奇跡の島サンジもう一つの話 2






 「よぉ。」

 彼女の家の前でさっきの男が、少し高い敷石に腰掛けて煙草を持った左手を挙げこちらを 見た。
金髪の…

この顔は見る度に気が滅入る。シエルが引っかかったのもわかる。
 周囲に捨てられた煙草の吸い殻からかなりの時間ここにいたのだと推測された。


暴れる彼 女を押さえつけて言葉で攻め、気を失わせてからベッドにそっと運び、部屋を出た。
多少 の時間がかかったはずだが?
 
「おい、人喰い。美女はお休みかい?」 
「!・・何なんです?!あなたには関係ないと言ったはずだ!」
咥え煙草でニヤニヤ笑う顔が不快だった。何も知らない遊び男に彼女を玩具にされては 堪らない。無視して立ち去ろうとすると更にしつこく言葉を懸けてくる。
 この男の強さは身体が知っていた。さっきの蹴りが手を抜いた物だとわかっていても口の 中が切れてずっと血の味がしている。俺の頬も腫れてきている。おそらく明日人相が変わ っているだろう。 
「遭難したんだって?何日くらい?人の肉は美味かったか?」


 ……だからといってこんな事を言われて黙っていることは出来ない。一瞬息を止め拳を握 りしめ、男に掴みかかる。側に引き寄せた顔から懐かしい煙草の煙と一緒に思わぬセリフ が出た。


 「オレも喰った。大海賊の足を。」




 オレの科白に男は豆鉄砲を喰ったような顔をした。
 予想だにしなかった同じ経験をした者同士の邂逅。
自分の他にいるはずの無いと感じる孤 独。
否定してきた物との出会い。 

男の掴んだ腕がゆるみ、力が抜けたように足から崩れた。
やや速い呼吸のまま、頭を垂れ 力無く呟いている。 
「……ははっ…」

 少しして、呼吸が静まると座ったまま右手で髪を掻き上げて、オレを見上げた。 長くのばされたそれは、プラチナではなく白髪だった。 
「オレは134日目に助けられた。」
 「オレは85日。」
 同じ境遇の奴にあったら笑えるだろうか、それとも自己嫌悪で周りを壊したくなるだろう か。チビのオレは考えていた。芋を向いているときに、他のコックと殺りあっている時に。 顔も覚えていない女を抱いた後に。 

「少しいいか?」 
そう聞けば、すぐ側の奴の家に案内された。殺風景な部屋で、写真だけが数枚壁に飾られ ている。そのうちの一枚はさっきの彼女のものだろう。すこし幼いがふっくらした赤い頬 の美少女が、同じ傘を差して笑っていた。写真のしわや、縁の崩れ具合から、ずっと大切 に持ち歩かれていたのだろう。
その写真の後ろに少し隠したように飾ってある男二人の 写真に気が付く。白い帽子に白のお仕着せ。見慣れた格好の二人・・コイツの隣で煙草を くわえたその姿は確かに俺に似ていた。

 だされたお茶は物が良いわけでもないのに俺からみても美味かった。
湯気越しにテーブル の向こうに腰掛けた男の疲れた顔が映った。
 「あんたの顔はあいつを思い出すよ。」
 使い古された堅い木の椅子に座って、独り言を呟くように男は語り始めた。

 「望んでいった戦争じゃなかった。せめて海軍に配置されて喜んでいた俺達は、その裏に あんな地獄があるとは思っていなかったよ。
最初の航海で時化にあってそのままだった。
 水だけがあってお陰で命があるだけラッキーなんだろうけどな。」 
「ああ……地獄だな。」


 あの為なのか、以来俺の身体は太ることが出来なかった。身が軽いのは良いのだが、喰っ ても鍛えても格闘向きの身体になれない。そして左目の視力は殆ど失われていた。元から 左だけが弱視気味でそれ隠す為に髪を伸ばしていたが、なくした物を嘆いても仕方ない。 慣れればコックの道に邁進するには問題なかったが、目の前に自然に育った恵まれた身体 があると羨望は隠せない。それを認めたくなくて、奴とは喧嘩ばかりしている気がする。

 「遭難したときの怪我が元でジオはすぐに死んじまった。」
 たどり着けた島は岩といった方がいいくらいの小さな物だった。水は出ていたが生えてい た数本の木があるだけの食い物をアテに出来ない小さな島。目を閉じなくてもありありと描けるような小さな島。


