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空と海の狭間で-22



航路の軌跡の印は変わらない。一本の道だ。
なのに船の位置を示す画面は、刻一刻とそのラインから遠くなる。
少しずつ、少しずつ離れてゆく。直線ではなく不規則に方向が変わる。先が全く読めない。
そんな画像だけが彼らの目に届く。




「手動の船の操縦は?誰か判る?」
ナミの視線が尋ねた。ウソップは首を横に振る。サンジも、ルフィも同じだった。


「燃料はあるみたいね。フランキーもそう言ってたし。けど手動の操作が出来ない。行くのも帰るのも私たち子供じゃ無理。
船はどこへ行くのかわかんない・・嵐の向きとかもわかんないからいつ脱出できるかもわかんない。せめて・・」
「うん。明かりだけでも付いたらいいんだけど・・」
「懐中電灯が何本かあったぞ!」
まとめて切り出されたナミとビビの意見は静かに皆に染み入った。見つけた宝物にルフィがにこにこ笑ってるから落ち込まずに済むけど気づいてしまった。

そうだ。誰の手も船の運転などできやしない。




タコが十回以上つぶれるまでふるった自分の手をゾロは見た。
大人用の包丁と砂の入ったフライパンで鍛えた自分の腕をサンジは見た。
この手はきっとすごい未来をつかむことは出来るはずだ。

凄い未来の自分はつかめる。だけど、現在の自分の身はつかめない。
まだ小学生のこの手でつかめる世界はあまりに小さい。
悔しいけど。どんなに自分が大きくなったと思っていてもこの手も、身も、あまりに小さい。


「女の子だけでも帰してあげないとな」
サンジがぼそっと言った言葉にビビがむっとする。
「そう言うのって変よ。助かるならみんなで。当たり前じゃない」
「俺にはそう言うわけにも行かないんだよ」



船が出航したときのわくわく感の大きさの分だけ今はみんなが潰れてる。

ゾロは「行くか」といった自分の言葉を今は取り消したかった。
もっと慎重であるべきだったか。
サンジは舫綱を外した自分を責めると辛くなる。
せめてもっと判るまでフランキーに聞いておけばよかった。

「最初から船に故障があった・・とか?」
「船とフランキーのせいにする気か?」
それが一番楽だ。
「言ってみただけよ」
ナミは唇を噛んだ。
だって。じゃないと。
ここにいる自分以外の誰かを責めてしまいそうだ。


「本当に私達、どうしたらいいの?」
ビビの声が妙に透き通って耳に残る。






ウソップは一人、皆の話し合いの輪から外れて隅っこに座り込んだ。

『ここで自動操縦が出来るんだぞ!んでここを外せばリセット。簡単だろ?』
『凄ぇ!な!な!俺にも教えてくれよ!!』
『鼻の坊主の方が筋が良い。クソガキ、おめぇは余計なモンいじるな。特にこいつなんか命綱だぞ!バランサーっつってな船の安定を取るんだ。こいつが動いてる間は沈みにくいって言う画期的な発明なんだ。おら!!そのコードもだ!いじんな!』
『ちぇっ』
このコードだった。
今思えばルフィと騒いだ時に外れていたコードだ。

そして今船の針路は解らなくなった。嵐も来てる。
その他のスイッチは大丈夫だろうか?
強制航路のコードを付けては消してをやっても操作は二手か三手で行き詰まる。

このコードだけはあのときにもう一度見直さなきゃいけなかったか?
何度否定してもやはり思う。泣きそうになる。
(俺がわるいんだ。だから船は・・俺のせいなんだ)








「キャンプと連絡とる方法は?」
操舵輪の脇で今まであまり口を開かなかったゾロが腕を組んでいる。
「冒険は終わりだ。帰るか・・迎えを頼むしかねぇだろう」
「・・連絡の方法は?これは聞いてる?」
ビビの言葉に皆の視線は座り込んでいたウソップに集まった。
「つ・・通信方法は・・し・・しらない」
ウソップは横に首を振った。見回しても誰も知らない。
「これもフランキーからも習ってねーよなぁ」
必要だなんて考えももしなかった。下手にそんなこと聞いてばれたら困るというくらいにしか考えてなかった。
「船のマニュアル・・とか?」
「この船にあるのは配線図くらいだったわ」
ナミは最初に探したその一冊を取り出した。

