『煙の行方ロビン編11』
ロビンを見送ることなくゾロは階段を上り始めた。 蜜柑の木の下にあいつはいる。 「ケツが冷えるぞ?」 ナミは背を向けて蜜柑の木の下で座っていた。甲板に直座り。膝を外に流して崩した座り方。 何と言っていいのかわからず考えているうちに口が勝手に・・いつもの自分に従って、ただ見たままを述べていた。 だが遠くから声をかけてもナミは振り向かない。答えも返らない。 仕方なく背後に立ったが、やはりナミは振り返らなかった。 動いたのは風に従う蜜柑の葉。波間に月の明かりを受ける海。空に瞬く星。 その静寂をナミは破ってすっくと立ち、振り向いた。 「お酒、美味しかった?」 やっと言った一言。にじり寄る様にゾロの胸元に迫ってくる。すんなりと伸ばされたナミの細い指がゾロの首から顎をラインに沿ってゆっくり下から上にとなぞる。 その冷え切った手にぞっとしながらも、紅潮したそれでいて別世界のような表情から目が離せなかった。ナミの瞳が紅く燃え上がって昼間の女と重なって見える。 「ああ。」 「一人だけ二杯も貰って。えっらく仲良かったじゃない。秘密まで共有して、いったい剣士さんは何のお話をなさっていたのかしら?」 「・・・仲良かったって何だ?」 ・・・・・山猫が爪と牙を研いでいる。 「あーら心当たりがないって言うわけ?酒が旨かったからって口説かれて、海賊狩りともあろう男が何を丸め込まれてきたのよ。」 ゾロは思わず目を閉じた。腹の底から呼吸を一つ。なんでこんな時にこの女はここまで気が荒いんだ。 重大な決意と共に上がってきたゾロとしてはいつもになく絡んでくるナミに対して、いつものあきらめの想いよりはこめかみの辺りに苛立ちが駆け上がる。こっちの覚悟も知らねぇで・・思いの強さから目的もナミの状態も忘れてゾロは怒鳴った。 「いい加減にしやがれ!預かっただけだ!」 「な・・!」 そばに伸びていたナミの手を ぎゅっ とその怪力とも言える腕力で締め上げて引き伸ばさせる。掴んだ指を自分の手の中で収束させて反対の手で腹巻きの中の環を手に取った。そのままナミの手首にぎゅっと押し込む。 「何すんの!痛いじゃない!」 ナミの腕を滑った腕輪は落下の法則に従い最初はゆっくりと、そして途中から滑り落ちて、からん・・と音を奏でた。落ちてぶつかってしゃらんしゃらんと二つの環はログポースの回りで共鳴する。 ナミの目が二つの輪舞を追い続ける。印象の違う二つの輪を並べると、それは響きあってかすかな音楽を奏でる。 その音が語る。 以前は・・以前の自分は解けなかった謎を紐解いていく。 遠い記憶と近い記憶。 『ナミ、あんたにはもっと似合うのがあるから。』 ベルメールさんの声がした。 『・・・けど似てない?これと?』 ノジコと見たときには気がつかなかった。 ナミの目は大きく見開かれ、真っ赤に紅潮していた瞳も顔も色を失い真っ白から真っ青に駆け降りていく。 「これをてめぇに渡せと言われただけだ!下手な勘ぐりはよせ!」 大声で怒鳴りつけながらゾロはナミの腕を放さなかった。 ゾロが握ったままのその細い腕に二つの環が絡んでいる。ゾロの声は届いていないかのようにナミは自分の腕を・・腕輪を凝視したまま動かない。 「聞いてんのか?!」 ナミの頭部が項垂れたかと思うといきなりがくっとナミの膝が落ちた。 「おい!しっかりしろ!」 いきなりのナミにゾロは慌てた。 気を失った?まさか?幸いにも崩れ落ちる体を掴んだ腕が支えていた。反対の手が崩れて落ちて行く体を支えようと腰を巻き込んで抱え込む。上体は倒れた形になり俯せに首ががっくり落ちた。 「おい!起きろ!」 揺らせばいいのか叩けばいいのか触ってはいけないのか、ゾロには判断できない。チョッパーのことを思い出す間もなくゾロはナミの顔をはたいて耳元で怒鳴った。 ぱしぃっ!ぱしぃっ! ゾロの大きな手が小作りなナミの頬をはたく。必死だがふるう力は本気なわけではない。ゾロが本気を出せばナミなどあっという間に壊せるだろう。