奇跡の島〜ゾロ ver.2


 




「滞在中はそっちを使え。」
キスグの顎の示す方向にはやはり寂れた離れがあった。
「但し今から精進潔斎にはいる。女は禁止じゃ。飯も抜く。水のみで4日間。ワシに付き合え。」
断食なら船の上で慣れている。それでこの刀が戻るならなお容易いことだ。
にわかに活動し始めたキスグは別人のように動作が速い。祭壇に灯りをあげ、儀式用の品やら道具やら必要な物を奥からだしてくる。
「解った。俺のすることは?」
「今からは薪の準備じゃ。本格的には3日目に手伝え。後は座禅でも組んどれ。」
「動いて良いのか?剣が振りたい。」
「他の剣を使うと潔斎にならん。錘ならそこいらにあるのを使え。」
建物の裏手に鉄棒が幾本か置いてあった。
「嬢ちゃんは鍛冶場には近づかんでくれ。差別する気はないが、刀は女性を嫌うと言われる。特にコイツは一番の問題児なんでな。何があるかわからん。」
「それを守れば私は勝手にさせていただいて良いのかしら?」
「……嬢ちゃんはただ付いてきたわけではないな?目的は『島の宝』か?」
図星を指されて、ナミの瞳が大きく開いた。
「後でワシの頼みを聞いてくれるなら見せてやっても良いぞ。」
思いもかけぬ条件に黙って頷いた。小躍りしそうな気持ちをぐっとこらえていた。



鍛冶場の鞴の火は小さいながらも消えていなかった。
ゾロはその炎を大きくするように準備するキスグの言う指示に従ってただ黙って働いた。
必要なことをあらかた終えて、老人は黙って炎を見つめている。
部屋の中の温度は一気に上がり白一色にきちんと正装をした額に全身に汗が流れ始める。体内の毒を追い出そうと座禅を組んでいるように見える。
昼も夜もそのまま火に魅入られたように動かない。
横に飲み水の入った壷をそっと置くゾロが入ってきても動くことはない。
ゾロはその姿を横目で見ながら、指示が出なくなると日課の素振りに勤しんだ。
断食だけではない落ち着かなさを持った高揚感が身体を支配していて燃え上がるようだ。

二日目には、老人は道具と共に鬼徹も前に置いて、炎を凝視していた。
ナミは手持ちぶさたに過ごしていた。
二人は殆ど中に隠ったままか、出てきたゾロも殆ど口を訊かず鉄棒を振っているだけだった。
それならばお宝の手がかりをつかんだ今、一度町に帰っても良さげなものだが何となく立ち去り難かった。
ゾロの興奮もまだ熱が引かない。他の刀を老人の家の祭壇に預けて良かったと思った。
このまま手元にあったら狂気に引きずられそうな予感があった。



「やるぞ」
その夜老人が声をかけた。静かで、落ち着いた声だった。
その声と共にゾロの体内の熱はそのままだが、頭の中ははっきりと落ち着いた。

鍛冶室から鎚の音が鳴り始めた。
その音は澄んで家の後ろの山に響いていく。
山は丁度家の裏から山肌を深く削ったような形で、窪んだ奥が深い。

退屈でふと家の裏に廻ったナミは幾つかの古くて長い桐の箱の残骸を見つけた。
形状から言って刀を納めていた物と思われる。
(墓場の棺桶みたい)
物騒なこと考えているとその一つに『銘「初代鬼徹」』とあるのを見つけた。そのほかにも『村正』『落雁』などナミでも知っている妖刀の名前が見える。
(妖刀殺し……)

暇に任せて家の探索をしているうちに押入の巻物の中に古い家系図があった。
外では古化けた板を見つけた。元はしっかりした作りの看板だった物だ。
そのほかの古い書き物、巻物、写真などからナミは一つの結論を得ていた。


