蒼い蝶
「まだ起きないのか?」
ドアを開けると黒髪の少年はそう言いながら腕の中に小さな箱を抱えて入ってきた。
脇の机にそれをそっと置いて、ベット横の椅子によじ登り座る。
ベッドに横になり寝ている男をじっと見つめて座った後ろ姿は固まったように動かない。
子供が初めて出会った己の限界とその遙か遠くに見えた手の届かない行きたかった未来。
子供の通過儀礼を過ぎて、彼は少年になった。
その代償として得た物と失った物はあまりに大きすぎたが。
ただ……彼等のこの姿を見て初めて、おそらくこの少年ほどの器には必要な事だったのだろうと思うことが出来て、ベンは現実をそのまま受け入れることが出来た。
薄れゆく意識の中、右腕の中のカナヅチの子供を助けるという意志のみで波間に浮かんでいた彼は、自分たちの姿を認めた途端意識を手放し沈み始めた。
助け上げて腕を縛り応急処置をする間にも脈は乱れがちで、真っ青な表情が怖くて、必死でボートを漕いでも陸に上がるまでの短い時間が永遠のように思われた。
失われる・・そんな姿はもう二度と見たくない物だったのに・・。
自分の長い煙草が短くなりそっと次の物を取り出して、火を点けた。
「なぁ・・つよくなるって・・どうすればいいんだ?」
少年は、目の前に眠る男をじっと見つめながら聞いてきた。あまりにも真剣な後ろ姿に、少し微笑んで銜えたままの煙草を揺らしながら答えてやる。
「その人が起きたら聞いてみるんだな。良くも悪くも一番強いお人だから。」
「でも・・ずっとねたまんまだ。」
「まぁな 怪我人は動ける準備が出来たら起きるもんだ。」
「ふぅん。なぁこれってきくのかな?」
横の箱包みに手を伸ばし、包みを解く。中には小さな虫篭が入っていた。
その中に動く物。小さな一匹の蝶だった。
「ふなのりのまもりがみだってロクじぃがいってたからつかまえてきたんだ。」
少々驚き、くわえた煙草を落としそうになった。
「ロク爺はノースブルーの出か?」
少年は頷いた。
「そうか…それじゃ、それが効いてじき目を覚ますだろう。心配は要らないさ。明日の朝一番に来るんだな。 ほれ、子供はもう寝る時間だ。」
少年は初めてこちらを振り向いた。
唇を真一文字に結んで頷き、素直に出ていった。
「ありがとうな。ベックマン。」
やはり彼から声がした。
「人が悪い・・起きてたんですね。」
「いま会っても辛いのはルフィだからな。」
「明日、元気そうな顔を見せてあげれば良いでしょう。今夜くらいはしっかり休んで下さいよ。酒も駄目ですからね。」
「ああ、たまには言うこときかんとなぁ。」
ここは陸地。まだ船には帰して貰えなかった。こういうときに揺れない床にはなにがしかの違和感を覚えて落ち着かない。
シャンクスはルフィの持ってきた箱をじっと見た後、横になったまま向こうを向いた。
「蒼い・・蝶か。迷信ってのは根強いんだな。」
そのまま目を閉じて動かない。
「まだ・・心が痛みますか?」
「いや・・。少し苦いだけだ。」
無くなった左手を動かそうとして、その思わぬ軽さとまだ先が残っているような錯覚がある。
あの北の海でも船の縁を掴もうとしても届かなかった左手。
届いていたらこの気持を知らずに大人になったつもりで居ただろうか。
「お頭!」
あの時副船長の声だけが漆黒の闇の海へ落ちていく彼の姿に届いた。
彼は暗闇の中で少し驚いた後に甲板の縁に向かって左手を伸ばしたが届かなかった。刹那の後、ニヤリといつもの笑顔を見せながら海中に加速度をつけて落ちていく。
自分も腕を伸ばしてもいまさら届くはずもなく慌てた副船長はそのまま脚を甲板の手すりに掛け、後に続いて乗り越えようとする。長身な彼にはそのまま越えてしまうのは造作もないことだ。
そのまま荒れ狂い牙を剥いた闇色の海に向かってあの人を追いかける・・。
だが、体型の割には素早いラッキー・ルウが続いて飛び込みかけたベックマンの残りの脚を、ヤソップが左肩を掴んで叫んでいた。
「待て!この暗さじゃお前さんまでいっちまってどうするんだ!」
本気のこの男を押さえるためには此処にいる皆が束になってかかっても敵わないのはわかっている。でも・・それでもこの状況で今この男まで失うわけにいかない。
有象無象がベックマンの手足に絡みついた。