壁に貼ってあるのはこの島周辺の海図。最北端がキャンプ地で、最南端がラフテル。その間の島や海が描かれている。
もう一つ。『諦めるな』と古いかすれたインクで書いた文字が掲げられてる。その他に文字の羅列が入ってる。陳腐に思えるがロジャーの有名な言葉らしい。



「陸なら携帯とか使えるのにね」
ビビの一言にあっとナミの口が動いた。
「ねぇサンジ君?アンタたしか携帯持ってたわよね?!」
その言葉に皆の視線がナミからサンジに集まった。
「あ・・ああ・・けど携帯・・?」
疑問を含んだ視線にサンジの声が飛び跳ねた。
「そうか!今時の携帯なら海の上でもいけるって。だから海の事故も減ったって爺ィも言ってたぜ!」
「そうよビンゴ! たしか緊急の番号は118!救急車の前って覚えてる!」
ナミの興奮した声にはじかれるようにサンジは右手をゆるめのパンツのポケットに手を突っ込んで指先が慣れた感触を探った。
「あった!」
「さっすがサンジ!」
「これで助かるのね!?」
ざわめきと共に安堵が広がる。
皆一斉にサンジの手の中に光るメタリックブルーの携帯に期待の笑顔を輝かせた。
サンジの得意そうな紅色に上気した頬の色が
「あ・・あれ?そんな・・・・なんでだ?……おいちょっと待ってくれよ。」
ウソップが手元を覗き込むとサンジの焦りを含んだ声が更に焦りをおびただしくしていく。

「圏外……なの?」
「海の上だから?」
「そんなこと無いの!今時かなりの近海には電波が届く設定にされてるのよ!!」
「お前なんでそんなこと知ってんだ?」
「ちょっと興味があっただけ。っていうか知っといて損は無いでしょ」
ナミは社会で公海のことを習ったときについでに周囲の海域についての本を読んだという。
「それじゃ・・・・?」
「・・・・・・」
彼らが電波の届かないところに遠くに迷い込んでいるかは判らない。機械も操作できない。どちらにしても連絡はできない。

ゾロがお手上げと手を開いた。
「本格的に・・・やばいわけだ。」
「やだ怖いこと言わないでよ!」

空気が重くなる。
期待がしぼんだことで一層皆の恐怖は煽られた。









船の揺れはどんどんひどくなる。
今までにない揺れ方だ。
「揺れるな・・嵐か?それともバランサーとやらも壊れたのか?」
静かなゾロの一言だがこれも皆をぞっとさせた。
このまま進む方が余計に悪くなりそうな予感ばかりがふくれあがる。

「なんとか引き返せねぇことないだろ。帰ろうぜ!」
サンジが叫ぶ。
帰りたい。小さな言葉だが皆すがりつきたくなる。帰れるのなら帰りたい。もういやだ。
ところがルフィが大きな声で叫んだ。

「いやだ!俺は絶対ラフテルに行って!『ひとつながり』に行くんだ!」
「ルフィ!我が儘言うな!」

サンジの叫びはさっきの稲妻の様に大きかった。そのまま舵を取ろうと手を伸ばす。そうはさせまいとルフィが舵を握りしめた。

「いやだ!」
「我が儘だぞ!」
「俺はラフテルに行くために病気を治したんだ!」
「何でそこまでラフテルにこだわるんだ?」

皆がルフィを見た。
ルフィの細い首には引きつったような傷跡が残ってる。一度では済まないだろう手術跡。
ルフィの目が嵐のように渦巻いている。まるで闇が燃え上がっている様にも見える。
野生の獣が歯を剥いたような鋭さを今のルフィは隠さなかった。


「俺のガキの頃はよぉ。病院しかしらねぇんだ。入退院ばっかりでよ。ようちえんとかもしらねぇ。学校も入学式は出てもそこからすぐに休んでた。
ほっぺたのここに癌があったんだ。」


癌。そう言われてもピンとはこない。あまりに遠い病名だ。
それはもっと年を取った大人がなる病気だ。死ぬかもしれない大人の病気。
今のルフィは元気じゃないか。

「入退院しては何度も治療しないといけなかった。
手術ってのを受けるのは怖ぇぞ。本当に怖いのは手術じゃねぇよ。終わってからなんだ。
痛いんだ。体が自分じゃないみたいにしか思えねぇ。だいたいなんで首が痛いのか全然わかんねぇし、怖くて怖くて、手術なんてしなけりゃよかったってなんども泣いた」

