「雨が来る」
「え?どうしたの?大丈夫?」
保健室で論文片手のヒナ先生もキャンプファイヤーに参加したかったろうに。だから申し訳なさで身が竦む。
「はい。ご心配おかけしました。もう大丈夫」
「ホントに?無理しちゃ駄目よ。もし今でも元気なら多分大丈夫だけど・・」
「本当に大丈夫。先生も用があったら行ってきて下さいね」
「私は別に構わないわ、イベントにはあまり興味も・・・・あら?本当に雨?」
窓ガラスにぽつんぽつんと降り始めた雨は粒の大きさを増して一気に戸を叩く。キャンプファイヤーの方からキャァキャァ言う声が聞こえる。夕立みたいな物だからじきにあがるだろう。
「明日には帰るのね。最終日が雨だったうえにキャンプファイヤーは残念だったけど、他は楽しかった?」
「・・ええ」
期待などしていなかったのに面白い馬鹿にばかり出会った。ここに来なければ知らなかった連中ばかりだ。楽しい想い出が出来た。
ただ二つばかり残念だ。
ゾロは案外良い奴だったのに最後に怒らせてしまった。
最初の印象が最悪だったのにさっき怒られて気がついた。自分は良い奴だと思ってた。怒られたくなんかなかった。
遠ざかる足音がなんだかいつまでも聞いていたかったのに。
そして・・ビビと喧嘩した。
ビビが諦めさえすればもっと楽しいキャンプだったろうと思ってしまう。嫌なことをビビのせいにしてしまいそう。
そこがなにより辛い。
せっかく大好きなビビと来ていたのに。
自分は姉と仲が良いだけに頭の良い彼女がどうして理不尽な所にうじうじしているのかは判るような気はしていたが、やはり良く判らなかった。だから言わずには居られなくて・・。
挙げ句の果てに大喧嘩であのあとは口もきいてない。
外ではみんな必死に走って帰ってくる。濡れた頭にタオルを持ってお風呂に向かう人も部屋に帰る人もいる。
もう、部屋でのんびりする時間だ。けどビビと喧嘩してしまったから部屋には帰りづらい。
外ではまだ盛り上がっている最中だった
「雨だ!」
一番盛り上がった炎の中でいきなり大粒の雨が落ちてきた。
南国の雨は暖かく大きいスコールだ。大きな炎も一気に叩きつぶされてしまう。
「大丈夫よーーこれは夕立だから!」
先生の声は慌てた子供達の声にかき消される。
火の勢いが燃え上がる横から消されていく。あっという間に小さくなった炎をみて
「仕方ないですね。お開きにしましょう」
諦めた先生達の相談がまとまる前に子供も大人も蜘蛛の子を散らしたように部屋に向かって駆け出していた。
「おい」
A斑の野郎が4人。雨を避けて葉陰に隠れている。
「ルフィ?」
「チャンスじゃん?」
「船の問題は?」
「さっきもフランキーが準備万端って自慢してたから大丈夫。な、ウソップ!」
ウソップは自分の小さなバッグから金属製のプレートのようなものを取り出した。
「か・・か、鍵だ・・ほ・・本物だ。」
「サンジは弁当の準備できるか?」
「それは任せとけ」
「お前ら・・本当に行く気か?」
ゾロが一番遠くから言う。
「今夜じゃないとダメだ。だって明日には帰るだろ?」
タイミングは今夜しかない。
「夕立って先生が言ってたからもう止むだろうしな。けどそのラフテルに行けば願いが叶うって本当か?」
サンジが聞けばゾロが混ぜ返す。
「どうせガセだろ?」
「なんでも良いよ。俺は、行くんだ」
ルフィがきっぱりと口にした。ルフィがそう言ったら決して奴は自分の矛先を変えない。
「行かせても怒られるし、行っても怒られる。なら良いだろ。つきあうぜ、船長」
ゾロの言葉に、にやっと4人は笑った。
「じゃ、見回りが終わったら順番にトイレとかででて・・ここに集合な」
夕立の雨はいつも暖かくて重い。今日の雨はなおさら。南国だと粒まで大きいみたい。
ナミさんと喧嘩してしまった。あれから一言も口をきかないどころか目もあわせにくい。一緒の斑だけに顔を合わせないわけでもないから余計に辛くて痛い。
でも、あの人には・・ロビン先生には会いたくない。
キャンプファイヤーでルフィ達と居るのは気が紛れて楽だったけど、今はそれともはぐれた。
先生達は車いすの子とか火の加減とか気になる事が一杯らしい。ビビみたいな健常人は構って貰えない。
そして雨はもっと強くなってる。
慌てて帰る一団に遅れたら置いてきぼりの迷子みたいに惨めな気持ちになった。
雨は痛いくらい大粒で体に当たると痛いような気持ちがしてくる。これなら昼からだって止まないでくれたら良かったのに。そうしたらナミさんとのケンカも洗い流してくれたかもしれないのに。
気分は踏んだり蹴ったりなキャンプファイヤーだ。今からなら葉陰に隠れて夕立をやり過ごしてから帰った方が良いかもしれない。そう思っていたら目の前を走っていく連中が居る。
「ルフィさん?」
「よぉーー!ビビ!!」
ルフィだけが止まりビビを覗き込んだ。
「さっきいったろ!お前も冒険に行かねぇか?」
「冒険?」
そう言えばキャンプファイヤーの時にいってた?
