『煙の行方ロビン編6』


ナミが脱走していくらかの時間が経過した。もう日は高く、食事を出されるとしたらナミの脱走もすでに露見して捜索の手が出ている頃合いだ。

ナミが忍び込んだのは海軍基地の最大の塔の最上階。
ここの最高指揮官、大佐と呼ばれていたハゲの部屋。つまりは敵の本拠地だ。
部屋の装いはけばけばしい。趣味の統一感の無さと余計な飾りの非能率的配置に部屋の持ち主が伺える。
夜陰に乗じて他の部屋も色々覗いて見て、建物の配置上かなりの高率であの女の部屋と踏んで潜り込んだナミは眩暈がした。
基地にせよお屋敷にせよこの手合いの建物の造りは法則がある。偉そうな奴は高い所にいる。これだけは何処でも変わらないルールだ。
だからあの女の部屋もここかあちらの塔の上の方の階と目星を付けた。

「今回は外れね。」

目的のものでなくても何かがあるかもしれないので重要そうな机や金庫を手っ取り早く漁ってみた。
女性の裸の絵、葉巻のかなり日のたったもの、小さな宝石の鑑定書。
軍の機密書類どころか非常に凡人くさい机の中身に辟易する。中も外も一緒だ持ち主の中身もしれたものだ。
最後に机の上の”ここにだけはなさそうな”一番地味な小箱を開いた。
「あら?」
目的の物ではなかったが。

(サッサと次に移ろう)
最初に連れてこられた場所はこの塔ではなかった。他をあたらねば。でもその前に情報収集が先か。外の喧噪も聞こえたし、走りゆく海兵が声高に叫んでいる。幸か不幸かルフィ達が乗り込んで、発見されて、暴れているのだ。起こってしまった以上このタイミングを出来るだけ巧く一人で動いて使わなきゃ。こうなればトラブルメーカーのルフィ達に逢わない方が動きやすい。

普通の扉を解錠など造作もない。昔取った杵柄はそう簡単になくさない。出口の方に向けて耳を峙て、壁の向こうの気配を読む。
こっそりと気配と足音を殺して動くナミの背後でぱたぁんと軽くて大きな音を立ててドアが開いた。
背中で寒気がはじけたような感覚の後のどっとした脱力。

満面の笑顔が其処にいた。





「よう!ナミ!迎えに来たぞ!!」
「迎えにってあんた・・親の帰りを待つ子供じゃあるまいし・・。ここがどこだか判ってんの?」
突然無防備に現れたその姿に呆れを通して頭痛がする。
泥棒である自分ならまだしもどうしてこの一億ベリーの船長はこうホイホイと一番危なそうな所に現れるのだろう?
しかも何で捕まったあたしが心配する方なのよ。

「よかった!会えるとは思ってなかったぜ。」
「なら何でこんな所に来るのよ。」
「なぁんとなくだ!」

威張って腕を回したその拳がぶつかった壁に大きな音を立ててナミは背筋が凍るほど慌てた。
先に大きな花瓶が置いてあった。鈍器が転がったような音がした。海兵に見つかっては万事休すだ。
声も出ないナミは大騒ぎしそうなルフィを慌てて押し込み、口をふさいだ。
幸い音はふかふかの絨毯と壁のカーテンに吸収されて響かない。誰も来なかった。

