【  初 戀 】7


イッシーが公務で城を離れる場合には飼育用のラパーンが支給される。
野生種よりもおとなしいそれは雪の上ではかなり早い移動が出来る。ドクトリーヌはそれに乗ったオズワルドと出会い、遅らせたと後で聞いた。着いた途端アビーの悲鳴を聞いたことになる。

ドクトリーヌはチョッパーを叱ることは一切しなかった。
その件には全く触れず本人と数事話をして、戻って二人の前で告げた。
「肌は一度から二度程度、なんとかなるだろうよ。だが問題は目だ。」
目、やっぱり!チョッパーの目の前にあの光景がもう一度再現された。今度はアビゲイルは大きく見開いた瞳にカシンの汁が襲いかかる・・。


「先生。」
オズワルドは身を乗り出した。
「アビゲイルはあたしが診る。」
それを制するようにくれはは告げた。
「ドクトリーヌ!オレが主治医を!」
矢も楯もたまらずチョッパーは大きな声を出した。彼女は!オレが治してやりたいんだ!
重い溜息と共にくれははじっとチョッパーを見上げた。人間型の彼は大きい。その圧迫感でくれはに詰め寄る。後ろからオズワルドも立ち上がった。二人の大男がくれはを見下ろした。
だが全く動じることなくくれははきっぱりとした口調で告げた。
「お前達・・相手が見えないから良いとでも思ってるのか?自分の名をちゃんと名乗れるのかい?」
「!」
言われて気がついた。そうだ、彼女はトナカイのオレを知ってる。なのにこんな姿でチョッパーだっていったらきっと怖がられて・・口もきいてくれなくなって・・石も投げるかもしれない。
嫌われたらどうしよう?
それは嫌だ。

「お前も。」
くれははオズワルドを見上げた。身だけは乗り出すようにくれはを見つめていた彼は眉根をよせ、唇を噛んでいる。
「まあね。今は見えないからまだいい。だがあの子を治すって事は目を見えるようにすることだ。その時に、医者としてお前はあの娘の前で堂々と名乗れるかい?」
「・・・・いいえ。ですが。」
「そしてどうだい?そして自分一人で治せる自信があるとでも言うのかい?」

男は二人ともそれぞれに口を固く結んだ。それぞれが、それぞれの理由で。
「ならあたしが主治医で、お前達は助手って事にするしかないだろう。しかも今は怖がってる。見えない視界と先が不安で怖がるのは当たり前だ。だから二人一緒にこんな大男が取り囲むことは止めな。そうだ、お前達背格好もそっくりだしいっそ二人一役にしときな。交代で彼女を診ると良い。」

え?

でも弟子に逆らう権利はない。
「判ったよドクトリーヌ」
「はい。判りました。Dr.くれは。」



**


真っ暗にした部屋で光源が壁に揺れている。医師は向かい合って座り、後ろに二人。目の検査を一通り。くれはは嘆息すると大きなレンズの入った器具を下ろした。
「生命は問題ない。足はくじいた程度だ。目については後で説明をするからね」
くれははもう一度包帯を巻いたアビーを自室に戻し、小さい明かりだけの暗い部屋で目頭を押さえた。






「駄目だ。角膜が全層性にやられている」
「それでは・・・。」
このままでは視力は戻らない。

三人の医師の胸に同じ単語が浮かんでいる。
移植・・・今のドラムでは失われた方法。だが昔日の技を持つものがここにいる。
「貴方なら!出来るはずだ!」
「そうだよ!ドクトリーヌにならできるんだろう?」
オズワルドとチョッパーと男二人の声が重なる。思いが同じせいなのか、寸分違わず思いを二重に伝える声。
「ギャーギャー煩いったらありゃしない。けど無理だよ。」
くれははあっさりと答えた。らしくない一言だ。
彼女の腕を持ってしても出来ない?アビーはそれほどの重症なのか?

「材料がない。」

暫くして冷静な一言がくれはの口に上った。
移植用に最適なのはロシュの魚の瞳。
「ミンナに使った物の耐用年数があれだけあることは証明できてる」
先日の村の綺麗なおばあさんの瞳を思い出す。
「他とは生着率も耐用年数もが格段に違う。この子の年と状況を考えたらそれしか選択肢はない。
  だが今じゃロシュは幻の魚だ。」