ルフィは本当にお子様だ。最初からこれで、最後もこれ?
だけれど今はそんなきぶんじゃない。付き合ってあげる余裕なんてない。
ナミさんとはまだ仲直りできてない。もしかしたらこれからずっと仲直りできないかもしれない。
自分は・・言っちゃいけないことを言った。
辛くて、寂しくて、持て余して止まらなかった。
本当はあんな事言うつもり無かったのに。
ナミさんにあんな事言われたくなかったのに。
「その変な顔も行けば治るぞ」
いつの間にか真っ正面にルフィの真っ黒の瞳。
鼻息がかかるくらいの側でニヤニヤ笑ってる。
奥底まで覗かれそうなそのまっすぐさに自分の中まで透かし見られそうで思わず頸を横に振り視線を避けた。
「私の顔なんだから放っておいてっていってるじゃない!」
「そんな面じゃつまんねぇぞ。だって・・・今からやるのは最後の、本当の、冒険だぜ?」
本当の冒険?
これだから子供は・・
そう嘯こうとしたがルフィは回り込んでまだ顔を覗き込みに来る。
「ナミはどこだ?あいつにも言おうと思ってたんだけどよ」
きょろきょろ見渡してからルフィさんは私の手を握るとそのまま離さず連れていく。
「離して」
「駄目だ」
「どうし・・」
「お前逃げそうだもん」
「逃げる?」
なんで私が逃げるの?それをどうしてルフィさんが押さえてるの?
「おめぇ、何から逃げたいんだ?」
何から?
えっと・・・。
真っ黒の瞳。
無限に広がるみたいな深い色。
ここになら全部口も情けなさもこぼしてしまえるような気がした。
「私、ナミさんとケンカしちゃったし」
「なんでだ?」
「なんでってそりゃ・・・言いたくないわ」
いくらなんでもこれは言えない。
絶対に言えない。
大体ルフィさんに関係ないじゃない。
「おめぇ、やっぱ馬鹿か?」
「なっ!」
違う!なんて言葉なの!?・・・私は
・・・・なんて言ったらいいのか?
ええっと、いったいなんて言えば良いんだろう?
「ケンカはナミのせいか?」
ルフィの言葉は真っ直ぐ突き進む。
え?
あ・・そうじゃない。ナミさんのせいじゃない。
だってナミさんが言うのは・・まちがってない。
私がまちがってるわけじゃないけど・・でもナミさんは、ナミさんのせいだって言うのは間違いよ。ええ。
「誰も悪くないわ。だから腹が立つんだわ」
うん、きっとそう。
ルフィは不思議そうな顔で雨に打たれてる。帽子があるから顔は濡れてないけどつばから雨が流れ落ちてる。
そのつばの中にまで顔が近付いてきた。最接近だ。
「お前、ナミが嫌いか?」
「え?なんで?」
反射的に答えてた。なんでそう言う質問になるの?
私がナミさん嫌いになるわけ無いじゃない。
ぽかんとなって顔に力が入らない。
ルフィはその呆けた私の顔をじっと見つめていた。見つめ続けた後にニカッと笑った。
「だろ。なら大丈夫だ!なんとかなるっ!だから一緒に行こうぜ!もちろんナミもつれて!じゃないと」
「じゃないと?」
「ゾロが迷子だ。」
「誰が迷子だ! けどお前いけるのか?」
ゾロの目はビビを見ていなかった。どちらかというと建物の方を見ている。
「ビ・・・ビビ?」
「ビビちゃん?」
心配そうな残りの四つの瞳がこちらを見てる。
色々な人の顔がぐるぐる回る。彼らの言いたいことは判る、正しい。
だからといって自分が同じじゃなきゃいけないなんてそれもおかしい。
このまま何もかもがうまく行かない気分になる。
「行くわ」
唐突に口から出た言葉は私の胸にすとんと落ちた。
行ったら、この気分も晴れるかも。
うん。
「でもどこへ?」
ルフィはにやりと大きな口で笑った。
雨は世界を黒く染める。
「ロビン先生?」
突然の雨に車椅子の子供が一人、椅子ごと転んだが大事にならなかったと聞いた。無事でよかった。怪我は一番恐い。
タオルを頭に被ったままロビンはぼんやりしていたらしい。
スタッフの反省会を終えたたしぎ先生が覗き込んでいる。彼女はこのキャンプスタッフ数年の経験を持つ。子供にも父兄にもかなりの人気と聞き及んでいるが裏切らない柔らかな清潔感ある微笑みだ。手の中には湯気の立つカップが二つ。彼女は一つをロビンに差し出した。
「お疲れですか?慣れないと子供の相手って大変でしょう?」
「いえ、それほどでも」
答えてはみるが冴えない。ロビンの濡れた髪から流れる滴が一つ、また一つと顎を伝って服に落ちる。
「・・たしぎ先生?子供に嫌われないのって難しいですね」
