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空と海の狭間で-2


「おーいチョッパー!かいもんに行くぞー!」
「ゾロ!オレ、アイスかっていいかな?」
「腹が冷えるから止めとけって、じゃないとまたばーちゃんにとばされっぞ。」
「ええーーー」

古びた平らな石を敷き詰めた玄関で穴が開きそうになるまで履きつぶされたバッシュに足を突っ込み踵を潰したまま出かける。
つぶれそうに古い医院は頑丈だから、と言う婆ちゃんの教えのまま家も診療所も古いままだ。台所は当然、待合いと診察室にわずかだけクーラーが効く。冷えすぎはいけないからねというこれも婆ちゃんの教え通り家の中にはクーラーはない。弟のチョッパーには心臓の病気があり確かに冷えるのは良くないが、案外クーラー無しでも家に風が通る。緑の世話は婆ちゃんがやってくれるが、水やりと打ち水は子ども達の仕事だ。
今日のメモは豆腐とキュウリとトマトと出汁用の昆布に素麺一箱。かと思えば裏に「おじゃがとタマネギとにんじんが安いから5キロずつ買っといで」の追加があった。
「げ??重いもんばっか俺に買わせる気だな。」
剣道の稽古まで二時間ある。近所の商店街で買い物は済むから時間は充分。次は6年にもなれば全国を睨んだ大会も控えてる。今年は優勝まで戴くつもりだ。

出がけに郵便受けの中を覗くと封筒がいくらか入っていた。覗き込んだゾロの背後から影が現れた。
「あ、ご家族かな?くれは先生はおいでかね?私は医師会より来たものだが・・。」
郵便受けの向こうから声がした。会ったことはないが背広にハンカチで汗を拭きっぱなしの小太りのおっさんだ。出された名刺は医師会の名が入っている。よく見る名刺だ。受け取って返事をしようとしたら
「あ、はい。ばーちゃんはこっちです。」
1年生のくせに小利口なチョッパーがにこにこと客を案内して玄関を指さした。チョッパーは愛嬌もあって、誰にでもかわいがられてる。適任の奴にその件は任せた、とゾロは視線を落とし手元の郵便をチェックする。ダイレクトメールやら学会からやら婆ちゃん宛の郵便物の中に自分の名を見つけてゾロは差出人を見た。
「『グランドライン企画執行部』・・・しらねぇな。」
手紙を両手でとんとんとそろえて中身を揃えて破ろうとしたその時。
「ゾロ!早く行こうよ〜〜!」
「あ、待て独りで走るんじゃねぇ。」
仕事も終えたしと待ちきれないチョッパーの声に、開封は帰ってからで良いだろうとその作業は諦めて封筒は全部玄関の脇に放り込んだ。お尻のポケットに手をつっこんで財布を確認する。忘れモンはないか?これもバーちゃんの教えだ。
先を歩いてるチョッパーはやたらと手をつなぎたがる。荷物のない時には手を貸してはやる。
「チョッパー。勝手に走って迷子になってもしらねぇぞ。」
「ゾロ・・それ、オレのせりふだよ。」
「一年坊主が兄に向かって偉そうな口をきくな。」
「だってゾロすぐに『まいご』になるじゃん。・・いたいよ!」




「ただいま〜〜おわっ」
咥えていたアイスの棒が飛びそうになったところを避けたから無事だったが玄関から外も見ないで飛び出してきた物体がある。このすだれの頭はさっきのおっさんだ。
小学生にしても背の大きい方のゾロとあまり変わらない身長がぶつかってきたおかげで両手のスーパーのビニール袋が揺れている。
「ゾロ!台所から塩もっといで!」
さっきのおっさんが振り向き、それでも懸命に婆ちゃんに声を掛けようとしている。
「でも先生!私の話も・・・!」
「五月蠅いね!アタシに口ききたきゃもっとしゃんとした理由ででておいで!間違っても医師会を装って来るようなうさんくさい不動産屋の手先になった奴にまたがせる敷居はうちにはないよ!・・こらゾロッ!ぼんやりしてるんじゃないっ!」
展開が判らなくてもぼやぼやしていると絶対に矛先が自分に向くことだけは避ける。慌てて荷物を玄関において台所に駆け込んだ。
塩のツボを抱えて持ってきたときにはもう客は居なかった。

「チョッパー、溶けてるぞ。」
ビビったまま動かないチョッパーの手が溶けたアイスで汚れかけてるから代わりにべろっと舐めた。
「あーーーー!ゾロ!酷いっ!」
その声にようやくはっと動き始めたチョッパーの声をおいてきぼりにして、ゾロは台所に買ってきた物を運びこむ。冷蔵庫まで片付けるのも仕事の内だ。チョッパーが細かく手伝うが届かないので上の方はオレがひょいと取って入れる。婆ちゃんは万事に細かく色々うるさい。
うるさいのは困るからやる。いつものことだ。

