「かーーー喰った喰った!飯も酒も美味ぇ!」
「だな。」
「あんた食べ過ぎよ。身体も変に伸びてるわ。」
「あ”ろぉぃぃぃぃ?」

市場で軽い食事も済ませて騒ぐルフィを引っ張りながら船に戻った頃には宵闇が迫ってきたので、今夜はそれ以上航海せずにそのままボートを岸に繋いだ。船上で買い込んだご馳走を目にしてまた騒いで食べて飲んで・・今度はルフィはすぐに寝入ってしまった。
無事睡眠薬入りのお酒は効いたみたいだ。



それよりも、薬を使う目的のはずのゾロの方が結構な量を飲んでる癖に全然つぶれない。
(全く、この男昼寝のしすぎだわ。薬の量が足りなかったかな?)
ドクの薬剤庫から勝手にくすねた無味無臭の睡眠薬。ヤバそうな時に使ういつもの一手だ。
量は適当に放り込む。
海賊なんて人間じゃない。やつらのトラブルには近寄らない方が良い。とくれば酒を飲んで楽しんだままつぶれて貰うのが一番こちらに害がない。安全の為、自分の樽は確保してからさっきの樽の二つにこっそり混ぜたそれを二人の間に置いた。二人ともこちらに酌を要求するどころか勝手に抱えてぐいぐい開けて大笑いしている。
緊張感なんてみじんもない。騒ぐルフィと大口開けてるゾロとその二人の呆け方に思わず突っ込みを入れてしまう。絶え間なく交わされたくだらなくてたわいない話が、おかしくておかしくてナミは船床を叩いて笑ってしまった。
大騒ぎのまま夜は更けていく。
笑いすぎて腹筋が痛いなんて、いつ以来だろう。



三人の大騒ぎも一人消えれば喧噪は鼾に姿を変え、穏やかに波の音と調和する。
寝てしまったルフィはまず安心だ。
(でもこいつらも海賊。気を付けないと)
数日前に見たシュシュと村長さんの爽快な笑顔が脳裏に浮かんできて、ナミは慌ててそれを心から打ち払う為に思い切り首をふった。

「・・どうした?」
静かになった船の上にゾロはいきなりの黙ったナミの行為を聞きながら瓶を一気に呷った。
「なにがよ。」
「ま、いいか。ルフィは寝ちまったな?」

その台詞に背筋がぞっとした。
この稼業に就いて以来の覚えのありすぎる台詞。ナミの背筋が鉄のように硬く構えた。
この台詞が出ると、独りになった男は必ずこう告げる。『それじゃ俺たちはお楽しみの時間』、と・・・この状態で膂力のある者を独り残す危険に歯がみした。


「じゃ、俺も寝る。」

え?
いきなりゾロはその場で向こうを向いて横になってしまった。


本当だ。もう鼾かいてる。
「アタシに寝首をかかれても知らないわよ?」
そっと声を掛けても反応がない。微動だにしない。
まさかこんなに早く?・・と触ってみようとしてその危険性に手を止めた。
ゆっくりリズミカルに呼吸に合わせて胸郭が動いてる。ゾロは本当に・・・寝てる。



しりもちをく様に座り込んだ。張りつめた背中から脱力感がどっと襲ってくる。全身で身構えた分、余計に気が抜けてなんだか変な気分だ。
これはつまりゾロにも薬が効いた・・のよね?いつも寝るゾロだけど、でも、きっと。
「よかった。これで安心して寝られるってもんよ!」
自分の声だけが響いて慌てて口を押さえた。

繋いだ縄の確認をして自分だけは向こうから持ち込んだ敷布を身体に掛ける。海賊に仲間の振りをして潜入した時にはいつもこれでも寝られないのだが身体くらいは休めないと本当に保たない。
二人の姿をもう一度確認する。とりあえず動いてない。
(今夜の身の危険は回避出来そうね)
だからといって熟睡は出来ないが・・ゾロのいびきが小さくなった。どんどん眠りが深くなっているのだろう。



「んん〜〜〜。」
ナミがうとうとしかけた頃に人が動く気配があった。
今度はルフィのほうだ。
起きあがってこちらに来る。
横になったまま思わず体を硬くする。胃の辺りが急に差し込んだように重く痛い。

