『月は何処へ行った』







* アラバスタ冒険後ビビをかっさらったと仮定した状況設定です。




「俺、おまえが好きだ。」
彼は黒曜石の瞳で真っ直ぐ私を見て言った。
底が知れない深さを持つ彼の瞳は私を掴んで離さない。
「わ・・私もルフィさん・・好きですよ・・」
普段の話にすることで誤魔化そうとする私の左腕をぐっと掴む。その握力の強さに彼の真剣さがはっきり感じられる。そのまま歩を進め顔がすぐ前に寄ってきた。
額がくっつきそうな至近距離で真剣な目から放たれた呪縛は振り解くことが出来ない。
心臓が勝手に乱調を刻む。跳ね上がって口から飛び出しそうだ。
(ここから逃げなくちゃ…危ない…)
理性はそう警鐘を鳴らすのに、膝ががくがく揺れているのが解る。
振り解こうにも手にも力が入らない。
「俺、お前が好きだ。サンジに敗けねえ自信あるぞ。ぜってえ諦めねえ。」
「!……」
太陽に焼かれそうな激しさで、ルフィは私を焦がしに来た。このまま一緒に焼かれてしまったらどんなに快感か心よりも身体よりも細胞の一つ一つが知っている気がした。
黒い瞳の彼にはごまかしも嘘もきかない。
それだけは絶対の真理として私も知っていた。


黙ったまま見つめ合い動かない私達の間に海上の風が柔らかく流れてきた。
風によく知っている煙草の香りが乗ってくる。ルフィの視線が私の顔を外れて私の背後に移った。
大型動物が仲間を従える強い視線…後ろを振り返るとその先に金髪黒衣の影が立ち去るところだった。
(何故!何も言わないの!?)


ルフィの言葉は揺れた私の心に確実に染み込んでいった。


「クエッッ!!!」
私の危機と察してか、カルーが飛び込んできた。
「カルー!」
「うわっ!!」
ルフィの手が離れた。支えがなくなったように膝に力が入らない。
へたりこんでいるとカルーは心配そうに覗き込みながらルフィに威嚇するような声を上げる。
「あ、口切れちまった。」
ぶつかられた衝撃で帽子が甲板に飛んだ。左手で口を拭うとうっすら血が滲む。
痛みを感じているのは私?それともどっちなの?
「まあいいや。俺諦めねぇからな。忘れんな。」
帽子を拾ってかぶりなおし、くるりと振り向いて立ち去る姿にようやく全身の緊張が解けた。
ようやく呼吸できる気がした。



今日は最近習慣となりつつあったサンジさんの手伝いをしにいけない。色々教わることが出来るというよりもただ楽しい時間のはずなのに…。
「冬の日の日溜まりのような・・」という表現はこの船で始めて知った。そんな幸せが此処にあったのに。染み込むような陽の光にほっとしていた大切な場所なのに。

サンジさんもいつものように軽く声を掛けてくれない。
何だか重苦しい空気が船の中に流れている。
代わりに気分転換も兼ねてナミさんの手伝いを申し出た。一瞬こちらを見たナミさんは諦めたような笑みを浮かべて快諾してくれた。

いつもの航路の確認から始まって風の向き、強さ、雲の様子をナミさんの指示に併せて書き記していく。最初は全く解らずただ目の回る記号の羅列だったが、少し解ってきた。
と同時に面白みも出てきた。
風に靡くオレンジの髪。ナミさんの横顔はとても綺麗だ。知的で、勇気があり、情が深い。
同性の自分の目から見てもとても魅力的だ。


魚人との戦いの話は聞いた。
ナミさんから、ウソップさんから、サンジさんからも少し。
ルフィさんはてんで解らない言葉を返してくれたので困った。
Mrブシドーは機嫌の悪そうな引きつった額を見せるだけで何も教えてくれなかった。
どんなに皆がナミさんを大切にしているのかが解って、感動したし、少し羨ましかった。
ルフィさんが魚人の頭を倒し、Mrブシドーは全治二年の怪我を治療もしないで戦った。
ウソップさんも幹部を一人倒し、出会ったばかりだったというサンジさんも絶対不利な海の中で魚人相手に戦ったという。
出会ったばかりの女性を助けるために命を懸ける…。
その後仲間になって絶対の信頼を勝ち得る。
まるでお話の世界のようだ。お話ならその後二人は恋に落ちるだろう。
現実にはナミさんはMrブシドーを選んだけれども………。


