闇を焼き尽くす紅蓮の炎。
悲鳴のような音を立てて、崩れ落ちる屋敷。
人々の怒号と叫び。


あれは、1時間ほど前には仲間と呼んでいた大工達の声。
いや、本当に仲間だった事などない。少なくとも自分達にとっては。
頬にあたる炎の熱が熱い。熱いのに、何故かとても冷たい。
あぁ、燃え尽きていくわ──と、カリファは、うっすらと感じ入る。
自分達が残した証拠を隠滅する。
すでに5年間住んでいた家からも、己の存在を示すものは処分済みだ。
そんな冷静な思考の上から、透けそうなほど薄い薄い感傷が幕がかっている。
自分にとって、案外この5年間はそれなりの重さを己の中に残していたものらしい。

でも、もう終わる。
いや、終わった。
それは燃え尽き、ただの薄黒い灰になろうとしていた。




灰になるまで





ブランドスーツをパリッと着こなすアイスバーグは、伊達男であり、優秀な船大工であり、切れ者で男気のある社長。そして、やんちゃな少年の性質を持っていた。
腹の中には何もないと、一癖も蓋癖もある大工達が親愛を込めてそう評する。
だが、こんな高みにまで上り詰めた男が、本当にそうである訳がない。
彼は重大な秘密を保っている。


カリファは、己の持つ能力を「秘書」として使うことに専念した。
そうなると彼女に勝るライバルなどいない。アイスバーグの信頼のおける片腕となるのに、そう時間はかからなかった。
その頃には、もう別ルートで入社したルッチやカクも、大工としてめきめき腕を発揮していた。ガレーラ本社の近くでオープンしたブルーノの店も、身体は厳ついが穏やかな店主としてそこそこ繁盛しはじめている。
カリファは、秘書という役を完璧にこなす事でアイスバーグの監視を続けた。
彼の行動に逐一注意を払い、それらしい行動が何かないかと探る。山のような書類を整理し、アイスバーグの知人、知り合いも逐一チェックする。
今では趣味や傾向も完璧に把握し、先回りで彼の欲するものを用意する事も出来るようになっていた。
そうすると、アイスバーグは驚いたように眼を見開き「流石だなー!」と褒め称える。必ずだ。
「恐れ入ります」
そう冷静に答えながらも、彼女は密かに満足する。
当たり前だと思った。自分の持っている能力は、こんなものではない。
こんな「秘書」の能力なんて、一環でしかないのだ。