普段ならナミを叩くなど後が怖くて出来たものではないが当然無意識の加減をしながらそれでもゾロは必死だった。 「起きろっ、てーか寝てんじゃねぇ!」 「・・・うるっさいっ!寝てなんかいるもんですか!あんたじゃあるまいし!」 ぶるっと体を震わせたナミは目を閉じたまま額を抑えながら頭を振った。 「あーでも気分悪いーー。けどあんたのせいだからね、んもう、耳元で大声出さないでよ。」 色調の戻った綺麗な唇から漏れる罵詈雑言。 「あー痛い。ゾロ、あたしの意識のない間に何してくれたのよ。」 ナミは頬をさすりながら睨み返してくる。。 「意識のない相手を揺すったら逆に危ないこともあるんですからね!しかもあんたの馬鹿力じゃこっちが壊れちゃうわ。」 「あ・・ああ。すまん。」 ぽんぽん言い返すナミにゾロは少し安心した。立ち上がったナミは先程捕まれたゾロの腕に軽く支えられ手を掛け立っている。安心するとその体温と柔らかさが気になり、反対に妙に照れくさい気持ちが沸きあがってきてゾロは思わず空を見上げた。 言うべき事は沢山あるのだ。だが、その糸口が捕まえられなくなっていた。そっとオレンジの頭を見下ろす。 ただ黙って・・・。自分が叩いて発赤した頬をそっと無骨な指で撫でる。 壊れ物を扱うような仕草はこの男には不似合いだった、がゾロにはそれしかできなかった。 その沈黙をどうナミが解釈したのか判らない。ただ黙ったままのゾロを感じていなかったのかもしれない。 腕にそっとつながって沈黙の後、二人でゆっくり座り込んだ。 ゾロは寄り添うナミの肩に手を回し、ようやく腕の中のナミが呟いた。 「変な日だったわよね。変なおばさんに拉致されて、拘束されて、わかんないままに解放されて。」 自嘲気味な声。俯いたままの頭。 「あの人が何がしたかったのか全然わかんない。」 回された肩からゾロの手のひらが自分の頬に固定されたのを、ナミは自分の反対の手でそっと外から包み込んだ。 「祝い・・じゃねぇのか?」 反対の手で金の環のはめられた腕を持ち上げる。ゾロはゆっくりとナミの腕からその腕輪を抜いて改めてじっと凝視した。 「え?」 「これはお前の名前が彫られてるんだと。」 ナミはじっとそのすり切れた腕輪を見た。 改めてゾロに渡されて、眺め、ひっくり返し、腕を上げ、自分の腕輪を並べてみる。窪みの形も微妙に薄く浮かぶ模様のモチーフも、趣は少し違っても大きさが違っても今なら確かに判る。違いはあるが揃いの一対だ。 「これを?」 「てめぇが部屋に飛び込んでくる前に渡せと押しつけられた。大切な日だからとな。 今日は・・その・・お前、誕生日だろ?」 ゾロの口から思いもかけない言葉がこぼれている。頬を染めながら耳は紅く目も少し赤くうわずった感じで、斜めにしか自分を見ない。 ナミも・・言葉でどう答えて良いか判らなかった。 ややぎこちなく改めてゾロはナミの腕を取った。やり直しとばかりにナミが抱えたままの輪を取り、すっとその細い腕に通した。 腕輪は落ち着き場所を見つけてナミの腕に絡みつく。 ログポーズと、そして二対の輪がからんと小さく鳴った。ゾロに持ち上げられたままナミの腕はナミの眼前に固定されていた。ゾロが腕を解いた後もしばらくナミはそのまま固まっていた。 「ベルメールさんの知り合いだった。」 「そうか。」 「名前・・覚えてる。白くて赤い目の友達が居るって言ってた。多分一番昔からの。」 「だろうな。」 「この十年助けにも来てくれなかったくせに」 「助けが要ったのか?ダチの?」 「・・・・・・・ううん。ベルメールさんなら要らないって蹴飛ばしてたと思う。」 ベルメールさん・・そう呼んだ母親の名前にいつも見ないナミを見た。仲間を酷使するナミでもない。自分を餌に気を引こうとする男を使う姿とも違う。いつもの自分の腕の中での姿ともまた違う。 それは・・ただ、甘える姿だとゾロは気が付いた。8歳で育ての親はいなくなり、その後は一人で戦い続けた。親などいなくとも子は育つ、だがどうしても消えない憧憬は失われずに本人の中に埋もれたままになる。 