【  初 戀   】 3


「ソウハクヒ〜♪ショウ〜キョウ〜♪ナンテ〜ン♪ネ〜ギ♪」
今日は晴れた雪道が眩しい。唄いながらチョッパーはは昨日覚えた咳に効くクスリの復習をしていた。
生薬は年中採れる。緑が萌える気候に採る物もあるが、葉物は実って効果が葉に幹にと溜まった秋に多い。
根に蓄えられた物ならば季節はまちまちだ。だから冬の最中でないと手に入らない生薬は多くはないが確実にある。
ヒトヒトの実を食べる前、教わらずとも身体が欲しい生薬を知っていた。実を食べて失った獣の力の代わりに今は知識がチョッパーの身体を育てている。

以前は様々な薬種を扱う専門家がいたと言うが、医師の衰退とともに今ではめっきり減った。ドクトリーヌは元々自分の薬園を持ち、なお山野の植生の地図を自分の頭の中に持っている。チョッパーはその場所をドクトリーヌのたった一回の足で教えてもらっては一つ一つ覚えてきた。だって山は自分の庭みたいなものだ。ドクトリーヌは一度しか教えてくれない。絶対に集中することも教えて貰った。だがドクトリーヌの薬庫にはこの国でも入手困難な薬がなぜかとぎれず供給される。この島にないはずの物まで手に入れて入れている不思議をチョッパーはまだわからない。また不思議に思うことはあっても次々に覚えなければならない膨大さの中にそう言う物は埋もれてしまっていく。



今日は人間型になって籠に道具を入れて雪道を歩いている。
最近、自分が人型になるととても大きくなることに気がついた。初めて変身したときには自分なのに自分じゃなくて、池の氷で覗いた姿が恐いから余り変身しないようにしてはいた。が、変身した姿も少しずつ育っている。今では育つのが面白いと思ってる。そして手が、指が使えるようになった。まるで産まれたときから付き合っているみたいに今では指が器用に使えるようになった。しかも籠の作りは所詮人間が持ちやすいようにしか作られていないのでこの方が楽なのだ。
振り返ると素足の雪の上の自分の足跡は人間のものに見える。
振り向いた先にナンテンの赤い実が見えたのでそれも取って籠の中に入れておいた。

「クワーの木の根っことショウキョウの置いといた奴の掘り出しかぁ。」
今日のドクトリーヌの指示はそれを夕方までに籠一杯取って下洗いと乾燥の準備をすること。
「嫌な咳の患者が増えてたもんな。補剤にしちゃ上出来だ!」
ドクトリーヌの指示の裏が少し判ってエッエッエッとチョッパーは声に出して笑った。独りの時は出来るだけ言葉を口に出すようにしている。教わった医療を忘れないようにするために声に出せとはこれもドクトリーヌの教えの一つだ。
「俺がしゃべる相手なんてドクトリーヌくらいだからなぁ。でも内緒でもオレはちゃんと話せるぞ!」

人語を話せることは他の誰にも内緒だ。これは自分の戒めで人里に降りるときには特に気をつけている。
姿の方は変身しなければいい。ドクターくれはに従う鼻の青いトナカイであるだけなら人は遠巻きにするだけでそれ以上に恐れられて逃げられてという辛い思いはしなくて良い。だが、二度ばかり町中で声を出しそうになって不審がられたことがある。不意に背後から向こうずねを蹴られてしまったときと、荷物のあまりの重さにかけ声を出してしまったときだ。
嫌な視線を知らぬ振りをしてもかなり長く迄不審な視線は消えなかった。
最近では自分も言葉のわからないトナカイのふりが巧くなったと自信がある。







最初の目的のクワーの木は山の中腹の大きな物で、ここまで人が来ることはほとんどない。
今日は雪もなく空は青い。空気は余計に冷え込んでいるが、歩いていれば日差しが身体にしみこんできて気持ちいい。トナカイで、更に雪山生まれのチョッパーにとって人間型になっていても耐寒性はちっとも変わらない。
歌などはほとんど知らないけれど鼻歌交じりで足取り軽く歩いていたチョッパーは思わず立ち止まって、あわてて茂みに隠れた。
遠くからでも目に付く目的の大きな木の下に、小さく細いながらも動く人影を見たからだ。