「ンマー!流石だなカリファ」
彼は今日もそういって、振り返る。
「恐れ入ります」
カリファはそう返して、眼鏡を指でなおした。


その日々は、思いの外長く続いた。
だが、アイスバーグが己の持つ情報を他の人間に見せる事はなかった。
誰に対しても。


*****


今日もコーギーが、怒って帰って行く。
ドアを音高く閉めて、不機嫌な様子を隠さない。
それを窓から見下ろしながら、カリファは小さく溜息をついた。
どうも、アイスバーグにたいして彼はあまりに役不足な気がする。
(もう少し頭の回転がいい役人を寄越してくれないのかしら……)
せめてもう少し弁舌の立つ人間とか……あれでは、いったい何をしにはるばる海列車に乗ってやってくるのか判らない。
そう考えながらも、手は既にお茶の準備を始めている。
茶っ葉は何がいいだろう……やはりダージリンか。最近は、これがお気に入りのようだし。それにマダム・パーシーの店のスコーン。それに生クリームとジャムをたっぷりと添える。
用意を調え盆を抱えると、アイスバーグの自室へ向かった。
なんだかんだで仕事熱心なアイスバーグは、本社と己の家を兼ねてしまった。社員なら誰でも自由に出入りできる。彼はフランクで、例えどんな下っ端が相手でも気軽に接する。
判らない事があれば、いつでも彼の所にやってきて教えを請うことができた。
その樫の木で作られた頑丈なドアをノックする。
「カリファです」
「……ンマー。入れ」
室内から声がかかり、片手で器用に盆を抱えて静かにドアを開けて入る。
「失礼します」
そう告げながら入ったカリファだったが、入った途端部屋の景色に一部違和感を感じた。
(なに?)
なんだろう。何かが変わっている。朝にこの部屋に入った時には、なかったものがある。
じっと窓から外を見下ろしているアイスバーグの背中が見える。格子がかかった窓。カーテン。
その横の壁。
手配書だ。
(ニコ・ロビン)
動揺を顔に出さないのは当たり前だが、それでもアイスバーグが背中を向けていて良かったと思った。
その時、アイスバーグがパッと振り返る。そして驚いたように、目を見開いた。
「ンマー!流石だな!」
「はい?」
「紅茶が欲しいと、いつ判っていたんだ?」
そう笑いながら、机を回り込んでくる。窓から射し込む日の光が、そんな彼を浮かび上がらせる。
「秘書ですから」
「そういうものか?」
「他は知りませんが、少なくとも私はそうでありたいと思っています」
「そういう所も流石だな」
カリファがポットに入れた紅茶の匂いを香しそうに嗅いで、アイスバーグは一口飲み干した。
「うん、美味い」
「恐れ入ります」
軽く頭を下げてから、そっとあの手配書を窺う。
ニコ・ロビンの手配書。唯一出回っている、10年以上前の写真は幼い少女の姿だ。
今ではあまり見かけない。当時はそれなりに噂に上ったが、何故今ここで、この男が、彼女の手配書を壁に貼るのか……。
「どうした?」
訪ねられて、ハッと顔を上げる。不思議そうな顔をしたアイスバーグが、手配書を振り返り、ああと頷く。
「目敏いな」
「いえ……あれは……」
「知ってるか?ニコ・ロビン」
「……名前だけは……」
「僅か8歳にして、お尋ね者となった少女だ……ンマー、それから10年以上経ってるから、生きていればいい女になっているだろうがな」
そう言って、アイスバーグは薄く笑う。
アイスバーグの、そんな笑い方を初めて見た。
「それを……どうして?」
「ん?」
振り返ったアイスバーグに、少し戸惑う。こういう時、何処まで相手に突っ込むべきかが難しい。
あまり関心を持つのも、相手に印象を残してしまう。引き際と聞くタイミングは、細心の注意を払う。
「ンマー……たまたまだ。昔の荷物を整理してたら出てきてな」
「……手配書がですか?」
「ああ……色々とな……」
そう言いながら、アイスバーグは手配書に視線を落とす。
なお、食い下がろうとしたカリファは、手配書を見下ろす社長の目に思わず息を呑んだ。
時間にすれば一瞬。ほんの僅かな、瞬きするような時間。
憎しみか──苦しみか──そして決意。
気さくで快活、懐の深い切れ者の社長─アイスバーグ─
彼がそんな目をしたのを、カリファは初めて見た。
だがそれは本当に一瞬で、アイスバーグはすぐ何事もなかったかのように振り返り、皿に盛られたスコーンを取り上げた。
何とも言いようのない、モヤモヤとした感情が込み上げる。
今すぐ彼に問いただしたい。
何故、ニコ・ロビンの手配書を張っているのだと。
どうしてそんな目で、その写真を見るのだと。
湧き上がった感情は自分でも驚くほど強く激しくて、それを押し殺すのに内心慌てたぐらいだ。
何とか取り繕うと、不思議そうな、それでいて興味をそれほど持てないような顔を作ってから、もう一杯いかがですかと訪ねる。
その時、ドアがノックされた。
「クルッポー。失礼しても宜しいですかね?」
「おう、ルッチか。入れ」
気さくに答えるアイスバーグに、ドアが開く。肩にハトを乗せた、無表情な顔をもった男が入ってくる。そのハトが、愛嬌たっぷりに肩をすくめた。
「スイマセンね、ちょっと図面を見てもらいたくて……」
「ンマー、かまわんよ。見せてみろ」
「これなんですが……」
喋り続けるハト─実際に喋っているのはルッチなのだが─を肩に従えたまま、ルッチが室内に入ってくる。
視線が動いた。
手配書を認めたはずだったが、頬の筋肉一つ動かさなかった。
もちろん、自分に意味深な顔を向ける事など絶対にしない。自分だって、そんな真似は絶対にしない。
だが、これで後から彼に報告する手間は省けた。彼の口からカクにも伝わるだろう。
ルッチは、あの手配書をどう判断するだろう。
図面を元にアイスバーグが欲しがる書類をチェックしながら、カリファは頭の隅でアイスバーグとニコ・ロビンとの関連性について考えていた。
アイスバーグの持つ古代兵器の設計図。
古代兵器復活のカギを握る女。
その女の手配書をアイスバーグが持っている。
手配書を見るアイスバーグの目。
胸の何処かが、小さく軋む。
それに気づきながらも、カリファはその軋みから目をそらした。