「もう4日目なんだけどな。まだかかるのかなぁ?」
二人っきりで全く出てくる気配もない朝に覗いて見たい気もするが、脅しが一応は恐い。
昼前に音が途絶えて、少しして全身を緋色に染め滝のような汗を流したゾロが鍛冶小屋から出てきた。
水に放たれた酸欠の金魚のように一気に外の空気を吸い込む。
「鋼の打ち直しは終わったらしい。後は爺さん一人の方がいいんだと。」
「ふうん。水・・いる?」
「ああ。」井戸の大きな手桶を一気に飲み干して人心地付いてから満足そうな笑みを浮かべた。
「凄えもんを見せてもらえた。
やっぱりあの爺さんただ者じゃねえ。刀鍛冶の神懸かり状態ってあんなに凄えんだな。
炎の中の刀は俺が使ってるときとは違って生きてるって感じがした。」
ゾロ本人も魂が抜かれたように恍惚な顔をして普段にはない饒舌さで喋っていた。
刀のことは通り一遍のことしか知らないが、はしゃいだようなゾロが始めて見せる顔をしていて、嬉しいような少し癪に障る気がした。

「あーー美味かった。」
もうゾロの潔斎は終わったので、体を拭き少しの粥をすすり更に人心地付いた。
「さすがに疲れた。俺、寝る。」
そのままの状態でひっくり返ったと思うと大鼾をかいて寝てしまった。
この島は常夏島で、年中この高温多湿の気候らしい。これなら風邪も引くまい。いつも船上で寝ているゾロだし・・とナミはあっさり放っておくことを決めた。
鍛冶室からは刀を研ぐ音が聞こえる。音楽のように響き、休んではまた繰り返されている。
ゾロはこの3日分の疲れで滅多に起きることはないだろう。



「ふう」
「終わったのかしら?」
夕方も遅くになって外に出てきた老人を見かけてナミは声をかけた。
「うむ。」
すっと立つその姿は最初に見たときの酔いどれ老人とは全くの別人になっていた。
酒色も完全に抜け、全身から漂っていた空虚感は自信を持った満足感に変わられてる。
一つの仕事をやったからでは片付けられない物があった。

満足そうな老人の側を柔らかい光を放つ光の玉が飛んで去った。
「蛍?」こんな鉄山に?あれは水の綺麗なところにしか出ないはず。
「いや、カネムシじゃよ」
老人が光の方にそっと手を伸ばす。触れないようにしながら山の方へ手をそよがせ、追いはらった。
「今日はまだ早いぞ。」
孫を見るような目で光を見ている。
「カネムシ?」
「ああ、ワシらの俗称じゃ。本当は難しい名があるらしいが、誰も覚えようとせん。
鉄の守り神じゃよ。」
「守り神?」
光の玉はゆっくりと空へ登っていった。
老人は山の方へ飛んでいったのを確認しながら少し目で追った後にナミの顔へ視線を移した。
「そういえば嬢ちゃんと約束があったの。頼ませてもらうとしようか。」
当然好奇心は宝物の方にある。それともう一つ。



ゾロは充分寝た後のすっきりした感じで目が覚めた。
空を見れば晴天、日は中空に昇っていた。
(あんまり寝てねえのか?)怪しんで、小屋の方を覗くともう音はしないし、人の気配もない。
丸一日以上寝たのだと理解するには少し時間が必要だった。気付いて考えてみる。
もう終わったのだろう。では刀は、そして老人は何処へ行ったのか?
静かな家の中には老人の気配もナミの気配もしない。
「起きたか、へっぽこ。」
いきなり部屋の外から声がかかった。
相変わらずへっぽこ呼ばわりされるのがしゃくに障るが仕方がない。
「仕上がったのか?」
「当たり前じゃ見るか?」
「おう。」
つながった建物にある祭壇の部屋に案内される。
祭壇前にできあがった鬼徹が供えてあった。しっかり受け取り、さらりと抜く。
光、艶ともに以前とは比べ物にならない光沢を放つ。互の目丁子もくっきり鮮やかに帽子は乱込み地蔵返し、刀身の冴えもさながら渾身の研ぎの後がうかがえる。刀の重さと放つ妖しさは変わりなく、間違いなく自分の物だと思えた。
「良い出来じゃろう。」
「ああ。」
刀から目を外せないゾロに向かって自慢げに言う老人に心から賛成した。



「じゃが、まだ渡せんよ。お前にはな。」
刃の美しさに魅入っていたゾロは老人がいきなり何を言っているのか解らなかった。
「今のままではおそらくまた刃こぼれなんぞを起こす。」
「そんなことはねえ。大切にする。」
「腕もないしのお。」
「修行する!絶対使えるようになってみせる!」
ゾロは必死になった。己の刀だと確信を持った後だ。
そしてこの刀師にある種の尊敬の思いを確信した後である.
以前のような酔っぱらいの絡みなどではないことは解る。
しかし今頃になって何故このようなことを言い出すのか皆目理解できなかった。