「ビビ…ビビ…??」はっと気が付くとナミさんがこちらに真剣に向いて指さす。
「えっっ…?」
「手伝ってくれるのは嬉しいけど心此処にあらずみたいね。今日はいいわ、ありがと。」
ナミさんの航路確認の手伝いの記録。最近よくしているから慣れてきたと思ったのに…。
言われた通りのつもりが場所を間違えたまま延々書き込まれている。
彼女の横顔をみているうちに自分の考えに取り憑かれて言うことを聞いていないみたい。
今日は駄目かもしれない。
「はあ〜〜〜〜〜。」
溜息が休むことなく口をついて出ていることをビビ本人は気付いていなかった。


最後尾の甲板で煙草を吸っている男が一人で立っている。

煙草を深く吸い込むでもないのに、いつまでもぼんやりくわえていて唇を火傷しそうになる。
「あちっっっ!」


「あれ?うわっっっ!」
ドボゥン
声と共に大きめの水音がして、舳先の羊からいつもの人影が消えている。
「ルフィ!」
一緒にいたチョッパーの声の異常さに寝ていたゾロがすっと起きあがり、すぐに飛び込んでルフィを救出した。
引き上げられたルフィは甲板の上でのびたままだ。呼吸と心音を確認したチョッパーはホッとした顔をした。ゾロの髪から水が滴っているが本人は気にした様子もない。
「コイツなんか変じゃないか?」
「おめぇでも温泉でも治んねぇ病だ。ほっとけ。」



シャワーで塩を流したゾロがキッチンにやってきた。いつもと違う重苦しい雰囲気に表情も変えずに指定席に座る。
「関係者全員重症ね。どうすんの?」
横に座った男にナミは小声で耳打ちする。
「どうもするかよ。奴らの問題だ。」
「あんたに聞いたあたしが馬鹿だったわ。」





男部屋の中に緊張感が重苦しくのしかかっている。そんななかでも誰ともなく床につき、
一人、また一人と睡魔の海に出発していた。
そんな中、火を付けるわけに行かない煙草をくわえながらサンジは天井を睨んでいた。

「おい寝れねぇんなら、少し付き合いやがれ。」
ウソップがいつ起き出したのか声をかけてきた。
黙って場所をキッチンに移し、酒の弱いオレ達は湯気の立ったコーヒーに少しラムを入れ、
それを掌に抱えるように黙って向かい合わせに座っていた。
「……何の用だ?コーヒーだけなら俺は要らねぇだろ?」
「はん・・余裕のあるつもりか?んなこと言ってるとビビをルフィに取られるぞ。
あいつは根っからの海賊だ。欲しいと思ったら絶対に迷わねえで手を伸ばすぞ。」

やや暗く、一つしか灯りのない部屋にしゅぼっと煙草をつけるライターの音が響いた。
「るっせぇな。それでビビちゃんが良いんなら…仕方ねえだろ。」
暖かいコーヒーからラムの香りが漂ってくる。
「いざって時にお前は絶対弱気だな。そんなことだからナミを諦める羽目になるんだ。なんやかんや言っても一時は本気だったろ?」
深い紫煙を吐き出しながらサンジはなかなか口を開かない。

「……ナミさんは凄え人だよな。おめえだってココヤシ村ん時には惚れただろ?」
「…まあな。けど普段に戻りゃあ恐すぎらあ。俺じゃ役不足も良いところだ。あの寝ぼすけ迷子くらいで丁度釣り合いがとれてら。」
「確かに。」



懐かしいイーストブルーの小さな島が思い出される。
レストランを出て始まった俺の冒険が。

「あんなに綺麗で魅力的な人があんな酷い過去を持ってたってお姉様に聞いたときにはひっくり返りそうになったもんな。『絶対守ってあげなきゃ』って燃え上がった。
でも・・もしあれがナミさんじゃなくても俺は命を懸けたと思う。」


コーヒーの湯気はもう見えない。夜半に冷え込んだ空気は部屋も心も少しずつ冷やしていくようだ。
コーヒーに入ったラムの香りはもうはっきりしない。

「バラティエを出て楽になれてから、始めての冒険が綺麗な女の人を助けることだったんだぜ。
しかも敵はあの外道だ。その高揚感の方が強かったと思う。
戦い初めてからなんざ奴らを潰すことしか考えてなかった。

自分のためだったんだよ。

あのジョニーやヨサクの方がもっとナミさんの為に戦ってた。
俺は利己的でしかなかったんだ。そこんとこが俺と奴の違いだ。
彼女、後で聞いてきたよ『どうして?』ってね。」

「かもしれねぇな。」
「その後一緒にいれば彼女が解ってくる。奴の気持ちにも気が付いた。
けど女って口説かれるのに弱いからな。そこに気が付かないあいつと自分の違いに優越感を感じながら意地になって口説いてみた・・。
俺が見てたのはナミさんって言うよりは、ナミさんの過去も聞かねぇでも命を懸けてた・・
そんなあいつらに負けた事が解った自分だったと思う。」
馬鹿みてぇだろ?と自嘲の笑いで口の端が歪んでいる。そのまま告白は続いていく。
「ナミさんに聞いたことがあんだよな。」