今のルフィが受ける手術じゃない。
もっと小さい彼が見える。泣いてる。
そんな病気で小さい子供の泣く姿は今のパワーの塊のような彼からは想像も出来ない。


「覚えてる限り、いっっつも病院だ。
点滴も何度も何度も繰り返した。髪だって何度も抜けたし、食えなくなることもいっぱいあった。
だから今、喰えるようになってからはその分まで喰うんだ。喰えば力になるからな。

入院も点滴ももう止めたいって言ったら親も泣くしよぉ。そこでシャンクスが言ったんだ。あ、シャンクスってのは主治医の先生だ。」

『賭をしようルフィ。お前が絶対諦めないで治療を頑張ったら世界一のお宝を見せてやる。そいつは南の島にあるんだ。誰がなんて言おうと俺が見せてやる』


ルフィの目は遠い何かを見ているように煌めいた。
ここにはない遠い何か。
それは彼の見た夢だ。
夢の光景だ。


「世界一のお宝だぜ。想像も出来なかった。それが碧い海に浮かぶ島に、南の島にあるって言うんだ。
あのとき、俺の夢に初めて色が付いた。海の碧と島の緑。テレビよりも本よりももっときれいな色の付いた夢だ」


外は嵐なのに。
今も雷が来てもおかしくない雨と風なのに。
なぜか皆それぞれの眼前に同じ夢を見ていた。
碧い島にさざめく波の音。島の綺麗な鳥が歌う森の奥には想像も付かないお宝が眠ってる。


サンジはルフィの体を押さえる力を失っていた。同じように力を抜いたルフィは頭から落ちかけた帽子をそっと手にした。ぶるっと一度頭を振って、帽子はポンポンと手ではらってまたかぶりなおす。


「それで、俺はシャンクスとの誓いを果たすって決めた、絶対にあきらめねぇって。そうしたら治った。治したんだ。
本当なら賭けをしたあのときの俺の生きる確率はすげぇひくかったって多分俺は死ぬだろうと思われていたって後から今の主治医の先生が話してくれた。
けど俺は治した。治ったんだ

一度でもあきらめたら俺は死んでた。でも今生きてる。治したんだ!

だから俺はやるって決めたら何があっても、絶対に何もあきらめねぇ!」


ルフィが、もっと小さなルフィが諦めていたら、今の彼らの誰もルフィには会えなかった。
一緒に遊んで騒いで・・ただキャンプの光景にルフィの姿だけが消えていたはずだった。
誰しもが感じていた。ルフィの居なかったキャンプ、それは・・・なんと色の褪せた夢だろう。


「だから、俺は島を目指す!あきらめねぇ!」
「ルフィ・・・けど気合いだけじゃ・・」
サンジの絶叫には最初の勢いはなかった。
「俺は絶対に行くっ!」


ルフィは腕を組んだ。四年生で130cmのやや小さい背。その背景が入退院の繰り返しなら頷ける。

「病名はなんだ?」
今まで黙ってたゾロが低い声で聞いた。
「誰もしらねぇよ」
「いいから。」
「Rhabdomyosarcoma」
「・横紋筋肉腫」
「・・知ってんのか?」
「・・驚くな。俺は聞いたことは覚えてんだよ。聞いたことだけはな。
 これはたまたま聞いたことがあるだけだ。俺のばあちゃんも小児科医だからな」

ゾロの記憶も思い出されていた。
ゾロの記憶は遠い過去。ルフィの夢とは対照的に色の薄いセピア色。

迷い込んだボールを取りに自宅の庭に入ったところで診察室の窓から声が聞こえた。
患者の家族が来て泣いていた。治療は繰り返すから本人にも家族にも気合いが要ると婆ちゃんが静かに言っていた。
死ぬ話ばかりで静かにすすり泣くおそらくは患者の家族の異様な雰囲気に庭に取りに来たボールを抱えて動けなかった。
動けない間小さいゾロはずっとその説明を聞いていた。
自分も死んでしまうような気がして・・怖くなって余計に動けなかった。


ルフィはその死の世界から帰ってきたのだという。
諦めず。
戦って勝ってきたのだという。


ルフィの細い脚。腕だけはそれでもあきらめずに鍛えていたのだろう筋肉はついている。
腕組みをしてその細い両足をぐっと広げてルフィは床を踏みしめて立っていた。

「ここに行かなきゃ俺のグランドラインは終わらない。だから絶対に行くんだ。」

誰にも、命を賭けたことのある彼の意志を変えられない。





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