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空と海の狭間で-epilogue


その年の春のまだ冷えた日のこと。

この家の庭の木戸は閉まっていたためしがない。
庭の桜が散る前の姿を微妙に保っていた。花びらはちらちらと降っている。庭の敷石の隙間に少しの花びらが貯まっている
診察時間の合間で、いつもの気安さで半年ぶりの縁側で靴を脱いだ。

この家の主は電話中だった。

電話の主はいつものように唐突に、そして『俺だ』と少し掠れた声で告げた。
「・・・わかったよ坊主一人でよこしな。交換条件は旨い梅酒に合う極上の一席だね」
『わかった』
今では滅多に見られない黒電話の受話器をくれははくるりと置いた。
「さぁて。ゾロの連れにでもさせるかね」
ちーんと鳴る音をさせながら振り返って、立っていた姿にくれはは少しは驚いたようだった。

軽く溜息をつく。
「今度はお前かい?いつになったら裏庭から勝手にあがってくる癖は直るんだい?」
くれはは昼は梅昆布茶夜は梅酒と決めている。だがくれはが酔ったところは見たことが無い。いつ急患がきても態度も精度も変わらない。それが今日は昼だというのに梅酒がテーブルに出ていた。
「いーじゃんか、ゾロもチョッパーもおむつを替えてやった誼って事で。」
「出来の悪い学生に体験実習させてやっただけだ。女は星の数でも子供までこさえたことはないだろうに」
「人聞きの悪い。女なんて日照ったままだしオレの子供は患者ちゃん達v」
「ま、前に比べたら干ばつ前の小雨くらいには減ったみたいだね。後腐れ無いのだけ残してるって事かい?それとも嵌った女でも居たのかい?」
「うーーん。連れて行きたかったけど俺じゃぁ欲しがってるモンはあげられなかったからなぁ。深いのは今ちょっといいやって事で。先生悪ぃ、これ以上つっこまんでくれ。」
「ふん。赤髪が、らしくない台詞をお吐きだねぇ。」
地獄耳とは判っているから幾らシャンクスでも彼女にははなっから逆らう気もない。下手につつくと面倒な煮ても焼いても食えないバーさんである。だが腕も人脈も人柄も絶対的に確かだが。


勝手知ったる茶棚を開けて茶葉を取り出しポットからお湯をそそいで喉を潤す。まだ花曇りで寒い日には熱いお茶。この家にはよく似合う。
手を動かしながらシャンクスは口を開く。
「それより聞いてるかい?グランドライン。ボランティアの数も企業の援助もなしじゃできねぇってよ。」

少しの間くれはは返事をしなかった。これは無視ではない。つきあいの長いシャンクスには良く判ってる。

「あの馬鹿が手を広げすぎたんだよ。企業に頼りすぎりゃ景気のあおりも食う。当たり前のことだ」
「うわぁ冷てーなぁ。自分が立ち上げた企画のくせに」
「初めの頃には確かに関わったさ。けどそれが形を変え始めた以上ロートルに出番はないね。企画ってのは進化も退化もするもんだ。どう変わろうと今更知ったこっちゃ無い」
シャンクスに注がせた湯飲みをくれはは片手で空にした。すこし諦めた気配が漂った。
だが部屋を望む縁側に日は柔らかく、春の初めの空気は二人の間の沈黙を居心地良くする。

「いくら変わってもあれ自体は善意の固まりな所は変わってねぇんだがなぁ?」

固まってしまったくれはに水を向けてみる。

「ホンの些細な約束から始まったヤツをニューゲイトに呷られて広げちまったあいつが悪い、それ以前に前の理事にあいつを選んだのはセンゴクだろ?維持できないって言うんならそれまでだろうよ。今年からお前が引き受けるんならそれは諦めな」
流石の地獄耳のくれははけんもほろろに答えた。
くれはは今は亡きゴール・D・ロジャーと共に創生期のグランドラインの企画を起こした一人だ。
その彼女が口を出さなくなった過去の辺り、何があったのかを聞く者は居ない。
だが企画が淘汰されつつある。
よく似た企画も商業圏から立ち上げられ、企業の協賛も多かった時代は移り企画の過渡期であることは誰もが判っていた。