ほっと息をつく。
「なんだよナミせっかく迎えに来てやったのに。」
ルフィは床に押さえ込まれた時にぶつけた時に出来たおでこのコブをさすって言った。
「なにやってんの!あんた達はせいぜい騒ぎさえ起こしてくれればいいのよ!何かの間違いで捕まったりしたらどうすんの??ここは海軍基地なんだから海楼石が何処に仕掛けられてるか判らないのよっ!」
「大丈夫っ!」
ルフィの笑顔はいつもと同じだ。
「大体船はどうしたのよ。」
「大丈夫だ!ロビンが守ってる!」
「ロビン・・・大丈夫なの?」
捕らえられた自分の耳に聞こえた、堪えたロビンの悲鳴。目隠しされて猿ぐつわも咬まされてそれでもロビンが声を上げ、助けに来ない事は心配だった。
「ちょっと足に怪我したけどチョッパーが治してんだ、任せとけ!」
「そうか。・・・待ってよロビンが怪我したって事は相当の手練れって事?」
「いやぁ?そんな事無かったぞ。」
ルフィが首を傾ける。その瞳に背後の大きなツボが映った。
「でっけぇなぁ!」
とんと身体を伸ばして起きあがるとそのツボをぺたぺた触る。柔らかい白を基調とした上に朱の模様が浮かんでいる。




小さな手は手際よく消毒と麻酔と縫合をした。
「ロビンもこういう怪我をするんだな。」
「こういうって?」
「ん〜大きく斬られたりとか。あいつらなら良くやるけど。」
「もっと大きな骨折とかして欲しかった?」
少し意地悪なつもりの質問を転がすとチョッパーの顔は輝いた。
「どの骨を折っても大丈夫だ、きっちり俺が徒手整復でやるから!少し痛いだけですぐだよ!」
一瞬で大きくなって見せる腕の太さと邪気のない笑顔にロビンはとまどいを感じながら苦笑を交えた。
「え・・ええその時にはよろしくね。」
圧迫をかけすぎないように軟膏を付けてあてられたガーゼがひんやりして心地よい。
「・・・本当は罠に海楼石が仕込んであったの。ちょっとしくじったわ。」
「・・・じゃぁルフィも俺も危ないのか?」
「潜入の時には気をつけてね。」
「ああ。無闇にモノには触らないようにするよ。歩けるか?」
「ええ。船の中なら何とかね。
だからこの船は私が見ているから早めに航海士さんを迎えに行ってあげて頂戴。」
「え?でも!一人で残すわけに行かないぞ!」
「そうだそうだ!ロビンちゃんの珠の肌にこれ以上の傷は俺が許さん!」
横からサンジが割り込んできた。
「でも私、吸血鬼とかのお化けには強いのよ?」
割り込んできたサンジとチョッパーに向かってウィンク一つ。
二人はロビンの一言に向かって右に首を傾けた。
「機能も出たけどね。お帰りいただいたわ。私じゃ不安?」
さらりと放った爆弾発言に二人が慌てた。その時。
「誰もそんな事考えてねぇよ。それよりお前、本当に一人でいけんのか?」
ゾロの瞳は少し荒くて鋭い光を放つ。
ロビンは柔らかい微笑みで頷いた。
「なら、まかす。よろしく頼む。」
両手を脇にそろえぺこりと頭を下げる。常日頃からは想像しにくい素直さだ。
「航海士さんの方は貴方に任せるわ。お願いね。」
その微笑みが深紅のサテンの触感を思わせた。
「吸血鬼・・か。」
「ロビン?」
呟きに丸い瞳が下から覗き込む。
「なんでもないわ。」
ロビンの微笑みはいつもと変わらない。









「良いからしゃがみなさいよ!見つかったらどうすんの?」
「え〜〜〜〜?」
ロビンの無事を確認するとナミに良いリラックス感がうまれた。
「おしっ!帰ろうぜ。」
のんびりと伸びをするルフィが誘うとナミは重く答えた。
「まだ駄目。あたしはここですることがあるの。 あたしがやらないといけないの。」

ナミの瞳に宿る真っ直ぐ曇りのない視線。
ルフィの口元に笑顔が浮かんだ。その顔にナミはほっとして力を抜いた。
「・・・そっか判った。よし!じゃぁ帰るぞ!」
そのナミの腕を取ってすたすたと廊下に向かって歩き出す。
「人の言うことを聞けっていつも言ってるでしょうが〜〜!!」
鉄拳が飛んだか蹴りが入ったかは判らない。壁の置物に突っ込んだルフィの顔は痣だらけになっていた。
立ち上がったルフィの足許に飾ってあった皿の破片が散乱している。
「なにやってんのよ!」
「お前のせいだぞ!」

