『煙の行方』ビビ編3




手の中の丸い受話器を睨んだままルフィの唇は一文字に固く結ばれていた。漆黒の瞳はとても静かだ。そのままの姿勢で前腕が脹らんだ。掌の受話器がその握力に抵抗してつぶされまいと軋みをあげる。
「ルフィさん!」
「ルフィ!」
「おい!」
「・・。」
「・・。」

子電伝虫は自身の軋みに顔を歪ませた。そして電伝虫の向こうで唖然としてしばし身を震わせて激怒に変わる相手の気配だけは歪んだ電伝虫自身からまた別に伝わる。
その子電伝虫が歪んだままの口を開いた。
「仲間を!!仲間を助けないのか??何という卑劣な奴!!ああ・・判っていた事だお前は卑怯な奴だからな!大体・・・・・・」

沈黙のまま視線が電伝虫からルフィに移動した中でただ一人、ゾロは近寄ると手から震えている電伝虫を受話器ごとすっと取り上げた。ルフィは全く逆らわずに手を離した。ゾロは取り上げてそのまま海中に軽く放り投げた。軽い子電伝虫は某か騒ぎながら大きな放物線を描いて飛んでいく。吐き出す声すら船上に残さずに遠くに飛んでいく。下には先ほどこれを持ってきた海兵がいるはずだ。沈み行く電伝虫を受け取ろうと一人が飛び込み、残りは慌てて腰のサーベルに手をやった。がちゃがちゃと刀の触れる音が海上に響いたが、その気配にゾロがちらりと鋭い視線を伏せ目によこし、そのまま腰の一本に手を添えて、船縁につかつかと近づいた。闇い瞳。それを見ただけで海兵全員が震え上がり身動きできなくなった。
「死にてぇ奴以外は失せろ。俺たちに手を出すな。」

それは静かな声だった。
だがその静けさが孕んだ切り裂かんばかりの気を含む声の呪縛に心底から動けなくなった。
ただでさえ小さな小舟の少人数では手も足も出ない事は噂で知っている。船上の賞金額はたった二人で破格の一億五千万を軽く超える。
かれらとて軍人としての誇りは在る。この胸の中に高く。いにしえのこの基地の名の由来にも。だから命令があれば一気に突進する。が・・彼らは自分たちの仕事が伝令使である事を思い出して、互いのプライドをも納得させて船を港へと返した。

陽光の下、海は静かになった。




ルフィは指をポキポキ鳴らして甲板縁の近くで海の向こう陸地を眺めるゾロの横に立った。
「いくか?」
「ああ。」

「行くって・・どこへ?」
そのまま船縁に向かって歩き出そうとした二人にチョッパーが瞬きしながら呼びかけた。ルフィは麦わら帽を両手で被り治す。
「ナミを迎えに。」
「ええ?!」
だが驚いていたのはビビとチョッパーだけだった。
チョッパーは黙って走りよりゾロのズボンの裾を引いた。ちらりと見たゾロはそのまま足を止め、チョッパーに正面に向かう。この馴鹿の訴えを真っ直ぐに聞くと言う姿勢だ。
「あの女、帰ってこねぇんならな。仕方ねぇ。」

「でも助けに行かないって・・。」
二人を見ながらビビが呟く。ビビの額の皺を横からルフィが弾いた。
「んん?どしたビビ?・・ああ!アレ、ナミじゃねぇじゃん。」
ニカッとルフィが笑って見せた。
「え・・・。」
サンジは反対の横に出てきた。肩をコキコキと鳴らして準備は万端といわんばかりだ。
「しかもいるって事だけは間違いねぇらしいしな。ワザと乗り込んできて聞かせたい情報だけ流しに来りゃ魚が釣れるとでも思ってんのか?・・馬鹿にしやがって。阿呆くせぇ。」
「サンジもルフィも・・すげぇ。アレがナミじゃないってすぐ判ったのか?」
回り中の見上げるトナカイの目は尊敬に溢れきらきら輝いている。
「たりめーだろ、クソが。」
「へぇぇぇ。」
サンジは空いている片目を閉じて軽く頭を振った。
「大体・・・・・・・ナミさんが俺の名前を呼ばない訳がない。」
「あーーそれは違う。違う。」
断言するサンジにウソップが手を振りながら脇で突っ込みを入れていた。
「俺様の読みとみんな同じって事だ。」

