雨は来た時と同じ激しさで去った。



雨後、島の緑の匂いが熱く濃い。濡れた草をかき分けて少し島の中に入ればとても巨大な葉の下に濡れていなかった小枝を見つけた。火を起こして船内の食料に火を入れる。暖かい南国の気候であるというのに、溜まった雨水を沸かしたお湯の湯気が嬉しい。鳥肌の立ったままの神経がむき出しの様に感じられる身体にはその小さな火と蒸気だけでもありがたい。
まして心はもっと平穏を望んでる。

船からハムを持ち出したルフィは焼く為の棒を捜してゾロの刀に目を付けて大きなコブを作られていた。それを尻目にコーヒー粉を持ち出して小さなポットに甘くて暖かいコーヒーを沸かす。癖のある苦みがいつもよりも美味しい。お湯の後は船に一つだけある小さな鍋に缶詰を開けて暖め、取ってきた肉厚の木の葉を皿にして分ける。身体に回ったお酒がほんの少しだけ飲んだだけなのにもう熱い。

今日は薬は仕込んでいないけど、そのまま濡れていない下草の上でルフィはもう高鼾をかいている。ハムの丸焼きが非常に気に入ったらしい。寝言が漏れたと思えばハムハムと言っている。
ゾロもまた同様火の向こうでいつしか静かに横になっていた。
いつものように。




夜は焚き火のそばがほっとする。
この紅い炎はなぜか懐かしい。島を出られる海の上は緊張感もあり好きだけど、こんなのんびりした空気も結構悪くない。せっかくこいつらはそう感じの悪くない奴らなんだから、今日みたいなスリルさえなければこのままが一番ありがたい。予定外のあれは堪えた。あれ以上は勘弁して欲しい。今日は緊張した筋肉のせいで変な所が痛んでる。



ぱちん。
薪が爆ぜる。

気温はあまり下がらないだろうから大きな獣の気配のないこの島なら消してしまっても良い炎が、何となく良い感じで消しがたい。

ぱちん。
ナミは闇の中で揺らぐ火の模様をぼんやりとただ見ていた。

ぱちん。
奴らがいるのに自分と自分を暖める炎しかいないような不思議な居心地。

ぱちん。
緑の香りが濃い。ゆったりと濃い大気に溶け込みたくなる。
ここなら少しくらい寝ても大丈夫かな?




「おいナミ。お前、今夜くらいはきちんと寝ろよ。」

闇からの突然の声。
思いもよらぬ声の登場にどきっとした。
それは今日耳元で聞いた声。
脇の闇からゾロの声がした。
いつの間にか半身を起こしてこちらを見ている。ちゃんと寝てたはずなのに。

「ここなら身体も伸ばせるだろ?明日もあるんだ。三日分。ちゃんと寝とけ。」
そう言ってゾロは首を左右に伸ばしながら腕をぐるぐる回して関節も伸ばし欠伸をした。


気付かれてた?
静まりかえった後に早鐘のように鳴る心臓が自分のものと思えない。
なんとかしなきゃ。


「な・・なによいきなり。」
一文字に結ばれたゾロの唇は哄笑を吐く。
「こっちも迷惑なんだよ。この三日と言うもの俺が少し寝返り打つたびにびくびく反応しやがって。その殺気だけで俺の方が寝られねぇ。」
「な・・。」
「別に一服盛られても、俺あんまり薬は効かねぇぞ。ルフィの奴は知ってても毎朝よく寝れたって単純に喜んでるけどな。」


声が出なかった。
薬の事までバレてる?見られないように細心に行動したつもりだったけど。


「まさかあんた・・・・ずっと起きてたの?」
その分昼寝てたわけ?寝過ぎだとは思ってたけど。
「あれじゃこっちが寝られねぇだろうが。けどナミ・・・・。」


どうしよう。今まで見破られた事なんて無いのに。どうやってごまかそう。
ゾロに看破された事でナミの思考は途絶えていた。頭が真っ白になり自分の体が動く気配もないというのは始めての事だった。
この男達に見破られるという事は全く想像していなかったわけだ。それだけいつもと自分の心の持ちようが全く違っていたのだと始めて気が付いた。
いつもと違う男達にいつもと違う自分。居心地の良さについ、危険に対して対処も予想も甘くなっていた。その自分の不覚がこの事態を招いてる。



「・・・お前俺たちに襲われると思ってたか?」












こんな緩んだみたいな男なのに読まれてるなんて、しかもほぼ完璧に。
予想外の急な展開に一瞬頭が思考を拒否した。いつもの騙し回路が巧く作動しない感じだ。ゾロがあんまり予想外だから とか、一部の心が責任転嫁したがってる。