オズワルドが陸上に揚がった魚のように口をぱくぱくさせた。
「乾燥したものなら倉庫にあったじゃありませんか?」
「おや?あたしゃ倉庫に入っても良いと言ったかねぇ?」
「入るなとも言われませんでした。」
「ふふん。」
なんだって?オレも知らないことを何でこいつが??
どうやら、こいつはドクトリーヌの術書だけでなく道具や材料の確認もしていたらしい。ドクトリーヌも許可も静止もしなかったんだろう。だが許可を受けていなくても覗いてみるその執念に近い奴の行動にチョッパーは今はいけないと思いつつちょっとドキドキした。

本気の男の証だ。

「無駄だ。フレッシュが最適なんだよ。昔研究して取り置いてはみたがドライは損傷が大きいらしくてね。生着率は他と同じで耐用年数は下がる。生きたロシュが幻になって二十年。北湾の、あそこの急峻に深海に潜る海には居たとされるが・・。もう生死すら確認されない。」
「なら俺が行くよ!ドクトリーヌ!採って来れたらアビーの目は助かるんだろう?!」
「馬鹿をお言いでないよ。海に住む魚をどうやって泳げないお前が捕りに行くんだい?カナヅチが」
「うっ。」
初めてこの身を恨めしく思った。悪魔の実を食べた自分は水に愛されない。水に愛されて居る生き物にはこの手は届かない。
人間型になっていてもやはり俺はトナカイだ。トナカイの手はものを掴むようには出来ていない。
「アレをアタシが最後にみたのはもう20年も前だ。捨てるところがないと乱獲されて、総量が少しずつ減っていると囁かれながら・・それからは漁師の網にさえ掛からなくなった。」
「ロシュは本来深海の魚だ。海王類に次ぐものだ。偶然上がったものしか手にできない。諦めるしかない。そして、一番の問題は糸だよ。」
「糸?」
「いくら最上の絹糸でもどうしても抗原性が除去できない。」
異物反応が起こりやすいということだ。角膜の異物は視界を失うに等しい。術後は良いが早晩又視力を失うことになる。
「前のオペじゃ?」
「この原料も絶滅してる。」
ドクトリーヌが諦めたと言うことは本当にないということなのだ。
それでは、アビーは・・材料さえあれば治るのに。

「・・・ドクターくれは?もし、もしですがそれらが解消できたならば、手術は可能ですか?」
「あてがあるのかい?それともあたしの腕がさび付いたとでも言いたいのかい?」
真剣なオズワルドの目にくれはもその自信も語る。その姿に奴は息を深く吸い込んだ。次の一言が出てくるまで、彼の舌は縛られたように動かなかった。
「私は・・師匠に譲られた鉱油を持ってます。そこから手繰る糸の技術も私が受け継いで王には内緒で研究を重ねています。ただ目のオペに使うならば極細い物が入り用でしょう。」
「ナロンの糸か。クレイはあれに成功していたんだね。お前に出来るかい?」
くれははさらりとその名を明かした。チョッパーは鉱油の糸なんて聞いたことがなかった。オズワルドは自分の言葉がすぐに通じた事に安堵したらしくふうっと息を吐いた。
「炉はうちにある。他の材料が有る場所は見たんだろう?」
「ならば精密な作業故に力と腕のある助手が欲しいのですが。」
「そいつがやるだろうよ。」
くれはは顎でチョッパーを指した。
良く判らないままだが大事な助手の話がオレ抜きでどんどん進んでる。興味とプライドとどっちもでぐらぐら揺れてる。けどそんなこと言ってちゃいけない、辛いのは、アビーだからオレの事なんてどうでも良い。
「そうですね。あとはロシュ。」
「・・・・・・・・。」
二人は小さな窓から外の雪を眺めた。
「医者が・・お前が諦めないなら、あの子は失明は免れる。」
「はい。」




****





目が覚めた。
真っ暗だった。
わかるのはそこまでで視界が暗い理由など判るはずがなかった。

喉が渇いてる。
だが何処に何があるのかさっぱり判らない。手を伸ばせば布の感触。寝所だ。部屋は火の気を感じないが暖かい。
判るのはここまで。何故自分がここに居るのかもやはり思い出せなかった。
なじまない部屋の感触は自宅ではないことを示していた。

顔がヒリヒリしている。唇も、頬も。
そして包帯で覆われた目。暗い理由はこれだと分かった。
覆われているからこそ少しひりつく感じは少ないが余計に不安になる。
自分の身体はいったいどうなったのか?見えないのは包帯のせいではなくて自分の目が本当に見えないのではないだろうか?