いつものように軽めの残業をした後、ふらりとブルーノの店に立ち寄ってみた。
アイスバーグに誘われて来ることはあっても、ここに1人で来た事はない。
繁盛している彼の店は、宵の口だがすでにテーブルは埋まりつつあった。
人々の明るいおしゃべりや笑い声が、暖かな灯りと共にカラリと開けたドアから零れだしてくる。
「いらっしゃい」
そう言って店主のブルーノが、穏やかな顔でカウンターから微笑む。
「テーブルは空いてるかしら?」
「大丈夫だよ……あー……待ち合わせ?」
「いいえ、1人よ。ちょっと飲みたいだけ。ジン・ライムをお願いね」
そう言ったカリファに、ブルーノは奥のテーブルを指さした。一つ、二つ、空いてるうちの一番奥に座る。
ここはガレーラの職員も馴染みにしている。幸い今日は誰も来てないようで、その事にカリファはホッとした。
やがて、のそのそとした動きでブルーノがカクテルを持ってくる。
その鈍重な動作を見て、彼が超人のような身の軽さを持っていると思う人間はいないだろう。
「どうぞ……珍しいな……1人でなんて……」
「そうね。たまにはいいでしょ」
外から聞いていれば、たわいのない会話だと思うだろう。実際彼らはそのように振る舞ってきたし、あくまで酒場の店主と客という立場を崩しはしない。
「ところで……アレはどうしたの?」
そう言って、カリファは店の一角を指さす。
そこには滅茶苦茶に粉砕されたテーブルがただの木材と化して積まれていた。
ブルーノが困ったように、頭を掻く。
「あーあ……見苦しいよな……ゴメン。すぐに片づけるよ」
「別に気にはしないけど……酔っ払いの喧嘩?」
「ああ……最近、変な男が街に現れてね……そいつが逗留してる海賊と揉めたんだ」
「変な男?」
「フランキーって……奴だ……」
その時、別の客が酒の追加を頼む。ブルーノはまたのそのそと注文を取りに行く。
カリファは、そっと吐息をついた。
色々と話したい事もあるのだが、今ここでは無理だ。
1年も経つのに、未だ有益な情報はない。
やっと動きらしきものが見えたのが、あのニコ・ロビンの手配書だ。
それを思い出すと、また再び胸の奥が軋む。
(何なのかしら……)
手配書を見るアイスバーグの目が、それを思わせるのか。
あの目は何だったのか。
(殺意だったわ)
そう、唐突に気づいた。気づいた瞬間、またヒビが入ったように胸が軋む。
「殺したい」というより「殺さなければならない」という断固たる覚悟。
例え何もか失っても、それだけはやらなければという己に対する誓い。
仕事や会社、彼を慕う船大工や住民達、全てに背を向けて1人の少女に向き直ろうとする男の背中が見える。その背中を自分が見ている。でもけして彼は振り返らない。
(アイスバーグは、ニコ・ロビンを殺すつもりだ)
そう明確に理解した途端、大きなヒビが全身を貫き、ガラガラと崩れ落ちた。
身体の中心にボッカリと大きな空洞が空いた気がして、カリファはそれを呆然と見つめいてた。
カクテルを、一気に飲み干す。アブサンにすれば良かったかもしれない。
もっとも、ガレーラの秘書が大酒を飲んでいたと知られれば、何かあったのかと噂になってしまう。
イライラする。
店のドアが勢いよく開いて、威勢のいい声が入ってきた。
「いよーーっす!ブルーノ!酒だ、酒を用意してくれーー!今日はオレの奢りだからなー!」
すでにいくらか酒が入ってるような明るい声は、よく聞き慣れている。
カリファはそっと吐息をついて振り返った。相手もすぐに彼女に気づく。
「お……なんだ、カリファじゃねぇか。1人なんて珍しいな」
僅かに頬を赤く染めたパウリーが、ひっくとしゃっくりを1つあげた。
その背後に、ルッチやカク、ルルの姿も見える。外で陽気に歌ってるでかい声も聞こえるから、タイルストンもいるのだろう。
カリファは少し笑って、席を立つ。
「たまにはいいでしょう。でも、もう帰る所よ」
「そうなのかって……だーーっ!テメエ、そんなハレンチな格好で夜の街をふらつくんじゃねぇ!!」
「ポッポー。うるさいぞパウリー。さっさと席に座れ」
パウリーの後ろから、ハトのハットリが器用に翼で指し示す。
うるせえと勝手に争いだした男達を無視して、カリファはカウンターに飲み代を置いた。
「ご馳走様、ブルーノ」
「ああ……ありがとう……」
ブルーノが目だけで「何かあったか?」と問うてきたのを、薄く笑う事で返す。
そして他の大工連中に「お疲れ様」と会釈して店を出ようとすると、背後から慌てたようにパウリーが声をかけた。
「おい!待て、カリファ!もう遅いし危ないだろう。送ってやるから!」
その下心の全く感じさせない純粋な好意に、好意と侮りと殺意を同時に感じながらも、笑みさえ浮かべながら振り返った。
「……大丈夫。それとも私に何か危険が及ぶとでも?」
「ああ、ああ、お前がちっとは出来るのは知ってる。だがな、今は柄の悪い海賊が入ってるんだよ。知ってるだろ!」
ムスッとした顔で、パウリーは葉巻を噛みしめた。
ちょっとした護身術が出来るというふれこみは、全く運動が出来ないと思わせるよりは無理がないとの判断だ。だいたい彼女の身のこなし方や筋肉の付き方をみれば、見る人が見ればすぐに判る。
「知っていますが……侮らないように。だいたい貴方が送り狼にならない証拠は?」
「バカを言え!俺がんなハレンチな真似を……」
そうパウリーが言いかけた時、外で上機嫌で唄っていたタイルストンが、スイングドアを壊しかねない勢いで店内に入ってきた。
「飲むぞーー!!」
「ぐあっ!!」
そのでかい身体をまともにくらったパウリーが床に転がる。さらにそれをタイルストンが踏みつけた。
「おうー?なんだぁ?パウリーがいねえぞ?」
「てっ、てめえ、足をどけろーー!」
ギャアギャアと騒がしい連中に、それ以上構わずカリファはその場を後にした。
今は、あの人好きのする陽気さに触れるのは、どうしても我慢できなかった。
そんなカリファの背中を、2人の男がちらりと見送った事には気づかなかった。



