地の蠍3

「何が・・とはっきり言えないけれどおかしいわ。どこかで報告が歪んでいるという印象が拭えないの。もしこの国の仕組みがきちんと働いていなかったら?受けるはずの報告が正しく届かず、宮殿からの呼びかけがきちんと届いていなかったら?」
ビビは窓際に座り蒼い晴天を覗いていた。このどこかに、人為的な砂嵐が作られている・・。
少し前までは何の手がかりもないままそのまま町を徘徊した彼女が少し落ち着きを見せ始めていた。もって生まれた気の強さ、まずは己が動いてしまうガキ大将気質は最近姿を消していた。だが幼少時から傍にいたペルにはその姿も嵐の前触れのように見えた。
彼女の呟きは自分にかけられたものだろう。
「そのために各市長、町長の会議も頻繁に行われているのですから・・・。」
「その会議からしてパパへの信頼を急速に失っているのでしょう?直接に会った者がこれではあった事もない国民が信じなくても無理ないのかもしれない。パパは・・・国民をとても大切に思っている。けれど、ここまで国民にできるだけ何も知らせないことこそが国民を守る方法だとは私には思えない。」
「・・・それは・・・王がお決めになったことです。情報をただ垂れ流すことが国民を守るわけではないと・・。更に操作した情報を流すこともまた正しくはない・・と。」
「ただ王を信じよと言ったって限度があるわ。おかげで彼らは自身の痛みしか理解できず、叫ぶばかりになる。」


町へ降りても囁かれているのは王への不信。だが王の真意を伝えようとも手段が無いことにビビは気がついていた。
「国民が一番信頼する情報が噂話なのだから・・・。
もし逆手を取ってその情報もゆがめられてしまったら?
・・・・・・
こうして手をこまねいているうちに取り返しがつかないかもしれない。」
唇をかみ締めるその姿をただペルは見つめていた。



そういうビビも己に降りかかる情報の収集と整理に追われて肉体と精神を酷使し、自身の書く手紙の数が減っていた事にまで意識が及んでいなかった。

国王側と反乱の芽を含んだ一団との細い絆は、無意識のうちに細く・・弱く・・なっていった。

だから誰も気がつかなかった。
その手紙がある手によって抜かれてコーザの手に届かなかったり、読後の手紙が一時彼のポケットから抜き取られていたことを。
そんなことができる男が己の身近にいるということも。






また砂嵐が来ている。
ユバに来た頃よりもその数は増え、その度にオアシスの水も埋まっていく。




そうしてコーザは今王都に来ていた。

王の行動が理解できない。
ビビの噂も。
あの噂を聞いて以来何をするにも落ち着かず、気が付けばここに立っていた。

酒場の噂雀はいかなるときにもその羽と嘴を休めない。こういう不穏なときには特に姦しく飛び交うものだ。
「なぁコーザ。ビビが他国に嫁ぐって本当か?」
聞いてきたジェオはこのユバに最初に入植した一人だった。顔はごつかったが世情に明るく、彼のもってくる話は多岐にわたり、しかも新しかった。親戚が多いからな、と笑っていたが、このご時世で街どころか国中の情報や噂話はかなり重宝された。
「??何の話だ?」
「この間いったレヴェリーってのが本当の目的はビビの見合いで、ビビをよその国に出すつもりらしいってもっぱらの噂だぜ?」
「この国を捨てさせるのか?自分の娘だけは可愛いのか,王のやりそうなこった。」
頷く仲間に悪意ある噂をとがめだてする余裕は無かった。
噂と語る彼の顔の不敵な笑みを見る余裕も。
手紙の文面が思い出される。



かって知ったる抜け道をくぐる。こんなに狭い遂道だったのか?前に通ったときの己の小ささを思い出した。月日は流れ、二人は大きくなっている。国は荒れている。そして・・二人の間は変わってしまっているのか??
夜陰に隠れてビビの部屋への道をとった。かつて、毎日のように通った通路の壁や石畳は変化が無い。違うのは目線の高さと、気付かれぬようにひっそり進む自分の足取りだけだ。

ビビの部屋のほうの廊下から人影が近づいてきた。
女官だ。生憎見知った顔ではない、知らない顔に見つかればただでは済むまい。
「ねぇ、あの伯爵って物凄くいい男よね!」
「病気になったビビ様の寝所まで入る事を許されるなんて、やっぱりあの噂は本当かしらね。」
「御国は豊かと名高いところだし。そうかもしれないわね。」

この時刻に男と二人きりで部屋にいる・・・・。
心臓は早鐘を打って、呼吸が荒くなる。
二人が立ち去ったことを確認してから部屋に近づき、ドアの前で中の音に耳を済ませた。
「ありがとうございました。」
「いや、美しい貴女の為ですからね。公務の間をぬうこともいささかも問題ではありませんよ。近々わが国に来ていただくことも又お考え下さっているそうですね。それを聞けただけでも何よりも望外の喜びです。」
「こちらこそ・・。ああ懐かしいですわ。先だってそちらに寄せていただいたときの豊富な緑と水の都が・・・・・・・・」
久しぶりに聞くビビの声は華やかだった。
もはや少女ではなく大人への変貌を遂げ始めた妙齢の艶を含んだ声。
己が手近に持つことのできない甘やかな声。

