あの方は全ての剣士の憧れでした。
その技、冴え、人格。どれを取っても非の打ち所はありませんでした。
もう会えるはずのないほど尊い人物。
それでも・・それでも・・あの頃の私には耐えられなかった。
若さ故なのでしょうか?
いまだ答えは得られず・・。考えようとする行為を止める声がして私はそれに従ってしまう。
そしてそれは・・霧の中に消え行くようです。
『白鷺』
「では失礼します。」
「おい…。」
己の真っ青な顔色の悪さことに気が付かないままドアを後ろ手に閉めた。外の嵐はより一層勢いを増している。
このままでは危惧されたとおり今夜の出航は不可能で、そのまま奴らの消息は掴みにくくなる。グランドラインに入ってしまえばどの航路を取ったのか予測もつくまい。情報戦で軍に敵うものはないとは言え遅れは否めない。今更歯がみしても・・・。
とにかく私はあの男を許さない!必ず捕まえてみせる。
私をバカにしたあの男・・・・・・・・。
身体が鳴らしている警鐘は正直なものなのに。その微妙なズレに今はまだ彼女は気付かない。
かろうじて自制されていることを示すように、一応静かにドアは閉まった。いつもより二本も多い葉巻が上下に激しく揺れて、煙が部屋を覆い尽くしている。
奴らの情報はまとめておく時間はあるだろう。俺の不在にかこつけた余計な奴らがちょっかいを入れる前にここを出るためにも。
「お前が見たところでかまわん。報告しろ。」
「はっ。」
ただ一人部屋に残った軍曹はいつものごとく穏やかに見たままを語った。
スモーカーは視線を天井に向け黙って聞いていたが、ゆっくり立ち上がり外の嵐を見た。部屋の灯りが一気に落ちる。嵐のために停電が起きたのだ。もう数秒で緊急用の電源に切り替わるだろう。外で光る雷が一瞬部屋の隅まで照らす。
暗闇の中で、人は己とのみ向かい合うのだろうか。
「ロロノア・・か。」
「相手は自分を倒した剣士で、元賞金稼ぎの海賊ですね。それに殆ど歯が立たなかったようです。相手としたら曹長には最悪なパターンと思われます。」
スモーカー大佐の目が光った。
「“親父の目”から見てもあいつは大丈夫か?」
咥えた煙草のせいで、余人なら聞き逃してしまうくぐもった言葉も20年来の付き合いには何の障害にもならない。
それは二人の関係を戻す呪文だった。もう20年も昔の、この町の悪童だった二人に。
「・・・ああ・・・まだ今は、大丈夫だと思う。髪の色も違えば、容姿端麗というわけでもねぇしな。覚えていないとはいえ、一つでも条件に引っかかるとすぐに切れてしまうって言う過敏な反応はあるけどな。」
「…………あいつも、まだ吹っ切れてねぇのか。困ったもんだな。」
「昔の話だろう・・。妬き餅か?」
「馬鹿言え。上司としてだ。」
独り言は煙に吸い込まれて部屋に散り散りになる。
旧友の呟きは彼の若さを思わせて、軍曹は苦笑を禁じ得なかった。
本来他人のことを語っていいのかはわかりません。
しかし、彼女といい、あの男といい二人とも自分のことを語るには向かない性格ですから、つき合いが長いというだけの私が語り部を引き受けたとしても、ご寛容下さい。多分私が一番近くで彼らを見ているのは間違い無いですから。
スモーカー大佐とのつき合いは長いです。向こうが少し年かさの・・いわゆる幼なじみでした。そのふてぶてしい態度から傍から見れば老成した偉そうな男に見えるらしいですが、見た目以上に気の良い奴で喧嘩はとてもかないませんでしたが、なんとなく認めあえる友でした。
早くから軍人となる自分に疑いを持たずに歩みだしたあいつは、妻に惹かれて隣町の衣装店の婿養子に入った私の誇りでした。大人になってからはなかなか会えなくても連絡を取る暇すらなくてもそれでもいい友達でした。
数年後店が海賊に襲われて、産まれてすぐの子供を失い、己も失いかけていた私に道を示してくれたのは奴でした。
「海賊を捕まえるほうになるか?」
それが奴のらしいと言えばこの上ないただ一言の慰めでした。
年甲斐もなく新たに軍人として志願した後は、依怙贔屓と他人に口出しさせないために互いに一切の交渉を絶っていました。まさか上司になるとは思いませんでしたが、割り切ってしまえば尊敬すべきよき上司です。今でも彼は私の誇りなのです。
そして一般兵として少しずつ階級を登る途中で、あいつと私は彼女と会ったのです。
