地の蠍2 夜半にかけて冬の風は乾いて外気に触れるフードの下でも肌にぴりぴりと刺さる。
冬至の祭りが来ていた。
再生の祈りを込めるこの祭りは。最も夜の長い日に終焉を迎える。
昼の太陽の柔らかい光に暑さを忘れながらもこの時期にはよりいっそう雨が少なく、街々では王都や、河畔からの水の補給を必要とする。
生活が苦しくても祭りは行われる。いや、苦しいからこそ人はそこから逃れるように祭にのめり込んでいくのかもしれない。
昼間の街の喧噪はいつもより陰鬱にしかし熱気をはらんでいた。
だがもう花火も終わり、後は自宅や、店の中で静かに飲んだりするだけになっている。物資の欠乏は所詮無駄遣いを許す状況ではない。
店の灯は大半が下ろされていた。夜半にかけて急に冷え込んだように静かになった街に人影も減っている。街の灯りは冷気の中で遠くまで伸びている。まばらな人影は幽鬼のような長い影を作って見せている。
昔よりも静かな祭になったものね・・。
こっそりと城の抜け道から出てきたビビは思い出していた。
『ビビ!迷うなよ!』
『誰に言ってるのよ!って・・待ってよリーダー!この人込みじゃ・・・。』
伸ばした右手を掴んだのは同じく小さな汗まみれの手だった。
冬至の祭りはそのころには国一番の祭りとしてまだ盛大に行われていた。
その3日間の間、夜を撤して行われる。町中のいたるところで店や、踊りや楽団の音が途切れることは無かった。
幾ら自由に育っているビビでも夜の外出は禁じられていた。王宮にその光景や音は届かなくても空気を伝えるものはある。そのまま布団の中で想像しながら床につくのが習慣であった。
だが昼の大祭用の業務をこなしたビビを寝所まで迎えにきたのはコーザだった。
『外にみんないるんだ。祭りは今からが面白いんだぜ。行こう!』
その手をとるのに何のためらいも無かった。
隠し通路からこんな時間に黙って出て行くそのスリルに幼いビビの興奮は眠気を吹き飛ばした。
夜空を染める提灯の灯り。
ほの暗い店先々の昼には見せないような顔をした品々。
街の壁の色もいつもと違う光が広場に作る影と重なって知らない街にいるようだ。
砂砂団の皆と走りながら街を駆け抜け、城壁の外に並んで座った。
城にいたなら遠目で見えるだけの花火が今自分の真上に輝いている。
夜空に目が釘付けになった私を見て皆が肘をつつきあっていることに気がついたけど、気にすらならなかった。
自由の身で眺める夜空がこれほど美しいとは知らなかった。そして花火の光に浮かび上がる皆の笑顔が。
綿飴や焼きおにぎりの屋台を後にして部屋に帰らないといけなかった時、帰り際にどうしてもお礼が言いたかった。
巧く言えなくて城の入り口まで送ってくれたコーザの頬にそっと唇を寄せた。
パパにするようにしただけなのに、ものすごくどきどきした。
コーザも一緒だったみたいだ。暗いのに真っ赤になっていることが判って二人で思わず笑ってしまった。
そんな昔を思い出しながらようやく寝静まった街を独り歩いていたビビはふと物音に気付いた。
深夜の王都の町外れ。一ブロック先に乱闘の音が聞こえてくる。慌ててビビは走り出した。
「待ってくれ!その水はカトレアへの便なんだ!あの街の命綱なんだよ!」
腹を打たれたのか絞り出すような男の声と、2〜3人の人影がゆらりと見えた。
そのまま水樽の積み荷を動かそうとする音がする。
ビビは不敵にも微笑んだ。最近は減少傾向にあるとはいえかなり前から王家の威信を失墜させてきた連中。これを待って幾日も街を徘徊していたのだ。
幼かったときの誘拐事件以来鍛えられてきた。相手が2〜3人ではそうそう負けるつもりはない。自分の腕にそれくらいの自信はある。それも急襲するのはこちらなのだ。
簡単に詰んで、窃盗団のしっぽなりとも捕まえられる!とビビは確信した。