豪気、強靱、俊敏な彼とて皆に捕まれた一瞬の逡巡で、もう姿は完全に見失っていた。
「!」
全員の視線が見えない海に向かっている。
俺達の・・・・。
強く握られた副船長の掌からどろりとした鮮紅色の液が甲板に滴っていることに一人が気づいた。
皆の気持ちの代わりに流れた物だと解ったから何も言えなかった。
その半時前。
物見役の男が駆け込んできた。
「お頭!前方から大きな嵐が来てますぜ!」
船室の窓から外を覗けば遠方の雲の様子がおかしい。嵐を含みそうな鉛色が形を変えながら広がっていく。風の調子も乱れてきて、気圧が急激に下がってきた。
「これは・・来ますね。」
姿勢も変えずに副船長がぼそりと呟いた。後ろ向きに投げ捨てた煙草が灰皿に向かってゆっくりとした放物線を描く。
「結構大きそうだ。」
シャンクスはその後ろから窓外を覗き込みじっと見つめる。赤髪の下の目がいきなりにっこりと笑った。
何事が起きてもわくわくしてそれを隠さない顔は出会ったときからいつまでも変わらない。例えそれがやっかいごとだとしても。まるで世界を夢見る少年のようだ。
「こいつぁいい・・嵐だな。」
「新入り達には丁度良いくらいでしょうに。」
「歓迎会と行くか!」
外洋で嵐にあってそれを嬉々として遊戯のメインイベントのように迎える船長の姿に苦笑しながらも、このくらいの嵐なら問題ないだろうと外を睨みなおす。新入りと言えば先の港で希望して乗り込んできた軍人崩れと言う来歴の男と、小さめの船ならしっかり乗っていたと胸を張った男。先の港で増えた駒が使いモノになるのかどうかを試す良い機会でもある。最悪に備えてロープや、海図のチェックをするのはいつも副船長としての自分の役目だった。
船長の夢は世界中を見て回ることだった。
その夢と彼に惹かれた仲間の中に『ノースブルーの北極の空にあるオーロラを見に行く!』と言った船長の方針に反対するものはいなかった。
海のつながったところなら何処にでも行くことは船乗りとしての本能だ。全くと言っていいほど情報のないグランドラインに比べれば、軍が作った多少古い地図もある。海図の中の情報も少しは充実している。羅針盤もジャイロも使えるこの船で、未開の海は幾らでもあるこのご時世とは言えそんなに心配することはないだろう。
「おい、嵐だって?わざわざ行くかねぇ?」
「お頭、ずいぶん嬉しそうだよな。」
甲板に出るとこの船の古株狙撃手がマストのボルトの具合をなおしながらベンに声を掛けてきた。その横のルゥは喰っちまった肉の骨を綺麗に舐めてからポイッと海に投げ込む。
他の連中を見に行けば、嵐の到来の報に多くが準備に余念がない。
でもいつもの軽口は飛び交っている。いざというときのために今から力が入りすぎては困るのだが、元からこれがこの船の気楽さと言っていい。
海軍崩れの青髪の新入りが、やや神経質そうに甲板に立ちながら空を見据え貧乏揺すりをしている。もう一人は耳に付く大声で笑っていた。ベンは表情を見てどちらに留意するかを決めて、甲板を後にした。
「いくぜぇ!!」
船が掛け声と共に嵐のただ中に突っ込んでから、冬の北国の前線の勢いを少々読み間違っていたことに気がつき舌打ちした。
急に下がる気圧計の針の値と、風力の強さ。その風も恒常性がなくなり一定方向から吹いてくるわけではなく、渦巻き、我々を翻弄する。
だが、船員達の気持ちに焦りはない。船長の余裕とそして何も言わずともそれが読めないくらいの若輩者には用がないと選んで揃えた一騎当千の海賊達。たまに今回のようにとりあえず予定外のクルーで穴を埋めることの方が稀と言っていい。
既に舳先で嵐に立ち向かうがごとく前を睨み、口元に笑みを浮かべ両腕を組んで自然に立っている船長がいる。この人だからこそ・・何処へ行こうと此処まで付いてきたのだ。そしてこれからも。
「お頭!幾ら好きでも、んな所にいたら海に呼ばれちまいますよ。航海中のあんたは立ってる他はあんまり役にたたねぇんですから。」
笑いを含んだ軽い揶揄の声が飛ぶ。
「ここの水は芯から凍える海ですからね。幾らあんたでも裸で抱えてあっためるのなんざごめんですよ。美女なら喜んでしますけどね。」
「俺が落ちたときには美女の付き添いじゃないと承知しねぇぞ!
