ロビンは一呼吸置いて何も言わず案内役を務める影のすぐ後を追い始めた。霞の中すぐに建物の影が見えてきた。今宵一晩をそこで過ごせと言うつもりらしい。船の食料は二日前に船に積んだばかりだ。このまま離港しても大きな問題にはなるまい。それよりも何か行動を起こせばそれに返ってくるかもしれない恐怖の方が大きい。勝手に外に行ってしまいそうなルフィを引きずり込みながら、とりあえず案内された建物の中に入る。まだ日が落ちる時間ではないのに霞んで外ははっきり見えない。だが隔離された建物であることは明白で、彼らによほど住人と顔を合わせて欲しくないようだ。建物の中はさすがに視界がはっきりした。ほっとすると同時にさっきの答えにロビンの口から軽い溜息が漏らされたことをナミは見逃さなかった。 「知ってるの?」 「噂ならね。あの人達の言うのは脅しじゃないみたい。困ったことになる前に早めに引き上げた方が良いわ。」 「困った事?」 「地磁気で繋がれたグランドラインの島にも変わり物がいると聞くわ。その影響を受けない島に、人はたどり着けない。 入ったら最後・・。」 「どうなるんだ?」 案内されたのは屋根と壁があると言うだけの小屋だった。さっそくと壁に寄り掛かっていたゾロがロビンに訊ねた。 「『呪い』がかけられてしまうと言う伝説があるわ。お伽噺よ。 明るめの話ならば『その呪いは王子様の心からの告白で解けるのです。』」 「怖いのもあるのか?」 恐る恐るウソップが訊ねる。ルフィも横にくっついて怖い話は怖いけど嫌いじゃないらしい。 「『異形に姿を変えられてその島でも永遠に解けない呪いに一生を費やすことになる。』 何処までが本当かしらね?」 ほんのりと微笑んでロビンは窓の外を見た。伝説はしばし古き時代の歪んだ鏡として登場する。これもまたそうかもしれない。ノーランドとクリケットのように。そしてあの本のように。ロビンはまた出会えそうな伝説に疼いている己に苦笑する。これは不治の病といっても問題ないだろう。 「ルフィ、行きたい気持ちはよくわかる。けどな何もないって!」 「確かに気持ちは判るな。けどやめとけ。」 外にでたがり伸びるルフィを抑えていたウソップの慌てぶりを見て後ろからゾロが声をかけた。 「ん?彼奴等なんか言ってたか??なんだか冒険の匂いがするん・・。」 「この島には何もねぇ!!だから・・・。」 ゴムは暴れてまた伸び始める。ゾロが慌てて手を貸した。 「ロビン!頼む!」 ウソップが向こうの部屋で窓際で外を見ているロビンに声を掛けるとルフィの回りに一斉に手が生えた。 「今のうちに縛っておいた方が良いわ。」 ナミがポイッと太めの縄を放ってよこした。 「それを解いたら借金10万追加よ。」 「はうっ!」 騒ぎの中ドアが開く音がした。さっきのフードの中にやや年かさの男性がシーツを持ってきた。表情は余り豊ではない。むしろ乏しいと言った方が当たっている。その後ろに鍋の乗ったワゴンを連れてきている。 「寝具も間に合いませんが、こちらに。」 そう言ったきりワゴンを部屋の真ん中に置き寝具を積み上げた。その間、話を返そうとも視線を合わせようともしない。 「なぁなぁおっさん!!」 縛られても話しかけようとするルフィを遮ってナミが質問を掛けた。 「この島にずっとお住まいですか?この島は・・」 「いいえ。先年こちらに来ました。・・・・・・・望みだったんです。」 少し身体が震えたようだった。 「望み?この島で?」 「ええ。静かに家族と暮らすことが。」 「家族もご一緒ですか?」 「私の孫も一緒にこれを運んでくれました。良い子なんです。まだ小さいけれど。」 孫の話には相好を崩すのか一瞬明るくなって、だがまた元に戻った。フードの下には皺の多いシミの付いた肌が見える。肌に刻まれた傷からも歴史が語りかけてくる。だが緊張を強いるような気は持っていなかった。