いつしか男達の中に共通した空気が流れている。口元にはうっすらの笑顔。獲物を片づけに行く目に似ている。確かに海軍に追われても海賊にとっては余興程度でしかないのだ。相手の強さは己が計ればいい。真っ向から向かわず姑息な手段を取る辺り相手の技量もしれるという物だ。

この男達を相手にして心配する自分がおかしいのかもしれない。しかしなんだか落ち着かない。敵の目的が今ひとつはっきりしない。さきほどのも言い回しはどことなく不自然すぎる。嫌な不気味さを感じて、ビビは俯いていた。唇を噛みしめ・・。そのまま横にいたゾロを見た。
「本当なの?Mrブシドー。」

「ああ。」
「だって声はそっくりだったわ。」
アレはナミではない、違うと思う。でも皆のように確信が得られない。後ろで二人の会話に入れないサンジが(ああ〜ビビちゃぁ〜ん)と泳いでいるのは申し訳ないがこの際無視した。
「マネマネのオカマみたいな能力の奴でもいるんじゃねぇか?声だけまね出来る奴とか。間違ってもありゃぁナミじゃねえ。」
「何でそんなにはっきり判るの?」
「あんな展開で『お願い・・』なんて死んでもいわねぇタマだ。よしんば本物でもあいつのお願いにはろくな事がねぇ。関わりにならない方が良いに決まってる。」
「そんな・・!!いくら恋人でもそれは酷いわ!」
いきなり烈火のごとく怒り始めたビビの態度とその予想外の台詞に反応しすぎたゾロは一緒に声を荒げた。
「っっっってめぇ斬るぞ!っっっっ訳わかんねぇ事抜かすなっ!」
その台詞に更に怒ってもう一度眉間に皺を寄せてふくれるビビと、刀に手を掛け妙に紅潮したゾロの間に妙な緊張感が漂う。
「何度だって言います!酷いわMrブシドー、こいび・・。」
「てめぇの言い分は判ったからその単語はよせ!」
同じように逆上したが瞬時に我に返ったらしい。ゾロは刀にやった手を下ろし向こうを向いて一言言った。
「・・・・・・・・・とにかく違う。あれは・・ナミじゃねぇよ。」
形勢の変化を見てその間にサンジが心底嬉しそうににやにやしながら割り込んだ。
「おい!クソ毬藻!ビビちゃん相手に凄んでんじゃねぇよ。
でも大丈夫。ナミさんは俺たちが必ず助けるよ。ビビちゃんは信じればいいって!」
既に本題を忘れたビビはゾロの言葉に対する怒りと興奮を抑えきれなかった。それを見て割って入ってきたサンジの細い指に後ろから肩をがしっと抱えられ、その手にビビは貯めていた呼吸を落とした。少し安心を含んだ顔になり、振り返れば船長の長い腕がビビの頬に伸びていた。指はビビの頬を引っ張り始めてる。
「痛いじゃないルフィさん!」
「おっし!これで大丈夫だな!」
ルフィはにやりと力強い笑顔を見せる。その笑顔をみてもう一呼吸。怒りの表情を納めたビビはようやくクスリッと笑顔を見せ完全に肩の力を抜いた。
ゾロはばつの悪い顔のまま向こうを向いたままだが、その手は耳の後ろを掻いていた。


「ってことでビビも落ち着いたし。じゃぁ行くぞ!」
「おいおいおいこら!情報も作戦も無しかよ!」
準備運動とばかりに腕を振り回し、先しか見ていない船長に慌てたのはウソップだった。
「とりあえず北の塔だってさ。」
「「敵の作戦に乗るな!!」」
全員の息が一気に合う。つばを飛ばしてルフィの周囲を取り囲み怒る。
これでこそこの船だ。
チョッパーの鼻が嬉しそうにひくひくしている。


「だって彼奴等、俺を捕まえたいんだろ?じゃぁ捕まってやりゃいいじゃん。」
「んな馬鹿な!」
あっさりと言ったルフィに長い鼻の下の口がぽかんと開いた。いい加減付き合いの長いウソップでもまだ驚かされる事がある。おそらくは一生尽きないだろうが。

「ほう」
「たまにゃぁまともな事言うな。」
ゾロとサンジが満足そうにルフィを見る。在る意味珍しい事だ。三者が一時で意見の完全一致を見るなんて。
捕まれば・・・罠の多少はあるだろうが恐れていても始まらない。ルフィが意図としない破壊屋である事は皆が知っている。そして最終的には誰の言う事も聞かない事も。そして船長が参加する以上作戦など意味を成さない。アラバスタの奇跡は一時の彼の不在によって成功した部分も大きいのだとビビは複雑な気持ちだった。


