奇跡の島サンジもう一つの話 3





 その日船へ帰るとぐったりした動物二匹とその看病に大わらわなクルーが居た。体毛の多 い馴鹿はともかくも、この熱帯の湿度の高さに鳥もくたばったらしい。暑気負けといわれ る物だと病人の一人が診断したところで事態は落ち着いた。
 「忙しかった?ごめんね一人で辛かったかい?・・あれ?ナミさんは?」
 「大丈夫・・ナミさんなら宝探しに行ったっきりですね。」
 「彼女なら一人でも上手くやるだろうけどな。」
 「おい・・俺も居たんだぞ。ったく野郎の心配をしないのがお前らしいよ。」
 氷を運びながら長っ鼻がぼやいていた。

 暑気負け用の冷たい食事と普通の食事、そして昨日から仕込んでいたスープを仕上げる。 それを水筒に詰めて、再び彼女の家に出かけていた。 

本来他人にそこまで入れ込むことはないのだが・・ただ・・これは他の奴には解らない感 情なんだろう。



 空いた右手でドアをノックして、返事を待たずに部屋に入った。
 「昨日は途中で居なくなってしまうから寂しかったですよ。」
 「誰?」
 「ということで押し掛けて参りました。」

 にっこり微笑んでみせても彼女は窓際の一人用の小さなテーブルの横にある大きなアンテ ィークの椅子に座ったままにこりともせず、視線をまた逸らした。 洋服は相変わらずのひらひらした物で、体が中で泳いでいるところを見ると、昔から着て いた物なのだろう。これも拘りの一つなのか・・それとも?


 後ろに持ってきたワゴンの中のお土産は良い香りを放っている。トゥクのお陰で最高の状 態に準備できている。
 「いきなり訳の解らない男に連れて行かれたから心配しましたよ。」
 「ごめんなさいあの人は知り合いなんです。非道いことを言う人ですけど。」
 トゥクのことを持ち出すとやはり反応がある。しかしそれだけの話で、仮面様の顔貌を変 えもせず冷たい返事が返ってくる。
 そのまま爆弾をぶつけてみる。


「そんな非道い奴なのに君は彼を愛してる。」
 「…………」
 「手首に傷を作るくらいにね。」
 「……不躾じゃないですか。勝手に人の部屋に入ってきて。」
 少し上擦った声で返事を返した。顔は横を向いたままで、ただ両手が膝の上で震えている。
 「まあ人喰いの男だしな。君の財産狙いかなんじゃないのかい?」

 「!あなた、失礼だわ」
 少し荒げた声と共にこちらを向き俺を見た。
向いてくれないと話にならない。


 「君は…人喰いが許せない訳じゃないんだろう?なんでそこまで自分を責めるんだい?」
 少しの逡巡の後でようやく蚊の泣くような声で返事があった。そしてまた下を向いた。


 「……私は許されるべきじゃないのよ。」


頑なに無機質な声で呟く。昨日の様子と何ら変 わりはない。このまま自分を放棄していこうとしている物の姿だ。 その方が楽なことはたしかにある。 
「人は・・生き物は皆許されてるよ。」
 「?宗教家なの?神様にとでも言うつもり?」 
こちらも見ないで軽く鼻で笑った。
 「神なんてクソ小せぇ。全部の命に、全部そこにある物に、だ。」 
俺の言葉が届いたのか、ようやく怪訝そうに俺を少し見る。 
「俺は料理人だから忘れない。少なくとも俺達は自分が喰ってる物に許されてる。 受け入れて自分を喰う奴を許してる。喰われてそいつの血肉になり別な形で蘇る。 俺達は自分の周りにある物全てに居ることを許されてる。」
 ワゴンの皿の蓋をそっと外す。持ってきて暖めなおしたスープの湯気があがっている。 その香りはせめて彼女に届き気付かぬうちにでもそのこだわりを解してくれないだろう か?

