【  初 戀  】 1



トルクの街は医療王国ドラム島の中、ギャスタの西南に位置する。街の規模は中程度。医療大国を支えた薬に従事する人々の街であった。
だが、国王ワポルの命令により医師が投獄され追放された大粛正の後、一気に街の勢いも失った。薬の問屋も採取者もめっきり減った。一応商いは細々とは続いていたが、唐突に減った人と仕事の需要に街の活気は失われたまま淀んでいる。
しんしんと降り積もる雪の中、暗い街の路上にも家々の中にも、いつまでも続きそうな逼塞感に今日も街は飲み込まれている。
冬の最中だ。今日も風は吹いている。
闇の中だ。街灯も降る雪に邪魔されて足下まで届かない。
雪を舞い上がらせ、雪を運んで海から山に駆け上るその風はドラムの特徴だ。暖かい海からの風は冷えた大地へと向かう。
海沿いにもトルクの町中にもその風が通り抜けてゆく。冷たい冬島の大地で風は冷やされて鋭利な牙をむく。
風が目にするのは寂れた街。歩く人の背は丸く風に抗い、家々の明かりは賑わうことをしない。




対して島の中央、山頂に位置する王宮に灯りが消えることはない。夜の闇を嫌う国王の決定で絶えず部屋にも廊下にも灯りがともされる。
「廊下の灯りを絶やすな!」
「陛下のお怒りをかってはいかん!」
王宮の活動も昼夜の区別はなく国王の気分次第でのみ、その日の全ての王宮の活動は決まる。束縛を嫌う新しい王の、これも新しい決まりだ。
謁見も会議も気まぐれで、新王の施政で一番減らされた国民の陳情の時間すらもいきなり「1時間後の深夜」に行われることもある。
「国民のためにこのオレ様がわざわざ時間を取ってやっても誰も来んではないか」
王は鼻毛を抜いた手をふっと吹くと席を立った。

形ばかりの御前会議は一人の気まぐれによってのみ進められる。
ワポルの気に障るまいと音も響かないよう気を配られた静かな謁見の間で脇のチェスが静かな声で読み上げた。
「今日の議題は国民の医療にございます、ワポル様。その全能の知恵にて愚民共をお導き下さい」

現在の国民の医療の受給は国王が全ての裁断をする。
国王のためだけの医師団とはいえ、イッシー達の技術と質の維持のためには一部の選んだ者で構わないが最低限の数の一般人の診察及び治療が必要であるとイッシー達はワポルに上申した。
妥協点がこうなった。
「次の診療依頼です。ギャスタの腹痛が一件。水も飲めないくらいの熱と下痢でして高熱に腹部の筋満があります。虫垂炎の可能性もあり腹部手術も・・。」
「カーーバめ、食あたりだ!分不相応な飯を食うからだろう!断食させておけ!俺様でも判る診断になんでイッシーをださにゃならんのだ?」
「仰せの通りでございます。ワポル様。」
「流石!ご英断にございますワポル国王様。」
食事を終えたばかりの若い国王は自慢の大きな金の爪楊枝で歯をこすり上げるとその爪楊枝も同じように飲み込み嚥下した。国民の病状よりも爪楊枝の方が大切な事は疑うべくもありませんと両脇の臣下が新しい爪楊枝を差し出して追従を重ねる。
御前に控えたイッシーはいつものマスクと帽子と色つき眼鏡の下で気負うことも落胆する様も浮かべず表情を見せずに淡々と次の資料をめくった。
「では次はトルクの腰痛です。この半月一切立ち上がることが出来ないそうで、椎間板の脱失の可能性を伺わせます。手術的な処置を要する可能性があり、イッシーの椎骨手術レベル維持の目的としてもそろそろ腰を開ける手術をやっておいた方がよいと考えますがいかがいたし・・。」
「貴様、今日はなんの日か知っておるのか?」
「は・・?今日は御前会議の・・。」
追求する声に困惑した医師を睨み付けるクロマーリモの眉がくわっと動いた。
「馬鹿者!今日はワポル様のお体鍛錬の日ではないか!陛下の健康のためと貴様らイッシーが組んだ日程を忘れるとは何事だ!」
「いえ!忘れるなど滅相もない!」
とんでもないと答える横からワポルが口を開く。その口にはまた脇にあった花瓶が放り込まれた。バリバリと小魚を食べるように人よりも背の高いどっしりした陶器が跡形もなく崩れていった。
「わっかっとるんだろうなぁ。鍛錬の最中にオレ様が怪我などしたらどうする?骨など折ったら貴様らの命はないぞ?ああーーん?骨を診る医者がオレ様に付かずに他の何をする気だ?そんなことをするなら他も同罪だ!くだらん!もう聞く耳は持たんぞ!」

この言葉一つでもう御前の医師に口をきく権利は終わった。
答えも甲斐もなく今日の十五件の診察伺いは全てキャンセルされることが決まった。イッシーの代表は黙って手元の資料をまとめると深々と頭を下げて国王の前を辞した。
続いてその脇からもう一人のイッシーが顔を出した。
「国王陛下に人体実験の許可を頂きたく存じます。」
「ほう?」
もう会議は飽きたと言わんばかりの態度だったワポルがその単語に反応した。
「我々イッシー内科団は陛下の御身をお守りするための新薬を開発しております。この薬の効果は今まで以上に絶大になることが期待されております。しかし、その副作用の実験のためには御身を煩わすことは出来ません。出来うるなら国民の身体をして王のために供与させるべきかと存じます。」
「うむ、そーれは悪くないな、クロマーリモ。」
「御意。」
大臣にも主の顔に浮かんだ微笑みと同じ笑みが浮かんでいる。
「国王陛下に許可を受けたぞ、謹んで拝領せよ。」
「は!身に余る光栄に存じます。」