「麦藁を捉えよ!!」
ばんっといきなりドアが開いた。









「なぁ、変だと思わねぇか?」
「なにが?」
「キッチンの活気がねぇ。」
「ああん?サンジィまた調理場の話か?きっと休み時間で、しかも表からルフィたちが入ってきてるからだろ?」
「いや・・だいたいコックは軍人じゃねぇ。侵入者相手にかり出されるほど暇じゃねぇ。・・っつーか例え人がいなくてもな、見りゃわかんだよ。キッチンが寂れてる所はどこも・・・」
「覇気がねぇ?」
「ああ。この建物だってそうだろ。」

ウソップとサンジは最上階の牢でナミの天候棒を発見してますます彼女が其処にいたことを確信した。だが、その闖入者の確認に来る人間もなくただのされた牢番はそのままに置いてある。これではいくら海軍でも脱走し放題だろう。上から外をのぞけばやはり人の動きに統率はない。二人がそのまま逃走しても隙だらけで逃げるに事欠かなかった。
今は塔の中空にあるバルコニーから一服。サンジは短くなった煙草を消して火を付け直した。
「サンジ、お前すげぇじゃん。俺様も今そう考えていたところだ。」
「ああ。さって、ナミさん何処にいんのかなぁ。」

目的のナミには会えないまま。陽動部隊を避けながら。





狭い廊下を歩く緑頭が居る。
チョッパーとルフィとはぐれ、いたる方向で声が重なって聞こえる。その声は谺し注意していてもどちらから聞こえているのか判らなくなる。とはいえそのあちこちから上がる人の声は侵入者の数以上に騒ぎがあるのだろう。相変わらず面倒なヤツだ。
もとより人目を避けようなどという考えを持たないロロノア・ゾロにとってはこの状態ではどのみち向けられた殺気や闘気以外さっぱり掴むことが出来ない。まぁ掴んだ所で行動が変わる訳でない


そのゾロは今、一つのドアの前に立っていた。潮の香りがする。沢山ある塔のうちの一つの塔のかなり海の方だ。その最上階。だがまだ奥に行くと外に繋がる階段があるだけ。
ゾロの進入した塔は静かだ。窓の外から軍人がたまに走ったりしている足音が聞こえるようだが何故か自分と遭遇しなかった。本人は至ってのんびりと『ナミの居場所なら誰かに会えたら聞き出せばよい』そのつもりで誰かが通るのを彷徨きながら待っていたのだが。

部屋のドアと言うよりは倉庫の入り口といった風情か。錆びたドアからは更に海の匂いが強い。


「素通りしないで入っていらっしゃい。」
少しハスキーな声がした。やや年かさの女の声だ。
台詞にゾロは肩をすくめた。自分の気配を読まれているなら隠れても仕方ない。もとより隠れる気もないが。
ゾロは言われたとおりにドアを開け、面を真っ直ぐ上げながら歩を前に進めた。
将校の服を着た白い髪の女が独り、そう多くない製本された書類を整理しながら一人いた。

彼女の目の前の机は折りたたみ式のよく見る・・言うなれば一番安い簡易机。キャビネットの中身は殆ど抜かれて床に中くらいのスーツケースが一つ落ちていた。隣にはまだ空いているスーツケースもあって中には書類が無造作に積まれている。
彼女はそれらに目を通し手を通しながら顔を上げなかった。訪れた珍客に驚くふうもなければ怒る焦りもない。
「君だったか。どうぞ。」