案の上というべきなのか……。
徐々に闇が濃くなっていく中、明るい場所に居づらくて人通りの少ない道を歩いていたら、下卑た声をかけられた。
「おう、お姉ちゃん。おうちに帰るのはまだ早いだろう」
「俺たち、ここら辺不慣れなんだ。ちょっと道案内してくれないかなぁ」
酒臭い息と、潮の匂いのこびりついたキツイ体臭。そしてこれ見よがしにつけた揃いの髑髏の入れ墨は街の住民ではなく流れ着いた海賊の一味を現していた。
「無礼者。そこをどきなさい!」
「おう?なんだぁ?その口の利き方はぁ」
「お高く止まってるんじゃねぇよ!」
一気に危険な空気を発散しだす男達の一人に、正面から蹴りを入れる。
もちろん、CP9としての蹴りではない。多少なりとも護身術を心得たガレーラカンパニー第一秘書としての蹴りだ。それでも鳩尾に入った容赦ない蹴りは、相手に膝をつかせ据えた吐瀉物を撒き散らせるのには充分だった。
「こ、このアマぁ!」
「調子に乗ってるんじゃねェ!」
狂気を帯びた激昂にさえ、冷静に事態を見つめている自分がいる。
どうしたのかしら──と己を不思議に思いながら振り返る。
もちろん自分が本気になればこんな連中、造作もない。だがそれはけっして見せてはいけない裏の武器だ。
いくらなんでも、気性の荒い海賊達を数人叩き伏せたというのは秘書の強さを超えている。
己の任務を考えれば、抗いきれず手に掛かった方が──
それなのに、身体は逃げる事をせず、暴力の解放を臨みわなないている。
「何を笑ってやがる!」
男が叫びながら懐からナイフを抜いた。
その時、一陣の風のような黒い影が、カリファと男達の間に巻き起こった。