「まぁ、黒字どころか真っ赤な採算見てパンダのJrが理事をやめてくれた分にはかまわなかったけどよー。まだあいつが約束果たしてねーんだよ」
頭を掻くシャンクスにくれはは記憶から一人の患者を引き出した。
「あいつ・・・?Rhabdoの坊主かい?」
くれはが見つけた子だ。
首に見つかったリンパ節。頬に見つかった腫瘍。母親の泣き崩れた顔。父親の苦悩。
あれから幾とせ経たか。
重病の子を大きな病院に送れば終わりという訳はなく、いつも心のどこかに気にかかる。

「ケモ(化学療法)は規定の30回。リニアック(放射線療法)もやった。頚も三度あけた。で、どうなったと思う?」
シャンクスがもの凄く嬉しそうだ。
「あいつは強いよ耐えやがったぜ」
「で?」
「そ、がんばった子供の夢ってヤツだ。約束した俺が潰すわけにいかんだろ?」
子供がご褒美をねだるような面構え。耐えたのは本人も、そして周りもだ。
「二十年前、ロジャーがお前に渡したあの下手な作り物の帽子がここまで広がったと思えば感慨深いもんがあるね。けど今回も直接は参加しないで代行をおつるに任せる気だろ?よく言うよ」
「俺が行くとなー、まぁ人気者は色々あるから。それに俺、もうすぐ行っちゃうし」

シャンクスはまた海外への留学が決まっている。小児外科のうち心臓で世界的に有名な研究所が受け入れを許可してくれた。そこでは内科部門と外科部門が共存してそれぞれの交流も交歓も抜きんでているという。

子供の頃にロジャーに託された帽子があって、それを返すために自分も治療に耐えた。同じ瞳の強さをルフィに見た。だからあの帽子を彼に渡した。揃ってルフィを必ず治すという自分の誓いも込めて。それを最後まで果たしたい。果たして欲しい。


「だからってこの年よりに尻ぬぐいをしろって?」
「いやいや、せんせーはまだまだお若いから、居ない間の理事長代行の監督をお願いできるかな?と思ったんだ」
「相変わらず喰えないねぇ。判ったよ。あたしは行かないけど、手足代わりを出そう」
「代わり?」
「勉強会に来てる若いのが二人興味を示してたからね。循環器と小児外科だ。それから、うちもゾロを行かせるよ。枠に放りこんどいとくれ」
「ゾロ?あいつのオペは2歳の時に終わったろ?」
心臓には小さな穿孔だったので経過観察しただけだったがその上に見事な大きさの脂肪腫が乗っていた。良性の腫瘍でしかない物だが胸部の発育の妨げになると摘出を決めた。シャンクスは学生としてその手術を見学することを許してもらった。無事に手術に耐えた孫の姿を見て傷口は大きくなってしまったがくれははそれも喜んでくれた。
「今の内にくいなの供養もしないとね」
ああ・・シャンクスは答える。
「・・・もう何年になるっけ?時間のたつのはあっという間だな。」
「ゾロには供養ついでにチョッパーの病気に振り回されるばかりだからね。もっと広い世界も見せておいてやりたいんだよ。けどお前さんも他人の心配なんかしてるんじゃないよ。またふらっといっちまうつもりなら真剣な女の事は後腐れの無いようにしときな」
「おやおや、本当にやぶ蛇だ。」


何時行くのかともくれはは聞かない。シャンクスも答えない。だがいつでも、職場を変えたり留学するときには必ずここに寄るのが習慣だった。
「シャンクス」
「はい?」
「後は任せな。そして ちゃんと、いっといで」
その一言が聞きたくてここに寄ってしまうのだ。
















タバコの煙はこの夏の日の午後、熱気で揺れて立ちのぼる。

「なーにが {夏だ。さぁ出かけよう。新しい出会いを求めて} だぁ?
 クソDJめ。このクソ暑い日に今から同窓会やって旧交を温めるってのは夏向きなのか?」

待ち合わせの涼しい喫茶店のはずが美味しそうなコーヒーの香りにつられてオープンカフェに野郎が二人座っていた。
暑い夏には木陰とはいえ色気もへったくれもないとコーヒーだけはあっさり飲み干したサンジはお冠だ。サンジは旨い物こそあっという間に吟味する。不味い物は嫌そうに時間を掛けて、でも残さず飲み込む。ウソップは出されたコーヒーの味に大絶賛をひとしきり並べた。

