【  初 戀  】 2




次の日にダダの家に嵐が到来した。

「やめてくれ!!」
「患者はここだねっ!」
「違うっ!!俺のはただの腰痛だ!俺んちに財産なんてないぞ!!!あんたに診てもらう事なんて無い。頼むから放って置いてくれっドクターくれは!!」

ドクターくれははこの粛正を生き延びて闇に潜んだ医師だ。推定年齢不詳。自称年齢137歳。
愛トナカイを率いていきなり人々の家に押しかけては患者を勝手に診断し、治療と称しては患者の財産をかっさらう。
くれははなんとか逃げようと必死に起き上がろうとしたダダを踏みつぶしてあっさり押さえ込んだ。そのまま背中の触診を始める。
「これがただの腰痛だって?冗談言うんじゃないよ。腰に加重の掛けすぎで圧迫骨折が二カ所もすすんでる。それから腰のところで椎間板が脱失しちまって戻れなくなってるじゃないか。歩けなくなって裏道に倒れてたって?当たり前だ。こんなので歩いちゃ終いにトイレにも立てなくなっちまうよ。」

ダダが叫んでも他の誰も入ってこない。Drくれは到来の報に慌てて集まってきたはずの若者達も彼女の放った刃物数本で外に追い出されたままだ。逃げようにも身体は痛むし、くれはは優雅な動作であっさりと大男のダダを押さえ込んでいる。

くれはは一室を占拠し、処置の間中、自分の愛トナカイ以外の他のものが入ることを許さなかった。絶叫するダダの声の他には部屋からは持ち込まれた怪しげな器械の音ばかりがぐわんぐわんと響いている。さらに集まった村人がこわごわドアが開くのを待っていると音がやみ、ダダの苦痛を含む声がひときわ高くなってから、静かになった。
「まさか!」
三人ばかり若いのがドアを開けて飛び込んだ。
「ああ!」
治療の痛みには声を絞っていた薪運びのダダは最後の説教付きの包帯巻きに悲鳴を上げていた。
「こんな状態になるまで我慢したお前が悪い。」
くれはが自分の鞄に色々詰め込んでいると、飛び込んだ若者が抗議を始めた。
「城には・・・書類を出したんだが国王の判断で『治療の必要なし』って。町長もその審査に異を唱えに行ってくれたが門番は黙って門を閉ざし、通せないの一点張りだったそうです。」
「ここまで行ったら薬は効くわけ無いよ。あきらめな。・・っとよし!これで治療終了だ。安静は8日、それ以上は無駄だからとっとと起きな、それから薪はこびは一ヶ月は待つんだね。」
「待ってく・・冬のシーズンが終わっちまう・・。」
「シーズンで一生を棒に振る気かい?判ってんならきっちり寝ときな。それと冷やすんじゃないよ。」
ダダは唇をかみしめながらも首を縦に振った。それすらも痛みが響いたがさっきよりも腰は大丈夫になっている。思わずため息が漏れた。
「・・ドクターありがとう。」
「礼一つでびた一文負ける気はないよ。」
くれはは小さく書かれた紙切れをダダの布団の上にはらりと落とした。
「腰のギプスはおまけでつけても財産の60%だからね。」
「60%!?」
「そんな!」
「ひどいっ!」
連呼される罵声にくれはは一瞥をくれた。
「お前達のうちの誰が、あたしに文句があるんだい?」
周囲は一気に静まりかえった。鍔を飲む音ばかりが小さな部屋に響く。静まりかえった中に暖炉の薪の音がぱちぱちと響いた。ダダの商売用の薪とは違うものが暖炉の横に積んである。彼は自分の商売物には手を付けないと知っていた一人は黙って首を傾げた。だが部屋はもう暖かい。くれはがぽおんと薪を竈に放り投げた。からからっと音がして細めの薪がぱっと燃え上がる。その暖かい炎が柔らかく揺れている。
そしてくれはは外の連中に手を伸ばした。逃げ腰で後ずさりした一人の首根っこを上から押さえつける。
「それからお前ら教えな。イッシーの小僧どもが又人体実験をやってるって?この情報料は治療代から引いてやるよ。」
「それは・・。」





ドアは乱暴に開けられたにもかかわらずくれはが出た後に音もなく閉まった。家を揺るがすような振動は無く寝所も落ち着いて腰への影響はほとんど無い。そして竈から柔らかい薪の爆ぜる音が聞こえる。

暖かくなった部屋でダダは眠気を感じ始めていた。
先ほど処方された薬が効いてきたらしい、痛みの緩和と共に誘うように甘美な睡魔が襲ってきた。薬がこんなにありがたいものだったとは。そう言えば痛みのあまりここのところずっと寝ていない。部屋の空気も慣れた香りの中にもう一つすがすがしい香りが混ざっている。それを嗅ぐと痛みも薄らぐ気がする。
痛みを忘れることの出来る喜び・・それを思うと涙が出た。アビーには気の毒すぎてみせられないが痛い物はやはり痛い。昔のように普通に医師さえいてくれたなら、診てくれたならこんな辛い思いは誰もしないで済むのに。そう思いながらダダは痛みの緩和してきたまどろみに浸されていく。夢の中では昔の医師達が笑顔で迎えてくれていた。そうだ、この国では何処に行っても最上級の医療を受けられたのに。