『あの馬鹿の何処が良いんですか?』
『さあねぇ?大馬鹿だし迷子だし、寝てるばっかりで戦う以外は役に立たないしね。』
罵詈雑言並べながら優しい顔で言うんだ。
『よく見てますね。じゃあ一つ教えて下さいよ。何処から始まったんですか?』
『そう……背中…かな?』

「ナミさんが見てないはずの鷹の目ん時の立ち往生が見えた気がした。
最初にあいつらに何があったのかなんてしらねぇけど、あの3人の繋がりが見えたと思ったよ。

奴は最初からナミさんを守ってたんだ。」


静かに溜息を吐くウソップの表情は灯りを背にしていてよく読めない。入れてやったコーヒーにも手を付けずに顔の前で両手を組んでいる。
「ビビにも同じだってのか?あいつを連れてきたのだってあの3人だったじゃねぇか。」
「ルフィが決めたんだよな。あいつは馬鹿だけど、本能で仲間を選ぶからな。
ドラムの入り口の件もあって・・ビビちゃんを大切にしてるのがよくわかるよ。」
「・・お前は・・どうなんだよ。」
「彼女は…強い女性(ひと)だ。でも強がってるところが痛々しいくらいに解って…
それもルフィ相手なら全部背負ってもらえるんじゃないか?」

こいつが極限で自分を誤魔化す癖は変わらない。
こんな時には顔を隠すその長い髪を切りたくなる。
「俺が聞いてんのはおめえの話だよ。」
「…俺か?…俺がまだ一人で立ってねぇから……そんな俺が彼女を望んだらビビちゃんは
自分で立たなくちゃいけなくなっちまう。そんなことさせたくねぇよ。
あんなに若いのにあれだけの物を背負ってきたんだ。これからは傷なんて付けねぇで守っ
てやりてぇじゃねえか。」


怒ったような顔をしていたウソップが顔を緩ませた。それほど真剣に聞いてくれたのだと解る。
感謝半分気恥ずかしさ半分の気持ちのまま奴の顔を見ていると、視線をキッチンの掃除用具を入れていたロッカーの方に向けていた。

「………だとよ」
道具入れの箱がカタンと揺れて戸が静かに開いた。
中から下にうつむいて、顔を真っ赤にしたビビが現れた。淑女とは言えない行為に自分を恥じている様子がよくわかる。
「!をいっ!ウソップ・・てめぇ……。」
「ビビには怒るなよ。俺がそこに押し込んだんだからな。」
ウソップは椅子から立ち上がった。
「おめぇは見てて危なっかしいんだよ。俺より強い癖に時々馬鹿みてぇに頼りない…。
けどここまでだぞ。後はしらねぇからな。俺にはルフィも大事な仲間なんだから。」
そう言ってドアの方に歩いていたウソップがキッチンのドアを開けると外は闇が濃く、弱いとはいえ中の明るさに慣れた目には何も見えなかった。




中に残った二人の間を重い沈黙が支配して、どちらの口も閉ざされていた。
耐えかねたサンジが乾いた唾を飲みこんだ。
「……ビビちゃ・・」
箱から一歩だけ前に出て、ドアを閉めたビビはそれ以上視線を合わせようとはしない。
自分の右手で左の前腕を握ったままやや俯きかげんで身を堅くする。
「男の人って・・女の人を守りたいだけなんですか?確かに私は頼りないけど…。」
「………。」
「王族をやっていれば人を犠牲にしても生きて行かなきゃいけないこともあります。
でもそれって辛いんです。私は皆を守る者でなくてはいけないのに。
確かに私が守ってばかりじゃ疲れてしまうこともあるけど、産まれたときからずっとこうだからそれを辛いと思ったことの方が少ないんです。
守ってあげられない方が辛い…。
私にサンジさんを守らせてはもらえないんですか?こんな気の強い女はお嫌いですか?」

最初は独り言のように呟かれていた言葉は彼女の思いを吸って重さを増す。溢れる想いが溢れる言葉になって止まらなくなる。

「私はちゃんと自分で歩きたいんです。確かに国の一大事の時に皆に助けて貰って…そのままこの船に乗せて貰ったけど、助けて貰うばかりは嫌なんです。自分ができることは自分で・・それって迷惑なんですか?」