「危なかったの」
呼吸さえ乱さず、落ち着き払ったような声でカクが振り返った。
彼の足下には、叩き伏せられた海賊達が倒れ伏している。おそらく何が自分達に起こったのか、判っていないだろう。
もちろん、カリファには何が起こったのか見えていた。
風のようなカクの動きは、船大工として許されている動きを超えるようなものではなく、それでも余裕さえ感じられた。
だが、カリファを振り返った時のその目は、同じ会社の仲間としてというより、闇の世界に共に生きる同僚としての光を帯びていた。
「……そうね、助かったわ」
少し恥じて、カリファは俯いた。
カクが入ってこなければ、自分は己の「武器」を使っていた。
それが『禁忌』であると判っていたのに。
ルッチにばれたら、大変な目にあっていただろう。
例え誰の目もなくても、けっして己の研ぎ澄まされた能力を表に出してはならない。
指令を果たす、その時まで。
「……でも、どうして?」
「パウリーがうるさくての」
カクが軽く肩をすくめる。その表情から、先程の鋭い光はなくなり、この街で見せる気さくでひょうひょうとした好青年のそれになっていた。
「それでワシが代わりに来たんじゃ。せっかくじゃし、家まで送ろうかの」
「そうね」
小さな吐息をついて、素直に頷く。
「そうしてくれると有難いわ。女が1人で夜道を歩くのは危険みたいだし」
またバカな男が、うっかり近寄ってこないとも限らない。
「ついでに寄っていく?」
さらりとそう言うと、カクのビックリ眼がさらにパチクリと開かれた。
「それはマズイ。お前さんを送ったら、またブルーノの店に戻らんといかん」
「そう」
断られるのは判っていたので、あっさりと納得する。
これでカクが帰ってこなかったら、翌日どんな噂が流れるともしれない。それは避けたい。
「どうしたんじゃ?」
家に向かって歩きながら、カクがさらりと聞いてくる。
特別、気にしているとも、好奇心も感じられない、ただ普通に訪ねたのが判る問い方だった。
「別に……ただ、今はちょっと暴れたい気分なの」
「……なら、さっきは止めん方が良かったかの」
「いいえ。あんな連中となんてまっぴら」
「どうしたんじゃ?」
流石に不思議そうに、カクは声をかけてきた。
「……なんでもないわ」
カリファの足が止まる。その目が街頭の届かぬ闇を見つめた。
「……ただ、今度の任務は長くなりそうと思っただけよ」
もう1年が経つ。
最初から長期の任務になるかもという話だったし、任務の長さをどうこう言うつもりはない。
ただ、この街は居心地が良すぎる。それが逆に居づらいと思わせる。
そして、あの人の近くにいるのも──
そう判った時、どうしてこうも自分の心が泡立っているのか、判った気がした。
軽い衝撃と鼻の奥がつんと痛む酩酊。
判ってしまえば、それは酷く滑稽な代物で、彼女はそれを苦く笑った。
(とても危ない状態だわ……ミイラ取りがミイラになろうとしている……)
こんな時でも冷静に見つめている自分を認識して、少しホッとして笑った。
(早く気づけて良かった)
そう思えることに、安堵を感じた。
まるで縋り付くように。
「もう大丈夫よ」
自分の横顔を窺っているカクに、振り向きもせず告げる。
「そうかの?」
「ええ。理解したから」
薄く笑って、カリファは頷いてみせた。