一瞬の隙をついて見せられた表情にゾロはとまどいを感じていた。だが。ナミがほしがっている言葉が今だけはわかる。普段あんなに苦しんでも聞こえず、理解できず大体が殴られているのだが。 「8年・・。来たくても来られなかったのかもな。けどおまえら親子だな。同じ状況なら、同じ事お前もするだろうよ。」 友人が助けに来てくれてもまず一人で何とかしようとする。あの『助けて・・』の一言が出るまでにどれだけの航海が必要だったか。 その揶揄にナミは軽く笑って、自分の右足でゾロの左足を小突いた。 はめられた腕輪を何度でも外しては二人で眺めている。 「本当にナミっていうの?この腕輪。」 「知るか。後でロビンに聞いとけ。すっげぇお宝らしいぞ。よかったな。」 「いくらお宝でもこれは・・・売れない。」 「好きにしろ。おまえが貰ったんだ。お前のもんだ。」 「うん。」 ナミは腕輪をゆっくりさすっている。 「死んだベルメールさんと話せたら、そのあたり聞けるんだろうけどね。」 その台詞にゾロの胸が鳴る。 「ナミ・・・それは夢だ。死人とは決して話せない。」 死んだものとは二度と会えない。ただ、思い起こせばいつも遠くで見ていてくれるような錯覚を覚える。 くいなも・・。 「そうね、死んでしまった人は思い出して、懐かしむだけ。」 ナミは自分の胸元に手をやった。本人の大きな胸以外にどこに入っていたのか、煙草が一箱出てきた。銘にまで詳しいわけではないがこれは判る。大きなつづらに入っていたアレだ。 もう封の開いた箱からナミは新たに一本取り出した。そのまま指でクルクルと弄ぶようにゆっくり回した。 「最後にあのおばさんのくれた奴。ベルメールさんの好きな銘柄だった。そう言えばこれしか吸わなかったの。安かったせいでもあるんでしょうけど。」 過去形だ。ナミはまだずっと細い指先で煙草を玩ぶ。 「安い?」 「うん。きついけど一番安くて独特の香りがするらしいわ。」 「吸うのか?」 「ううん。供養するなら吸えれば、それだけでも良いんだろうけどねぇ。」 「そういやお前が吸ってるのって見たことねぇな。」 「あんたもね。」 「修行の邪魔だ。そ・・」 “そんなもんいらねぇ”とは言えなかった。これは・・時を超えて送られた形見の一つなのだから。それが安い煙草一箱でも。 ゾロらしい返事にナミはうっすら唇だけ両端をあげた。 「・・あんたらしいわね。あたしは・・・吸えないの。大好きな匂いのはずだったんだけどあの時から駄目になった。煙草の煙でめまいがしちゃう。」 「あの時?」 「ベルメールさんが殺された時。」 ゾロの唇は固く結ばれた。歯が唇を噛んで薄く血が流れるのはお構いなしだ。 「何でかなぁ?どうしても煙草の煙はベルメールさんの最後と重なってくみたい。未だに匂いを嗅ぐと身体が金縛りにあったみたいに周囲が見えなくなる。死にそうとかまでじゃないんだけど、けど、もの凄く辛い。 一緒の銘柄なんてもう最悪。遠くでかすかに匂いがしただけで動けなくなるの。」 口元だけは両端があがり、一見笑っているようにもみえる。 だが軽く言葉を並べても重い。 ゾロはふと思い出した。 「そういやいいのか?コックも吸って・・・。」 「あ・・うんサンジ君のは平気みたい。愛のなせる技かしらね?」 「・・へえへえ。」 「嘘よ。でも平気。彼奴への信頼・・かな。銘柄の違いだけじゃなくってね。」 「ふん。」 そうなのだろうよ。 「けどね。無理すれば我慢はできるのよ。どこでも。どんなときでも。そう鍛えたの。海賊相手に身体と心を切り離して・・これで結構大変だったのよ。なのにあんた達とココヤシ村を出てからはぴたりと平気になったわ。自分でも不思議だった。」 くすくすとナミは笑っている。その横顔をじっとゾロは見つめていた。先ほどの居心地の悪さは今も形を変えず静かにゾロの体内にある。 「どんな人も匂いと記憶は切ることができない。 あたしにとっては切ないくらいに懐かしい匂いでも、きっとこの煙草を吸うことはできない。何度やっても火も点けられなかったもの。