大体これっくらいが恐いのかぁ?お前こそ呼ばれちまっても助けてやんねえぞ。丁度冷えて良いから美女どころか魚でも抱かせといてやるぜ。」
振り向いたシャンクスからも軽口が帰ってくる。少し焦り気味になった他のクルーもその会話に緊張が解け、笑顔が浮かぶ。
「魚なら俺が焼いて喰っちまいます。俺には守り神が付いてんですからね。」
軽口を受け返す料理番は胸元の小さな蒼いフィギュアをを振ってみせながらそのまま階下に降りて、中の片付けと守りに入った。
だがすぐに波が高くなってきた。甲板も飛沫どころか大波をかぶり、仕舞損ねた小物が浚われていく。
「お頭!真面目にやばくなってます!下がって下さいよ!」
マストの調節は目まぐるしく変わり指示もひっきりなしに飛ぶ。大きな船になれば帆の数も重さも半端ではない。その激しさに新人の手が遅れ始めた。
「違う!その上の帆だ!間違えてんじゃねえ!」
「そのロープ外すときにゃ気ぃつけろよ!一気に持って行かれるぞ!」
「おらよ!」
「ぼけェ!しっかり持ってろ。放すなぁ!」
予定外の嵐の強さが続いてくるとそのイライラが果たされずに怒声が混じってくる。
船と、空と、海を見ながらベンは新入りの動きも観察を怠らなかった。
「こら新入り!ぼさっとつったってんな!」
海軍で怒鳴られ慣れているのか、神経質そうな貧乏揺すりは案外役に立つ。言ったことの2割り増しくらいの仕事をこなしていた。始めてでここまでやる奴は軍では嫌われるかもしれない。あそこはそう簡単に勝手な暴走を許さない組織だ。それでも曲げない意志を持つ奴の方が珍しい。
もう一人の新入りの笑顔は疾うに消えた。
あちこちから飛ばされる檄と怒声にどれを聞いて良いのか解らなくなり混乱して何もできなくなっているようだ。ただ右に左にうろうろしている。そういうときは余計なことなどせずに自分の身さえ守ってくれればいい。
と思う期待は必ず裏切られるのは何故なんだろう。
慌てた男はやおら握りなおしたロープを今度は無理矢理強くひいた。
引きすぎだ。
強く引かれて風の煽りをもろに喰らってマストは反転させられる。不意に違う力を帆に受けて船が悲鳴を上げる。。軋んで歪む。その歪みと反対向きからかぶった大波に船が翻弄された。
歪みを一番受けたのは舳先だった。そこで進行方向を見ていたこの船の船長だった。
静かでひんやりした感じがする。耳に響く音から大きな閉鎖空間の中にいることが判る。
ぽちゃ。水の音?それも人手を介した。
(此処は?)
