剣士(後)





「ナミ。ゾロが斬り合いをはじめることは判ってたんだろ?」
「うん。あんただって、でしょ?」
「けど!ナミなら止めれたかもしれないじゃないか!カジは癌だ!食べられなくなってる!!いつ死ぬか判らない!あんな試合に耐えれるわけがない!しかもゾロになんて勝てるわけ無いじゃないか!」
「そんなこと知ってるわ。」
乾いた肌。吐き捨てられた飲み込めない唾。瞳は穏やかそうに見えたのにゾロを見た瞬間からその色を変えた。

「ならどうし・・・!」
「あんたにあれが止められるって言うの!?海賊のあんたが、海賊の男のあんたが!
 あいつらはアンタの患者でも一緒の船に乗ってるだけの仲間でもないわ!ただの!ただの……馬鹿な、命なんて誇りより下に据えちゃったただの馬鹿な剣士って生き物よ!!」
ナミの声は激情を秘めながらも静かだった。
「剣士が剣士を呼んだなら、どっちが優勢とか関係なくゾロがそれに答えたなら。あたしに何ができるっての?」
心は絶叫している。それでも彼らの戦いを邪魔できない。
ゾロのやっていることが端から見てはただの老人への乱暴な暴行でしか無くても、それでもナミは何も言えない。
慈悲も請えない。
いっそもっと強い相手と戦っていてくれたなら楽だ、ただゾロを信じて祈っていれば良いだけだから。
いっそルフィとの喧嘩なら自分も止められる。ゾロだから。
けど、アレはただの剣士だ。

預言のように二人には判る。
そうだ、カジは呼んだのだ。ここにずっと待って、ひたすら心で剣士を呼び続けた。
おそらくは剣士として死ぬために。
そしてゾロが現れた。


「ナミは・・それで良いのか?」
チョッパーは聞かずにはいられなかった。彼は知っている。ナミが、どれほど生きること、生き抜くことを大切にしているかを。お宝目当ての行動でもなによりも命が大事だと言い切るナミを小気味よいと思ってる。チョッパーが医師であり続けるのと同じように。
命よりも重い彼女の誓いが一番判る。
「・・・・・・・・。」
答えはなかった。ナミの拳がぎゅっと握りこまれていく。
「あたしが・・。あたしがすることは・・」
その拳をもう一つの手が更に握り籠める。
「帰ってきた馬鹿の脳天にこの手をぶち込むことだけよ」

ナミの手は色を失い、細かく、細かく震えていた。
ナミの怒りと覚悟。これほど重い物を今までの航海でも見たことはない。それはルフィへの絶対といえる信頼とは違う物だ。
仲間としてのゾロを戦闘に送り出す時すらこんなに震えることはなかった。
これは・・剣士としてのゾロ。剣に生きる男を、何を持ってしても呼び止められない生き物を見守る時のナミの覚悟と決意だ。






勝負は殆ど一瞬に付いていた。
構えた剣を互いが振り下ろした瞬間に決まっていた。
満足そうな笑みの横から真っ赤な鮮血が丘を染めよとばかりに吹き溢れ飛び散る。
その一部を己の頬に受け、少しゾロの目の前も赤い霧で染まる。


カラン。
カジの手が持っていた三日月を落とした。彼らにも音が聞こえたのは石にでもぶつかったのかもしれない。
その後で身体がゆっくりと沈み始める。


「貴方は・・強い・・・」
「良い試合だったぜ」

どさっとカジのカジノ身体は地に着いた。
ゾロがその横に跪く。

「これがお前を倒した男の顔だ。見えるか?」

ゾロのの言葉にカジは笑おうと顔を動かし・・満足げに途中で事切れた。
「強い剣士は忘れねぇ」
ゾロの言祝ぎは彼の耳に届いただろうか。

黒頭巾で刀の血糊を拭い、鞘に戻したゾロは、もうカジの方を見なかった。

そのカジの横に今までは見えなかった女性が立っていた。カジの遺体に濃紺に白く染め抜いた紋章の付いた大きな布をかけて。ただ立っていた。泣くでもなく叫ぶでもなく。ただ静かにその傍らに寄り添っていた。
一度だけ。彼女はそっと静かに頭を上げた。そしてゾロの方に一礼した。
ゾロはそれだけは目の端に捉えたようだった。





脇でナミの深呼吸が聞こえた。これも静かで深い呼吸だった。ナミの視線はカジが事切れてからずっと傍らの女性に注がれていた。

「チョッパー。先に帰ってて」
ゾロの方を見ながらナミはそう言った。チョッパーの答えを待たずにそのままゾロの所に走っていく。

追いついたナミをゾロは見なかった。
ナミも何も言わなかった。
それでも二人の歩みは同じ速度になり、影は一つになって歩いてゆく。



二人の匂いは遠くなっていた。
立ち去りがたかったチョッパーだが、女性の弔いの邪魔も出来ずゆっくりと歩き始めた。
「病気で死ぬより、剣を取って死ぬ方を選ぶのか・・」
思わず呟いた。癌の怖さはチョッパーも知ってる。彼は剣士として戦うために自分の命を秤にかけてゾロを待った。

自分は死の瀬戸際に何を見るのだろう?
医者としての自分に満足する・・あのヒルルクの様な死を迎えることが出来るだろうか。
ナミは・・あの瞳で見ていたナミはきっと何かを覚悟したんだろう。走りゆく姿に躊躇いはなかった。

生と死の瀬戸際の患者に医師の自分は何を語れるだろうか。

「患者に・・みんなに教わる事はまだまだ多いや」
自称天才外科医はこれにすら厭いたのだろうか?
荷を運びながらチョッパーの鼻には血の付いた鉄の匂いがいつまでも残っていた。

いつまでも。





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