この時代、海軍は少年少女の憧れの職業でした。正義を看板にして、悪と戦う。それが実践的な力を持っているのですから、当たり前でしょう。
ましてや自身が志願してくるものが多い中でも、やはり腕を持ったものは推薦を受けて幼い頃に入隊が許され、選別の篩にかけられる。
私と彼女は入隊時は同期でした。
私は個人的な海賊への恨みから転職したので、同期の中ではかなり外れて年長でした。そういう私と並んで立つ彼女もまたその幼げな外見からより一層皆の興味を引き、あっという間に聞きもしない私の元にまでその氏素性をはじめとした生い立ちが耳に届いていました。
彼女はある剣道道場の一族の出身ということでした。代々最も有能な男が跡を取り、その他は軍人や憲兵などになり、名だたるものを輩出していると言う名門の端くれ。
後から彼女に尋ねたところ女に生まれたとはいえその家の末弟であった警邏の父は理解してくれ、強く望む彼女の思うように修行させてくれたそうです。正義感に溢れ、人格者だったその父上はある捕り物の時に賞金稼ぎの連中を守ろうとして反対に彼らの裏切りに合い巻き添えで命を落としました。・・・・悔しかった。なぜ正義を守るものが救われないのかと。反面その原因となった海賊やそれをねらう賞金稼ぎも強く憎むようになり、そのことがより一層彼女の将来を決定したのだと語っていました。
もはや近隣の道場で自分に敵うものはなく、その憧れと剣の腕という鳴物入りで特別枠で入隊が叶った彼女は入隊当時まだ十代の少女でした。その誇りと矜持は目映すぎて他人のそねみを受けるなど知りもしない十七の春でした。そこで彼女は魅せられてしまったのです。
彼女はこう言っていました。
『入隊が叶ったその足で初めて見たのは、基地内に咲いた桜でした。入隊式も終えて緊張が少しほぐれた眼鏡の下から眼前に広がった満開の桜。散際の潔さと合わせて剣士の心の鏡とされる花です。正義と言う美の咲く場にふさわしい花だと見とれていたところその下で音もなく仕合われてた模範試合が目に入り、そのまま私の息は詰まってしまいました。周りにいるのは無骨な制服を着た先輩軍人達であるのに、その真ん中で華やかな舞台が繰り広げられているように感じました。名誉のために申し上げますが、相手の方も決して見劣りするような腕とは思われせんでした。でも柔らかい足捌きの素早さと切り返しの速さに翻弄されて、力が空回りしているようでした。力に劣る自分の理想が顕現したのだと言葉も失ってその一挙一動を見続けました。
試合が終わっても汗一つかかない涼やかさで羽織った制服を見れば階級が大佐と知れました。
息を呑むというのはあのことでした。噂にはなっていたのです。
〔海軍37支部にはあのロードがいる。〕
少々の研修期間の後にその部隊に配属されることになったと知って、躍り上がった私の気持ちをおわかり戴けるでしょうか?
同時期の配属はご存知のように二人いました。その一人が今一緒に仕事をしているあなた、軍曹さんでしたね。当時はまだ緊張も強くて人の顔など覚えることができなくて色々失礼をしました。女性軍人の制服ではなく皆と同じ海軍の上衣を着て立つ私の姿は背の低さも相まって、滑稽な物だったようですね。
私が見惚れたのはその剣士としての技でしたが、廻りの女性達はそうではありませんでしたね。
すっきりした彫りの深い顔立ちと銀の髪。立ち姿の美麗さとその物腰で、あの方を嫌う女性にはお目にかかったことがありませんでした。どんな女性に対しても(それが夜の蝶相手でも)礼儀をつくし、自らが僕(しもべ)として振る舞いながらも上品さを失わない振る舞い。本当に身分のある方だそうですが、家柄のよさが滲みでるように上品な方でした。女性の出入りが激しいと言う噂もありましたが、それは真似のできない方々による嫉みや悪口と思われます。確かに公務中に女性の訪れがよく見られましたし、そのときには入室や呼び出しが禁じられていましたが、その他にも色々な男性が出入りしておられましたし、女性問題と結びつけるのは間違いだと思います。』
ロードの噂は海軍の伝説の一つでした。
私もその部隊配属が決まった瞬間感動を隠せませんでした。
ロードと言うのは尊称であり、あだ名でもありました。
