『煙の行方r5』






これは・・・夢の中か・・・・・。
地下の暗い廊下の隅に人目に付かぬようにしゃくり上げている少女が居る。この先には殆ど使われていない牢屋がある。軍務違反などの特殊な人間を入れておくところだけに滅多に人も来ない。そのおかげで一人になりたい時にはかなり重宝したものだった。
ああこれは例の知らせを受けた時だ。


『誇り高きバウの種は神の御許に帰れ。』

バウは古来からの種族。その外見から隠しようもない風貌を誇りとして生きてきた種族だ。白い髪に白い肌、赤い瞳。他者と違うことを誇りに持ち形成された閉鎖社会の中で産まれたときから神に選ばれ与えられたこの色と教えられ、様々な習慣に締め上げられる生活だった。
そこから逃げ出したくてここに来た。閉鎖社会の外を見たかった。
裏切り者と罵られても。
だが私が村を出た後で研究者の手によって神の恩寵は只の遺伝子疾患と診断されて、誇り高き村人は絶望した。神に帰れという長老の指示は死を暗示し、大半の者がそれに従い逝った。
私が連絡を受けたのは少し遅れてだった。己の一族の誇りを教えられて生きてきた。長老の命令は絶対のはずだった。
だが、どうしても長老の知らせを受けても身体が死を拒否した。

だが日の光に弱いなど、生きにくい己の一族の特殊性は外では欠点に他ならなかった。
その欠点は、軍ではよけいに逆風が強い。
ただでさえ軍は女に風当たりが強い。
絶対的正義の名の下に個人の誇りを打ち砕くことによって命令によく反応する部隊を作り上げようとする。

持ち続けた最後の拠り所である己の部族の誇りもあらゆる手段で叩かれ潰され、崩れてしまいそうになった。その状況を自分の中で何とか融合すべく参加した海軍の特殊教育コース。脱落者も多いが完了すれば己の能力で海を渡る事が出来る。自信を得ることが出来る。
そこで私は彼女と出会った。







「貴様は営巣入りだ!」
「望む所よ!!こんな下らない話になんて付いていけるもんか!」
「いい加減覚えろ!上官の命令は絶対だ!言う事は聞け!」
「やなこった!
理由もよくわからない相手の言うことをただ聞くのは嫌。
あんたの言いなりになるのはもっと嫌だ!」

人が来ないはずと思い逃げ込んできた廊下に大声の二人連れ。
怒鳴りながらその廊下を曲がってきたのは上官の一人だ。
片腕に引きずってきているのは見れば同じコースの女だ。ベルメールという名のいつもくわえ煙草でニヤニヤ笑っている女だ。涙も出るタイミングを逃し、あっけにとられながらも私が陰に隠れているその脇にある暗い部屋に放り込まれてしまった。どさっと音がする。直に土間に投げられたようだ。。

「何が悪いってんだ?目の前の怪我しそうな人を助けて何処が悪い?軍の正義はどこ行ったのさ?」
「悪いのはそれが貴様が軍の他の命令に服していた時だったって事だ!
軍の命は絶対!それを理解出来ねば幾ら勲章が制服に付いても出世はできんぞ!一晩頭を冷やせ!!」
「へーーい。」

足音が立ち去るのを確認して頭をそっと持ち上げた。くるりと回した自分の白髪が目立つ事はすっかり忘れていた。

「んん?あらウサギちゃん、あんたも営巣?ってそっちは外じゃないの!あははごめんごめん。あたしと一緒にされたら笑い事じゃないわね。」
ベルメールの右目の周囲は腫れ上がり、唇は亀裂が入ってこれも膨れてる。見事な赤毛で縁取られた痣だらけの顔で笑われても驚くばかりの私だった。
「あ・・あたしはウサギじゃない。」
自分のあだ名がウサギな事は知っている。蔑称として呼ぶ輩も多い。
「そう?赤って綺麗だと思うけど?特に瞳がピンクみたいに紅いなんて見た事無いよ。」
檻の中から伸ばした手で私のサングラスを外す。その手があまり自然だったから抵抗を忘れた。荒れた肌の指先で私の髪をすいた後、自分の髪を玩ぶ。彼女の頭はふさふさと立派な赤毛だ。
「それは私の一族への侮辱か?ならば受けて立つが。」
「・・・・・・・・・ま、そう怒んないの。あんたもやる?」
震えた声で答える私に軽い溜息と共ににっこり微笑んだ。差し出された煙草をふと受け取ってしまったのは何故だろう。
「滅入ってる時にはこれよ。」
営巣入りの際には所持品はいい加減ではあるが全て提出が義務のはずだが煙草一箱に折れた紙マッチ。どうやって持ち込んだのだろう。