「なによあんたそんな事三日も考えてたの?」
我ながら間の抜けた答えだ。けど、いつもならすらすら出る適当な嘘の答えが巧く組み立てられない。
答えのパーツを引き出そうにも何処に仕舞ったか判らなくなる感じで頭の中がパニックしてる。



やれやれと頭を軽く振ってゾロは音もなく立ち上がった。いつ移動したのかナミの判らぬうちに小さく残る焚き火に薪をくべ、手をかざしながらナミの横に腰を下ろした。臀部は地面に付けず、すぐ臨戦態勢に臨める膝を折った座り方だ。


「何もしねぇぞ。」
「?」
「仲間が嫌がる事はしねぇだろ。お前はうちの航海士なんだから。」


ナミの返事を待たずにゾロは邪気も疑問も差し挟んでいない茶の瞳を真っ直ぐ向けた。腕を組んで、視線はほとんど同じ高さ。焚き火の炎が茶の瞳に映って、紅い。その瞳にこれまた自分が映ってる。

ぽかんとナミはゾロを見た。
夜陰に焚き火の炎で浮かんだ影のような姿。その中に浮かんだ力強い瞳から目が離せない。
さっき観察していた時よりも大きく見える。
真剣な瞳だ。余分な力が一切入っていない。
澄んだ瞳。裏もなくただ真っ直ぐな。
ゾロを構成している限りなく透明な。



「ルフィもお前の嫌がる事はしねぇ。」
「あいつがそう言ったって訳?けどいつそんな話したのよ。悪いけど口先だけの・・」
「話なんてしてねぇけど しねぇ。」
「何で・・そういいきれるの?」
さらりとよどみなく返る答えにいつもほどの勢いは出ない。それでも聞きたかった。
「誰だって本気の奴の邪魔はしねぇだろ?あいつが手を出さないのは気に入ってるお前が本気で喧嘩売ってるからだ。まぁ、本気で寝て貰いたがってるからってマヂ、寝ちまうとは思わなかったけどな。面白れぇ奴だぜ。」
心底面白そうな視線の先に焚き火の火にルフィの寝姿のシルエットが浮かんでいた。
やはり微動だにしない。本当に寝ている。

本来なら信じられる話じゃない。
でもゾロの恐ろしく単純な解説を馬鹿にするどころか、頭より先に本能が解っていた。
私の本気がルフィには確かに伝わってる。
私もそれを知っていた。
だからさっき洞の中でルフィの方が安全を感じていたんだ。


もう一つ聞きたくなった。聞いて良いことではなかったのかもしれないけど。
「あんたは・・私の本気に反応してくれない訳?」
「だから止めねぇだろ。けど、お前、無視できねぇくらいにやかましいからな。」
フンと鼻が鳴った。
ゾロの顔に照らされた炎。紅く映ってる。

あたし何も言ってないのに。
あたしのどんな声が聞こえたって言うのよ。
うっすら頬が火照る。これは焚き火のせいじゃない。


「か、海賊の・・・口約束なんて。当てになんないわよ。」
言ってる台詞に力が入らない。
軽く浮いて、身体ごと飛ばされてしまいそうだ。


「ま、さっきのルフィはちとやばそうだったけどな。」
からからと笑ってゾロの肩が揺れている。さっきのと言えば・・雨宿りの洞の中でのあの台詞?
ってことは人の気をそらすなんてそんな腹芸があんたに出来たわけ??

「ナミ。」
笑いからすっと切り替わって口を開いたゾロの声は重かった。
無為な力なんて入ってないのに、無駄な力みも掛けようとすらしていないのにナミに重く響いた。


「守る。信じろ。」


圧迫感はないのに、ナミの身体に昼の太陽よりももっと鮮烈な光が通りすぎていく。痛みも、圧倒されるわけでもない。只晒され、射抜かれている。
そして壊れる水晶のようにナミの身体の周囲に浮き立つものがある。

静かな男だ。
ルフィの瞳は底がなかったが、この男には裏がない。

この約束を守ってもゾロにメリットはない。
そんな都合の良い物がどうしてまかり通る?誰がそれを保証してくれるの。
頭の中で浮かんだ薄っぺらな屁理屈はナミの周囲をぐるぐる飛び回るがナミの身体に入って来れない。
だって絶対の真実を一つ見つけてしまった。




『守る』
そう言い切った唇に心が想像も出来ないくらいざわめいている。




闇に浮かんだゾロの瞳。
裏も嘘もない。只の馬鹿。この馬鹿で思いこみの強い男には嘘がない。だから『守る』そう彼が言うのならその誓いは必ず果たされる。
自分の周囲に常に漂っていた澱に含まれる虚偽や欺瞞、そういう物が一切存在しえない世界。
なんという爽快な真実か。