「じゃぁ船はどうする?」
そのままサンジが質問を続けた。
「取られたら後で取り返せばいいじゃん。」
「んなわけにいかねぇだろ。これでもばれたら困る事もあるしな。」
ウソップはビビの方をちらりみた。一応まずいのだ。軍を相手に仮にも王家の者が堂々と海賊の仲間である事を世間にばらすのは。それだけは父王に言い含められてきている。
「船だけ余所に持って行かれたら困るしな。それになんと言っても逃げ足がねぇとなるとナミが怒るぞ。」
真剣に語るウソップの最後こそが一番効果的な発言だった。皆の身体に染み渡る。
判っている。最低限戦闘員が一人は船に必要だ。


「クウェ〜〜〜〜!!クウェックウェッ!」
「カルー?どうしたの??」
超カルガモが甲板の先で興奮している。踊るように飛び上がってから皆の方に必死に呼びかけている。
「『このカモメが高い塔の一番上で蜜柑色の髪を見た。』って。」
チョッパーが通訳する。その二人の手の示す先には一羽の灰色の目と薄墨色の羽根先を持ったカモメが首をかしげていた。
「ほら、やっぱり北の塔じゃんか。よしっゾロっいくぞ!」
「だから突っ込むんじゃねぇよ!」








これは夢だ。それは旅立ちの前夜。昔から捕まったらこういう夢を見て自分を励ましていた。

「ナミ。これ持ってきな。」
「!・・・ノジコ・・・だってこれ・・・。」
ナミの掌に押しつけるように乗せ、握らせる、金色の環。
「ベルメールさんがきっちり決めたんじゃないのこれ、あんたのだって」
「いいから。餞別よ。あたしとベルメールさんのかわりと思ってちゃんと大事にすんのよ。
「・・うん!ありがと」
ベルメールさんの形見だ。これはノジコのモノだとベルメールさんは幼い二人に言い含めていた。その分ノジコがどれだけ大切にしていたかを、当然知ってる。ありがたくてぎゅっと握って、そっと自分の左手に通した。
「あ、だったら、代わりにもならないんだけどさ、これ貰ってくんない?多分白金だから。売っても価値はあるよ。一億の中でなんでかわかんないけどこれだけはどうしても欲しかったんだ。」
昨夜宝の箱の中でどうしてもナミを惹きつけた環を右腕から外す。
「あんたの獲物だった奴?そうね、今回の記念に貰っとくわ。ありがと。あんただと思って大事にする。
 綺麗な環ね。薄いけど模様が入ってる・・・けどこれどこかで見たような気がするんだけどなぁ・・・」
「模様?」
「うんほら。薄いけどね。」
「うーーん。わかんない・・まいっか。大事にするね。」



ノジコに貰った腕輪が闇の中に今もログポースと共に私の腕にある。





うとうとしかけて気が付いた夜半過ぎ・・。夜半過ぎ・・。一人で皆と離れるというのは久しぶりだ。平気ではあるが呼べど返事無く広がる空間に寂しさは隠せない。窓の外には月明かり。ここの壁の模様は石造りであのあてがわれた棟の上の部屋の木目の壁とは違うけれど。
だけれど確信している。あのときと思いは違う。自分は必ず戻れる。戻ってみせる。そして彼奴等は必ず迎えに来る。だからといっておとなしく待っていても彼らが壊してしまっては話にならない爆弾を抱えてしまった。
放置は出来ない。一番良い形を探さないと・・・。
「何考えてんのよあのおばさん。」
「それは私のこと?」
一人だけいる牢番に声を掛けて女が入って来た。牢の灯りはなく、薄暗い廊下の先に牢番の座所がある。4時間毎に一人が交代で入れ替わる。牢には自分が一人だけ。鍵を開けて女は側まで入ってきていた。体は動かさずに部屋の唯一と言っていい薄毛布を被っていたのでそのまま目を閉じて寝たふりをしていたら、彼女はじっとナミを見下ろしたまま動かず・・。四半時が過ぎていった。

「寝たふりはやめにしてそろそろ海賊を止めるって言ったらどう?そうしたらこんなプライベートどころかトイレも我慢しなくて行けない部屋をさようならして良いわ。簡単よ。ただ一言。
たかが海賊の為にこんな酷いところに寝たふりしながら閉じこめられる必要はないでしょ。」