彼女がゆっくり火を点ける動作の獣じみた優美さに見惚れ、あまりにも美味しそうに吸ったから自分も手を伸ばし、くわえて、火を点けてみた。
「・・・・・・・・!うぇ”っ・・・まっず〜〜!」
始めての煙草に咽せる私をその人は嬉しそうにニヤニヤみていた。
「ゆっくりやるんだよ。口の中を転がすみたいにさ。」
麻痺したように舌が少し慣れた頃には煙が二人の間をたゆたって二人ともそれ以上何も言わなかった。

次の日から二人の間に会話はなかったけど、その日の終わりには一本の煙草をちびちび最後まで黙ってふかした。

二人へのしごきはその後更に拍車をかけた。性別が、体質が、性格が。上を目指してもおそらくは生き残れないであろうという上官の想いだとは後で知った。そして公の監禁は減点の対象となる。私的なリンチに見せても軍という組織を彼女に教えてくれたのはあの上官の優しさだった事も。




特殊コースの苛烈な訓練はその満期を終了し、最後まで残ったのは参加者の10%という少なさだった。
だがそれだけ選別されても、しがみついていたとしてもその全てが軍人としての適性を持つわけではない。
過剰に殺す者や何らかの理由で使えない者は外されていく。
私は結局日の光に弱いという理由だけで直前に外された。経歴には「終業するも事情により不承認」と記された。

「仕事の前に能力は否定されないよ。」
唇を噛む私にベルメールはまた例の煙草を一本吸わせてくれた。



ベルメールは終業し、そして承認された一人だ。
だが彼女はある意味一番軍人に向いていて、そして全く軍人に向いていなかった。
平気で犯罪人を逃がしたり殺したり。殺した人間とそっくりな人物が後で様相を変えて彼女の元に顔を出したりする。
逃がした連中が後から自首してあいつへの嘆願文書を出しにきたり、礼状を書いてきたりする。
命令には従わず判断基準は己。

だがその勘の良さからもおそらくは軍人に向いていた。それを理解する上司達には非常に煙たがられた。



立場は違っても二人とも正式に軍人となり、共に仕事をする事はなかったがいつも心には掛け合っていた。
その彼女が子育てを理由に引退宣言すると聞いて慌てて飛んでいった。まだ身分も立場も領海も身軽であった事も幸いした。
育児。産む事を禁じられた私以外の他の誰かなら判らないでもない理由だが、まさか彼女が?そんな理由で?









余所の海に派遣されてしまいかなり遅れて伝わってきた魚人の支配と訃報。
しかもその子供を守る為だったと聞いた。
軍の規律に縛られていた私には向かうことが許されなかった。
動く訳に行かなかったのだ。数年かけたプロジェクトの潜入工作のまっただ中。そこでその大物を抑えねば退路がない。命がけのぎりぎりだった。
諦めて現場でそっと彼女からもらった銘柄の煙を焚く。
煙草の味は遠い空の下の葬送で空に消えゆき、その仕事が終了した時には全て上官の手柄となっていた。


軍の中にも海賊の中にも悪魔の実の能力者は散見された。
彼らはと言えばその強さから恐れられ、あるものは軍神として、有るものは墜ちて野に放たれて、好きなように振る舞っている。その実を選べなかった一般人の選んだ道は心ならずも地味で遠かった。目立たぬ部署で業績を上げても上司に搾取され、改竄された虚偽の報告が上申され思うようには地位が上がらない。
周囲も己も無視して冷酷な情報処理機械として情報将校の地位・・ようやく佐官を得たときにはイーストブルーに初頭三千万の最高額賞金首が設定されていた。