「では・・女と引き替えに出来るか?」
浮かんだ表情の嫌らしさから出された条件がナミだと解る。
その瞬間煮えたぎった全身の血は逆流する。
「ナミは何処だ?」
声が落ちついて聞こえる時こそこの男は怖い。
その視線で幾らでも人くらい殺せるようになる。
その怒りを受けて喜ぶように手の鬼徹が妖しげな光を放つ。



キスグが隣の部屋に続くふすまを開けると光るひもに縛られたナミが見えた。
ぐったりと下を向いて座っているところを見ると意識があるのかはっきりしない。
「多少暴れられたんで、石英条で縛らせてもらった。
あれは衝撃を加えれば周りの物を全て切り刻んで砕けるガラスの紐のような物でな。
つまり貴様程度の腕で斬ればあの娘は簡単に全身が切り刻まれ、命の保証はできん。
悪いようにはせんから、このまま山を下りろ。
この刀も下手くそに手を貸すくらいならこのままここで眠らせた方がましじゃ。」

刀師が剣士の腕にこだわる気持ちは解る。この刀をかわいがる刀師の気持ちも。
だからといってハイそうですかとは言えるわけがない。
「うちの航海士を置いて行くわけにはいかねえ。」
「航海士だけならこんな盗人上がりではなく良いのを紹介するぞ。

………ふん骨抜きじゃな。そんなに具合がいいかこの女は。
ならば解き方はある。ワシが解いてやるから欲張らずに女だけ持っていけ。」
目つきに小馬鹿にした物が浮かんでいる。


誰に何を言われてもかまわないが、自分の生き方は自分で決める。誰にも邪魔はさせない。


「どっちのじゃじゃ馬も要る。両方もらっていく。」
そう言い放ち、真っ直ぐナミの前まで静かに歩を進めた。
大柄な体格の割には、剣士として染みついているすり足に似た歩き方は足音があまりしない。
ナミがゆっくりと頭を上げる。
口を塞がれているわけでもないのに何も言わず、ナミは正気で視線だけを絡ませた。
手中の剣を構える。先走りしようとする鬼徹を自分の呼吸と気で圧する。

ナミは目を閉じた。




外から見ていると剣を中段に構えたまま静かに降ろしただけのように見えた。

一呼吸の後ガラスの束はするりとナミの周りに落ちてバラバラになった。
斬ったときに柔らかい感触だった物が下に落ちて、音を立てて硬化する。
その切っ先は鋭利で、下手な斬り方で回り中に跳ねれば老人の言っていたことは嘘ではないことがはっきり解った。
抜き身の鬼徹を鞘に戻してからゾロは息をついた。


「怪我は?」
「んんっ平気。」
ナミを起こして、上半身を腕の中に抱きかかえる。
いつもと変わらぬ暖かさを確認すると同時に怒りがわいてきて、睨みながら背後を振り返る。俺の腕を試したいだけならそう言えばいいのだ。ただの悋気に付き合うほど酔狂な質でもない。
なによりナミを巻き添えにする下心が許せなかった。



しかし
そこに予想もしなかった顔を見た。




立ったままの姿勢でぼろぼろとキスグは泣いていた。


ただ涙が後から後から頬を伝って落ちる。
声も出ないまま立ち、溢れる涙を拭おうともしない姿に、怒りをぶつけようとしたゾロはいきなり毒気が抜かれてしまった。
監禁されていたはずのナミが黙って近づいて、手巾を渡す。
「付き合わせて、すまんかった。」
呟くような言葉を受けて、ナミは首を横に振った。
「これで?……」
「ああ、もう思い残すことはない。……ありがとう。」
大粒の涙は鼻からも溢れ、手巾に鼻をかむ。
「ありがとう。ロロノアよ。」





「暫し昔語りをしよう。部屋で一服してくれ。」
キズグは少し落ち着いてから一方的に声を掛け台所の方へ向かって歩いていく。 その後ろ姿を二人並んでみていた。
ナミの笑顔が少し悲しいときの顔なので、訳が分からなくなる。まさか?
「てめえもグルか?」
「そうじゃない・・そうじゃないのよ。あんたはわかんなくていいの。」

 


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