『煙の行方ロビン編2』
海軍の基地は当然ながら尋問室を備えている。ナミがここに連れてこられた時に登った階段の量からその高さが推し量られた。ちらりと見えた窓の外からもおそらくここは一番大きな塔。基地の造りから言ったらこの塔が司令塔で間違いなさそうだ。つまりは軍の偉い人もお宝もここにある計算になる。 だがお宝の情報も気配もない今、海賊のナミにとっては一番近寄りたくないところであると言える。 「入れ。」 暗い部屋ではあったが、高くに鉄格子が付いているとはいえ一応窓もある。入室当初は気になった少々の汗臭さとカビ臭さも直に慣れてきた。まず最初にナミの目の前に座った海兵は、彼自身がまだ若く、しかも相手が若い女と見てなめた目つきで早速と高飛車に尋問を始めた。その大声にナミは片目を塞いだが、怒鳴ろうが叫(わめ)こうがそれに怖じ気づくナミではない。口内の虫歯の数まで数える余裕もある。 正直・・本人としてはかなりの乱暴を受ける事も覚悟はしていたのだが、一応扱いは悪くなかった。小物故取るに足らないと思っているらしい扱いの軽い視線の他、下卑た視線も少ない。軍のなかにも色々いるものだが、その誇りくらいは残している連中らしい。 ただ絶対に抜けない軍人特有の横暴な口の利き方に苛ついてむっとしたナミは最強の笑顔であらゆる質問を混ぜっ返し、はぐらかした。 「軍にはセンスってものがないの?こんなくだらない質問ばかりでいつも対応してるの?? だから知らないって言ってるじゃない!何度言えば解るのよ。 あたしはただの旅人。いきなり一般人をこんな所につれてきてどうするつもり?」 「なんだと!」 尋問係の一番若い海兵は既にしびれを斬らして大上段に振りかぶり拳を上げて最後の脅しとばかりに怒鳴った。一般人ならば孤立無援の密室。怒鳴られてばかりの環境と併せて肝が冷え、口もきけないくらいの覇気がある。 「しらばっくれるな!あそこにいたのは手配中の海賊ロロノアではないか!あいつと一緒にいること自体一般人の訳があるまい!!」 「だってナンパされたんだもん。」 かなーーり昔のことだけど。 本人が聞いたらおそらくは目を剥きそうな台詞だ。 が、斜めから彼らを見下ろすようなナミの口からは軽く流れでる。体格にものを言わせた脅しも彼女には全く届いていないようだ。 尋問の係を変え、その責めは反対に静かに、段々巧緻になっては行く、だがナミにとってはどれが来てもあまり代わりはなかった。万事がこの調子で脅しもあやしも宥めも効かず、揚げ足を取られて、兵糧責めにもへこたれない。 かなりの時間が費やされても彼らはナミの口から有用な情報どころか本人が海賊であると言う言質一つも取れなかった。 「いかがかな?」 背の低めの女性がドアを開けてきた。ナミがちらりと一瞥をくれる。将校の制服に身を包んだ白い髪の女性だ。一斉に彼女に敬礼を捧げるその姿はこの部屋にいた彼らよりもこの女性が上官に間違いない。皆が席を空け、敬礼をゆっくり解いた。それらに挨拶すら返さずに彼女はナミの正面に立った。 「こんにちは。お嬢さん」 「・・。」 さっきまでの口の回りの早さとは裏腹にナミはそっぽを向いたまま返事をしようとしない。 尋ねる必要なんてない。この女は今までの馬鹿とは違う。ただ者じゃない。危険な匂いがする。 それは彼女の泥棒時代からの勘とも言えたし、そうで無いとも言える。伊達に海賊を名乗って旅をしているつもりなどない。彼女は天候はもとよりあらゆるものに対して自分の身を守る為の己の勘を信じていた。 女性将校はあっさりした本部の軍服に身を包んでいる。だがむしろ略装と言っても過言ではないのだがナミはそれを正確には知らない。 女はナミの斜め脇の席に立った一番煩かった海兵を軽く顎を振るだけでどけて、その席にするりと座った。服についた階級章は中佐だ。そのまま頑ななナミをじっと見つめている。