故郷では爵位を持つ身で、本名など十数個名前が並ぶ古い家柄だそうです。私などには覚えきらないものでしたが多くの女性の間ではこれを全て並べることが流行っていたそうです。上司に対してもこの厳しい軍の中で階級でなく『ロード』と呼ばせるほどの実力の持ち主でした。自分の隊内では当然王者として振舞っておいででしたが、それすら魅力に見えました。
その剣の冴え。悪の根絶のためには徹底した探索とその成功率を誇り、最後まで決してやめない緻密さ。「強将の元弱卒無し」を地で行くようなその隊の行動の噂。その行動のためには上司、果ては大将までも動かすと言われる実力振りに海賊を狙うものとしてこれ以上の部隊は無いと思われました。
隊の中での訓練も苛烈を極め、配属直後から軍である事の実感は毎日でした。新米も含めた実戦配備にいきなり駆り出されて、泥沼を駆け回ったり小雨の中を3日も動かず見張る役をおおせつかったりしました。その手応えは、充実感あふれ、最後の大捕り物に登場したロードの姿はまさしく神の姿でした。
同性としては大佐の見てくれなどどうでも良かったですが、まだうら若い女の子の目には神にも等しく見えても仕方なかったでしょう。彼女は大佐の高潔を信じて疑いの余地すらなかったようです。いつか部隊内の脱落率と死亡率の高さを叱責に来た准将への文句を聞かされた事がありますが、彼女の口調は崇拝と言ってもやや過ぎるのではないかと思うくらいでした。
側づとめを始めた頃には剣の指導を受けたいと喜んでいたと思うのですが。でもそう言えば、彼女はそのような苛烈な訓練や実働隊にはあまり参加しませんでした。本人に聞けば大佐の意向で側にいるようおおせつかったので残念だと言っていましたが。
ただ・・無理に階級を引き上げてまで、大佐の側で楽をしていると良くない風評が隊内で合った事も事実です。
たしぎはいつものようにドアを開けようとしたが漏れてきた声に思わず物音を潜めた。
「おや?中佐にはこのお茶は口に合いませんでしたか?じゃあ今度はアルデア産の葉巻を用意させましょう。」
「けっっ。最高級葉巻か。それをゆっくり吸えるといいが・・・きっとそんな機会はこねぇぜ。今度会う時にはおまえさんの尻尾は掴まれてると思え。」
「一体何の事かわかりませんけど、やけに自信ありげですねぇ。」
「当たり前だ、俺を誰だと思ってる。」
「まだ一介の中佐殿。有能であることは疑いませんけどね。私相手に・・過剰な自信は墓穴を掘りますよ。」
「生憎だが同じ台詞を返してやる。そこに入るのはあんただ。必ず抑えて見せるからな。」
「・・・・・そうかな?・・。やれやれ荒んだ雰囲気だ。相変わらず潤いのない生活をしているようだねぇ。」
相手は白髪の短髪の男性だった。声はくぐもって聞こえるがきっとまだ若い・・。部屋の外まで匂ってくるのはタバコの匂いだった。
知らない人との会話中とあってはあまりに難しい入るタイミングを考えながらも自分に今課せられた仕事を思った。上からの呼び出しとあればいくら大佐でも放置しておくわけにも行くまい。
「あの・・お話中をすみません。准将のお呼びがかかっているのですが・・なんでも時間をかなり超えて待っておられるとかだそうですが・・。」
軽いノックに反応した大佐はにこやかにたしぎを招きいれた。
「軍曹は今日も可愛いね。おや?准将が・・?ああ・・そういえば忘れていましたよ。やれやれ面倒ですねぇ。そういえば中佐・・紹介しておきましょうか。綺麗な花でしょう?」
さっきの男性が振り向いた。上官との会話中というのに葉巻を咥えたままで、礼儀知らずではないかと思ったのに。その男の目つきの鋭さに驚きながらも、だがその目は澄んでいた。
「軍曹?こんなひよっこがか?まだ子供じゃねぇか!」
「これでも特例入隊のお嬢さんなのですよ。だって私の周りにこの格好ではべってもらうのにはこれ位の階級が必要なのだから。目に触れるものならむさい男なんてごめんですけど、趣味の悪い制服の女性も耐えられたものではないですしね。」
「特例入隊のこいつがここに要る必要なんてないだろうが。大体特例配備は腕があるからだろう?どっちが悪趣味か俺にはわからん。」
「私の周りに腕なんて必要ありますか?きれいなものを綺麗に置いておくほうが私の士気も高まるってものですよ。皆のために必要な措置です。軍曹、中佐はお茶は口に合わないらしいので代わりにコーヒーなど入れてあげて。中佐。相伴に預かると良いですよ。」