普通の。ごく普通の男だった。 だが今は彼一人しか見えない。 「お孫さん?子供の足音なんてしなかったわ。」 「ガキなんて見てねぇぞ?」 男は寂しそうに笑い、そして部屋に背を向けた。 「いいんです。今の私には見えるのだから。」 「何となく不気味な島だなぁ。」 長閑に粥を掬うウソップの椀の匂いに芳香をくすぐられたルフィは舌を伸ばして中身をさらった。温い粥のそれらは一気にルフィの腹に収まった。それを数度繰り返してからあきらめ顔のウソップは大きめのボウルにルフィの分を入れて前に置いた。後は手を出すなと訓辞を残して。常人5人分とあれば是非もあるまい。その他にも一椀ずつ掬う。渡そうとして窓の側に行ってウソップは驚いた。窓から玄関をじっと見つめていたロビンの気配が固まっていた。身体も微妙に震えている。 「大丈夫か?」 ナミも気が付いてロビンに声を掛けた。 「あの人、知り合い?」 「・・・・・超有名人よ。元・世界最高会議の氷の懐刀。副幹事長を務めた男。目の前で誰を殺しても顔色一つ変えない緊張が服を着たと言われた男。二年前失踪したらしいと聞いていたけれど・・第一家族がいるなんて情報ひとつも聞いたことない。」 ウソップは驚きのあまり粥をこぼし、ゾロは動かなかった。偉いと聞いてもいない物には興味がないようだ。 「命を狙う敵の数は知れず、それ以上の人間を葬り去ってなお眉一つ動かさない男・・・。」 「ええ!?!??そんな大物がなんで・・。」 「家族って・・一緒に運んだ孫なんて絶対にいなかったぞ?」 恐怖。判らないものへの。好奇心よりは恐怖が襲い来る。生物の本能として避けなければいけない物はかぎ取れる。ロビンの緊張は伝わっていた。おそらくは・・・まだ彼女の語らない過去と関係があるのだろうと思われた。 「じゃぁあの人は・・病気??幻覚でも見てるの??」 ナミの質問を余所にロビンはふぅっと息を吐いた。 窓の外を過ぎゆくただ一人で歩いていく男の後ろ姿を最後まで見送って、ようやくロビンは身体の力を抜いた。 テーブルの上の茶器から温くなったお茶を一杯注いでぐっと飲み干す。人心地着いたようだ。 「いえ・・おそらくここは厭世した人の島なのね。人との関わりを絶った人の・・。 つまり余所者はこの世界の調和を乱しかねないってことでしょう?それにこの匂い・・。」 「不思議島か?」 「ああ不思議島だな。」 あっさりと受け流しそのまま粥を食べようとするルフィとゾロをナミの鉄拳が床に沈めた。 「これを受け入れて島はログポースにも映らなかった。地図にも載ってない・・。知られたくない人たちの為の島かもしれないわね。」 「俺たちには関係ないって事だな。さっさと寝て明日早く出て行こうぜ。」 鉄拳で瘤を作られたまま座った床で椀を空けたゾロが締めくくって銘々食事に専心することにした。 小屋は狭い。でも案外造りが複雑で見えない場もある。食事を終えた銘々は床に転がったりソファの上で休み始めた。 「サンジの奴遅いな。」 「チョッパーがまだ倒れたままなのかしら?」 「過労か?」 「普通の人間ならああなるのかもね。あんた達と一緒にしたら悪いわよねぇ。」 「おーー・・・ぬぉっっ!!」 「どうした?」 ルフィの見張りに向かったウソップが奇声と共にわなわなと体を震わせた。 「・・・・・ルフィが・・・・・。」 ナミの渡した縄を持って振り返る。くるむ様に巻かれた太い縄の中には犯人はもはやいなかった。 ドアは乱暴に開けられた。 「この霧で、もう夜になる。明朝には出るんだろ?俺が探してくる。」 「あたしも行く!もう一人迷子作ったら話にならないわ!」 二人が一気に霞の中へ飛び出した。 「よぉし!俺様は残って連絡係を・・・・」 ウソップのその声はドアを開けっ放しで表に駆けだして出て行った二人には届かなかった。 ことん・・と小テーブルにコップを置く音がした。 