言われてそのままゾロは部屋に入った。構えは解かないがあくまで自然な力みすぎない。いつでも腰のものを抜けなければ剣士とはいえない。だからといってこの状態に気後れする必要などまるで無い。
「お姫様のお迎えにきたのかな?」
「いや・・海賊を一人捜してる。」
自分が知られている。ならばこれは探していた手がかりだろう。そう考えながら目の前の敵に淡々とゾロは答えていた。
「お姫様とやらならそいつは人違いだ。俺が探してるのはただの口煩せぇ海賊だ。」
「泥棒な海賊なら確かにこの基地内にいるわよ。」
「どこだ?」
「あっちの塔よ。」
窓の外には高い塔が見える。鉄格子が縦横に、その小さな窓がよく見える。
「あそこか・・。」
ゾロは向こうの塔を窓越しに見た。椅子に座ったまま白髪の中佐はゆっくりと将校のマントのポケットの中から煙草を取り出し、火をつけながらサングラス越しにゾロの方をゆっくりと上から下まで眺めた。たゆたう煙が緩やかに斜めに流れている。ゾロの足取りからだけでも判る高い塔。建物の高さにみあった風の動きがあるわけだ。
「君こそどうしてここに?それとも居場所がわかったら海兵の屍を乗り越えて迎えに行くの?」
「さて、どうするか。」

ゾロのとぼけた返事に中佐はサングラスをかけたままほくそ笑んだ。日差しを手で遮りながら外を見るゾロの背中に向かってさらりと爆弾を放り投げてみた。
「でも遅かったわよ。あの子ならこちらに寝返って海賊はやめると言ったわ。彼女に裏切られて海軍基地に呼び出されたのよあなた方は。」

淡々と話すその口調。海賊程度に後れを取るいわれはない。














普通の声のルフィとそれを頭ごなしに押さえ込んだナミのひそひそ話は机の横で行われていた。
「おしっ!とっとと帰ろうぜ。」
「駄目。あたしはここですることがあるの。」
「・・・そっか判った。よし!じゃぁ帰るぞ!」
「人の言うことを聞けっていつも言ってるでしょうが〜〜!!」
鉄拳が飛んだか蹴りが入ったかは判らない。壁の置物に突っ込んだルフィの顔は痣だらけになっていた。
立ち上がったルフィの足許に飾ってあった皿と壺の破片が散乱している。
「静かにしなさいよ!あんた一体なにやってんのよ〜〜〜〜〜〜!」
「やったのお前だろうが!」
声が響いている。

「麦藁を捉えよ!!」
ばんっといきなりドアが開いた。
「ふっふっふ!観念しろ麦藁!!戯れ言はもうきかん!かまわんどうせDead or Aliveの海賊だ。」

劇画かかった口調で派手な服の大佐が大きくドアを開け、数発の銃弾が二人の周囲に撃ち込まれた。背後の狭い廊下から数人が銃を構えて大佐の後ろに広がっている。
無表情な背後の兵は一勢にルフィの方に狙いを定めた。
「うわっ」
「あんたが騒ぐからよっ!」
「それ壊したのお前のせいだぞ!」
ナミは次を構える銃に視線を向け肝を冷やしたがルフィは全く意に介しない。


だが二人を眺める隊長であるフェルトの顔は愕然となった。身体はぶるぶる震え視線はきょろきょろと部屋中を探っている。
目の前の騒ぐ二人を見ては視線を外し、あげく二人には目もくれずに窓の外にまで視線を彷徨わせることを繰り返す。

部屋はなかなかの惨状だ。隠し金庫の鍵は開けられているし、書類も荒らされた後がはっきりしている。あるべき棚に自慢の食器の姿がない。部屋の正面の壁の壺のあったところには少年が破片の中に立っている。
そうだ少年と少女が立っている。少女は尋問室で見た顔だ。
他には誰もいない。
少年と少女を見てもう一度窓の外も見る。
そこにフェルトの捜す相手は居なかった。目的の者の捕り物にと勇んで駆け込んできたフェルトは思わず声を荒げ、苛立ちを含んだ怒声が部屋中に飛んだ。