カクが、そんな自分をどう思ったのかは知らない。
ひょっとして、古くからの同僚として失望されたかもしれない。
だが、カリファを送り届けた後で帰った男は、夜更け過ぎに窓から侵入してきた。
「どうしたの?」
気配を消して入り込んできた侵入者に本気の攻撃を仕掛けようとしたカリファは、相手が彼だと判ると驚いて声をかけた。
寝間着姿のまま、闇の中にひっそりと立つ男に戸惑いの目を向けた。
「誘ったのはそっちじゃろ」
いつもの、ひょうひょうとした態度で男は答える。
「珍しいわね……」
この万事に対してクールな青年が、自分を気にかけて戻ってくるなんて。
「どうしてほしい?」
大きな手がするりと伸びてきて、肩口まで伸びたカリファの髪を弄ぶ。
「いっとくが、優しいマネはできん」
「……そんなの望まないわ」
あくまで平然としている同僚に苦笑しつつ、カリファはベッドに腰を降ろした。
「そうね。無理矢理衣服を引っぺがして、後ろから強引にされるぐらいがいいわ」
「情熱的なのはもっと苦手じゃ」
でもまあ、と言って闇の中、トレードマークの帽子を外す。
「やってみるかの」
「跡はつけないでね」
「そんなへまはせんよ」


ただ肉を貪り合うだけの暴力的な行為の中、カリファはうっすらと考える。
彼もまた、この街に来てからの1年と、これからの時間の長さに重さを感じることがあるんだろうかと。
この美しい水の都には、胸を焦がすような何かがある。
普段、自分の格好にいちゃもんをつける男が、真摯に自分を心配した顔が浮かぶ。
秘書としての働きを、いつも賞賛してくれる男の顔が浮かぶ。

彼があの少女の手配書を見つめる目で、自分を見てくれる事は絶対にないだろう。

きつく捕まれた乳房に、痛みと快楽が走る。
もっと強くと、誘うように嬌声を上げる。
この脆い感情が粉々に砕け散るぐらいと心から欲し、同僚の愛撫はそれに応えてくれた。


*****


闇を焼き尽くす紅蓮の炎。
悲鳴のような音を立てて、建物の一角が崩れ落ちる。
遠くから聞こえる、人々の叫び。


燃えていくわ──と、彼女は思う。
思い出も時間も全て焼き尽くしながら。


全部燃えてしまえばいい──

美しい思い出としてしまうより、いっそ。


全部、全部、燃えて、燃えて、燃え尽きて
真っ黒い灰になってしまえばいい。
思い出も、時間も、あの人と共に、灰となって埋もれてしまえば
後は風がさらってしまう。


END



















感想

これをいただいたときの感動はおわかりいただけるかと思います。
そして五回、十回と読み重ねて溜息をつく我が身も。

私が夢に見ていたまさにその世界をこれだけの情緒と展開で作り上げてくださいました。
プロとしての誇りと自信に満ちあふれているカリファの中に付いてしまった些細な瑕疵。
なぜこだわるのか悟った彼女とそれを誇りとする彼女と。実にリアルです。
そして周囲を彩るアイスバーグさんと優しさ故に目をそらしてしまうパウリーの表記が彼らの背景の重さや軽さを含んで表現されています。
黒ルッチはともかくも、黒カクがね!
私のイメージする彼ですね!
タイルストンも良い味出してますし。
いくら言葉を繋いでも言い足りません。
本誌の展開も手伝った追い風に載って素晴らしい深みの世界が描かれました


簡にして用をなし、しかも欠けること無し。語りすぎずに足を知り、心潤す。
何時もrokiさんの文は私が読みたい世界です。
原作の隙間をきちんと埋めるピースに酔わされます。
本当にありがとう。大好きです。
いつもいつもありがとう。

これからもよろしく(笑)

あ、読んだ感想は本人様宛もむしろ良いですが私もお預かりしたいです。ともに萌えたいの(笑)


p.s.
発端はやはり原作。アイスバーグのロビンへの執着に萌えてしまった私の懇願にも似たお強請りに答えていただきました。
これが何と1月11日の日記でした。やはりゾロ目の日はひと味違う!(嘘ですよ)
予想もしなかったこんなサプライズならいつでも大歓迎!




photo by 篝火幻灯