それから胸ポケットの煙草ケースから一本を引き出し右手に持つと自分の慣れたペースで反対の手からライターを出し火を付ける。 紫煙が広がった。 「さて、ココヤシ村のナミさん。貴方に交渉ごとがあるのよ。」 ナミの目が鋭く光り、唇がきゅっと結ばれた。 無言の彼女の背中からビリビリくる怒気を感じたのか海兵達の背筋に今までにない冷たいものが走った。 「その前に」 ナミは相手を睨め付けた。 「人と交渉するのに煙草がないと駄目な訳?」 「アラ?煙草はお嫌い?」 初めて心から驚いた顔をして、そのくせ嬉しそうに将校は煙草をくわえなおした。 「あたしはマナーの問題を言ってるの。」 「海賊にマナ−を説かれるとは思わなかったわ。問うのも馬鹿らしい話題じゃない?」 「…………あたしは一般人よ。」 「何を言っても駄目よ。貴方は海賊船の航海士。調べは付いてるの。」 悠然たる相手にちっと舌打ちをして不満げにナミは頭を掻いた。 「………………あたしは認めないけど百歩譲って、貴方の言う交渉って何?」 そっぽを向いたナミに改めて彼女は微笑んだ。 「判るでしょう?私たちは“麦藁のルフィ”を捕まえる事が仕事なの。」 「すれば?それが海軍の仕事でしょ?」 「その為にあなたの協力が欲しいの。軍からの報奨金ならでるわ。知ってるでしょ?『協力者には賞金の一割』の原則。」 「言いたいのはそれだけ?」 にこにこと表情も変えずに言う重大事。 「誘拐犯にしては捻りがなさ過ぎ。」 ナミはあきれて笑いもでなかった。 「あっきれたわね。懸賞金全額くれるんならいざしらず一千万くらいのはした金で私を買えるとでも思ってんの?馬鹿げた尋問の後がこれ??貴女達軍人って本当にセンスないわね。」 「あら・・お金が好きじゃなかったの?」 彼女は全く驚かない顔で続ける。観察する視線。試す口調。 「あたしが海賊だからお金が好きって言いたいわけ??お生憎様…。」 「そうじゃなくて・・・・。貴女昔っから泥棒でしょ?」 今度はナミが固まった。 「なんのことか全然わかんない。 ・・・・・・それに止めてよね、人の顔に向けて煙吐くのは。」 中佐は紫煙の向こうで婉然と微笑んでみせた。 「なるほどね。一筋縄ではいかない。たった一人でこのような場所に捕らわれていながら、それでもこちらへの揶揄を忘れない。価値観の違う相手同士のやりとり。それを判っていながら一歩も臆しも譲りもしない。どころか斬り込んですら来る。 ・・よくもこの年で、お見事ね。」 ふふっと唇が笑った。ゆっくりした動作で中佐は胸ポケットから出した携帯用の灰皿にまだ長く残る煙草を押し込んだ。 「全然誉められてる気がしないわ。」 「じゃぁ・・・そうねぇ。金額が不満なら一千万 それに一億弱を付ける・って言ったらどうかしら?ココヤシ村のナミさん?」 その台詞に一瞬でナミの廻りの空気が凍り付いた。 見開かれた瞳。大きく開いた瞳孔が生気のない冷え切った顔を作る。口元だけはきゅっと結ばれている。そこから言葉がこぼれるまでたっぷり数呼吸を要した。 「?!・・まさか」 「察しがいいわね。そのまさかなの。イーストのネズミ大佐が上に泣きついたのよ。ココヤシ村の一億は現在軍の管理下にあるの。」 ナミの反応は早い。一を知る前に事態を読み込んだ。早すぎる位だ。 今まで勝ち誇っていた茶の瞳に怒りが凝縮した。凝縮した光が弾ける錯覚に部屋にいた誰もが一瞬たじろいだ。彼女の全身からほとばしるように炎が見えている。後ろの海兵達も気圧すくらいの気が瞬時に彼女の周囲に広がった。 「あんた達汚い!アレは村のお金よ!村のみんなが・・」 勢い込んで立ち上がったナミに慌てて二等兵が押さえつけようと手を伸ばした。 「汚い手で触らないで!」 手を払いのけて再び座りナミは中佐を睨み付けた。 濃いめのサングラス越しでもはっきり解る位の闘牙。