このままの形で・・ベルメールさんそれで許してくれるかな?」 出されたマッチと封の開いた煙草。 海を渡る風が二人の間に吹いた。 「そうだゾロ、吸ってあげてくれない?」 「あ”?」 「この風なら、大丈夫かもしれない。海を渡って天国まで届けてくれそうじゃない。」 顔を上げたナミの瞳に波間の光が映ってきらきらしている。 「あんたが吸ってくれたら・・それでベルメールさんも喜んでくれそうな気がする。・・・だから、ね?」 期待を込めた顔の後ろに見え隠れするどうしてもいやなら・・と後に続くほんの僅かに自虐を含んだ笑い。 大切な身内との別れは時が経つ毎に昇華されていく。思いでも何も一つになって・・だがそれでも残された者は少し切ない。大切な人を失うと言う感覚はそれぞれの物だがそれでも寂しさは共感できる。 「わかった。」 ゾロは手を伸ばした。ナミの手の中の煙草をすっとつまみ、手に持ったそれを軽く歯でくわえる。 大刀すら構える口元に小さな煙草が妙に似合った。 「おい、火。」 「え・・?」 驚きながらナミがゆっくりと胸の間からマッチをそろりと出すとゾロは反対の手でそれを受け取り火を付けた。 「下がれ。」 ゾロは風下に立ち、しゅぼ・・と火を点けた。棒がじりじりと燃える音が煙草に移っていく。紙の燃える音の後でナミには懐かしすぎる煙が現れた。 ゾロは軽く一息だけ吸って吐く。吐き出された匂いは一瞬ナミの元に届こうとするが・・・風が遠くへと押し運んでいく。それでもナミは軽くめまいがしそうだった。ゾロの口元に赤い光と登る紫煙。まぶたの後ろにかすんでいく光景に軽いめまいはナミを優しく翻弄するだけだった。 大丈夫。これなら大丈夫。 それでもゾロの姿をじっと見る事が出来ずに下を向いたら暖かい腕が優しくナミを背後から引き寄せた。 「辛かったら寄りかかれ。」 顔は風下の方に向けながら煙をナミにかからないように配慮はしてくれている。抱えられた腕に背後の男の体臭がする。なじんだ汗の匂い。そして・・・薄くても強烈な煙の薫りの中にゾロの匂いがする。それは・・また記憶の中に強烈に残る匂いとは少しだけ異質な物だった。 煙草の香りはやはりつらい。涙があふれて止まらなくなる。だけど抱えられた腕は、自分の肌に直接触れるその肌は気持ちが良い。いつもの腕といつもの温かさ。その腕に自分の腕も巻き付けて泣きじゃくる。しゃら・・と金属音がした。 腕に、二連の環。 ベルメールさんがくれた腕輪とナミという名の腕輪。そうこれはあたしの腕輪だ。 ゾロの口元から流れる煙が二人の周りで薄く漂っている。 大丈夫だ。苦しい煙が私を翻弄しても私は立てる。ゾロは支えてくれる。 いつものような呼吸も心臓も止まりそうな動けない感じは薄い。ゾロが支えてくれている。 少し。癒されていく。 ほんの少し、この煙が自分の中に帰ってくる。 幸せの象徴だったこの薫りが自分の拒絶をかいくぐってナミを安らぎに戻そうとしてくれる。 涙があふれるのは辛いからじゃない。 これは煙がきっと目に沁みただけ。 これできっと・・。 「ほれ。」 ナミの少しにじんだ視界の中ゾロは今自分が吸っていた煙草をナミの目の前に差し出した。 己の口から外して差し出された吸い口はナミの口に向いている。 「吸ってみろ。供養だ。」 「・・。」 「あっちに行った奴らは思い出した時にいつでも想ってやれば良いんだと。日も何もあるか。ただ想ってやりゃいいんだとよ。んで彼奴等はもう幸せになって、言うような恨み言はもう無いんだと。彼奴等はいつでもただ見てる。だから恥じないように頭を上げとけ。」 命日に。 自分を産みだしてこの世界に出してくれた日に。 毎日の変わりなく続く日々を重ねていくそんな日に。 煙草を持たない残る腕がぎゅっとナミを支えている。 自分一人では匂いと記憶と恐怖を切り離すことは自分ではできなかった。けど、ゾロなら斬れるのかもしれない。 ・・・ナミはゆっくりと口を開けた。前髪が掛からないように抑えて顔をそっと前に出す。唇でゾロの手の中の煙草を受け取った。 