カチッカチッッッ

金属がすりあう音でさえも殺そうとしてナミは心を配った。
常時の直接監視はないようだ。部屋はまずいが「四級」は結構ましかもしれない。
錠前をそっと引っかけて鍵穴に差し込もうとするが、穴の方が大きすぎた。
鍵が違うのだ。
軽く舌打ちしたあげく三回試してナミは檻のそばから下がった。大丈夫。見つかってない。奥でふぅと初めてゆっくり息を吐いた。

悔しいが彼女が入室時に海兵の懐からすり取った鍵はこの牢のものではなかった、というわけだ。
あのおばさんの口の端を上げただけの笑い顔が見えるような気がした。
「く〜〜〜〜〜〜!!!!」
腹立ち紛れにたたきつけようにもこの部屋に家具はないし叩いて良い黒やら緑やら茶やら黄色い頭もない。
歯がみして残った毛布を蹴飛ばす。あのおばさんがこの辺りに立っていた姿がなぜか脳内で展開されるその違和感も余計に腹が立つ。毛羽立ち縁がほつれた毛布は舞い上がった。


カラン

音がした。
慌ててその先に目をやる。その音も響いたのではと廊下に目をやったが見張り部屋から何の音もしない。大丈夫なようだ。

足下に暗い銀色が光っていた。
鈍い色の銀色。
慌てて取り上げると金属片だ。
まさかあのおばさんが落としていったのかしら?
そんなはずはないんだけれど、けどあたしの物じゃない、他にはあり得ない。

もう一度看守の目を盗んで試しに錠に差してみる。





・・・・・・・・開かなかった。




「一体何なのよ!あんのおばさん何を考えてんの!?!?」
心は絶叫しながらも声は潜めた。

これはこのまま眠って次の策を考えるしかないだろう。
また毛布にくるまってみた。
床の石は固い。

月の光の中、ぐるぐる回っていたログポースの針が徐々に一定方向を指し始めている。
「あちゃ、もうすぐログはたまるんじゃない。こんなとこ早くでちゃいたいわよね。」
その横の傷だらけの細い腕輪が鈍く光っている。ココヤシ村を旅立つ時にノジコがくれたベルメールさんの腕輪だ。


こんなごたいそうな監獄は泥棒時代にも入った事はない。そのころなら失敗した時には何とか逃げだしてどこかの物置などに転がり込んだものだった。隠れるのに精一杯で一晩や二晩ひもじいのも、少しの傷で動けないのもそのころに慣れた。そんなときには遠くのノジコやベルメールさんの夢を見て耳だけは周囲に気を付けてやり過ごすのが習慣だった。

(ノジコ・・・・・・)




夕日の中だ。島の夕焼けはいつもきれい。
蜜柑の収穫にはまだ遠い季節。果樹園の手入れが終わって三人で家路についた。煙草の煙と道から立ち上る草と湿気の匂いとお日様の匂い。
「ベルメールさんの腕輪、お日様に光って綺麗だね。」
「これ?」
細い金色した腕輪は他に装飾を付けないベルメールさんが常に離さなかった。
「あたしほしい!それちょうだい!」
「なに言ってんのナミ。あたしのほうが先じゃない!」
「いっつもノジコばっかり貰ってあたしはお下がりだもん!ね、ベルメールさん。それはあたしにちょうだい!」
「ダメあたしが先!」
ベルメールさんは黙ってその腕輪を観ていた。その顔が優しくて切なかったからノジコと二人の騒ぎが一瞬止まってしまった。ベルメールさんは夕日を背に短い煙草をぎりぎりまでふかしてにっこり笑った。
「これが欲しいんなら、ノジコが大きくなったらね。」
「やった!」
「えーーー。」
踊るノジコを横にナミはぷうと膨れた。
「いっつもノジコばっかり。」
「ナミ、あんたにはもっと似合うのがあるから。」
ベルメールさんは蜜柑の木の葉の匂いの付いた手でナミの頭をぽんと弾いた。
「えっ?どれどれ?」
「今はないよーだ。だいたい二人とももっと大きくなっていい女になんないとぶかぶかで落っことしちまうだろ。ノジコにあげるのももっと先の話だよ。」
「ふぁーーい。」
「でもナミ、あれはあたしが貰うんだからね!」
毎日夕飯に堅いパンが二つと野菜しか浮いてない薄い塩味のスープでも、三人でのご飯が楽しみだった。自家製の蜜柑のお酒をベルメールさんが薄めて飲ませてくれたり、一緒の布団で足や腕をぶつけ合いながら寝る事も。