「じゃぁ、私も。」 「おいロビン!何処行くんだ!!」 「船長さんの捜索・・でしょ?貴方は留守番お願いね。」 「よおし判った!って一人で行く気か??まじかよ!」 ロビンが一歩外に出るとそのドアの向こうにチョッパーの帽子を被ったサンジが現れた・・と思えば霞の中のシルエットがはっきりした。 「おおい!どうした?あれ?麗しのロビンちゃんvvv??」 「あ!サンジ!チョッパーはどうなった?」 「これだ。」 肩に馴鹿が乗っている。 全身がくったりしているのに表情は元気そうだ。 「俺!サンジの飯喰ったから元気になったぞ!!」 先ほどとはうってかわった表情だ。だが、やはり少し体調が悪そうだ。 「船医くん?これで元気になったというの?」 ロビンがチョッパーの額に触れた。 「ウン!俺もの凄く元気なんだ!」 その声を聞くとなんとなくチョッパーが元気そうに見えてきた。 「サンジがな、『俺の作った飯を食えば一気に治る』っていってくれたから食べたら治ったんだよ!」 ウソップはほっとした表情になり、サンジは少し煙草をくわえたまま口元が嬉しそうだった。ロビンは一人チョッパーをじっと見ていた。 「本当に良くなっ・・・・・・。」 そこに割り込むようにサンジが回りを見渡した。 「で・・・愛しのナミさんとその他のおまけは?」 「それが・・・。」 顛末を話したウソップの話の途中からサンジが表に飛び出した。今更ながら霞の中、後を全員が追う羽目になった。 「せっかく良く見える所に来たのに。ウソップが言うみたいに空に星がある以外はなぁんにもないんだな、この島は。つまんねぇの。」 独り道を歩く少年の行く手はくっきりと晴れた空。星が見えている。 花の香りだけが、彼の供だった。 もう森の中は暗い。日は落ちてしまっても暖かいことがせめてもの救いだ。ゾロとナミは霞の中ゆっくりと島の中央、山手に向かって道なりに歩いていた。森が深くなり、二人がようやく通れる道が僅かに辿れるのみ。呼べどルフィの声は帰ってこない。 「なんで付いてきた?」 「あんた一人じゃもう独り迷子を増やすだけよ。どういう奇跡かぐーるぐると同じ所を回ってね。・・・大体当てはあるの?」 「・・・・騒ぎの元にいきゃ何とかなるだろ。」 「はぁ・・当てずっぽうか。その騒ぎだってこの静けさじゃね・・。」 「るせぇ!黙ってろ!!」 含み笑いのナミの声も吸収されるような森の中。 互いに黙って歩みを進めていく。 ここは森の中だ。霞の中見える木々の葉擦れの音だけがずっと連なっている。その中を歩く二人の足音がざっざっと妙に耳に響く。 ナミは周囲を見渡して呟いた。 「不思議な森。夜なのに獣の声が、一つも、しない。」 それは違和感の一つだ。ゾロも頭を巡らせてしばし耳を傾けた。平時に動物は静かな物だが、鳥の声一つしないとは。 「霞が深くて見えないだけじゃねぇか?」 「ルフィもいないって事ね。」 「ああ?あいつも獣かよ?」 「あんたもね。」 言ってやがれ。ナミにはそう言う声が聞こえた気がした。 二三歩進めばさらに霞は濃くなり互いの姿も影のように映るくらいぼんやりとなる。聞こえる足音と気配だけはわかるがさすがに不安になる。霞の中足下だけは確保しないと不安で歩けなくなる。黙ったまましばし歩いて足下の小石の並びに見覚えがありナミは驚愕した。周囲を見渡せば覚えのある巨石がある。 「ねぇ・・・本当に同じ所を回ってるわ!!ここさっき通った所よ!!」 「・・・お前が言ったとおりにってか。」 ゾロが頭を上げて目をこらした。周囲を見渡して淡々と言うその台詞でぞっとした。 「これ以上は危ねぇな。動くと余計に・・。」 「ちょっと置いてかないで!!あんた勝手にうろうろすると本当に迷って遭難するわ!」 慌てるナミをゾロは振り返ってじっと凝視した。互いが見える距離。その澄んだ瞳は魂の奥まで届きそうになる。