たしぎ先生は目を見開いた。さも驚いたように軽やかに笑ってる。
「おや?先生は子供達に人気ありますよ。『話を聞いてくれる綺麗な先生』。羨ましいですね、私の評判とは大違い」
微笑んだ姿は私を励まそうという気持ちばかりが伝わってくる。
でも・・
「つい・・が気になって余計なことばかりくり返しては怒らせているようです」
自嘲気味な低い声は雨の闇の世界に溶け込んで融合する。やはり自分のごとき闇が光と交わるのは無理なのだろうか。
ぱたぱたと足音が駆け込んできた。
「ロビン先生、ちょっと。確認してきてもらえます?」
「はい?」
「失礼します」
「もう良いの?」
「はい。大丈夫。もうすぐ10時ですよ?消灯時間をずっとオーバーしてるし。それに私のこれって本当は病気じゃないって言うんでしょ?」
「・・・・」
「原因はわかってます。でも治らない」
「たとえば催眠療法とか試した?例えばロビン先生の方がくわしいと思うんだけど相談してみたら・・」
「もう良いんです」
ナミはきっぱり言った。ヒナはそれを見て溜息をついた。
「けど今夜は無理は禁物よ」
「はい、だって後はみんなが寝静まったところにこっそり入り込んで寝るだけですよ」
クスクス二人で笑いあう。
出口のドアを開けた所で入ってくる人とぶつかりそうになった。長身のその人の胸の辺りにナミはぶつかった。
「え?ロビンせんせ?」
「ナミちゃん?貴方一人?」
「いえ、今日はヒナ先生がつきあってくれましたよ」
「そうじゃなくって!」
ロビンの顔が青い。
「班の誰もお見舞いに来てないの?」
「え?」
ここからロビン先生はヒナ先生の方をちらりと見て声を落とした。それを見たヒナ先生は心得たとばかりに向こうを向いて何かの文献を開いた。これぞとロビンはナミに耳打ちする。
「部屋にもロビーにもお風呂場にも、貴方の班の子、誰もいないのよ」
「えーーーーー!?」
二人ですぐに飛び出した。
建物の中には誰の姿もなく、彼らの雨具もなかった。
「心当たりは?」
ナミは首を横に振った。
「今日の夕方から、ビビとは口きいてないんです」
「どうして?」
「その・・今日・・ビビと・・ケンカ別れしちゃって・・・」
「あら」
ロビンの声には攻める意味合いは含まれていない。
「仲良しの二人はよくケンカするの?」
「いいえ。初めてです。だから、余計にどうしたらいいか判らなくって・・」
心細さに鼻の奥がつんとする。でもこんな事で泣くもんか。
「原因は・・・私の事かしら?」
「先生!?」
「・・・ごめんなさいね」
ロビン先生の手がナミの頭をポンポンと撫でた。
「でも、彼らを見つける方が先だから、とりあえず彼らごと探してからこの話はしましょう」
「は・・はい」
「いた?」
互いに首を横に振る。若い先生達が何人か気付いて室内は探してくれた。だが見つからない。
外の雨は小雨になった。けどまだ降ってる。
他の子に気取られる訳にいかず、カク先生やパウリー先生は見回りついでにしか探せない。彼らからまさかと思うが・・と昨日のアスレチックの方面への捜索が提案された。
まだ探していないところ。
皆が行きたがるところ。
それか、誰かが行きたがっていたところ。
「もしかして!」
ロビン先生が呟いた。ナミも頷く。
この度の間、ただ一人、非常に行き先にこだわっていた奴がいた。
二人が玄関に走り出ると丁度フランキーが濡れながら入ってきた。
「おめぇら、今から外出禁止だぞ??」
「ああ!フランキー!船から来たの?ルフィ君達を見ませんでした?」
「いや。俺はキャンプファイヤーの後始末。サニーなら明朝の準備もがっつり終わってるし、準備万端よ?」
"Quand meme. "
ロビン先生が頭に手を当てて口の中で何か呪文のような外国語を唱えた。何を言ってるかは判らなくてもナミと同じ気持ちなのだけは判る。
雨の中、ロビン先生は傘を手にして飛び出した。ナミもその後ろについて走り始めた。
二人、傘を開いてはいるが走っているとそれらは邪魔になる。邪魔のついでにぐちょぐちょに濡れながら何も言わずに港に向かってる。
港には今日出航予定だったサニー号が残っているとフランキーが言ってた。
サニーはメリーに比べると小さい。少人数用の島への船だ。島巡りの参加メンバーは希望者から抽選で選ばれる事になっているのもこの船の大きさのせいだ。
「ビビ!」
「ルフィ!」
「何、馬鹿なことやってんの!?」
声が響いた。