「おじちゃん、だいじょうぶ?いたくない?」
女の声。視界が眩しくて、光が目の中で暴れているように溢れている。
床の上・・陸地だ。自分が飛ばされた海中ではなく、とりあえずこの世のどこからしい。慣れた波に揺られる感覚はない。
女の声?・・・・しかし話し方は子供のそれだ。
水の匂いと額の違和感から目を覆うように置かれた濡れたタオルに気が付く。
見えないまま確かめるつもりで左手を持っていくとその手を柔らかい手がそっと押さえた。温かい手。
冷えた自分の身体に一番足りない温もり。それが欲しくて、見えないままでも逆に女の手をしっかり握りしめた。・・つもりがまだ力は入らない。
また意識が遠のいていく。今度は睡魔の様だ。
「大丈夫よ。お薬が効いてるの。心配しないで休んで。」
大人の響きを持つ声だった。さっきの温かい手の女性の声なのだろう。その声は何故か安心できて、また素直に意識を手放した。
目が覚めるとそこは小さな洞くつの中らしかった。顔にかかる風は冷たいが、敷かれた菰の様な寝床に厚物の着物が暖かい。重い着物は自分の身体にすっぽりと掛けてあった。
入り口らしい一方向から灯りが入ってくる。どうやら今は日中のようだ。身体の異変をまず確かめる。どうやら致命傷はないらしい。あの状況であちこちが少々痛むくらいなら、良しとすべきだ。ただ周囲に人の気配はしない。
服は変えられていた。民族衣装らしい物だが丈は短い。やや小さいあたりが女物かと思われた。いつもの服とマントは側に丁寧にたたまれていたが、麦藁帽子が見えない。取りあえず自分の物に着替えてみたが、頭のあたりが落ち着かない感じが取れなくて苦笑した。
起きあがって、ぼんやり座ってみるとそこへ女が一人で入ってきた。右手には水を入れてあるらしい濡れた筒を、左手には袋を持参してきた。
こちらが起きていることに驚いたようだが何も言わなかった。にっこり微笑み袋の中の食料を差しだした。どうやらこの女が助けてくれたようだ。
「ありがとう。」
差しだされた食料を受け取り、口に入れる。今頃空腹が押し寄せてきた。大半を食べ終えてから、ベックマンなら『毒が入っているかもしれないのに。』と小言を言うだろうと思い一人で吹き出しそうになった。
こちらの食欲に吃驚した顔を見せていた女はまた微笑んだ。
食べながら聞けば、ぽつりぽつりと脈絡のない話が帰ってきた。まとめると外の岩礁にたまたま引っかかっていたところをこの女が見つけたという。海に落ちた後どうにかしてここの外海の岩礁にへばりついていたらしい。それについても礼を言ったが反応がなかった。
にこにここちらを見ていたかと思えば、いきなりぼんやり視線を合わせずに小声で歌を口ずさみ始める。
他の人間は?誰と住んでいるの?今日は何日だい?色々質問しても返ってこない。
どう見てもいわゆる妙齢の女性だと思うのに話し方が子供のようで、返答はすぐどこかに散らばってしまう。仕草も懐いてくる7〜8歳くらいの子供のようだ。
「あかいかみがね、きれいにみえたの。」横に座って出された飯をほうばる人の髪の毛を玩んでいる。梳くような仕草に不快感はない。
「あかいのね。」なぜだか嬉しそうに繰り返す。彼女の藍と言うより蒼みがかった髪の方がよほど綺麗で珍しい。灰色の瞳はノースブルーによくある物だ。
「名前を・・教えてくれないかな?どう呼んだらいい?」
何度か聞いたがにっこりと子供の様に微笑むだけだった。
食べ終わって一人で外に出てみるとそこは曇った空の中に向かってそそり立つ崖の中腹に位置していた。道という道もはっきりしないくらいの細い坂。
周囲に民家も見えず、人の住む気配はない。彼女の家はこの崖を登ったずっと上にあるらしく、自分が見つかったのはここから降りた岩場であることだけは判った。この坂を意識のない男を一人で運んだとは驚いた。