ピンと伸びた背筋で汚い船の台所に立つ君は神々しいばかりの美しさだった。
俺の目の前に輝いているこの宝石は砂漠に置いては月と成りて人を誘うだろう。
砂漠では灼熱の太陽よりも優しい月の方が好まれるとあの国で教わった。
自分でも砂漠の極限を体験し、あの国にとって彼女がどれだけ大切か感じながらそれでも彼女を略奪まがいにこの船に連れてきた。
そして船の上でもここで得難い真円の真珠となって気高く輝いている。

自信のなさに目を曇らせてこの輝きを失うところだった。

そのまま両手を伸ばして、俺は両頬を濡らしながら彼女を抱きしめていた。
しっかりと。
腕の中の温もりが心に移って暖められているのが解った。


サンジに抱えられながら背中に手を回して、彼女は涙を見せなかった。



ウソップは外に出て後ろ手にしっかりドアを閉めた。急に冷や汗が全身に沸き立ちその緊張をほぐすのに伸びをしていると、いきなり右の暗闇から声を掛けられた。
「ウソップはサンジの味方なのか?」
「!」
唇を真一文字に結んだルフィが其処に座っていた。
「はーーーー。吃驚させんなよ。幽霊かなんかかと思ったぞ。」
「ちぇっっ。」



「やっと言ったわね。」
今度は左上の方からナミの声がした。彼女の蜜柑の木はキッチンの天井上に当たる甲板の向こうにある。風に乗って葉ずれの音が暗闇から聞こえる、そこから声を掛けてきたのだ。
「これでハンデ無しよ。やっとスタートラインかしら?」
ふふっと笑いながら座り、左手に顎を乗せて微笑んでいた。見れば横にゾロが和道一文字のみを携えて座りながら反対の手のラムをラッパ飲みしていた。
「おいおい・・出歯亀か?」
「星を見てたのよ。今夜は月がないから。そうしたら聞こえただけ。」
「ナミもサンジの味方か?」
ふくれっ面のルフィがぼそりと聞く。

「あたしはビビの味方よ。…ねえルフィ?あたしとビビとどっちと寝たい?」
過激な質問においっと目を剥いたのは聞かれていない男二人だった。

「どっちも俺のもんだ。仲間だもんな。」
聞かれた当人は全く変わらず憮然と、しかしあっさり答える。こちらを向きもしないルフィにゾロが右手で黙って刀の鯉口に手を掛ける。
それを目の端で見ながらルフィに諭すようにナミが言った。
「だからなのよ。あんたに全身で望まれたら断れる女って居ないわ。」
「ちぇっっよく言うよな。ナミだって俺を断った癖に。」
「私はあんたの航海士だもの。航海士はあたしじゃなきゃ嫌なんでしょ?」
「ちぇっっっ。」
ルフィはそのまま満天の星を見上げる。
「でも俺諦めねぇぞ。ナミはゾロにやったけど。」
「ぶはっっ。」
会話の流れに構えを解いて再びラムを口にしていたゾロがいきなり咽せた。
「失礼ね。あたしが決めたの。選んで貰った覚えも差し出された覚えもないわよ。
誰にも文句は言わせないわ。」

「おい汚ねーぞ。ゾロ。人にかけんなよ。」ウソップが飛んできた唾を手で拭う。
「あ、、すまん。おい、そろそろ部屋に行くぞ。出てこられたら一騒動だ。」


小声の会話もこれだけの人数では内緒で済まない。そのときの蹴りの恐ろしさを想像し、ウソップは脱兎のように動物達が眠る部屋に駆けていった。
が、ふと何を思ったのか忍び足で息を切らせて戻ってきた。
「ルフィ!」誰に言いたいのかシーと口に人差し指を当ててルフィの横に座り込む。
「俺はサンジの味方って訳じゃねぇ。でもこれで対等だと思ったからこうした。
後はおめえ等が決めることだ。 だって…俺達海賊だもんな。」
真剣なウソップの顔にルフィは口元だけニヤリと笑った。親指を高く掲げ、ウソップは今度こそ音速の勢いで男部屋に戻っていった。


「おい。ルフィ」
蜜柑の木の横から降りたゾロが声を掛けるが、ルフィは動こうとしない。
「俺はここでいい。」
「ふん・・そうか。今夜は舳先に行って落ちるなよ。」
「ああ。」
そのまま階下に降りていく。遠くにナミの「あんたはあっちでしょ!」という怒声と、鈍器で殴った音がした。



灯りが一つ。私は抱きしめられている。
触れられている身体の体温よりも、左の前腕が火傷したように疼いている。丁度手の形に。


「欲しいモンは欲しいって言う。譲ってたまるか。」
ルフィの呟きは夜の闇に溶けていく。
月のない今夜 海を臨むルフィの姿はよく見えない。
彼の髪も瞳も闇に溶けていく。







  第二章