(薬が足りなかったかな?)
船縁の横で寝ているナミは逃げ出し用の距離と呼吸を計った。
のっそりのっそり。ルフィはナミの真横に無言で立った。





「んん〜〜〜〜しょんべんでる〜〜〜」
「あっちでやれ!!」

張りつめていた息を溜めて思い切り、ルフィの足の向こうずねをそのまま蹴飛ばした。ぐにゃっと変な感触がある。それを受けているのにうんうん頷いてとぼとぼ向かった後ろの船縁で、ごぞごぞと言う音の後に放物線の音がする。

・・・・これが結構長い。

その後はまた何事もなかったようにその場でルフィは静かになった。まさかとまだ緊張の解けないナミはもう少しだけ身構えていたが大丈夫だ。
船尾で静かになった影に思わず安堵の溜息が漏れる。
でもこれは序の口。先は長い。




向こうを向いていたゾロの目だけが静かな闇の中で光っていた。










青い空にカモメが飛んでいる。さっき後にした島を根城にしている奴らだろう。少し騒がしいのは近くに魚影でもいるんだろうか。余り聞き慣れない声ではある。
地図と方位から行く先を二人に指示して、ナミは少しうとうとした。身体はそのままで意識だけ少し休ませる。必要なのは数分の仮眠。これで結構大丈夫。
「ナミが乗ってからは飯が良くなったよな!」
舳先に座ったルフィが調子っぱずれの唄を歌いながら振り返った。

えっと・・缶詰や瓶詰め、乾パンばかりですけど?

「一番には酒だな。美味い酒が樽で乗ってる。」
船尾から寝ていたと思ったゾロが答えている。
「前はなんにもなかったもんなぁ。」
「腹が減ったらまた鳥でも捕まえりゃ良いだろうが。今度はバギーより強い奴んとこまで連れてく奴だぞ。」
そのレベルな訳ね。


ま、こちらもありがたい。
ゾロは昼も夜も寝ている。ルフィは薬の効きがとにかく早い。食べるだけ食べてからではあるが、直後に寝てくれる。三日試したが三日とも同じ結果である意味拍子抜けした。そしていつもルフィが寝ればゾロも適当にそのまま横になる。朝まで寝返りくらいはたまに打つけど、これなら今夜くらいは自分も少し眠れるかもしれない。

奴らに見られないようそっと欠伸をかみ殺す。
海上は良い天気。風も少々凪よりはマシ。緩い追い風に乗ってこのまま方向は変わらずにこのまま今日は良い風で移動出来そうだ。
目を閉じると少しヤバそう。そのまま意識が途絶えがちになる。奴らのいい加減な緊張感がうつっちゃいけない。危ない危ない。






そんな一日が続くと思ったのにさっきから少し気圧が変な気がする。空の色は変わらないけど空気の重さは変化を初め、遠くの湿り気を伝えてくる。
「少し大きいスコールが西から通り過ぎそう。二時間くらいのもんだと思うけど・・帆をたたんで、いっそ船もどこかの島に寄せておいた方が良いわ。」
二人は空を見上げたが彼らの目には何も映らない。船首と船尾に別れた二人は黙ってそのまま帆とオールを手に取った。何も言わずともナミの言葉に畏敬を払っているらしくすんなり聞き入れる。

ナミの予言は当たり、地図を出して近くの陸地の確認を始めた時にはもう真っ黒な雲が西の空の端に見えていた。反対方向へ逃げ出しながら地図を読んでいるナミの指示に従いオールを漕ぐ手は黙っていても息が合っている。ナミが前を見て指示して、ルフィとゾロがわざわざあわせることなく一体とした動きを見せる。
船は素晴らしいスピードで真っ直ぐつき進む。
不思議に馴染む一体感。

キツイ顔で空を睨むナミにゾロが声を掛けた。
「ナミ、でかいんならいっそ近くの島に船ごと上がった方が良くねぇか?」
「うん・・今日は距離を稼げないけど仕方ないわね。いーい?ルフィ。」
「おう!」

少し進むと地図にも名が載らないような小さな岩礁が有り、運良く崖の間に砂地を見つけた。大きな木がアンバランスな島とも言って良い大きさがあった。
「あそこなら上がれるわ!」
一気に船を寄せ、三人は船から下りて浜辺の砂地に向かって駆けだして上陸した。ほとんど満潮時だったので船を少し浜辺に持ち上げてゾロが大岩に縛った。そうするうちに小雨は雨粒を大きく変えていた。大きくなった雨粒は身体にぶつかりこれがかなり痛い。南国に降るぬるい雨は風と共に力を増し、その粒の大きさと速度で三人を含んだ小島を襲った。
「どっかで雨宿り出来るか?」
「あそこだ!」
ルフィが指さした先には、崖の下に波に低く削られた部分が小さいが庇のようになっている。一番深い所なら何とか雨をしのげそうだ。三人は雨に追われるように一気に駆け込んで切らした息を整えた。