ゾロの手はナミの口の先を掠めそうになりながら引かれ、煙草だけが口元に残った。 ナミは反対の手で煙草を受けとりゆっくりと口の中へだけ煙を吸い込んだ。ほんの少しだけ。 煙草の灰が白くなってその部分が長くなる。 頬に二筋流れるものがある。ゾロの残りの腕にそっと絡んだ腕は放さない。ゾロは抱きしめるでなく、戸惑うでなくナミを覆っていた。 少し吸って・・吐く。右手に持った煙草の煙はゆっくりと吐かれ、煙は二人の側から船の上から海上遠くにたなびいていく。 二人の姿が動かなくなった頃、甲板の隅から細い作りの耳がすっと姿を消した。 ・・・ 「中佐!」 「大丈夫ですか!?」 細い階段から数人が部屋に飛び込んできた。 開いたドアと開いた窓の間を疾風が駆け抜けていく。 「やれやれ、また古い仕掛けを動かしたな。」 人垣をかき分けて滝のように汗を流しながら大佐が現れた。いつものような徽章を飾る式典服ではなく簡素な隊服に着替えている。以前彼が愛用していた、その妻がきちんと管理していた物だ。 口元からはいつものゆがみは消えていた。髭の下に残されたのは老成したいたずらっ子の様な唇だった。 「巧く逃がしたもんだ。これも計画のうちだったのかね?」 「私も海賊に脅されて必死でしたので。」 中佐の口元も軽やかにしらを切る。二人は見合って微笑んだ。 「誘拐は未遂に終わった所に・・まぁいい。それ以上は。 さて、彼らと仲直りの宴のつもりだったのだが。」 大佐の背後のワゴンの上にはホットサンドに紅茶にと山ほど盛られていた。 「皆に振る舞うか。『飢えたる者には一杯のもてなしを。』我が基地の旗印だからな。」 最近見られない素朴なにっこり振る舞う大佐が居た。 「お入りになりますか?」 「ああ・・後片付けは後でも良いだろう。」 海兵達は説明もなく下がるようにとされた指示を受け取った。 大皿は食道に下ろされ、残された皿と茶器は一対。フェルトが自ら茶をもてなした。 「どうぞ。」 湯気の立つカップから素朴な香りがする。大佐から差し出された自慢のお茶を口にして彼女はにっこり微笑んだ。 「美味しいです。」 「それは良かった。」 「聞かないのか?」 全ての成り行きを。彼の心を。 「いえ。」 その素っ気ないほどの答えにフェルトは少し、苦笑した。 「・・・・・・・・・・予想されていたかな?君の予言通りだった。」 お茶の湯気が二人の間にうっすら漂った。中佐は顔を上げると仕事の時と同じ命令を待つ顔で告げた。 「では、本来のお捜しの男を追いますか?」 「・・・・・・・・・・・・・・いや。」 偽物になど興味はない。騙された自分が悪いのだから。 「本物はやはり・・・違うな。」 「はい。」 この基地は、かつてグランドラインの灯台と呼ばれていた。 人を逮捕する為の基地でなく、人を導く為の基地。グランドラインを行く強者達を導き助けるその名に恥じぬ本物だった。 いつからその本分を忘れ、金策に走り己を飾るようになったのか。糟糠の妻を亡くしてからなのかそれすらも言い訳に過ぎないのか・・フェルトにはもう何処で間違えたかを思い出す事も苦痛だった。 だが、今からでも遅くはない。 「中佐は・・退役なさったのだったな。」 「はい。」 「・・・・・・寂しくなるな。」 「そう言って頂けるなら光栄ですわ。」 「本当に・・・。心からそう思うよ。」 退官後もフェルトとこの基地の先を憂いて辛言してくれた。手痛かろうが上官をこういう諫め方をする者はどんどん少なくなるだろう。己の責任が上がると同時に己が見なければならない物も増える。年を経て、己が見えなくなる事は怖いと改めて知った。年を経て支える者が減る事の怖さも改めて思い直した。 フェルトはワゴン上の丸い飾り皿をすいっと彼女の前に押し出した。 「吸わないのかね?」 「宜しいのですか?」 「今後私はこの匂いできっと君を思い出すだろう。」 「では、お言葉に甘えます。」 |
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Photo by Sirius