コーザは左手をポケットに突っ込み、部屋の前を去った


「でもこのお薬はよく効きますね。さすが伯爵様はお国の医療団の頭でいらっしゃる・・。」
「ですが、この処方は微妙でね。私自身が診察をさせていただかないと処方できないのです。
 又このままこの夜半にはこちらを発たないとまだ私の腕を待っている患者が大勢おいでですので。
 お許しいただけますか?」
「私のためにお忙しい身体に無理を言って申し訳ございませんでした。」
「医師に休息などありません、お気になさるな。」





『少し病気をしました。安静のの間与えられた歴史書を読んでいました。私たちが歴史に果たす役割は何なのかを考えていました。先人の苦労と喜びの符であるこの国の歴史。一言にいっても分野は多岐にわたり、参考になります。その中で私達がしなくてはならないのは先--つまりは未来と・・空を見ること。地の嘆きばかりに心を痛めても国の先行きは見えてこない。頭を上げて痛みに耐えなければ・・・。最近はなかった時間の余裕でそんなことを考えていました。』



ビビは自分の部屋で書き物をしていた。部屋は暗く、灯りは手元のランプが一つ。
静かな部屋が聞き逃すくらい小さな音でノックされた。
こんな時間に?ちょうど女官も下がってしまい、自分一人しかおらず、取り次ぎ役もいない。ビビが返事をするとそっと戸が開いてイガラムが入ってきた。
「ビビ様・・。例の一件の組織の尻尾を捕まえました。
 今ならその伝につながることも可能です。
 あれから内密に調べ漸く手にした情報で確実と思われます。
 やはりかなりきな臭いと思われ、黒幕の気配がいたします。

 しかし・・・やはり内情ははっきりしません。
 直接の潜入が必要でしょう。これから私が行ってまいります。
 幸か不幸か今しか潜入のチャンスはないのです。
 では姫様、後をよろしくお願いいたしま・・。」
「私が行くわ。あれから・・ますます事態は悪化している。
 早く事情を手にして真実を明かさねば・・。」
「駄目です!駄目です!!これは・・・。」

すんだ紫水晶の瞳。笑みを浮かべたような唇。こういう目をしたビビを止められる者はいない。それは生まれたときからの護衛隊長の自分が一番よく知っている。
「確かに今の国民には王の声はもはや届かない。あなたの声しか。
 ビビ様・・・死なない覚悟は、おありですか?」






『あせらないで。私も軽挙はしません。あなたに指摘されたように私も走りすぎないよう。こちらの方向もきちんと伝えますから。ですから決して走りすぎないで・・・・・・』

筆の勢いはビビが変わっていることを伝えていた。
今までのように全てを包み隠さず話すおおらかさは消え、なにやら隠された内密の匂いと自分を隔絶しようとする力を感じる。
幼かった自分が手を繋いだあのじっとり湿った掌はいなくなって、その喪失感だけが自分の大きく硬くなった手からこぼれていく。
ビビの視点が判らない。彼女がどこを向いているのかが自分に見えないことに恐れと不安が広がっていく。
(あの噂は・・・)
否定できない疑心暗鬼は手足に染み込んで拭えない。
会えない距離は、判りやすいものだけを取り込んでそのまま妄想を広げていった。


このまま・・・俺に便りも寄越さなくなるのか?
そうして俺達を打ち捨ててお前は一人高いところに飛んでいってしまうのか??


「俺達は砂漠を這いながら砂を舐めて生きていく地の蠍だ。お前は空を見て歌い飛んでいく空色の小鳥だというなら・・。もう俺達に接点は無いのか?蠍の痛みを知らずに空を見て何になるというんだ。耐えられる痛みはもうとうにすぎている。それすら見えないお前になったのか?もう同じ物は見えないのか?このまま俺達をおいて勝手に行ってしまうのか?」


いつしか俺の後ろに立つ、反乱軍を名乗ろうと鼓舞する面々。
急先鋒の危なげな者もストップをかけようとしていた連中も同じ瞳で俺を見ている。
「リーダー・・・その・・・ビビから連絡は・・・?」


そして便りの途絶えたままビビの不在が風の噂で耳に入った。
彼女からは何の連絡もないままに。
噂は噂を呼び窮地に陥っているコーザには妄想と結びつけるものが殆どだった。
確かめる術もないまま・・・。








灰皿の消し炭は煙を上げるだけになっていた。
コーザは窓をあけチャコールの空を仰いだ。
灰皿を外に向け・・黒く変わった宝物が開けた窓から砂漠の風に舞って行くのを見ていた。

もう彼は振り返らなかった。



無数のひびは終に合一し、たった一人の思惑に踊らされて国をも分けてしまった。





END


(こっそり本音)本誌上で反乱軍に裏切り者がいたと暴露された198話がものすごく悔しかった・・・。
で・・これを書き始めたきっかけリクを下さったみやさんに献上いたします。
また、応援イラストを下さった与作様にも謹んでお包みいたします。よければお持ち下さい。