「貴様は誰だ??麦藁は?その床の帽子は奴の物か?では、モンキー・D・ルフィーは一体どこへ行った?隠し立てしても為にならぬぞ!」
どこっていわれても・・?
ナミとルフィは互いに顔を見合わせ、はっと気付いたナミの指はルフィの頭を指さした。
自分の手を頭にやったルフィは触れた髪の毛に、先ほどナミにどつかれて飛ばされた宝物が足下にあることに気がついた。
大切な麦藁を拾い埃を払ってしっかりかぶる。
「何だ?おっさんこそ誰だよ。」
二人の間に妙な沈黙が流れた。互いの誰何の声は微妙にかみ合っていない。

「ガキになど用はない!儂が用があるのはモンキー・D・ルフィー唯一人だ。」
「おれがモンキー・D・ルフィだ。」
「ばか!わざわざ名乗ってどうすんのよ!相手は見りゃわかんでしょーが!海軍大佐よ!」
ルフィの発言に驚き更に突っ込むナミはもう一発拳骨をルフィにお見舞いしてからちゃっかり彼を楯にして構える。
「・・・・・・・。」
「おっさん!俺は自分の名前言ったぞ?お前こそ誰だ?」
「人の言うこと聞きなさいよ!あの悪趣味加減といいこの部屋の持ち主に決まってるでしょ!」
「「!」」
ナミの台詞に一瞬己の口元を必死に引き締めた海兵が数人いた。


フェルトは動かなかった。
まだ動けなかった。
爛々と青白く燃えた視線をルフィと名乗った少年に向ける。頭の先から足の先まで。
「う、う、嘘を吐くな!儂は本人と会ったことがあるんだ!だいたい一億の賞金首が貴様のような普通の子供の訳はあるまい!!
・・むむ?そうか貴様・・たかりだな!
貴様などによこす分け前など無いわ!帰れ!それとも捕まえてこの基地で一生ただ働きさせてやろうか!」

「なんだおっさん?失敬だな。俺は偽物なんかじゃねぇぞ。」
横から海兵が駆け込んできた。先頭の軍曹が手配書を翳してみせる。
「大佐!間違いありません!!この顔!目の下の傷!着衣の様子も麦藁も手配書とそっくりです!!」
フェルトの視線は手配書と本人の間を彷徨った。
正直手配書の写真が本人と違って見える事は珍しくない。撮影した海兵の腕やタイミング次第で多少のずれはよくある話だ。だからこそ“麦藁”とか“赤髪“と言った第一印象を取る二つ名が多くなる。

「・・・まさか・・・ではお前・・本当に・・・?」
フェルトの焦りを帯びた驚きに全く興味のないルフィはその手配書にいきなりゴムゴムの手を伸ばすと紙だけ奪った。
「なぁんだ一億の手配書って写真が変わるのかと思ったら前と同じじゃんか。ま、いっか。巧く撮れてるだろ?ほらぁ。」
自分の顔の横に手配書を並べる。
間違いない。うり二つだ。
「ゴム人間だ・・間違いない!」
「モンキー・D・ルフィー!一億の賞金だ!!」
ドアの後ろの海兵からどよめきが沸き上がる。





「そんな・・・・ではあいつは一体・・・・。」
フェルトはまだ動かなかった。いや、動けなかったのだ。
固まってしまった足下のまま、目の前の少年をじっと上から下まで眺めた。
もう一通差し出された手配書と目の前の子供を見比べる。顔は同じだ。だが目の前のこれの何処が一億の男だというのか?
「ただの子供ではないか・・・・」

そういっている自分の背筋が凍り付いたことにフェルトは気がついた。
ルフィはただ相手を見ながら立っている。只こちらを見ているだけなのに漂う凍気がある。
その視線の源はフェルトの目にも大きく映った。

瞳に曇りはない。真っ直ぐな目だ。
深い色を頌える強者の瞳。底も実力も秘めている男の目だ。
これは信頼できる男の目。海に生きる誇り高い男の目だ。
立ち姿に隙はない。
額に曇り無く、口元に浮かぶ笑みは自信の現れ。