 「俺はもう駄目だ」
 「何を言うんだ。」
 「気休めはいい。とんじまった足の感覚はおろか残った手足も冷たくなって・・さっきか らそこにある感じがしない。血が流れすぎちまってる・・もうじき俺は死ぬ。」
 「……」
 「死んだら俺を喰え。喰って、生きて国に帰れ。あいつを守るんだ。」
 「出来るわけ・・ねえだろ!」
 「やってもらうぞ。あいつが誰を好きでも俺は守るって決めたんだ。そのためなら何だっ て使う。お前の気持ちなんて解ってやらない。良いか?俺を喰って連れて帰ってくれ!」


 あいつは全て解っていたんだ。
俺の気持ちも。そして残される者の幸せと地獄も。
 「確かに俺には選ぶことが出来たんだ。喰って得られる生か、そのまま埋めて迎える死か を。運命って奴を恨む時間はたくさんある。でも目的のためになら人の道なんてどうでも いいって思うことにした。俺はやりたいことをやると誓った。自分で決めたことだ。奴の せいだなんて塵ほども思っていない。」

 「でもお前・・辛そうだけどな。」
 「そうか?」
 
少し黙って茶を口に含む。そして視線を俺に向けた。

 「ところでお前はいつ遭難したんだ?今でも俺よりずっと若そうに見えるが…」
 「………9歳」
 「………そうか…その年で……辛かったな。…偉かったな。」
 テーブルの向こうから大きな手で子供にするように頭をぽんとのせた。
 「止せよ…もう子供じゃない……俺はもう大丈夫だから……」

 俺の顔に暖かい物が二筋走っていった。
 「えっ……あれ?……」


 「子供のお前が今ここに一瞬出てきたんだろ。お前はもう大丈夫かもしれないけど、9歳 のお前はホンの少し泣きたかったんだろうさ。」
 男…トゥクは閑かな笑顔をくれた。

 誰かに聞いて欲しかった話だった。しかし俺の立場はそれを許されるわけじゃない。

 トゥクは続けた。
 「一人で帰ってきたとき奴の家族は何も言わなかった。怒声を浴びせても良かったのに。 言えなかった代わりのようにその後奴の母は亡くなってしまった。 そして彼女は責めはじめた。」 
………
 「奴は・・ジオは親の再婚で出来た彼女の義兄だった。彼女にとっては家族で婚約者だっ た男だ。そいつを死なせて一人俺が帰ってきて、友人とはいえそいつを喰っちまったなん て、許せるわけがないだろう?」 


「俺…彼女の手・・見えちまった。」
手首を示しながら話の穂を継いだ。
 そうか…視線を窓の遠くに向け、溜息一つ吐いてトゥクは再び話を続ける。
 「俺じゃなくて自分を責めるんだ。放っておくと勝手に自分の身体を傷つけている。 人に責められないと理性を保つことが出来ない。
 いっそ俺を殺してくれりゃいいのに。
でも俺が死んだって彼女が楽になる訳じゃないって 解ってからは他にしてやれることがないんだ。ただ、口だけでも責められてりゃ楽になる らしくてな。 だからって親父さんも年だ。こんな辛いことさせるわけにいかない。 そんな辛い役目・・オレが背負ってやるしかないじゃないか。」

 死んで欲しくて助けてくれたわけじゃねえぞ と言った声がサンジの身体の奥に響いてい る。 生者は許してくれていた。死者も同じではないのだろうか。

 「そこまで…お前の責任じゃねぇだろうが?」
 その言葉に視線が俺を見据える。

 「男が女にこだわる理由はたった一つじゃないか?それともお前にはそこまで執着できる 女は居ないのか?」

 言われてたった一人の顔が浮かんだ。 浮かんでから彼女一人だけという事実に自分で愕然とした。

今まで知らなかった。 基本的に俺は女性が好きなんだと思っていた。 
この船に乗ってすぐの頃に優しく笑いながらナミさんは言った。
 「誰にでも優しいって誰も好きじゃないのと同義語よ。サンジ君って自分も好きじゃない んじゃない?」 
責めるわけではないその言葉に、口では打ち消しながらも否定できない自分がいた。 だが海賊として旅立って仲間との目まぐるしい日々の間に不要な心の鎧が脱げていった。 そして女なら誰でも良い訳じゃなくなっていると確信できていった。 そう気付かせてくれたその人に、大きな物を背負いながら自分で立つあの人に惹かれてい る自分がいて、その二人ともが大切な女性のはずだった。


 トゥクは、黙って動けなくなった俺の顔をじっと見て静かに微笑んだ。
 「だったら解るだろう?辛そうに見えても俺のためなんだよ。」

 辛そうだが幸せに笑った背後の窓から西日が差し掛かっている。夏島のきつい日差しに目 を開けているのもきつい。目を細めているときつい日差しが少し揺らいだ気がした。見直 すとなんでもない。陽炎のようなものだろうか。




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