黙っても彼女は見事な戦の花を咲かせる。 その興奮に中佐の手が軽く汗ばんだがそれに気づく物はいなかった。 収まらない怒りはうねりの矛先を一気に中佐に向けてきた。 「・・・でも元は盗品でしょ?貴女の盗んだ。 海賊からの略奪は法に触れない・・けど中に盗難届の出ていた物が混ざっていたのよ。」 先ほど縮んだ瞳孔が今度は大きく開いている。軽く意識を飛ばしているようだ。ナミの逡巡が手に取れる。 「・・・・・・!!」 「気付かなかったんでしょうね。」 「そんなはず・・・。」 アレはココヤシ村から出る前にきちんと処理を済ませたはずだった。 アーロンの元にいく宝なら血糊が付いていようが、はっきり由来が判ろうが価値さえ有ればどうでも良かったので、とりあえず雑多に入れて放置しておいた。ある意味盗ってきたお宝自身に執着などしていなかった。 が、全てが終わったあの時に足の付くお宝は危険だからと単身徹夜で作業した。磨いて、きちんと選別し由緒の判るものはばらしておく。作業の途中は眠気など飛んでしまうように楽しかった。お宝を改めてその価値を堪能し、絶望の化身を初めて違う目で見る。初めての経験は朝日と共に終わった作業が一際目映い朝を見せてくれた。 別れの儀式。決別の儀式。 過去を消して新しい自分を生きる・・。一晩中掛けてそれでも集中力を失わず、その作業は辛かった過去との決別のために自分に必要だったのだ。 中にあった細い飾りの腕輪だけはどうしても気になって貰っておくことにした。今まで自分が装うことは海賊をだます為の必要以外の何者でもなく、武装と呼んでも差し支えのない準備にすぎなかった。今からは違う。装う事に新たな意味合いが浮かんだ。自分の為に・・それはなんと軽やかな事だろう。 (綺麗・・) 月明かりの中に浮かんだ財宝達に心からそう思えた自分がとても嬉しかった。 終わったんだ。やっと。ね、ベルメールさん。 「貴女がこちらに協力的なら書類を整えて、もう誰の手にも問題ないように整えてあげる。貴女の身柄と一千万、そして村のお金。これが出せる条件の全てよ。」 彼女の低いアルトの声は軽い揶揄のリズムを含んでいる。だがナミにはそれは揶揄と言うより絶望の、呪わしい響きとしか受け取れなかった。 せっかく村はやっと手に入れた平和とお金で再興しているはずなのに。長い地獄の日々をようやく通り抜けた村人へのこれが軍の仕打ちなのか?なんと人の弱みを突くところなのだ。これで正義とやらをかざしているのだから笑わされる。 所詮8年の間に来てはくれなかった組織だ。しかも来たのはあんなアーロンと癒着するような奴だった。それでもベルメールさんから聞かされていたその組織はもっと魅力に溢れたところのように思っていたのに・・・ ナミはキッとにらみ返した。立ち上がった拍子に椅子がゆっくり倒れた。ばんっと古い机を叩く。 「あたしを陥れて何が望み?あたしは仲間は裏切らない。今の仲間ももちろん村の人も。」 「その気になるまで待って貰うわ。時間はあるし。」 「彼奴等はそんなに気が長くない。 あたしがここで待ってる間にこの基地を壊して迎えに来るわ。」 「彼らには人質。貴女は大事なお姫様でしょ?」 「いいえ。ただの海賊の仲間よ。」 二人は黙ったまま互いから目をそらさなかった。まるでそらした方が負けだというようにナミは相手を上から見下ろしにらみ続けた。 「強情だこと。そして、嫌味なくらいに自信家…………。こうも似るものかしら?」 溜息より小さな囁きが中佐の口から漏れた。その言葉をナミが捕まえる前に彼女は次の煙草に火を付けた。 「その煙草……止めてって言ったでしょう。」 「嫌いなの?この香り。」 「あんたが吸ってるからよ。」 中佐はふぅっとにらみ続けるナミの顔に紫煙を吐き付けた。 「後悔する前に言う事を聞いた方が良いわよ。