「ひゃーおもったより狭めーなぁ。」
「ああ。でも他にはねぇし。」
洞内に入る前にちらりと観たが周囲にはこんな窪みすらなかった。遠くに見える木々は雨風に翻弄されて千切れないのが不思議なくらいだ。
「風向きで助かってる、としか言えないけど・・。」
だが幅も奥行きも思ったより狭い。しかも凹凸が激しい為、三人それぞれ岩に押された変な形で壁に沿い崖を背に立ったままでしか雨をしのぐ手がない。後ろにぎゅっと身体を押しつけてそれで何とか爆撃的な雨の直撃を受けなくなるくらい。誰の所も自分がぎりぎり収まる程度の空間しかない。奥も狭いが横も狭い。
鼻先の雨から逃れようと互いに隣の人間を心ならずも押し合う羽目になった。



雨は更に勢いを増している。
ナミの両脇に、ゾロとルフィ。
窪みは狭い。




双方から相手の肩と腕が腿がゆっくりと押しよってくる。互いに相手に触れるのを避けようとしてはいるのだがそれも難しい。ルフィは自分を異様な姿に曲げて快適な空間を捜し回っているし左のゾロの『絶対に触らないぞ』という気配を伝える体温にナミは真ん中で身をすくめた。
濡れた素肌にべったり張り付く濡れた服の上から心ならずも二人の身体が触れてくる。ふざけてルフィを殴ったりゾロの頭を小突いた事もあるがこんなに息を詰めるように接近したのは初めてだ。

ふと動かした左肩がゾロに触れた。
熱い。
軽い静電気のようなものが触れた所から身体の中心に走った。ゾロのシャツも腹巻きも下履きも冷えて重く見える。着心地は悪そうだが、一瞬触れた肌のその奥に潜む熱を感じずには居られなかった。その熱が好ましく感じるという事は、気温と共に自分の身体が冷えてきているからなのだろうか。



ある程度身体が固まった。誰も何も言わない。目はただひたすらに外の暗い変わらない景色を見ている。
だが心は落ち着かない。海賊とこんな至近距離で肌を寄せ合うなど、とても危険な行為だ。




どちらかと言えば若干大きいゾロの方が空間に余裕がある方に収まっていた。頭の向こうに突起した岩が邪魔っ気なようだが、少しばかりゾロの背が大きくても息苦しさまでは感じないですむだろう。
ルフィは柔らかい(?)身体を利用して半身を変形させて半身を良い感じに岩の間に収めていた。そちらが動けない分、自由になるナミの側の左半身を少しばかり動かしても仕方ないだろう。それは判っている。
気が付かないうちにナミはゾロよりはルフィ寄りにいた。
楽だからとか広いからという意味ではない。そちらの方がぶつかったり押し合う危険性が高いのだが、さっきの熱が何か危険を訴え、無意識にゾロから逃げるように身体を縮ませていた。
だが度重なるルフィのふらふら動く手にナミの我慢が切れた。予想の付かない動きで除けようがない。只でさえ狭いのに。

「ルフィ、狭いんだからそんなに圧さないでよ。」
「こっちもトゲトゲの岩とかあって狭いんだぞ。ナミこそもう少しそっちに行けよ。」
「何言ってんの!子供じゃあるまいし、岩くらい我慢しなさいよ。」
「お前こそ我慢しろよ!」
子供の喧嘩が始まった。二人の声が反響して喧しく、大きい雨音の中でも声が益々大きく響く。
終わらない二人の不毛な言い合いに目を閉じて聞いているゾロも黙っていられなくなったらしい。額がぴくぴくとした。
「おい、狭い所で騒ぐな。こっちに、もう少し余裕あるぞ。」
ゾロの大きな手がナミの上腕をがしっと掴み、ナミの上体ごと自分の方へ引きよせた。




ぐっしょり濡れて雨に冷えたナミの肌に急に熱い手が触れた。その熱に引き寄せられてナミの体の重心がずれた。慌てて少し身体をねじり、引かれた上肢の分、下肢でバランスを取る。足許に動けるスペースはないからその腕につかまる形になりながら上肢の捻りで自分を支えた。
気付けば引き寄せられた腕はそのまま捕まれている。触れている手にゾロの肘あたりにぶつかる雨が滴を垂らす。
冷たいのに火傷しそうな感覚がする。


