、う、嘘を吐くな!儂は本人と会ったことがあるんだ!だいたい一億の賞金首が貴様のような普通の子供の訳はあるまい!!
・・むむ?そうか貴様・・たかりだな!
貴様などによこす分け前など無いわ!帰れ!それとも捕まえてこの基地で一生ただ働きさせてやろうか!」

「なんだおっさん?失敬だな。俺は偽物なんかじゃねぇぞ。」
横から海兵が駆け込んできた。先頭の軍曹が手配書を翳してみせる。
「大佐!間違いありません!!この顔!目の下の傷!着衣の様子も麦藁も手配書とそっくりです!!」
フェルトの視線は手配書と本人の間を彷徨った。
正直手配書の写真が本人と違って見える事は珍しくない。撮影した海兵の腕やタイミング次第で多少のずれはよくある話だ。だからこそ“麦藁”とか“赤髪“と言った第一印象を取る二つ名が多くなる。

「・・・まさか・・・ではお前・・本当に・・・?」
フェルトの焦りを帯びた驚きに全く興味のないルフィはその手配書にいきなりゴムゴムの手を伸ばすと紙だけ奪った。
「なぁんだ一億の手配書って写真が変わるのかと思ったら前と同じじゃんか。ま、いっか。巧く撮れてるだろ?ほらぁ。」
自分の顔の横に手配書を並べる。
間違いない。うり二つだ。
「ゴム人間だ・・間違いない!」
「モンキー・D・ルフィー!一億の賞金だ!!」
ドアの後ろの海兵からどよめきが沸き上がる。



「そんな・・・・ではあいつは一体・・・・。」
フェルトはまだ動かなかった。いや、動けなかったのだ。
固まってしまった足下のまま、目の前の少年をじっと上から下まで眺めた。
もう一通差し出された手配書と目の前の子供を見比べる。顔は同じだ。だが目の前のこれの何処が一億の男だというのか?
「ただの子供ではないか・・・・」

そういって背筋が凍り付いたことにフェルトは気がついた。
ルフィはただ相手を見ながら立っている。只こちらを見ているだけなのに漂う凍気がある。
その視線の源はフェルトの目にも大きく映った。

瞳に曇りはない。真っ直ぐな目だ。
深い色を頌える強者の瞳。底も実力も秘めている男の目だ。
これは信頼できる男の目。海に生きる誇り高い男の目だ。

確かにあの男とは違う。比べるべくもない。出張先の歓楽街で出会った自分を誘惑し脅し続けたアレはただのちんぴらだった・・・・・・。

手配書を握る手が震えている。舌がもつれて動かない。
私が踊らされて操られていたのは・・・・・・。フェルトの喉の奥で声にならないくぐもりが吐き出される訳ではなく引っかかって出てこられない。




大佐の葛藤を知らない海兵達が彼らなりにじりじりとその緊張感を高めている。
自分たちのテリトリーの中で追いつめられた大きな獲物への興奮が、声に緊張にと現れている。相手の強さもこの人数差の前では意味を成すまいと誰もが己の勝利を確信し飛びかかる命令を待っていた。
ルフィはその気配に目をやったかと思うとにやりと笑って軽く膝を沈めた。笑みを浮かべた口元はそのまま目だけが真摯になる。
戦闘用のスイッチが入った。戦いの気配に喜びを含んだように瞳が妖しく光る。構えを戦闘用に、両手を開き、軽く拳を握る。
じりり、と海兵にもその気配が読める物もいる。
「大佐!!ご命令を!!」
フェルトとて大佐の名は伊達のつもりはない。目の前の男の戦う気配には老いたりと言えど身体が反応する。まさに大物が目の前にいることの冷気をを肌が感じずには居られない。
このレベルの男の目も見きる事が出来ずにあんな小物に脅され乗せられ利用されていた自分・・・・情けなさが足下から大佐を揺らした。残った矜持が目を覚まし、フェルトを支えている。そして背後からの興奮が。



「待て!!」
フェルトの片手が後ろの震えながらも猛る海兵達を制した。真っ直ぐにルフィを見る。目が柔らかくなった。
その視線の変化にルフィは硬い構えを少しゆるめた。
「・・・ココヤシ村で私と会った事があるか?そう、ココヤシ村だ。」
「ナミん所だな????・・ねぇ!俺おっさんしらねぇぞ。」
人の顔を覚えることに全く意味のないルフィの脳であるが、戦いの気配は何故だか理解が早い。相手の器が広がったのを見定めてしっかり記憶を探った。やはり覚えはない。

「・・やはりな。」
実態を見ないで舐めてかかってはいけないと中佐が言ったのは・・このことか。と言う事は私がモンキー・D・ルフィと名乗る偽の男に恐喝されていた事もその男にかなりの金銭を流した事も彼女はとっくに知っていたのだろう。
それを脅しに使うのかとも考えたが、彼女への漫然たる恐怖に対して行った不当な圧力と人事は以前からの物だ。それを不服とするなら既に上層部に密告されていてもおかしくない。何故、全く無視してこちらに従おうとするのか・・・。
彼女の行動は自分のためには一切ならない。そしてフェルトの損になることはない。

フェルトは己の人を見る目に自信を失いかけていた。
逡巡は途絶えない。
目の前の男は彼の目的ではなかった。
だが賞金首の海賊だと名乗っている。
揺れてしまった足下に埋めて忘れ続けていた本来の業務が頭をもたげてくる。
一歩。フェルトは前に出た。
そしてもう一歩。視線はそのまま彼とにらみ合う。
もう一歩。進んだところで自分の机に腿がぶつかった。その衝撃で机の小箱からこぼれ出た物・・妻から貰った万年筆がフェルトの前に転がり込んできた。

(灯台の灯は消さないで下さいね。)
忘れていた妻の声が今耳元で聞こえた。死を前にした妻との約束だ。
他に軍基地の少ない海域で発達した合い言葉「飢えたる物には一杯の振る舞いを」その意識の高潔さに夫婦で惹かれてこの基地に志願した・・・・・・だが今はそれを見る影もない。
覚えたのは堕落した贅沢。虚飾にかつての誇りは埋められていた。



フェルトが感じた長い黙想はほんの一時に過ぎなかった。だが同じくそれをとてつもなく長く感じた海兵達は長いフェルトの逡巡にその集中力を斬らしそうになったがルフィの握られたままの拳に反射的に反応して構えを落とさない。
場を支配する緊張が切れてしまいそうなほんの一刹那前。手を軽く挙げてフェルトは背後の海兵のいさりを制した。
そのまま足の重心を一歩分前に出る。身のうちを流れる血液がゆっくりとうねりを取り戻す感覚がする。久しぶりに体中を駆けめぐるものがある。
「・・・・・貴様、構えもただ者ではないな。」
「おっさんが俺とやんのか?俺はかまわねぇぞ。」
ルフィが伸ばした腕をぶんぶんおもいきり振り回した。



がっっっっっしゃん!!!
「「「え”??」」」




          




Photo by Sirius