ばれてたか。当たり前ね。
ゆっくりと薄目を開ける。上体を起こしきっちりと見上げる視線で下から真っ直ぐに相手の顔を見つめた。白い髪に灯りが黄色く映っている。瞳は暗くて見えない。
「なんのつもり?って?・・・そうね。たかが、海賊相手にならこんな事馬鹿らしくてやってられないわ。」
「でしょ?」

「でも」
ナミはすうっと息を飲み込んだ。
「何でこんな扱い受けるのかよくわからない相手の言うことを聞くのは嫌。あんたの言いなりになるのはもっと嫌。」
その真っ直ぐな言葉に少し眩しそうに彼女は目を細めた。
「何で同じ言葉を・・・・・だって私は海軍よ。」
「何言ってるの?ルフィを捕まえたかったら違う手を使うもの。仲間だからってあたしに固執して、こんな夜遅くに来る意味がわかんない。」
「・・私は仕事熱心なの。自分の子供ために仕事を辞めるようなことはしないのよ。」
「何が言いたいのよ。迷惑。」
ナミはひとしきり睨んでから、そっぽをむいて相手の出方を待った。
「・・・フェルトは貴方の裏切りを船に伝えたわ。」
「裏切りですって?」
「貴方がお金に釣られて海軍に従ったって・・。皆信じたそうよ。もう遅いの。あの船に貴方の帰る場所なんて無くなっているわ。」

ナミは口をしっかり結んだまま一言も話さなくなった。
それを肯定と取ったのかは判らないが、彼女は更に言葉を続けた。


「だからこれを機会におとなしくお金を貰って引き上げる方が賢明よ?海賊が逮捕されれば報奨金は懸賞金の一割。今なら貴方が手配されているわけじゃなし、それも一緒につけて普通の女の子としての生活くらいは保障してあげるわ。村に帰っても良し、新天地を求めても良し。なんなら軍の権限でそのまま何処でも行きたいところに送ってあげる。」


軍の命令書を胸ポケットから取り出した。正式の命令書だ。文字までは判らないが、夜目の利くナミには暗い部屋でも金の海軍の証が光って見える。

「あなたの方から尋ねてこれば私の方はいつでも準備が出来ていてよ。ま、検討なさい。」








男が三人並んで基地のまえの門に立った。
その門は閉ざされて、重厚な門構えに鍵が掛かっている。門構えは一軒の家のような二階造りで、その横には鼠返しの付いた高い塀が連なっている。
彼らの訪れは予想されているのだろうが、まだ中は静かだ。






「彼奴等は仲間を大事にするから、人質を取ればと言ったのは誰だ?」
「ワタクシです。」
「その人質に降伏を呼びかけさせればよいと言ったのは?」
「それも提案しました。」
「その人質を言いなりにさせられなかったばかりではなく。」
「その説得を待たずにしびれを切らして交渉なさった方がお出ででした。」
「人の事はどうでも良い!あ・・ああ・・何でアヤツが軍基地に現れるのだ??」
「仲間を迎えにでしょう。目的通りではありませんか。基地の方が悪魔の実の能力者は拘束しやすい造りになっているはずですわ。この基地にも三ヶ月前に海楼石の支給があったはずですから。あの高価な一物を売却などしてさえなければいとも簡単に捕まえられる様仕組んだつもりですが?
奴を捕まえればかなりの昇進は約束されましてよ。」
「では捕まえよ!」
「それは大佐のお仕事でしょう?ワタクシごときが手柄を奪うなんてもってのほかです。ご存分にどうぞ。
なにかご不満でも?」
丁寧な言葉の押収に視線をそらしたのはフェルトだった。
「・・・言いなりにならぬ海賊は利用価値がない。」
「利用価値でのみ相手をしていれば実態ではなく影の場合もありましてよ。もっとも・・古の『灯台』は足元は暗いのでしょうか?」
「その名は不愉快だっっ!」
「それは失礼。」
彼女の情報将校としての資質を物語るようなあくまで白い透明な肌は赤い瞳に浮かんだ冷たい視線と共に無表情を象る。深く吸った煙草を一吹してから、大佐の表情が真っ赤になりきる前に勝手に中佐は部屋を出て行った。


「ええい麦藁め・・今度こそ成敗して二度と儂の前に顔を出せぬようにしてくれる。

しかしあの女・・・どこまで知って・・・。危険だ。これ以上の発言力を得られては困る。・・どこに行っても害の無きようにせねばあの麦藁よりも危険になる。」











   

サンビビかルビビか。我が社のモットーはサビルにございます。

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