「おちょくるなって。俺様の少年向けラジオコーナーには夢があるって人気も上々なんだぞ!」
「知ってるよ。俺の店でもその時間は丁度仕込みだから厨房でずっと聞いてるからな。結構評判だぜ?」
「だろ?」
「パティとカルネが賭けてるぞ『ウソップの奴がいつ噛むかが待ち遠しくて仕方ねぇ』って」
「誰がかんでるよ!この滑舌ウソップ様に向かって何を言う!ケドよ、あいつらこそ飲んで酔うたんびに『あの素直で可愛いサンジはどこ行ったーーー!』って叫ぶの止めさせろよ」
「いやーーガキん時の俺ってば超絶可愛らしかったからなぁ」
「あーー大人の前でだけな」
「けどよ、やりたいようにやったら楽んなったわ。正直が一番、今更戻れねぇよ」
「あの頃はたったが10年上のあいつらも大人にして一括りだったのか。お前って本当にやな奴だよな」
「いやーナミさんは遅いなーー?」
「急に話題変えんな。医師免取ったから今度は司法だって?ナミの奴医療弁護士っていっても体力あるよなぁ」
「いやーー白衣の女医さんも良いケドよ、ストイックなスーツに眼鏡の『意義有りっ!』ってナミさんなら見てみてぇーーー!」
「で?ビビは?」
「お前こそ勝手に話題変えんな。ビビちゃんは今、店の買い付けでロビンちゃんの母国に二人でいっちまってるらしい。後でメールか携帯参加するってハンカチ咥えて泣いてたぞ」
「お前見たのかよ。・・じゃあ後、ゾロは今日は行けるのか?」
「今のところは患者が落ち着いてるってよ。けど小児科だって?あんなにでかくなった目つきの悪いあいつに子供が良く怯えねぇよなぁ?」
「昔っから案外ガキと動物には好かれる奴じゃねぇか」
「なーるただの馬鹿だからなんだがな。それより一番心配なのは奴に店が判るかってことだ」
「だからナミが連れてくるってそれだけは俺様が聞いてるぞ?」
「んだとーーーー!?」
「わかってっだろ?勉強のできなかったゾロのケツ叩き続けたのはナミじゃねぇか」
「ああ!俺んちがもっとナミさん所と近かったら立場は逆だったのに!!」
「無理無理。ゾロほどの集中力ってのは俺には無理だな。奇跡的に勉強も剣道もやり遂げたもんなぁ。
 おいサンジィ。ガキみたいに後ろ向いてすねたふりするなよ。」
「どうせガキだよ俺ぁーー!」



あのキャンプで俺たちの何が変わったという訳じゃなかった。
俺たちが共に過ごしたのはたった四日間の出来事で、全てが変わるには短すぎる時間だった。
だがあの時点から、確実に何かは変わりはじめた。
それまでずっと同じ円周上の同じ高さの同じ軌道をぐるぐる抜け出せなかった俺たちを、緩やかに、本当に緩やかに高みの螺旋に導くものだったことだけは間違いがない。



「で?ルフィは?」
「サンジ!ウソップ!おせーーーーぞーーーーーーーーーーー!!!!!」
商店街のアーケードの向こうから真っ黒に日焼けした背も伸びた青年が遠くで相変わらずの大声を出しながら両手を振っていた。
その後ろに人間離れした大きな体も見える。
「今日はフランキーもつれてきたぞーーー!」


ルフィの治療はあの後も続いていた。それらを難なく心で乗り越えて彼らはあれから毎年、今でもあのキャンプの運営にボランティア参加しているらしい。
企業を説得し、周囲に納得させて、あらゆるタイプの子供を受け入れる形に進化して、そのキャンプは今もなお続いている。


天と地の狭間に抱かれて。
少年達の夏から、未来へ。










end




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