遠くで音がした。
遠くでありながら身の側でその音はした。
圧されて、響く、ピシッという、何かが割れ続ける音。



自分の体の表面のあちこちから次々と薄い透明な殻が割れ、砕け落ちる音が聞こえる。
澄んだその音は自分の奥底まで広がって体の中に響いていく。
落ちた殻が身体にぶつかり起こるその共鳴もまた心地よい。
始めて身体の隅々まで新鮮な空気が通っていくそんな気がする。通った先で細胞の一つ一つが跳ねてくすくす笑ってる。


「それが、あんたの・・仲間に対する『約束』?」

真摯で・・怪訝そうな顔だ。ダメを押し重ねるナミの質問が何を聞いているのか理解していない顔だ。
ゾロにとっては本当の事でしかないんだもの。改めて念を押される意味がまるで判ってない。

なんてシンプルな。
自分には絶対出来ない考え方をする生き物がそこに立っている。こんな生き物が本当に居るとしかも遭遇出来ると思えなかった。
あの有名な『海賊狩り』が、『伝説のあの男』がこんな簡単な男だなんて。



それを認めると同時に自分の古い約束事に微妙な違和感をナミは感じた、が今はあえて封をした。
真実と出会ったこの瞬間を濁りや否定で彩りたくない。








奥からこみ上げてくるものがある。
もう止まらない。

くすくすと、音にならない笑いが全身からこみ上げてくる。
もう我慢出来ない。



全身に広がっている砕けた殻からゆっくり弾ける炭酸の泡のように奥底からこみ上げてくる物がある。その泡の感触はとても優しくて、笑いたいのか泣きたいのか判らなくなってしまった。

「おい・・・・何笑ってやがる。」


黙ったまま微妙に身体を揺するナミの挙動が笑いから来ると気が付いてゾロは眉間に皺を寄せた。
その額に寄せた皺までが可笑しい。涙腺がゆるゆると緩む。
こんな泣きたい笑いがあるなんて。

「てめぇ、笑うな。おい、いい加減にしろ。」


ナミを覆っていた殻がはがれて奥深くまで開けられた。柔らかく差し込んだ光も身体の奥でくすぐったい。
くすぐったくて笑いは堪えられなくなる。


「も、ダメ・・・・。あんた馬鹿なんだもん。」
「・・・・てめぇ!マヂで斬るぞ!」






下を向いて肩を揺らして全身から零れる笑いが止まらないナミは説明出来ないがいつもと違う。何となく尻の穴がむず痒い感じでゾロは落ち着かなくなった。
発言通り斬って捨てるわけにも行かず、堪えきれずに二の腕を掴んでナミを揺すると、ナミは片目に溜めた涙を掬いながら顔を上げゾロの目の前でにっこり微笑んだ。
その瞬間ゾロも知らずに耳の後ろまで真っ赤になり、掴んだ手を離せなかった。

「なによぅ・・そんな強く掴んだら痛いじゃない。」
「あ。すまん。」

斬るぞと睨んだ相手にからかうようにくすくすと笑われている。手を放してもまだまだナミのくすくす笑いは止まらない。
ナミを放した手が手持ちぶさたに空に浮いて行き場を失い、ゾロは自分の髪をくしゃくしゃと掻いた。






目の前の薪がまた一本、大きな音ではぜた。

ぱちん。
乾いた音がする。

ぱちん。
良い響きだ。軽い。

ぱちん。
二人ゆっくり頚を巡らせて暖かい色の炎を見詰める。

ぱちん。












「終わったら、もう少し見てみたいな。あんた達の冒険」
消した炎のくすぶりを見続けながら独り言のようにナミは呟いた。
「ん?」
「なんでもないわ。」
そうかよ、と口の中に呟いてゾロは今度は本当に寝ていった。
ナミも身体を横たえている。
煙が細くゆっくり天に向かっていく。

睡魔が優しく二人の元を訪れた。





自分の旅路は闇ばかりだった。でもその終わりにある光の存在を今は少し信じられる。
きっとそこにはこんな軽やかな光に満ちた日々がある。

きっとこんな日々が。
















あの小さな小舟は羊頭になり、足がないからと自分に言い訳してそれを貰ってきた。
この大きさでは一人で動かすのは結構大変だ。でもあいつらもレストランならとりあえず食いっぱぐれはないだろう。

敵に対するのにあの時割れた殻をかき集めて身に纏う。
なんだか今はやけに重い。

でもきっとこの先には、あの光がある。
きっと。
きっと。





終了









久しぶりに書き上げたゾロナミで(最近完成しないもんで)不安はありますが、短い上に先人が書き尽くされた世界です。でも2004ナミ誕の前座くらいにはなったら嬉しいな。
お付き合い頂いてありがとうございました。


下におまけ。(裏に行ったりしないよ・笑)ほんとにオマケ。


おまけ
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