***




「まだ・・連絡はないの?」
雪はトルクの村に降り積む。
しんしんと、重く降り積む。

20歳になったばかりのアビーは痛み止めに聞くというお茶を煎れてダダの所にもってきた。
医師であった亡き父に世話になったからと年老いたダダはいつも売り物の薪の余りをアビーに渡してくれる。その薪を運ぶために腰を痛めたダダのために友人達は家に集まり、その診察依頼を王宮の医師団に図った。その返事を待ちわびて先に幾人かが人待ち顔で待っている。
そっとしたつもりのアビーのノックの音に皆一斉にドアの方を向いた。その視線を一気に受けたアビーはフードの下から少し苦笑いを浮かべて挨拶しながら隠せない皆の顔の落胆に気づかぬふりをした。期待を裏切ったような気がして申し訳なく思う。早く王宮から手術の知らせがこればいいのに。こんなに我慢しているその姿を直接診て欲しかった。
何人が部屋に詰めていても部屋の暖炉の火勢は弱い。怪我人の為なのだからと皆が薪を持ち寄ってもそれでもこの空気は暖かくならない。
アビーが周囲に勧められた長い木箱の上に腰掛けて彼に声をかけようとしたその時、待ち人は来た。

「今日の診察は一切が、ないそうだ。国王の決定だ。」

聞いた全員の中に怒りを含んだ気配が半分、そしてやはり・・と諦めのような空気が半分流れる。
国王の慈悲なき気まぐれにももう慣れた。ダダは若くもないがよぼよぼの年寄りというほどではない。しかし彼の瞳に映る諦めは限界まで老いた老人のそれと同じだ。

「ダダの件だけでも?やはり駄目だったか?」
「イッシーが正式に断りを入れてきた。」

イッシーは国王直属の医師団だ。今の体制になってからマスクとサングラスを外したことはない。年齢は様々・・だがまるで制服のように皆一様な外見でワポルのための医師として存在する。出来うる限り個性を消した一団をそう呼ぶようになってまだ日も浅い。そのうちの大半がアビーの知り合いだ。医師団の抵抗派の象徴だった父亡き後、残ったこの島の医師達は命を憂いワポルに従った。大半は島を追われて一部だけが保身を願い出て残された。

「医者が患者を診ないなんて。」

隅から小さく一言が零れた。堪えよう、耐えて生きていこう。そう言っていた国中の皆の誓いを思うと胸が痛い。そして父さえいてくれたらとアビーは思う。
「アビー。 私のことでそう怒ってはいけない。」
ダダの声に気づくと手元のマフラーを千切りそうになるくらいに掴んでいる自分がいた。だが怒っているつもりはなかった。
ただ、悲しかった。
「・・貴方が患者なんだから貴方こそが怒って良いのよ?」
「君が医者にならなかったことを君が責めちゃいけない。そうしたらこのお茶はここにないことになるじゃないか。」
ダダはアビーの水筒を受け取ってそれを軽く振る。笑ってくれようとして、笑顔は痛みに僅かに歪んだ。
アビーは首を横に振った。
「せめて父の代わりにイッシーが・・・」
優しいこういうときに真っ先に助けてくれたであろう医師だった父がいないことも。自分が跡を継いで医師になれなかったことも。全てがアビーにも辛い。だがそれを彼女が表してはいけない。もっと辛いのはダダの方だ。そして他にも救われないこの国の病人怪我人達だ。

アビーは目を伏せた。
「怒りは何も産まない。穏和だった貴方のお父さんもおいでならそう言うさ。」
横になり、身体も動かせないダダの茶色の目は静かに彼の中の嵐を示す。体の身震いは着込んだ服に隠されて彼の苦悩は皺に隠れている。静かな瞳だけはその奥に隠した芯からの痛みと闘っている。
「昔ならもう貴方の手術は終わって、きっと歩いてるのにね・・・・ごめんなさい。」
耐えられなくなったのは彼女の方だった。アビーが長い黄色い髪を振り立ち上がると、椅子にしていた木箱が揺れて空虚な音が響いた。


「あの子も辛いだろうに。父親は見せしめに獄中で殺されて、その王宮に勤めているのは裏切り者達ばかりときちゃぁねぇ。それに・・」
「国王が殺した訳じゃないよ。アレは・・不幸な事故だったんだ」
「みなしってるよ。けどそう言うことにしとこうかね?」
駆け出す彼女を追う者は誰も居ない。残った女が一人静かに口にしながら彼女が持参した茶入れから熱い薬湯を注ぎダダに渡す。家庭でよく用いられた痛み止めの効果の茶だ。今、薬は医師でなければ使用を許されない。代わりに彼女は散逸した民間療法をかき集めて調べた。野生のものを自分の足で丹念に集めた草たちからは弱くとも薬草の薫りが部屋に広がる。

「もう一件。」
そして報告していた男は次の王宮からの指示をこれだけは力強く読み上げた。
「そして。ワポル様の身体を守るべく心臓病薬の人体実験が国を挙げて行われる事になった。国民は国王のためにすべからくその身体を差し出せ、だそうだ。」
「心臓か。」
「ああ、心臓だそうだ。」
ため息が溢れる。
「そうか。国王には逆らえんな。すぐに私が国中から人体実験の人数を集めよう。」
隣村の代表を司る男が立ち上がり、壁から自分のオーバーを取り羽織った。今からならまだ冷え込みの厳しい夜にかかわらず、街を巡ることが出来る。
「頼む。私も明日中にはふれを回しておくよ。」
見舞いに来ていたトルクの町長は目で強く会釈した。



その次の日にダダの家に嵐が到来した。



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