このままじゃ“欲張って結局どちらの皿のソーセージも食べられなかった猫”みたいになっちゃうわよ。」 「甘いわね。あたしは欲しいものは絶対にどれも諦めないのよ。」 「そう?なら一晩素敵な部屋でゆっくり考えるのね。」 緊張の中どちらも譲らない。 中佐が後ろに向けて指を鳴らすと海兵が、二人ナミに近づいてきた。そのまま後ろから羽交い締めにすると、ナミの両手首に手錠がかけられた。 「後悔するのはあんたよ。あたしは必ず助かるから。その時には村のお金も貰っていくわ。ついでにあんたのその煙草も奪って捨てておいてあげる。」 少佐の目が小さくなったように見えた。だがその冷たい視線に混ざっているのは怒り・・には見えなかった。 この勝負に一歩も退くことはない。負けるもんか。ナミはあくまで冷静な瞳で受け帰す。 「・・・・・・この娘を重犯罪用の独房へ。」 「!し・・しかし少佐。あそこは大の男でも・・」 「男も女もありますか。四の五の言わずに連れて行きなさい!」 ナミの視線はずっと彼女から離れない。 連れて行かれても部屋を出るまで強い視線でナミは彼女を見続け、その彼女の口元にはうっすら笑みが浮かんでいた。 ナミの目にそれは揶揄以外の何者にも見えなかったけれども。 塔を途中まで降りて再び高くまで登ると途中で連行する軍人が入れ替わった。どうやら船上から見えたいくつかの塔のどれかに移動したらしい。登った段数、向かった方向、そしてその先に広がった空間をナミは全て理解し、記憶し続けた。 連れて行かれた部屋は確かになかなかなところだった。 「・・・ふう、趣味の悪い部屋よね。海軍ってこんなに宿泊施設は悪いのかしら?」 ぼそりとこぼした呟きに牢番は過敏に反応した。 「・・ばっ・・。入れ。貴様が何をしたのかしらんが、これは重犯罪者用の牢だ。こんなに酷い所から早く出たかったらさっさと言うことを聞くんだ。」 彼女を渡した男は数字だけを伝えていた。「四級で」それが何を意味するのか解らないが、どのレベル扱いかは身をもって体験せよと言うことらしい。 戦略を変えてみる。 「けどあたしも何でこんな所に入れられるのか解らないんですぅ。こんなに酷い所にか弱い女の子を放りこむの?こわい・・。」 目を伏せながら少し切なそうな表情を作り連れてきた海兵の目をじっと見つめてみせると謹厳実直そうな顔が一瞬だけ赤くなった。首を思い切り横に振り、それをかき消すようにした後にナミを縛るロープの先をほどいて身体を押し込む。戸を閉め鍵を閉めて大声で怒鳴った。 「四級ならさっさと吐けば出してもらえる!」 「そんな・・こんな所に籠められるなんて・・。」 イヤイヤをするように頬と瞳を潤ませたナミの表情とその真下に隆起する胸に真っ赤になった新兵らしい彼はナミの縋るような手を振り解きそのまま慌てて外まで戻っていく。 どうやら四級とはずっと直接の監視を受ける身ではないらしい。 だが。 改めて見直してもプライバシーという言葉が微塵も見あたらない部屋だ。扉もない排泄所に床に一枚の毛布を敷いただけの寝所らしき物。窓も最小限の物が灯り取りに一番高いところに付いている。そこから天候が解るだけありがたいというところか。 「これは・・・長居したいリゾートじゃないわね。」 手の中には小さな鍵が有った。先ほどの男にじり寄った時に軽やかな指先一つですったものだ。鍵を閉めた後で気づかれて大慌てで戻ってきても大丈夫なように靴のヒールの中の隠しにしまい込んだ。隠しの細工は巧緻に作ってもらったのだ。 しかし前科がばれただけならいざ知らず、ココヤシ村の事。あの村の未来がかかってる。逃げるだけでは済まされない今の状態をどうにかしなくては。 そして更に溜息が一つ。 「参ったわ・・あの煙草・・・・・・・・アレじゃ動けないじゃない。」 < > |
微妙に微妙にずらしていくとケツが変わってくるのです。 |
Photo by Sirius