バランスを取り直すと、ゾロの頭とナミのそれが一気に近寄っていた。
気が付けば自分の左耳の上にゾロの唇。溜息と共に漏らされた彼の呼吸の音すら大きく聞こえる。
「暴れんな。本格的に降る前に入れてラッキーだったんだ。狭いくらい我慢しろ。」
顔が見えないまま少し低めの声ばかりが耳元で、熱く囁かれたように身体の奥に響いてくる。
寒かったはずがいきなり熱い。
耳も、顔も。
言葉が出ない。


「・・あ、あんたも邪魔。もう少しその顔向こうにやってよ。」
「無理だな。この岩じゃ。」
頭の後の岩が大きく見えた。
「もう少し余裕あったんでしょ。」
「ねぇな、今は。」
ゾロは後ろを見上げて今度は視線を戻さず外を向いた。短い返事は耳元から放出されて、ナミの耳にそっと忍びこんだ。声が振動になり耳元がじんじん痺れる感じだ。変な感覚なのにまるで耳が探しに行ってるみたいにゾロの声だけを拾ってくる。
「じゃ、腕はもう放してよ。」
ゾロの肘から滴る雨が二人の間に落ちる。
「ああ。そうだな。」
あたしの質問にこっちの顔も見ないゾロ。返事は割合律儀に返す。
熱い腕が離れてほっとする反面寂しくなる。
ゾロを見上げる余裕がナミに産まれた。

ゾロはずっと、外を見ている。
困った事に雨はまだやみそうにない。崖を伝った雨粒は窪みの縁でまだ後から後から激しい勢いで落ちてくる。
外を真摯に見詰めたまま、  ゾロはこっちは見ない。
雨はまだ降っている。




沈黙の中、相手に顔を見られていない安心から、ナミはゆっくりと間近でゾロの顔を観察した。
肌はやや浅黒く肌理は年齢相応だろう。目は・・・切れ長と言っていいのか少し茶の入った瞳が少し三白眼だ。素でこれなら戦闘時には悪人面になるわけだ。鼻は高からず低からずでも鼻筋は通っている。唇は薄い方。この口であの刀をくわえていた。けどそんな粗野には見えない。薄い唇だ。いっそもっと繊細なキスをしそうな・・・






「ナミって良い匂いがするな。蜜柑みてぇ。」
ルフィの声で一気に妄想から我に返った。

そうだ、三人でここにいたんだ。ゾロとだけじゃなくて。
我が身の状況を忘れるなんてここ数年来なかった。驚きで心臓が跳ね回ってる。体中から冷や汗が流れ出る。
いったいどうしよう。

そしてルフィの台詞だ。
これは不味い事になってる。
この発言はどう聞いても多分・・・・やばい。
予想されていたはずがすっかり忘れていた。その隙に困った事態になりそうだ。
しかしこの状況ではどうしようもない。

思わずルフィ側にいた足が例え雨の中へでも構わないから逃げようと動いた。動けば外しか移動場所はない。むき出しの足とサンダルにぶつかる雨は風を受け、まだ大きく痛い。これじゃここから逃げて船を奪ってもこの島から出られない。


おそるおそるルフィの顔を見まわすと、こいつの目も漆黒の、深い闇のようだ。笑った瞳の奥は吸い込まれそうな空間。何も隠れていない瞳の中にはナミの髪のオレンジが映って見えた。

「なぁ、ゾロ。」

まずい!
ゾロまでそうなったら本当にまずい事になる。
胃の府から生唾がじわっと上がってくる。
なのにゾロの吐く息をが耳の上に感じられてる。
ずっと外を見てたくせにゾロも台詞に煽られたんだろう、こっちを向いたんだ。
まずい!
ルフィの奴なんでそんな事ゾロに言うのよ!

ぎゅっと目をつぶると頭上でゾロの溜息が聞こえた。

「・・・確かに腹減ったな。雨がやんだら火ぃ起こせば今日は美味いもんにありつけそうだ。」



ナミの一つ一つの毛穴から噴き出ていた汗が一気に引いた。

反対に想像上の嗅覚を思い切り刺激されたらしいルフィの口から涎が溢れ啜る音が洞内に響いた。調子の外れた鼻歌まで聞こえてくる。
「!それなら俺あのハムの固まり焼きてぇ!お!雨、止んできたんじゃねぇか??」








雨は来た時と同じ激しさで去った。

「助かったわ。」
ナミは呟いた。

「飯!飯!」
ルフィは大声で叫んで外に出て行く。

「・・・・・・助かった。」
一歩遅れてゾロは口の中で呟いた。





続く