そういって大佐は立ち上がるといつもと変わらない流れるような仕草で部屋を後にした。
部屋に残された二人は出て行った男を目で追いかけながら動けずにいた。
その均衡を破ったのは男のほうだった。
「・・。その格好。奴の好みか?」
そっけない一言を、彼女の方を見もせずに呟く様に口にした。
紺のロングのワンピースにフリルのついたエプロン。本人には似合わないわけではないだろうが、メイドと呼んだほうが良さ気なその姿を軍曹のものと言うのはおおいに間違っているだろう。
たしぎも己の姿をちらりと見た。
「・・・はい。」
「けっ・・。」
「似合いませんか?」
「・・・ここにはな。」
「そうですよね。」
「奴を喜ばせるためなら・・か。」
どの女も同じだ。上辺の美しさとやらに騙されたまま奴の毒に気付きもしないでその身ごと生贄の様に進んで差し出してしまう。好きでやってることだから勝手にすればいいとしか思わなかったが少女のような容貌のこの娘まで同じかと思うと煙草の味まで不味くなる。
「これでは剣を振るうときも足に絡まると思うんですけど、許していただけないので・・。本来なら剣技で喜んでいただけるようになりたいのですが。」
「!!?・・・。」
思わず娘の顔をじっと見てしまった。
話を合わせているわけではなさそうだ。困ったようなその顔まで演技と言うならそれは最悪の娼婦か毒婦の技だ。
「おまえ・・剣に自信が・・?」
「はい!それだけが私のとりえですから。といっても最近では思うように稽古もできないのが困っていますが・・。」
彼女は寂しそうに微笑んだ。
「奴は?」
「ロードですか?まだ私など稽古をつけていただくまでは・・。それに仕事を覚えるために公務の時間に剣を振ってはいけないそうです。かといって今の仕事では殆ど拘束されていますから・・・。あ・・あの・・、不満があるとかそういうのではないのです!私は仕事を覚える要領が悪いものですから・・。」
今度は必死に両手を振りながら真っ赤になって説明しようとしている。必死に奴をかばう姿は面白くないものの、この百面相で荒くれどもと渡り合えるのかと思うと、このままのほうがこの娘には向いているのではないだろうか?と思わざるを得なかった。
「そうか。」
「はい!そうです。」
とりあえず話をあわせて部屋を後にしようとするといきなり女軍曹は慌てたように中佐の腕を掴んだ。
「あっ!待ってください!コーヒーを、コーヒーを飲んでいってください!」
「又にしろ。俺は忙しい。」
「で・・でも、ロードに指示されてますから!すぐに準備します!これも剣くらいは自信はあるんです。ですから・・お願いします!」
あまりに必死な姿に、たかがコーヒーとは思ったが説得されてしまった。こんな気障野郎の部屋はとっととおさらばしたかったが・・。
そしてコーヒーは美味かった。だが彼女の言うすぐというのは長い時間だった。どうやら何度かやり直したらしいことが音から知れたが。なぜだか・・悪趣味極まりない部屋で待つことはさほどの苦痛ではなかった。
部屋を出る時礼代わりに彼女の名前を聞いた。
そのあとたまに道場で見かけた時に話し掛けるとその時こそがなにより幸せそうに見えた。彼女の汗にまみれた姿は、綺麗な服で綺麗な仕事をしている時の何倍も何十倍も気持ちよさげだった。一度だけ座興のままに相手をしてやった事がある。そのまま相対すると、凛と空気が変わった。迷いの無い素直な剣。人格の透明さを表すような気迫の剣。同時に実戦の変則に対応できるのはまだまだと感じた。稽古が終わって構えを解いた彼女は更に輝いて見えた。よほど稽古が好きなのだろう。何度叩きのめしても向かって来る向こう気の強さは最初の印象よりこの仕事に向いているかもしれないことを匂わせていた。
部隊も違えば、自身の仕事も忙しい。そういう機会はそうあるものではなかったが、不思議とそんな記憶が心のどこかに残っていた。
奴から漸(ようや)く聞き出した曹長との出会いだそうです。
それを語る奴の顔が子供時と重なったのは私だけが知っている秘密です。
このときから二人の歯車は絡み始めたのでしょう。そしてもう一つの巨大な歯車もきしみ始めたのです。
・・・to be continued