「ならおっさんがナミを誘拐ったのか?」
「・・・・。」
ルフィから発せられる怒りを含んだ問い。フェルトは答えられなかった。
「ロビンに怪我させたのもおっさんか?」
静かな怒りだ。
「・・・・貴様は本当にモンキー・D・ルフィなのか?」
「俺が聞いてんだ!」
気圧されたわけではないが口の中はからからだ。だが。

不思議とフェルトの中にも熱い何かが渦巻き始めた。
既に途絶えたと思っていた何か。既に枯れたと思っていた何かが相手にあぶり出されるように沸き上がってくる。

「・・・・・ならばどうする?そうだ、この女がお前達を裏切ったとしたら?」
「失礼ね!」
「ナミは裏切らねぇよ。」
静かな声だった。激高しようとした女を抑えてルフィは帽子に手を添えた。だが目の怒りは収まっていない。ルフィの様子にナミは口を閉ざした。
「確かに口ではどうとでも言えるな。しかし女は自由にこの基地内を歩いていたのだろう?捕獲、逮捕された者にそのような自由を我々が与えると思うのか?」

ルフィの口は一文字に結ばれている。目を少し落として両拳を握った。

「しらねぇ。」

一喝だった。

「けどナミは裏切らねぇ。」

そこに居合わせた全員の胸の中を一気に風が払う。
自分の身体に溜まった澱を、基地の中に溜まったよどみを一気に吹き飛ばす爽快な風だ。



大佐の葛藤を知らない海兵達が彼らなりにじりじりとその緊張感を高めていた。
自分たちのテリトリーの中で追いつめられた大きな獲物への興奮が、声に緊張にと現れている。相手の強さもこの人数差の前では意味を成すまいと海兵集団の誰もが己の勝利を確信し、飛びかかる命令を待っていた。
ルフィはその気配に目をやったかと思うとにやりと笑って軽く膝を沈めた
。笑みを浮かべた口元はそのまま目だけが真摯になる。戦闘用のスイッチが入ったルフィは、戦いの気配に喜びを含んだように瞳が妖しく光る。構えを戦闘用に、両手を開き、軽く拳を握る。
じりり、と海兵にもその気配が読める物もいる。
「大佐!!ご命令を!!」
フェルトとて大佐の名は伊達のつもりはない。目の前の男の戦う気配には老いたりと言えど身体が反応する。まさに大物が目の前にいることの冷気をを肌が感じずには居られない。このレベルの男の目も見きる事が出来ずにあんな小物に脅され乗せられ利用されていた自分・・・・情けなさが足下から大佐を揺らした。残った矜持が目を覚まし、フェルトを支えている。そして背後からの興奮が。
「うわははははははははは・・・」

「大佐!?」
「どうなさったのですか!?」
周囲が慌てて目を剥いても、フェルトの体内から溢れて流れる笑いがある。
己を哀れむちんけな物ではない。

大佐の高らかな笑いが場の緊張を一旦留めた。



「待て!!」
フェルトの片手が後ろの震えながらも猛る海兵達を制した。真っ直ぐにルフィを見る。目が柔らかくなった。
その視線の変化にルフィは硬い構えを少しゆるめた。
「・・・私と会った事があるか?そう、イーストブルーで。」
「??おれおっさんのこと知らねぇぞ。」
人の顔を覚えることに全く意味のないルフィの脳であるが、戦いの気配は何故だか理解が早い。相手の器が広がったのを見定めてしっかり記憶を探った。やはり覚えはない。

「・・そうか。」

実態を見ないで舐めてかかってはいけないと中佐が言ったのは・・このことか。と言う事は私がモンキー・D・ルフィと名乗る偽の男に恐喝されていた事もその男にかなりの金銭を流した事も彼女はとっくに知っていたのだろう。
それを脅しに使うのかとも考えたが、彼女への漫然たる恐怖に対して行った不当な圧力と人事は以前からの物だ。それを不服とするなら既に上層部に密告されていてもおかしくない。何故、全く無視してこちらに従おうとするのか・・・。
彼女の行動は自分のためには一切ならない。そしてフェルトの損になることはない。