「ほほう!あったぞ。」
話が少々もどかしいままする事が無くなると、何とも落ち着かなくて自分が見つかったという崖下に降ろさせて貰った。
なくしたかと思った帽子は岩場の影で見つかった。
「いやーー。今度ばかりは駄目かと思ったよ。」
嬉しそうに赤い幅広の飾りを直す。海に浸かったものが乾いて変な形で固まっていたが、破損もなく、奇跡的と思えた。
「あかいりぼん・・むぎわらぼうし?」
両手を出すので、そっと手に乗せてやった。女はそれを受け取りかぶってみせるが、濡れた影響で歪んだ形は直さないと頭に入りにくい。
「ありがとうおとうさん!」
「・・おとうさん・・??」
見かけはさして年の変わらない相手からお父さん呼ばわりされたことにはがっくり来た。
それでも変な形でかぶった帽子が嬉しそうだったから何も言えなかった。
そのまま幾日か過ごしたが、雨が繰り返し降る所だった。
薄暗い陽の下でも見えるように洞くつの外に目印を立てた。
彼女は度々食料を持って訪れる。
島の状況など確かめたいこともあって、洞くつの外に出て見たいと言ったら、その時ばかりは恐怖に引きつった顔をして、首を激しく横に振った。
「だめ・・ミト婆が、おこる。」
ようやく口にしたのはその一言だった。彼女を困らせるのも本意じゃなかったのでここを動かないことにして、了解したことを伝えれば安堵した顔をした。
安堵した顔をして、そのまま唄い、花を摘み、子供のように遊んでいく。
唄うことが仕事かい?と聞いたら、祈ることが仕事だ。と嬉しそうに笑って見せた。
「わたしはちょうちょさんなの。神さまのおよめさんになるのよ。」
そういえば着ている服は数珠を首に掛けた巫女に近い物だった。
「何者じゃ!?余所者がここで何をしておる!」
声の方を見ればかなり高齢の婆さんが立っていた。背も曲がりやせぎすの身体を支える足は弱って久しいのだろう、握った杖は使い込まれ、それにかなりの体重をかけて立っている。
それでも体中が震えてみえるのは怒りのためか狼狽のためか。
その怒りの声になんの関心も見せずに彼女は海を見て歌を続ける。
「この子に無体を働いた訳ではあるまいな!蒼蝶、何もされんかったか?」
彼女はようやくその声にゆっくりこちらを見たが関心なさそうに見えた。これが前に言っていた婆さんだろう。岩からすとんと降りて、見かけよりも遙かに早足でスタスタと二人に近付いてくる。
「この娘は嵐神の捧物じゃ、来る日が来るまで貴様ごときが不埒に手をだして良い相手ではないわ!」
婆さんが杖を振り上げた。いきなり現れた余所者に怒りを露わにして睨みながら近付く老婆相手にいきなりシャンクスはにっこり笑顔をみせる。その邪気の無さに出鼻をくじかれた老婆はそこにいる二人の様子をじっと見た。
こぼれた言葉から彼女の立場が判る。そして老婆をじっと見た。
シャンクスはひるんだ相手にかまわず畳みかけるように笑いながら話しかける。
「神様に処女をってか?…おいおい、生け贄なんて今時流行んないぜ。それとも何か?
ここは200年も前の時代だって言うのか?」
「余所者はこの島の風習に口をださんでも良い。さっさと島から出ろ。」
とりつくまもないと思われた老婆ですら、人懐こい笑顔には邪険に扱うことが出来ないらしい。杖を元に戻すとほっとした顔になった。それを知っているのだろう、シャンクスは会話を続けていた。
「出ようにもお迎え待ちなんだ。」
洞穴の外に張った布には、三本の斜め傷。それだけを鮮やかに描いた。
出られない以上待つしかないのは本当だ。
それならば・・遠目にも見えるように。海賊と気付かれないように。
「幾らここに来る者などめったにおらんとはいえ御館様に見つかれば命はないぞ?