手に柔らかい毛が触れた。
誰か居る・・・?居るの?誰?
一瞬びくっとしたが柔らかい感触に気持ちは落ち着いた。
暖かい・・生きている毛皮だ。僅かに暖かい獣の臭いがする。
獣に覚えがあってそこから記憶が引き出された。
そうだ、自分は・・。

「チョッパーなの?貴方・・と言うことはここはドクターくれはのおうちなのね?」
手触りのリアルな感触と自分の声で現実に気がついた。
そうだ・・自分はカシンの実の液をかぶってしまった。目がずきずきと痛んでいる。気づくと痛覚も戻ってきた。聴覚も。包帯の上から目にそっと触れると目の前の生き物が深く息を吸い込むのが聞こえた。




手をさまよわせる彼女に声を掛けたかった。だが話すことは今のチョッパーには憚られる。
しばし考えて、伸ばされている手に自分の毛深い頬を寄せて優しい頷きでその意を伝えた。
「・・・・暗いわ・・・今は夜?」
来るであろう質問にチョッパーの体がびくんと震えた。だが伝えねばならない。ここは安全だなら。オレが守るから。
今度は首を横に振る。その触感は彼女に伝わる。その手がぴくりと一度震えるような跳ねるような感触がある。
「では・・窓はある?」
アビーはゆっくりと息を吸って、そして静かに吐いた。
そっと自分の目に反対の手を寄せた。
目を大きく覆う布の触感が伝わる。すっぽりと顔半分を隠すくらいの布で封をされている。
「・・・そう。じゃぁ私の目は、見えていないのね」
チョッパーの身体が震える。それは何よりの肯定だった。




暗い。
いつまでもどこまでも、暗い。
気付いてしまえば目が焼けるように熱い。
Dr.くれはがくれた薬も、診察の後ひんやりした水で洗ってくれても熱い。
燃え上がって身体ごと焼き尽くされそうだ。

不安を抱えたまま外界から閉ざされてみると言うことは常に己と向き合うと言うことだ。
向き合えば焼き尽くす触感にいつも封印してきた想いが血潮を吹き上げる。

目の怪我を受けた者は常にこうなのだろうか。
眼の裏で見たことがないほど丁寧な礼をして冷たく遠くに行ってしまった姿が亡き父と重なる。





ドアが勢いよく開いた。
チョッパーにもアビーにもその直前までの足音は聞こえなかったおかげで二人してびくつくことになった。
「アビゲイル。」
「はい。Dr.くれはですね?」
「ああ。久しいね。」
「ご無沙汰しています。」
アビーはアビゲイルが名前なのか?
ドクトリーヌは何で知ってるんだろう?
前に診たことがあるのかな?患者の事ならドクトリーヌは忘れないから。
ドクトリーヌはそんなチョッパーの思惑は一切無視して話を切り出した。
「落ち着いたかい?ちょっと話があるんだが。」
「私の目のことですね。」
答えるアビーもきっぱりとした声だ。
「ああ、判ってくれているのなら話は早い。主治医と患者の話だ。チョッパーお前は出ておいき。」
え?俺が居ても良いでしょう?そうチョッパーは瞳で問いかけた。だがドクトリーヌはあくまで真剣な瞳でもう一度静かに彼の名を呼んだ。
そういわれると出て行かないわけにはいかなかった。




「さて。お前の目にはアルカリの強いカシンの原液がかぶった。その結果角膜が全て爛れてしまった。このままじゃ見えない。」
もうアビゲイルは驚かない。

「このまま失明ですか?」
「ああ。・・このままならね。」
アビゲイルは一瞬だけ息を止めて、それから両肩の力を抜いて吐き出した。
「そうですか・・ホッとしました。私にもようやく罰が降りたんですね。」
「罰?」
「そうでしょう?だって・・先生もご存じでしょう?私は他人の視力を奪った女ですよ。」
次の一瞬、空気が破れたかと思った。
「そんなことのために罰なんか下りるかい!馬鹿言ってんじゃないよ!!」
アビーは少しだけ竦んだ。今はくれはの顔は見えない。それでも声と気迫だけが伝わってくる。
そして隠されている優しさも。
目で見ているよりもきっと声の方が本当の気持ちを隠せない。見えなくて伝わるものは思っていたより沢山ある。
それでもアビゲイルはあえて口を開いた。
「でもあれは私が悪かったんです。全て。」
「『全て私が悪いんです?』そう言って救われたつもりになるのはお前だけだ。誰もなおりゃしない。」
くれはの声は怒りと何より大きな悲しみに満ちている。
悲しみは伝播するのか、私の中の想いが火を噴いた。
「だって。今の世の中で、治療なんてしたら先生が!」
私は冷静に判っていたつもりだった。なのに声は戦慄いた。
口の中に涙が流れ込んだように液体が溢れてる。
「私は他人の犠牲にして生きてきた身なんですよ。更には生きているだけでもワポルに目を付けられかねないんです。関わってしまった者達が許されるはずがないじゃないですか。ましてや医師が・・。いくら偶然その場に居合わせたからって私の治療などしたらそれだけで破滅ですよ!」