フェルトは己の人を見る目に自信を失いかけていた。
逡巡は途絶えない。
目の前の男は彼の目的ではなかった。
だが賞金首の海賊だと名乗っている。
揺れてしまった足下に埋めて忘れ続けていた本来の業務が頭をもたげてくる。
一歩。フェルトは前に出た。
そしてもう一歩。視線はそのまま彼とにらみ合う。
もう一歩。進んだところで自分の机に腿がぶつかった。その衝撃で机の小箱からこぼれ出た物・・妻から貰った万年筆がフェルトの前に転がり込んできた。

(灯台の灯は消さないで下さいね。)
忘れていた妻の声が今耳元で聞こえた。死を前にした妻との約束だ。
他に軍基地の少ないこの海域で定められた先代からの合い言葉「飢えたる物には一杯の振る舞いを」その意識の高潔さに夫婦で惹かれてこの基地に志願した・・・・・・だが今はそれを見る影もない。
覚えたのは堕落した贅沢。虚飾にかつての誇りは埋められていた。


フェルトが感じた長い黙想はほんの一時に過ぎなかった。だが同じくそれをとてつもなく長く感じた海兵達は長いフェルトの逡巡にその集中力を斬らしそうになったがルフィの握られたままの拳に反射的に反応して構えを落とさない。
場を支配する緊張が切れてしまいそうなほんの一刹那前。手を軽く挙げてフェルトは背後の海兵のいさりを制した。
そのまま足の重心を一歩分前に出る。身のうちを流れる血液がゆっくりとうねりを取り戻す感覚がする。久しぶりに体中を駆けめぐるものがある。
「・・・・・貴様、構えもただ者ではないな。」
「おっさんが俺とやんのか?俺はかまわねぇぞ。」
ルフィが伸ばした腕をぶんぶんおもいきり振り回した。


あれは偽物だった。
本物はこういう男だった。
騙された相手が偽物であってくれて嬉しい。本物に出会えたことが嬉しい。そして。


再び、体の底からこみ上げてくる物がある。
「わはははははは・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「おっさん?」
「ルフィ!」
ナミはこの隙を逃さなかった。



・・・・・



「モンキー・D・ルフィだと?」
「ああ、三千万の賞金首は噂だけじゃないぜ。」

立った一人連れ添った妻を亡くしても軍務は振り分けられた。グランドラインからイーストブルーへの出張。その際に旧知の中佐に頼まれてもめ事の後かたづけを手伝った。魚人への寝返りに寄って私財を肥やした大佐の逮捕とその整理。難なく捕まえてその男の私邸にはいる。私を連れて行った中佐は彼の貯め込んだ宝を開けて唸った。
「魚人の奴らがため込んだお宝ってのも凄いな。血の痕もある。この島からの上納だけではここまで揃えられる事もあるまい。」
血まみれの宝のいくつかを彼は自分の懐だけでなく・・・私の懐にも突っ込んだ。
「判っているのか?俺もお前も海軍だ。」
「これは奥様への供養です。  海軍本部大佐には当然受けるべき権利があります。貴方は今までなくなった奥さんにそれを贈ってやれなかったんじゃないですか?奥さんもお可哀想に。他の海軍将校の妻とも成ればもっと華やかでしかるべき賞賛された生活が普通でしたのに。」
職務の時には私事は忘れる・・だがこの時まだ私の心に開いた穴は全く剥き出しだった。
「出世なさるわけでも、中央に呼び出されてときめくわけでもなかった貴方の生活を思い起こしてご覧なさい。奥様の為にもこれをお受けなさい。そしてそれを享受なさってきちんと生活なさる事こそ奥様が今の貴方に望んでお出でですよ。」
「・・・・・・。」
「皆さんやってお出でですから・・・。」
懐に入れられたものを振り払う力が何故出なかったのだろう?
脇の中佐の瞳が闇色に染まっているのを私の瞳は見たはずなのに。