 「仲間の医者に聞いたんだけど喰った物はどうなるか知ってる?血になって全身を巡って、 その人の肉になる。形を変えるだけで食べられた物はそこに存在する。 死んで塵になっても大地や海に帰るだけだ。そこにあるって言うことは変わりない。 消えちまうんじゃなくて形を譲り合うだけなんだ。 命も、想いも、体も、心も、皆等しく回帰する。 だから想いってのは人を動かす物で縛る物じゃない。 だいたい失礼だよ。自分のやってることを人のせいにするなんて。」 


暖かい湯気のたった皿と料理人と名乗ったサンジの姿に昔の記憶が重なる。
義兄を初めて受け入れた時の幼くて頑なな自分を。

 あれは・・父親が再婚して、まだ間もない頃だった。
流行病で熱を出し、食欲もなく、日 に日に弱っていく私に彼がそっと一皿のスープを持ってきてくれた。近所の父と懇意の料 理屋で教わって自分が作ってみたと言って照れて笑ってくれた。そこにずっと前から私も よく出入りしていて、料理のイロハはそこで教わった。私にとってお袋の味の店だった。
 彼の指先には無骨に貼られた絆創膏が幾つも残っていた。
 熱で味などわかるべくもなかったが、   美味しかった。

 新しい家族に馴染もうとする努力は無理をすればするほど義母と義兄の二人を傷つけてい たのだ。ただ皆が怒るのが嫌で、自分のせいでおかしくなったら困るから無理にでも笑っ ていただけで・・本当には見ていなかった。自分も、皆のことも。
 「ありがとう……」
かすれた声で言ったら耳の先まで真っ赤になったのが見えた。 ドアの外に義母の足音と嗚咽がした。
あれでも気にしてるんだ、自分がここにいても良い のかって
彼は真っ赤なまま頭を掻きながら笑って言っていた。
嫌なら我慢することない んだぞ。言えなかったらこっそり俺に言えよ。義兄貴なんだからさ。 


料理人になりたいと専門学校の寮に入ったときにこれもあのスープがきっかけだったと笑 って言っていた。
「美味い物喰わせてやるからな!」と誇らしげだったその笑顔が懐かし く蘇る。
 こんなに優しい人達だったのに、こんなに愛していてくれたのに。 私は義母も義兄も二人ともを裏切った。 
愛されていないと思いこみ亡くした母ばかりを恋しがった。
 専門学校の友人だと連れてきたあの人に一目で恋に落ちていた。
 望まれて婚約までしていたのに、家族として義兄として慕っているだけだと気がついた。
 抑えられない気持ちを持ったまま沈めてしまうつもりだったのに、 帰ってきたのはあの人で、義兄さんじゃなかった。

 こんな私は許されない。



 サンジの上に重ねた影に告白のように告げる。
 「私は愛されていたのに裏切ったの・・婚約までした癖にあの人を好きになってしまった なんて、お義母さんだってずっと優しくしてくれていたのにありがとうって伝える間もな く過ごしてしまった。その私が二人がいなくなったからってあの人と一緒に過ごすなんて 夢を見ることは・・そんなことは許されてはいけないのよ。」

 これが彼女が隠していた事だった。

 サンジは紫煙を吐いた。その香りは懐かしい人の物と同じだった。


 「皆知ってる癖に忘れちまうんだよな。知ってるはずだよ?自分が愛され、許されている ことを。自分で・・自分を縛っちゃいけない。君が裏切っちゃいけないのは自分の心だ。 人の期待に応えられないってことは罪じゃない。君を責めているのは君だけなんだ。 そしてそのことが反対に周囲を傷つけている。
きちんと目を開けて向き合って見てる?」

 全身がビクッと反応する。 私は・・また私しか見ていなかった?
 小さい頃の、寂しがりの私と一つも変わっていない? 遠慮しているふりだけで、責められることで自分を守っていただけなの?