「破滅か・・。ま、医者もただの気弱な人間だ。そんな危険は冒せない。けど相手に心があれば。相手が賭ける価値があるのなら。それも本望かもしれない。」
零れるようなDr.くれはの声は私への答えには聞こえなかった。思い出す人でも居たのだろうか?
だがそれはホンの一瞬。
次にはいつもの少し絡みつくようなだみ声に戻っていた。
「医者ってのはただの手伝いだ。体ってのは自分がなおすもんで、医者ってのはその手助けや方向転換をしてるだけさ。だから治す意志のある奴にしか手伝えない。意志を失えば心も身体も一緒に死んでしまう。」
「・・・・・はい。」
「治せるかもしれない患者がその意志を亡くす。体は損なわれてしまう。そうすれば、それを救えなかった医師の心も死ぬ。簡単な医者殺しだね。」
え? あまりに現実と離れすぎて言葉の意味が捕まえられなかった。
「Dr.・・」
「医者を殺すのなんて簡単だよ、説明を聞かない。自分の辛さに逃げ込む。辛いくせに検査や治療の痛いのは嫌だ。治す気がない。怒りをぶつける。医療者がそれを耐えるのが当たり前とされているし慣れちゃ居るがね。ワポルの馬鹿が出てくる前にはそんな患者ばかりになってた。」


まだこの島が平和だった頃。一時Dr.くれははもう死んだとされていた。何の音沙汰もなかったからだ。
昼でも夜でもどんな簡単な病気もすぐに診て貰えた時代。そうでなければその関わった医師が抹殺された。
黄金と称えられたその時代にも裏の闇はあった。
いくらでも医師はいると使い捨てとも呼ばれた時代だ。説明する態度が怖いと言っては訴状にあがり、不幸にも患者を助けられなかった医師には全て重罰が与えられた。その直後にワポルが医師制度をひっくり返したので今ではあまり取りざたされない話題だ。

それでも父が死んだ直後、ワポルに医師達が逮捕され続けても残された医師達はゲリラ的に活動の火を消さなかった。イッシー達と地下に潜った者の二つに分かれて医療を続けた。
だが国王には逆らえないと先に諦めたのは国民だった。自分たちのために貴方が逮捕されるのは見たくないと医師を強制的に国外に逃がした。
一通りの争乱が収まった頃、またくれはの名は甦った。
稀代の悪名として。


「自分の身体に起こったことだ。患者は怪我もリスクも後遺症も副作用も全てを受け入れなくちゃいけない、それは生活も人生も全て賭ける大事だ。検査も手術も更に患者に辛い思いをさせる。嫌なことも多いだろうよ。
 けどだれよりもお前が最初に諦めるのかい?」

重すぎる選択だ。
だが自分の体なのだ。自分には判らないと投げ出すことすら許されない。
そんな当たり前の選択をその昔から、そして今でもこの島の国民達は忘れてしまっていなかっただろうか?


くれはの声は落ち着いていた。
「今、お前を治したいと思って走り回ってるひよっこが居る。」
アビーははっとなった。見えぬ目で勢いよくくれはを見上げる。
「今回の件ではあたしも諦めかけた、がそいつなら命を賭けてでも何とかするかもしれない。だがやるだけやって期待して痛い思いもして・・結果治らないかもしれない。それはそれでお前に傷が残る。だが治療を拒否することはそいつにも深い傷を残すことになる。」





包帯の外れた少年は最初は笑って見舞いを受け入れてくれた。
(ごめんなさいごめんなさい。 馬鹿だなぁ、お前のせいじゃないよ)
申し訳なくて行くたびに何度も謝り続けている内にもう来るなと言われた。
(おまえのせいじゃないっていってんのに)





悔しさと申し訳なさが混在して、嗚咽がこらえても溢れそうになる。だが今の自分はそんな資格はない。
耐えていると嗚咽の代わりに涙は溢れて包帯をぬらした。

「ま、ただのヒヨッコだ。助手にすら足りない程度だから余り質問なんかはされちゃ困るよ。だが、道具と材料が手に入ればそれでお前のopeをやる。治らなくても良いだなんて、あたしの患者にそんな我が儘言わせる気はない。」

アビゲイルは言葉に詰まり、ただ深く頭を下げた。







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