我々とて隠し立てなどできん。この村の物は殆どが皆血族でな、黒い髪に黒い目。容姿も似通っておって余所者などすぐに判る。
あの方の指令に従わねばこのやせ細った冬島での生活はたちゆかん。」
「御館って…ここはロバティの島だろう?」
「存じておるのか?」
「まぁ・・それくらいはね。」
悪名高きその男の根城には海軍さえも近づけない。嵐が奴を守る。嵐の悪魔を従える男。
それが彼の良い方の通り名だった。
「俺の船の連中は副船長以下航海士も凄い奴らなんでね。船はあいつらに任せておけば何もしなくてもオレの行きたいところに何時でも行ける。」
「お前は船乗りで船長なのか?船長の癖にお荷物か?」
「俺の仕事は船の行き先を決めることだ。そして仲間を守ること。
それでも地図くらいは頭に入ってるさ。出す必要がないだけでな。
だから判る。ここいらに他に島はないだろう?だからここは……。」
「あの悪魔の島さ。帰ってこなくても良かったのに。」
吐き捨てるように老婆が言う。
しかし笑顔の下でシャンクスは思った。…でも生け贄を出すんだろう?あんたも同罪じゃないのかい?
「神と奴は別物だぜ?」
「神はおわすのじゃ!」
そこには妄信・・と言う言葉の具現した姿があった。
場の雰囲気からどうした物かと頭を掻いていると彼女がすぅっと婆さんに向かって立った。
「おとうさんをいじめちゃだめ。」
相変わらずお父さんらしいことに苦笑する。彼女はシャンクスを背中で庇うように立ち両手を広げる。泣き出しそうな声が繰り返す。
「あかがみさん・・いいひとなの。ほんとに・・いいひとよ。」
言った側から今度はいきなりその場でしゃがみ込んで足下の草花を摘み始める。
低い声が唄っている。言葉ははっきりしないが、童謡のような響きがある。
夕日に照らされている童女のような表情は、もはや誰もいないかのように摘んだ花を海に向かって投げていた。
苦虫をかみつぶしたような老婆はそれでも一応の安心した顔をした。
「どうやらその子に危害は加えていない用じゃな。気遣い無用じゃ。そやつは事態を判るような頭なぞ持ち合わせておらぬわ。」
彼女の耳にも聞こえているはずなのに・・。雲の中からの弱い夕日の光に浮かんだ背中は拒絶を語っているように思えたけど。
彼女には理解できないと言いながらも小声でかわされる会話。
「ただの船乗りにしては胡散臭い奴よ。」
「彼女は・・ここの人間じゃないんだな。」
「余所から連れてきた。」
「生け贄に使うためにか?」
「……この島の島外からの入り口は此処しかない。島でも秘密扱いされておるのでな。しかしこの子がお前を拾ったという此処をどうやって気付いたのやら・・。レッドラインもそうだと聞くが同じように周りは切り立った崖で、この窪んだ弯を取り囲んでおる。その地形のおかげで生まれる渦潮がこの島を守っておる。そして生まれる嵐が」
「臆病者の賞金首を、の間違いだろう?」
渦巻き島のロバティ。海賊という名を冠するに値しない男。女子供ばかりをただいたぶりながら傷つけまくった男だと聞いた。数いる海賊の中でもその行為が妙に猟奇的だったことが記憶に残った原因だった。それも金欲しさの犯行や乱暴のついでなどではなく、奴の性癖らしいと囁かれている。
「……それでもこの島の生殺与奪の権利を持っているのは奴じゃ。逆らえば皆の命がない。
こんなに貧しい島では、全てを握る奴には逆らえん。儀式自身もワシ等の先祖が此処に来たと言われる250年前から続いてきたものなのだ。わし等がやめたいと望んでも止まる物ではない。
それに嵐が止んだら御館様は自分を捕らえに鬼が来ると信じておる。それを封じるには蒼き物で、嵐を続けねばならんと。
幾ら奴が狂人だと解っておっても勝手に思い込んだ予言だとしても、ワシ等には付き合うしか術がない。それに・・」
狭い世界に生きてその中で生きて行くには、身体も価値観も縮んでしまうのだろうか。
白い髪と黒い目。皺が刻まれている他は皆同じ顔をした村人。
幾年を狭い世界と何の価値もない物にしがみついてきた年寄りが、哀れとすら思えなかった。
そのような物に振り回される必要など無いではないだろうに。
その犠牲になる用に準備された彼女の方がもっと哀れだ。
何も解らない者と思われながら………。
continue
まずは紙一重の序仁井様に尊敬と感謝を込めて
リクエストの形が変形したのに受けてくれてありがとう。
後編