積荷ごと進む彼らの先回りをして、一ブロック先で待ち伏せた。
まずは出会い頭に先頭で荷を引く男の鼻先にスラッシャーをお見舞いする。姿勢を崩した男をそのまま手刀で後頚部を極める。返す手で、その後ろの男の手首を返し、そのまま身体ごとひっくり返した。
倒した男の右上腕に彫られた刺青に気をとられているうちに隙ができた。その隙を逃さずに飛び掛る残りの男をぎりぎり顎をかすめる蹴りでかわした。
押さえ込んだ男はそのまま間接を極める。まだ非力なビビにはスピードと技で勝負を決めるしかない。
だが、敵もそう簡単にやられてはくれなかった。極めた筈の男がゆっくり起き上がり頭を振った。
最後の男と二人並んでじわじわビビに近づいてくる。
「このまま帰ったら・・」
「ああ・・ただではすまん。子供に負けて任務が果たせなかったなどと言ったら今度は俺達がバロックワークスから追われてしまう。」
「・・・バロック・・ワークス?」
初めて聞く名だった。
この名前こそが・・失われたままの手がかりとなる。ビビはそう直感した。
押さえつけた男は既に失神している。残り二人をうまく抑えるには・・・・。
「逃がしてなんかやるもんですか。」
「ビビ様!お怪我は!!?」
気を失っていたのは一瞬だったのだろうと思った。
気付けばイガラムの声に起こされていた。
三人だと思って油断していた。よもや四人目が背後から襲ってくるとは思わなかった。
打ちつけられたらしい頭頂部がずきずき痛む。手足の傷は多少の出血のみでたいしたことはない。
何よりも悔しかった。イガラムの蒼白な顔に生気が戻っていったこともビビには見えなかった。
「お一人でこんな無理をなさるなど・・・。」
「逃がしたのね・・・私はいいからイガラム、調べて頂戴。
“バロックワークス”
きっと何かの鍵よ。たぶん水盗賊団の・・。
なんだか変な刺青があった・・。これも何か関係しているかもしれない。
でも・・まだ誰にも内密にしておいてね。」
「この馬鹿娘を監禁しろ!北の塔に篭めておけ!」
「っははっ」
護衛隊長に向かって王は命じた。こうなっては彼は逆らえまい。いつも優しいイガラムが辛そうな顔で近寄ってくる。
「イガラム!」
「姫様。失礼いたします。」
「見るべきものを間違えて下ばかり見とる小娘に説教される覚えなど無い!挙句そのざまか!」
「何を・・パパの馬鹿!ちゃんと聞いてよ!国のためを思っての事よ!何故無視するの?・・」
両腕を拘束されたビビは身体をねじりながらも父に向かっての言葉を止めなかった。
両腕をしっかり組んで、厳しい表情のコブラ王は下唇を噛んでいた。
「少々厳しいのでは?」
「ビビが国民と触れ合うことは何の問題にもならん。むしろ有益なことだ。国民からの視点を学ぶことができる。しかし国民の側から物事を見ているだけでは施政者として成りたたん。砂嵐と水の被害だけを見て、自分で乗り込むような態度でいるようでは許されん。己の分と役割を履き違えおって・・・。」
「姫様は聡明な方です。きっと気が付かれるでしょう。何故書庫のある北の塔に篭められるのかを。」
明かり取りの窓から光が射していた。そのほのかな光の中でビビの両眼から涙がぽろぽろこぼれていた。籠められた部屋が恐かったわけではない。父の真意が判らなかった。国中の人が水を求めて雨を求めている。父は確かに国民の生活を考えていると確信していた。その視点を少しずらして欲しかっただけなのに・・・・。コーザから伝えられる国民の王への不信は増加の一途をたどるばかりだった。それならば自分がその溝を埋める役割を持つのではと動いただけなのに・・・。