扉の向こうから声がした。
「あ、みーちゃった。海軍さんの横領。それって悪い事なんじゃないのかぁ?」
「き、貴様は誰だ!?」
「モンキー・D・ルフィ。今手配中の海賊だ。」
暗い瞳の青年が立っていた。少し猫背の二十代後半の体格。口元に浮かんだ笑みが手配書といわれても納得のいくような男だった。




「あんたに言われたとおりやったろ、あれで・・。」
「ああ、後は絞り放題だ。言いなりに金を貢がせて、たらし込んで絞りな。」
「半分を黙って持っていく癖に、次のかもの手配も任せたぞ。海軍中佐殿。」
「海賊業よりよっぽど実入りが良いといって病みつきになってるのはどっちだ。」
男二人の影は闇夜の街灯を受けて長く伸びていた。




その後モンキー・D・ルフィとは幾度も出会った。
貧相ななりとせびっていく金への目つきはきらいだったがそれでもどうでも良かった。グランドラインの片隅に置き忘れられたような海軍大佐をここまで持ち上げ、楽しみを教えてくれる連中など他には居ない。奴らを利用して金を巻き上げてまたせびられる。それも繰り返せば次第に罪悪感も失われ日常となっていく。
高値の買い物による麻薬のような陶酔感も、特権を振りかざす生活も自分を止めなかった。

空虚感の中染められた手のアクををぬぐう閑も気力もなくどんどん沈んでいく。










敵のの逡巡の隙をナミは見逃さなかった。

「ルフィ!」
「おおっっ???」
ルフィの首根っこを掴んで後ろのドアにルフィをぶち込んで自分も一緒に飛び込む。逃げ足は考えていたが、近い方の入り口が無人で良かった。全く無防備な背中をナミに襲われたルフィは廊下の床に頭をしたたか打ち付け、起きあがって文句を言った。
「ナミ!何すんだ!」
「こんな所用はないでしょ!知らないおじさんに構ってないで逃げるわよ!!大体それが目的じゃないでしょ!!」
「けど!決闘だぞ!」
「けどもクソもあるか!」
例えようもない形相で言い切られてルフィはコキッコキッと首をひねった。柔らかい風が耳元で囁く。
ルフィは窓の外の蒼い空を見た。
「俺、逃げるの嫌だぞ。」
「うるっさい!今回ばかりはあたしは退かないわよ!こんなところでまた捕まってたまるもんですか!」
ナミの迫力はすでに戦闘意欲満々だったルフィをも圧倒した。
「あたしはまだやってないことがあるの!もうあのおっさんに用はないのよ!」
「おまえだけー先行ってもよかったのに」
「何ですって!」

睨む形相はいつもになく硬い。
こうなったナミに誰もかなうはずはない。



・・・


「あ!待て!」
「大佐!ご指示を!」
「麦わらを追います!」

海兵達は下知のないままバラバラとルフィ達を追っていった。
一人残されたフェルトはどさっと入り口側にあった硬いオーク製の椅子に腰を落とした。
体内に残る興奮の波は少し収まりを見せている。だが新しい血が体内を駆けめぐっていることも判る。こんな状況にはフカフカのソファなど必要ない。


「俺、おっさんの事知らねぇぞ。」
ルフィの声が残映のようにこだまして聞こえた。


澄んだ瞳だった。
妻の瞳と似た。
幼い頃に失った息子と同じ澄んだ奥底のない深い瞳の漆黒。

「己の都合ばかりでは見えぬものもありましてよ。」
みさご中佐の白い髪と紅い瞳が何故か心を刺した。

光は心の闇を払う。陽の光を受けた黒髪と部屋の灯りで輝く白髪の光。



フェルトは立ち上がった。
「誰か居るか??支度せよ!」
二人ばかり残っていた二等兵が答えた。





          




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