約束3 |
目が覚めた。 暗闇の中。 瞼を開けなくても甲板の風はさっきよりやや弱い感じだ。 船足も少し遅くなっている感じがする。 いつでも自分には船の感覚や空気の具合が手に取るように判る。 ただ・・闇が深くて時間が判らない。 持ってきたランプは消えてしまったのか。 月の位置はやや雲に隠れているもののどうにか影が見える。 どうやらあまり時間が経っていないらしくほっとした。 今の自分は航海士としてのスイッチが入ったままらしい。 まずなによりそれに安心した。 ただ不思議なことに・・この航海でずっと緊張が続いていてすっきりしないはずなのに今はとっても頭が軽い。最近になくすっきりしている。 きちんと眠れたと言う事らしい。 それも深くて穏やかな眠りに出会えたようだ。 まずそれだけを理解してから改めて自分の状況に気が付いた。 薄暗い闇の中、緑色の髪が目に入る。 暖かい寝息が髪にかかりどきっとする。 壁に横向きに座って寝ている男の腕の中で強い風から守られて横抱きに抱きかかえられていた。 眠る前、少々記憶があやふやだ。この男に絡んだ自分が居た・・。 絡んで・・触れたと思った指の感触では無く身体が・・。 説明が足りない男の言葉に自分は安心したとでも言うのだろうか? 抱きすくめられた身体の温かさだけはこれと変わりなく心地よかったことを覚えているのだけれど。 まさか・・一瞬目の前の無防備な寝顔を疑いのまなざしで見た。 でも…自分の身体に異変は無い。 着衣も、身体も。 くすり と可笑しさがこみ上げてくる。 「見張りが寝てどぉすんのよ・・。」 起こしてやろうと軽く鼾をかいている鼻に手を伸ばした。 伸ばした指に寝息が掛かる。それが身体に絡むように感じて・・思わず手が止まった。 手を宙に止めたままどきどき落ち着かない感じがする。 予感のような。本能のような。 思わず泳いだ視線が服を抜いだままの男の裸の上半身の傷に落ち着いた。 ここに私への約束があると言う。 いつ、一体どんな約束を勝手にしたんだろう。 始めて見たのはあそこでだった。 そして身体から流れている血の匂いが今でも鼻に残っている。 かなり綺麗に縫って貰えたけど、ただでさえ大きな怪我をしながら無理をして、身体は限界を訴え全身に高熱を持っていた。膿んで奥まで開いてしまう直前だったらしい。 あれでは傷は付くかどうか怪しいかもしれないと縫いながらドクが言っていた。上手くいっても当然傷は残ると。 「まぁ、男なんじゃから、命さえあれば傷の一本や二本、勲章にしかならんわい。」 黙って聞いていたけれど、 この男が無理しすぎなのはわかっていたけれど、 それでも仕上がりが悪かったらドクの首を絞めるところだった。 伸ばした手をそのまま降ろして胸の大きな傷に触れてみる。 起こさないように・・そっと。 前より更に滑らかになり、沈着した色調も肌の色に近付いてきた。 とは言え、その大きさを受けて生きているとは人間業ではない。 「アーロンと殺らなかったらここまで酷くはならなかったよね・・。」 上手な剣使いの傷は例え深くとも綺麗な物だ。 それも世界一が狙ってやったのだから、初めは鮮やかな傷口だったはず。 そのままきちんと処置をすればここまで酷くはならなかったろうと術中のドクにぼやきのように聞かされた。 遠目にもはっきり見えた、あのアーロンに恐怖と殺意を抱かせた男。 その代償が魔女一人だなんてずいぶん馬鹿な取引をやったものだ。 今更仲間がしてくれたことに気負ったり、被害者や加害者ぶる気はない。 私達は皆生きている。 明日がある。 どんな絶望の中でもいつか訪れる死の直前まで前を向いて生きていける。 闇を照らす明かりはどんなに小さくても見えなくても、消えないことを知ったから。 教えて貰えたから。 皆に。 (約束ならここにある。) さっきの言葉が記憶の底から競りあがって身体中を満たして行く。 耳元で語られた言葉は形などないはずなののにその重さだけが私の中に満ちて、響いてこだまして共鳴する。 めったに語らない男の言葉はその身体と同じ様に心地よすぎる重みがある。 体中で響きあい、どきんどきん、と心臓が跳ねる。 跳ねた心臓もそのままその声に煽られて静かな総毛立つような興奮が訪れる。 そのざわめく透明な海の底の底まで沈んで溺れてしまいそうだ。 (ここに……?) 目の前の傷をなぞる指だけではもどかしく掌で大きく触れる。 どんな約束を抱え込んだというのだろう。 そもそも一人で決めた物を約束と言っていいのだろうか? それでもこの男は自分が納得のいくまで突き進みその約束のためになら自分の命を簡単に秤に乗せてしまうんだろう。 「馬鹿よ。」 