ゾロの本能は本質にだけたどり着く。ナミはその瞳がいつももの凄いとも思い、そして畏怖し心奪われていた。 「ナミ。怖いのか?」 ・・・・・怖いのだ。常識で計れない島が。体の芯から。 本来いつもならルフィを探しに行く事だって互いにバラバラの方が効率が良い。それを本能的に避けただからといってこの男と居れば安心かというと必ずしもそうでもないのだ。見ているとはらはらする。戦闘に関しては絶対の信頼を置いている。だがその他は間抜けな事をしでかすそういう点では船長と同質な男につい手と口を出さずには居られなくなる。そう言う生き物を見ていたい自分も今では受け入れたのだが。 ゾロは固まって動かなくなったナミに優しい言葉を掛ける訳ではない。ナミの不安は聞いてやったとしてもこの先何の助けにもならないと考え、だからこそ出来る事ただ先に続く己の進路を考え、行動する。そう言う自分に疑問を抱いた事はない。 そのゾロの本能での判断は方向以外は殆ど間違えず真実を貫く。 「確かにこの霞じゃこれ以上は無理だ。進めねぇ。近くに洞窟でもあったら入るぞ。」 返事を待たずにゾロが歩き始めた。 「ええ。」 再び歩きながらもう一つの、ささやかだがこの島に来てから膨れていく疑問をナミは口にした。 「なんで今日はこんなにあんたの言うこと聞いちゃうのかしら??都合がよすぎるわ。回りの風景も・・・そしてあたしも。」 「お前はいつもこうなら可愛げもあるがな。」 「・・あたしは頭が良くて目端が利いて正直なだけよ。」 少し妍のある答えを気にとめる風もなくゾロは自分の正面に目的を見つけた。 「見ろ。あつらえ向きの洞窟だ。奥は池みたいだな。うっかり嵌ったら帰ってこられねぇ。」 「またあんたの言った通りね。」 霞んで見えぬ世界。見知らぬ島。その洞窟の中に向かって小さな清水が湧き、それが奥へと向かって緩やかな流れを作っている。中はほんの少しだけ明るさが増して水音がこだましている。 二人がたどり着いた山手の森の中、あつらえたような避難場になる洞窟の中奥に懇々とわき出す泉があった。周囲の岸から水草が花先を落としている。水中のそれは実となり熟成する前のまだ青々しい実が水に浸されている。その実から煙のような白い果汁が水に零れていた。 「水?」 「丁度いいな。喉乾いたぜ。」 足下の水は涼やかだ。岩や苔の匂いではなく島に漂う薫りがもっと強く感じられる。 ゾロが跪き水を口に含んだ。水辺に寄ったゾロの姿が見なくなりそうでそのまま霞に閉ざされ中に消えていきそうで思わずナミはゾロの腕を掴んだ。ぎゅっと。思わぬ力で。 いきなり予想もしない力で捕まれてゾロはナミを凝視した。含んだ水をごくりと嚥下する。その滑らかさの快感と裏腹にナミの手がいつになくうっすら震えていることに気が付くと、らしくないと苦笑し、いつもの揶揄で返そうとゾロは軽口をきいた。 「なんだ?・・抱いて欲しいのか?」 「なにこんなとこで・・・!」 にやりと微笑んだ顔はいつもナミに被さってくるときの強引さを孕んでいる。霞の中、ゾロの瞳だけははっきり見える。ナミは捕まった。 言ってしまってゾロはナミの瞳をじっと見つめてしまった。ただ己がからかっただけのはずが反対に罠にかかったようにナミを抱きたくなった。 無性に。 意図せずに口にした言葉だったが途端に言葉は想いになり行動の源流となった。喉とは違うところが満たされぬ乾きに疼いて思わず唇を舐める。 「だって・・ルフィ・・さがしに・・・。」 「あいつなら騒動が起こってから探した方が早い。」 癒されぬ乾きにゾロは冷たい水をもうひとすくい。少し視線をそらしたナミに口移しで呑ませる。 ゾロの左手がナミをしっかりと抱き、右手は髪からうなじをゆっくりと撫でる。腕の触感を全身で感じたナミは身体の力を抜いた。 そのまま舌が絡み始めた。 →next home |