獣の習慣で自分の身は隠して、息を殺して茂みからじっと目をこらす。心臓がドキドキ言っている。人間はやっぱり恐い。まだトナカイだった頃の、化け物と礫を投げられた頃の恐怖が身体にアドレナリンがカッカと回してくる。なにかと跳ね出してしまいそうになってる。
(人間だ・・・)
やや小柄なほっそりした人間が一人で木の下に立っていた。大きなフードを被った、余り大きくはない。まるで子供みたいな大きさだ。これなら恐くないかもしれない。いざとなったとき、俺の方が大きいし。

相手がゆっくりと振り返ったときにフードから一筋の髪が溢れた。
黄色い長い髪!上気して赤い頬。まるで・・

ヒトヒトの実・・悪魔の実を食べて身に付いた能力の一つに色彩感覚があった。嗅覚や聴覚はトナカイのままなのにトナカイ時代よりもはっきり見える世界にそれだけはこの身に感謝した覚えがある。さっきのナンテンの実も子供の頃にはあんなに美味しそうに見えるとは思わなかった。

子供や女性がこんな山奥にまで来るなんてあり得ない。けどどう見たってこの人間。この横顔。

これ・・女の人間だ!

しかも俺のクワーの木に向かって何かを話している。
俺の木っていってもドクトリーヌに教わった物だし、森のものでしかないんだけど。
あれだけ大きくないと根をもらったら枯れてしまうから。
けど俺がクワーをもらいに来るのはこの木と決めてるから・・。
あいつに取られたらどうしよう!?


ドキドキしながらチョッパーはその人間を見続けていた。フードの下から薄桃色の唇が見えた。それがゆっくり動き始める。声がチョッパーの耳に響いた。
「この冬の最中じゃ、いくら貴方が島一番の木でもさすがにもう葉はないわよね。」
空に吸い込まれそうに高く澄んだ声だった。

彼女は人に話すように木に声をかけて、そっと一歩進んだ。白いミトンでその木肌にそっと触れる。
「困ったわね。他も無かったし、貴方だけが頼りなのに。」

綺麗な声だなぁ、とチョッパーは思う。人間の声なんて珍しくもないはずなのに。でもこの森の中で、この木と話すなんて変な人間だ。そうだ!?何故木の下にいるのだろう?
葉が要るのかな?養蚕用?ならば今は繭の時期だから必要ないはずだし?
木に向かってあの人間は何をして居るんだろう?
次々と思いがチョッパーの中を巡るけど、声も出せずに彼女をじいっと見つめていた。

そこにいるのは人間なのだ、そう思うだけで半分の自分は逃げたくなっている。今まで森で人に見つかってよかったのはドクターに会えたことだけだった。普通は怒鳴られて、ものを投げられたり追いかけ回される。逃避したくなっても当たり前だとは思う。

けれど、なぜか今日はその人間から目が離せない。恐いのに、逃げられない。

煩悶の中、小さいけれどチョッパーの耳に独り言が聞こえた。
独り言というよりは木に向かった話しかけているようだ。

「家の在庫はもう無いし、根まで掘る道具なんて持ってないし。せっかく来たけどどうしたらいいのかなぁ?私、みんなの咳の為に貴方の葉っぱが欲しいの。何とかならないかしら?」

どきっとしたチョッパーの心臓が早鐘を打つ。咳の為に葉が?それって薬として使うって事?

小さな女の人間は小さな袋を肘にかけて大きめのミトンの両手を合わせてこすりながら拝むように大きな木を見上げている。まるで木が言葉をわかると思っているかのようだ。
声色を聞き分けることが出来るほどチョッパーは人間を知っているわけではない。だけど優しい、邪気のないいい声だとチョッパーは思った。
なんだか彼女の方から暖かい風が吹いてくるような気がする。
もっとよく見ていたい。そんな気持ちが沸き上がってくる。
静かに、動かさないようにと思いながら足に力が入る。


いきなり吹いた雪交じりの強い風が彼女のフードの中から髪を何束か引き出した。
暖かくなった毛先からチョッパーの鼻に先日かいだ香りが届いた。

カミツレ。
昨日嗅いだのと同じ、甘い、優しい匂いが伝わってくる。


心臓はもっとドキドキしてくる。
驚きのあまり足下がちょっと動いた途端、隠れていた木の枝から雪が落ちてきた。
はっと我に返ると焦りがピークに達する。
しまった!
今の俺、人型だ!








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