「終わったぞ。」
居間にはいると風が抜けていく。相手に出したテーブルに残ったコップの麦茶がもうじっとりと汗をかいている。
「なんだ?またここを売れって?バーちゃん相手に命知らずの奴だよな。」
アイスの棒だけをしゃぶったままゾロが声を掛けた。
「ガキが生意気言うんじゃないよお前はちゃんと買い物を片付けたのかい?」
「それはおれがやったーー」
チョッパーが答える。くれははよほど今回は腹に据えかねたようでまだ口の中でもごもご言っている
「・・何が『跡取りの息子さん夫婦もおいでない上にお孫さんまで亡くされてはもう・・』だ。事情を知ってるからってそこまで踏み込まれるこたぁないんだよ」

疲れ知らずの祖母の額に少し翳りを感じる。その原因はゾロには一応わかってる。
「なぁ婆ちゃん。俺、やっぱり医者になったほうがいいのか?」
この話題が祖母の逆鱗にわずか数ミリな事は判ってる。だけど・・。
「ゾロ。クラスのビリから三番の奴が言う台詞じゃないね。医者ってモンを舐めてないかい?」
「ちがうよーーゾロはねててじゅぎょうをきいてないからせいせきがわるいってコウシロウせんせーがいってたー」
「・・・ってチョッパーおまえが聞く話じゃないよ。仕事に就くときはやる気がないとどんなことでも大成するわけ無い。だから要らないことばっかり考えてるんじゃない。それにゾロ、もう行く時間だろ。」
「ああ。・・そう言えば俺宛の手紙ってなんだったんだろう?」
「手紙?」
玄関から取ってきてそれをくれはに見せると彼女はいつもの笑顔に戻った。笑ってんのに怖い。やっぱりこの顔の婆ちゃんに挑んださっきのおっさんに少し同情する。
「ああ、来たか。ゾロ、お前これにいっといで。夏休みに入ってすぐのやつだから。」
中身もあけて見ないで言いながらバーちゃんは手紙の封を切り中身をよこした。
キャンプ?
その日付・・。
「?・・・・バーちゃん!俺、夏には大事な試合があんだよ!」
「試合よりずっと前じゃないか。」
「週間前だよ!それまで練習しないでどうすんだよ!」
「ああ?・・・・・・ゾロ。お前扶養家族の分際でアタシに逆らおうってのかい?」
やばい。
けど必死だった。

「全国大会なんだよ!」
「いかんでいい」
「婆ちゃん!」
「うるさい!!」
「でも!」
「でももしかもない!頼まれて欲しいことがあるんだよ。今年じゃなきゃダメなんでね。だからいっといで。・・返事は?!」

暑い夏なのに、バーちゃんの背中から凍気が出てる。
これだけ強固な祖母には決して逆らえないことをゾロは骨身にしみて判っている。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい。」




生まれてこの方婆ちゃんに逆らえる奴にはお目に掛かった事がない。
近所の医者の間でも有名な彼女は治療一つに関しても偉い先生達にくってかかる事しばし、口うるささと裏腹な丁寧な診察にファンも多いが反面嫌がる奴も多い。客商売には不向きだと思うのだが貧乏でも自分のポリシーは崩さない。
そう言う祖母は尊敬し、服従もしている。このバーちゃんは医療の腕も凄いが腕っ節も普通じゃない。庭に忍び込んだ泥棒が失禁と治療付きで全治二ヶ月だったとかの噂もあり、小学生ごときではいくら全国区でも有数のゾロでも全く刃が立たない相手なのだ。

「わかったら道場に行く前に仏壇に手を合わせて行きな。」
「はい。」

我が家の仏壇は賑やかだ。死んだ顔も知らない爺ちゃんに加えて自分の両親と、姉のくいなも入ってる。家族の半分以上がそっちに居るという状況にも慣れてはいる。
ゾロが入れ忘れた豆腐を冷蔵庫に入れてにっこり笑ったチョッパーがとことこゆっくりした足運びで来て、ゾロの隣でにこにこ手を合わせている。
「びっくりして無理したか?また鼻青いぞ。」
喘息に伴うチアノーゼに対して唇だけでなく鼻の頭も青くなるチョッパーは6歳。最近はそれを言われるのがどうも嫌らしく、いきなり薄青い口をとがらせた。
「はやくいけよ。るすばんはオレがしておいてやる。」
「判った、けど今日は少し早く帰るよ。内緒でアイス買ってきてやるからちゃんと吸入器吸っとけよ。」
いきなり目の色がキラキラ輝いた。







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