くれはは外に出るとポケットの梅酒の瓶をぐいっとあおった。まばらな道行く人たちの背中も丸くなりうつむいてしか歩けない。空の厚い雲よりも重い空気が街を支配している。
「いやだね。医師を側に侍(はべ)らすだけじゃ満足できないのかねぇ。国民の健康を踏みつぶして一体あの小僧は何をやらかすつもりやら。」
言いなりになる医師だけは王宮に集められた。国中探しても他に医師はいない。全ての医師は追放され、一人獄中で命を落とした者もいた。許可なき医療行為は許されず、病人がうめく横で逮捕された者も居た。
今は、診察に国王の裁可が降りないとどんな重体でも医師に診てもらえない。怪我も病気もこの国の国民に打つ手はない。その中でドクターくれはは唯一と言っていい在野の医師であったが、お尋ね者で居住地は不明。診察と強引に押しかけた後、財産を根こそぎ要求する。
その為国民がいくら病を抱えていても彼女に相談する人ももうこの国には居ない。


愛トナカイがいつしかくれはの後ろに寄り添っていた。くれはの指示を待たずに彼の背中に繋いだ橇に荷物を乗り込ませる。器用に咥えた紐をぎっちり結わえてトナカイは作業を続ける。

外気は冷え込み頬を刺す。深々と街に森に雪は降りながら全ての音を吸収してゆく。
積もった雪と降る雪の合間で視界もとれない。そんな冬島の冬の真っ盛り、昼の街中とはいえトルクの道を行く人は少なかった。
道を急ぐ者はぎっちりと服を幾枚も重ねて着込んでいるが、大なり小なり皆ひどい咳をしている。遠くからも大きく響く痰の絡んだ咳が聞こえる。その音は駆け出しのチョッパーにも判る。気管支系の咳だ。早晩肺に広がって命を落とし兼ねない咳だ。
「嫌な咳が流行ってるもんだねぇ。」
独り言のように呟くくれはの問いに小さな声でチョッパーは答えた。
「流行するかな?ドクトリーヌ」
「悪い予感がするよ」
黒のオーバーの下にはへそからピアスの見えるドクトリーヌが一言だけぽつりと呟いた。風に紛れそうな微かな声だったけどチョッパーの良い耳には聞き取ることができた。


チョッパーは知っている。ドクトリーヌは有象無象に大勢の患者を相手にすることはない。些細な風邪なら寝れば治ると言って歯牙にもかけない。見た目が派手でも治療がさほど不要な怪我ならば「唾でも付けときな」とけんもほろろだ。
それ故に誤解されやすい点もある。大げさに己の傷や病気を訴える者、真綿に来るんだサービスが当たり前と思いこんでいる患者にはこうなる前から訴えられたりなおしてやっても文句ばかりを並べられたらしい。それでも彼女は己を変えず、旋風のように現れて、終わっては身を潜めるだけだった。

その彼女は遠くから聞こえる咳の方向をじっと見ている。
「荷物は積み終えたかい?」
声に従ってチョッパーは顔を上げた。町の人の視線が痛いのももう慣れた。家の中から、路面から遠巻きに視線もそらした中で、払われた財産の乗った橇を引きながらチョッパーはふと鼻に紛れ込んできた微かな匂いを捉えた。

「ドクトリーヌ、薄い薬草の香りがする・・これはお茶?」
「カミツレか。」

カミツレは不眠にも効くが、咳にも効く。お茶にして湯気ごと飲むのが一番良い。惜しむらくは単品では効果が弱い。医師が渡すものには相乗してクスリを重ねるから効き目が倍加、三倍加する。
(民間療法か)
「あそこの茶屋だね。」
街の一軒の店の煙突から煙が上がっていた。看板にはティーカップ。ドラムの人たちも老若男女よくお茶は飲んでいる。本来茶の木が育つに適しない土地であるためか、香草茶も多い。また寒い土地柄にあわせてうんと沢山の砂糖や濃いめの乳を入れた油脂茶も代表的だ。
「ちょっと・・少し強い薬の臭いがするよ?」
「ああ、あそこは元病院だった所だ。」
「だから未だに薬草茶が残ってた?」
「そうかもね。失われたと思っていた技術だったが、かき集めた奴が居たってことか。」

諸々の病の予防に効く香草茶の秘伝は医療大国となってゆく途中で散逸してしまった。どんな病気でも必ず医師が治してくれる。国民はなんの心配も要らない。そんな黄金時代にドラム国民が慣れてしまった時にはそんなちんけな技術は不要のゴミだった。
ところがそのささやかな技術を失った後に、一瞬にして医師が、最高の医療が国土から消されてしまった。

治療よりも予防が良いに決まっている。本来前者は医師の、後者は家庭のものだったはずなのにドラムの国民は一切を卓越した一部の人だけが持つ技量に預けた。命は助けられて当たり前になった。
ところが。
今では簡単な薬屋もすべて国王のものだ。国民のためには一切が許されなくなってしまった。国政の内の医療一つを押さえ込んだ結果まさしく国民の命の一切を国王が掌握する国になってしまったというわけだ。
国民には病に倒れる事や老いや臨終を受け入れる事が出来ない心だけが残った。命を自分で見つめなくなった国民はその重さと軽さを扱いそぐねてはそのストレスに倒れた。人の怒りは国王にむいたが、その先には更なる粛正が待っているだけだった。

後には予防も民間療法も失った何も出来ない国民だけが残された。



チョッパーが茶屋の分厚い木の扉を見ているときっちりと着込んだ小柄なおばさんも背を丸めて咳をしながらその戸を開けた。暖かい空気とその中で振るまわれている香りが開扉によってこぼれてきたのだろう。優しい香りにトナカイとはいえ寒さに強いとはいえチョッパーの縮んだ気持ちが少し柔らかくなる。
「なにやってんだい。」
思ったより遠くなっていたドクトリーヌの声にチョッパーはあわてて蹄を返した。



人は簡単に死ぬ。
絶望の上のこの事実はゆっくりと、しかし確実にこの国の国民の心に染みていた。








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