資料室として使われているこの部屋はかなり大きい。奥の方は書庫として色々な書類が運び込まれ、整理されている。国の雑事の書類は毎年膨大な量の記述を残している。部屋の奥の方にある長い机の上に乗っているのは最新のまだ整理されていないものたちだった。ビビを籠めた以上この部屋の仕事は中断する。昔はもっと小さな押入とかに籠められたものだが、私が大きくなったことの証拠かと少しむくれてみた。
泣き疲れ、お腹も空いてきたビビは、気を紛らわそうとそれらをパラパラとめくってみた。
初めはただの乱読程度だったが、次第にある種の資料だけが多いことに気が付いた。
整理されていない書類と、古い資料が混ぜて積み上げてあるのだ。
蒼白な顔をしてのめり込んでいくビビが居た。
「???なんで・・・・。これって・・・。」
部屋の扉を開けると既に就寝時間のはずなのに、まだ父のベットのサイドテーブルには書類が積み上げられていた。そのうちの半分以上が取り寄せた関連資料であることを目で確認した。
まだまだ父は大丈夫。昔からの精力的なところは変わってないのだ。
「ビビ判ってくれたか?」
「パパが言いたかったのはこのこと?」
差し出したのは気象年間。
各都市のデータの中で、明らかに増加の一途をたどる砂嵐の数。晴天日の激増。上昇する気温。変化のない海水温。
「国が荒れ始めた頃からうち続くこの数年の異常気象。原因不明・・と言うより見あたらない。それに新聞も見たわ。銀の高騰。この島近辺で起こる気象学者の誘拐及び惨殺事件。そして起こったあの冤罪事件・・・。とすれば異常気象も人為的なものの可能性が上がるのね。」
あの粉の・・あのせいで一気に不満は噴出した。あることないこと全てが王の責任と名の元に被らされてしまった。人々の生活への不満の火の手は全てを王家への怒りに変わったと言っても過言ではないあの事件・・。
コブラはまだ14に満たない娘の鋭さに舌を巻いた。それに気が付くとは思っていなかった。せいぜい国の歴史の一つでも読んでくれればいいと思っていた。現状を報告する目と口は古いこの国のこと、しっかりと確立されている。それらから現状と、異常とを見いだす力。そしてそこから始まる原因修復と未来への指針決定。王が持たなくてはならない能力はまさに此処なのだ。娘は思っていた以上に大人の視点を持ち合わせていることに誇りを感じた王は両手を広げて愛娘を抱きかかえた。
「我々は人の声を聞かねばならない。と同時に起こる事象を多角的に見る鳥の目・・俯瞰図を持たねばいけないのだ。人の痛みに同情するのは容易い。その人に手をさしのべ助けることもこれもまだ容易い。だが転んだ人を自立させるのは難しくなる。我々がするのは手を差し伸べることではない。起き上がりたいと願う人々が動き出しやすい場を作ることなのだ。
直接助け起こさない私を冷たい奴だと思うかね?」
ビビは首を横に振った。
「ごめんなさいパパ。・・・判らなかったの。」
「だがもう一つ覚えて置けビビ。この国は我々の先祖は砂と戦って此処まで来たのではない。あくまで砂と共に暮らしてきたのだ。砂を克服し、砂を支配することでは何の未来も見いだせない。それを間違えてはいけない。」
「砂と・・共存・・・?」
「さすがにこれはまだ理解できまい。だから・・今は心の奥にただ覚えておいて欲しい。」
父の声の静かな響きはいまだ衰えぬ威厳と冒しがたい尊厳があった。
「水を・・・配らせておられるの?お優しいこと。」
「幾つかの街に少しずつな。ちょっとのことで『英雄』呼ばわりだ。国王に恵まれない国の民はかわいそうなことだな。」
「王と国民を切り離させている張本人がおっしゃる台詞と知ったらその称号はどう変わるかしら?」
「ふん、そのころにはもはや王はいない。誰がどう呼ぼうと関係ねぇ。」
to be continued
このまま一気に3章へGO!!
第2章パパビビ(爆)