「あたしとあろう者がこんな感傷に浸ってる場合じゃないわ。」
さっきから昔の事ばかり思い出すなんて。老化でもしたかしらね?一瞬寝た時に観た夢の甘い残像を振り払うようにナミは頭を振った。

ボディチェックされて棍は奪われてしまった。手元には使えない鍵二つと、未だに使えるあたしのスリと開錠の技術。窓は高くてここは塔の最上階。
それにしても不思議な鍵だ。小さな輪に通したそれぞれの鍵。不思議な切り方の溝に気が付いて試しに二つをすり寄せて合わせてみる。




ナミは呆然とした。
ぴったりと鍵は一つになった。



廊下をそっと覗いた。看守は眠そうだ。監視の目も緩んでる。さっきの交代から三時間半。頃合いだろう。そのまま合わせた鍵を使って入り口から巨大に下がる錠前を取り寄せて開けてみる。

カチリ

手応えのある音が手から伝わってきて・・・・・・・こんどこそ鍵は開いた。








馬鹿な・・・・。
この鍵が重要監房の鍵で、解錠には舎監と上官の二つの鍵が必要なのだとする。その一つを佐官である彼女が持っていたとして、それをわざわざナミの所まで持ってきてうっかり落としてしまったのか?
そんな愚かな話はあるまい。
だが、それならばワザと置いていったのか?

なぜ?
何のために?
目的は?


こういう事をするときには絶対に裏がある。それだけは長い泥棒生活で身に染みついている。正直人の心の裏ばかりを見る生活をしてきてしまった。ましてや海軍だ。一体どんな罠なのか・・・・。
「一体どうなってんのよ・・・・・。」

ジレンマの末、泣き言の海に身を投じて、それから浮上する。
こうまで張られた罠なら飛び込んでみないと次に何が起こるか判らない。
これは逆にルフィ達と居て得た天性の感だ。
彼女のたくらみの最上と最悪を想像してそれでもナミはドアを開けた。
そぉっと。錆が音を立てぬように気を遣って。
「あの女を捜さなきゃ。」
彼女に言われたままというのは癪に障るけど。

厳重に閉ざされた牢内の空気はこの高さにもかかわらず黴くさい匂いがある。
牢内に居るはずの彼女はさっさと己の部屋の鍵を開けて、軍人の身体から次の扉の鍵とマスターキーらしき複雑な形の鍵を数本持ち去っていた。ついでに軍服も失敬する。細いナミの身体にはぶかぶかだがぼろが出ない程度に上着の裾をズボンにしまい込んだ。牢屋の入り口を出れば等間隔に眩しい小窓。己の位置を確認とばかりに小窓から外を覗いた。
ナミはにやりとほほえむと
「おーおー、では・・。」
足下に振り向きもせずに言葉だけ置き去りに立ち去る。
「お休みなさい。良い夢見てね。それから・・っとこれで良いか。」
鼻の下を伸ばして後頭部にコブを作って倒れた海兵の脇に手頃な棒が一つ。
モップの先を外してそれを武器に変える。
重ければいい訳無いじゃない。あたしの信条は身軽な事だから。



前半で中佐の背景を少し書いた回です。
この章はほとんど変化していないと思います。
    






Photo by Sirius