 「甘えん坊さん?愛していたわ。あなたも愛せる人と出会って生きていってね?」 
死んだ義母の声が聞こえた。息子の死に耐えられなかったのだろう彼女はあの人だけが帰 ってきてじきに亡くなった。今まで忘れていた言葉。なぜなんだろう覚えていたはずの末 期の言葉。撫でられた頬に残る柔らかでか細い手の触感。 私は忘れても体が覚えていた。


 日の落ちる時間が近付いてやや薄暗くなる部屋にいても遠くに鳥の声が聞こえた。 陽の落ちる頃に鳴くその鳥の声は、夕暮れの郷愁と、昔を思い出させる。
 思い出に流されていく私を黙ってみていた彼がそっと声をかける。 

「他人が君を許してくれなくても君が君を許してあげればいい。人生なんて簡単さ。 それだけのことなんだ。」

 黙って自分の思いに捕らわれていたのに、始めてスープの優しい香りに気が付いた。
 湯気の向こうに義兄さんと一緒の金髪が揺れていた。 
今始めて彼の顔を見た気がした。 優しい光をたたえた右目。 人生を簡単という彼はいったいどれだけ傷ついてそこまでたどり着いたんだろう。

 香りに誘われ、スプーンを取りそっと掬う。今度は手が揺れない。少しのスープを口に 入れることができた。 
「美味しい…。」
煙草をくわえた口端だけがニヤリと笑った。

 「何で・・ここまでしてくれるの?」
 「俺は今、さっき言ったことを気付かせてくれた奴らと一緒にいるんだ・・最高だ。 だからってわけじゃないが…」
 その大切な仲間にはまず見せない自分の仲間への誇り高さが彼を輝かせていた。
 彼はそのまま、隣室につながるドアの側に行く。

 「あとはそこの彼に聞いてくれ。聞きついでに自分のこともきちんと話してみな。」
 ドアを開け、奥を指さした。

みればトゥクがドアの後ろに立っていた。 話を聞いていたのだろう。最近見せる顔ではなく、初めてあったときの…自分が一目で惹 かれた優しくて哀しげで静かな笑顔だった。


 「美味い物を喰ってもらうのが俺の仕事だし、美女が減るのはクソ勿体ねえ。」
 笑顔を残して振り向き、じゃあと後ろ姿で煙草を持った右手を挙げて、そのまま部屋を出 ていってしまった。
ドアの向こうになぜだか集まっていたカネムシ達が彼のシルエットを 薄暗い部屋の中に浮かび上がらせてくれた。 その背中に大きな翼が見えた気がした。





 「お母さんはね辛いときに天使にあったのよ。疲れて自分で歩けなくなったときには色ん な人に会ってよく見てご覧なさい。背中に翼を持った方が居て、道を示してくれるの。 そうしたら足が痛くても自分で歩いてみましょう。そうやっていけば周りがよく見えて幸 せが何処にいるのか気が付くことが出来るわ。」 
「カネムシの奇跡の力じゃなくて?」 「いいえ。いっぱい悩んだ普通の人が作りだす力よ。」
 「あのね・・羽根・・お母さんの背中にも見えるよ。」
 幼い子供はそおっと母の耳に囁いた。告げられた母のふっくらした頬に赤みが差した。





The End



私は宗教ではないベジタリアンさんの考えが苦手です。
生き物は命をやりとりして生きていく動植物全てを含んだ世界の一部だと思うので、
そこにランクを付ける考え方が苦手です。

サンジの漂流は長いですよね。
その間をキッチリ覚えているつもりでも記憶の錯誤は
後から彼を襲うと思うので、辛いと思います。
そのサンジが受ける癒しと、他者に振る舞うことで得る癒しを
書いてみました。
男性はなんで我慢して飲み込もうとするのでしょう。
ルフィと旅だって、己の傷を真っ直ぐ見つめる彼はいい男になったと思います。
普段はあまり良い想いをさせてあげないけど。

 中編