抑えた傷の上の大きな胸にコツ・・と軽く額をおしつけた。 「馬鹿。」 「誰がだ。」 頭上から同じ声が身体に降り注いだ。 寝ているとばかり思い不意をつかれ、顔面に血が集まったように熱くなる。 息を飲むごくっと言うその音が大きく響いてゾロにも聞かれたろうか? 目の中まで潤んで、耳まで熱いことまでは気付かれたくない。 「てめぇのせいじゃねえってのは判ってるよな?」 ゾロの腕はそのままだった。なのに自分の感度が上がっている? その手の形まで焼け付くようにはっきりわかる。 顔も上げられないまま頷いた。くっついた額はそのままで頷けばもっと寄り添う形になる。 横抱きのまま、回された腕に柔らかく力が入ってきて柔らかな拘束になる。 太い腕に抱きかかえられ、頭の上から低く柔らかい声が響く。 「必要なら命だって賭ける。当たり前のことだ・・それに・・てめぇは俺を止めねぇだろ?」 心臓が違う音で鳴った。 今までどきどき跳ねていた興奮は一気に身体の奈落に落ちていった。 落ちた先から広がる充足感がゆっくりと指先までを満たしていく。 そのくせ不意を付かれて中に隠れていた攻撃性を揺り起こす。 すぅっと息を呑む。ゆっくり吸い込んだ息を吐き、面を上げた。 深い闇の中でもそれ自体が光っているかのようにはっきりと見えるゾロの瞳。 止めて欲しいの? とからかうセリフを吐こうかと思ったけど、その目はいつもよりずっと穏やかなのに真剣だった。 「本気なら・・他人(ひと)のやりたいことは止めないわ。」 飛び立つ鳥の羽を押さえ込むようなことは出来ない。 確かに心配はするけれど。 優しい気持なのに持たされた方が重荷になるものもある。そんな情で他人を縛ったりは私には出来ない。 だいたい命を懸けてまで救ってくれた男を前にして、どの面下げて『私が心配して居るんだから止めて。』という陳腐なセリフを吐けるというの? 自分が出せる最高の笑顔で答えてあげる。 「ま、見届けるくらいはしてあげるわ。最後まで。」 「だな。」 ニヤリと笑った口元のまま、大きな影が被さってきて、唇が軽く重ねられた。 静かな誓いのように紙一重で触れるだけのキス。 でも・・。 「っってぇ!」 置いた手をそのまま傷の辺りに爪を立てる。 ありったけの力で。 「痛ぇじゃねぇか!ナミ」 「心配なんかしないわよ。」 挑戦的な微笑みを浮かべながら、こちらから身体を寄せて、ゾロの唇をゆっくり舐める。唇の外から・・次第に中のほうへ。内側はもう少し熱い。右から左へ。左から又返る。まだ舌には触れてあげない。 目は見開いておく。 睫毛が触れんばかりの距離で見るゾロの目は軽い驚きを乗せつつもあくまで深く澄んでいる。 余の物は入りこむ隙の無い少年で大人の瞳。 何が在っても失われる事が無いであろう羨ましいほどの純粋さ。 「当たり前じゃない。」 指に込める力は引いてやらない。 この男が自分の夢のために全てを置いて行ってしまうときはいつか必ず来るだろう。 その時自分はどうなるのか、どうするのか。今は解けない命題だけど。 この男への恋心は二度は殺せない。そして私の夢もなくせない。 でも ここに、この男の胸に決して消えない約束があるというのなら、私も決して自分の夢を諦めない。 夢も未来も今思っている形では自分の物にならないかもしれない。けれど、どちらも必ず手放さない。 必ず捕まえて私の物にするの。 自分が欲しいものは妥協なんかしない。 大切なものは無くさない。 それが私の海賊としての矜持だから。 消えないこの傷に改めて誓ってあげる。 ただ、あんたには絶対言わないままで。 胸の傷痕をナミの爪は掴んで放さない。 至近距離で顔を見ると妖しげな光を浮かべた大きな瞳に吸い込まれそうになる。 ごくっと喉が鳴り、ナミ自身から目を離せない。 捕まってしまった自分が居ることに今更改めて気が付く。 熱がちだったあの数日の後でまた絶食させる羽目になって、蠱惑的な瞳が余計に大きく見える。肩も薄くなり身体に一層余分な肉は落ちてしまったのに、この目の前にある双丘の豊かさはなんなのだろう。 腰のくびれはより一層強調されて男を誘う。この姿に欲情しない男なんて居るんだろうか? 「魔女が……。」 操られているのかもしれない。そうでなくても望んで囚われに向かってしまうだろう。 そのまま両腕に力が入る。細い爪の痛みもろとも胸の傷を掴んだナミを全てを抱え込む。 「ナミ・・・・・凄げぇヤリてぇ。」 答えを待つことなく後ろから首筋に囓り付いた。 |
えっとですね・・・。一応此処で終わってもそんなに問題ないと思うのですが・・。
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