ラスト・スタンディング


「あたしはね。何度かあいつを見てるんだよ」
「は?」

ドルトンは口に運びかけていた酒瓶を持つ手を止めて
くれはに向き直った。



桜色の雪は、元の色を忘れたように天空から降り続けている。
標高5000Mのドラムロック。
その頂上にある元ワポル城の広場は、一面がピンク色に覆われようとしている。
まるで本当に桜の花びらで敷き詰められたようだと、ドルトンは思った。
先代国王やワポルの護衛で、冬島以外の島には何度か行った事があり、桜も1度か2度は見た。
清楚だが独特の凄みを湛えて咲き誇る桜の花は、質実剛健な彼にとっては好ましい花だった。
夏でも零下より上がる事はない冬島では、桜が咲かないのは少し残念な話だと、その時に接待をしてくれた国の大臣に話した覚えがある。
だが

(まさか、こんな形で見ることができるとは・・・)

手を伸ばせば、桜はふわりふわりと掌に落ちてくる。
結晶で出来たそれは、溶かすのが惜しいほど美しい。
ルフィ達が出航した後も、ドルトンとくれははワポル城の広場に座り、何とはなしに話しながら酒を飲んでいた。
くれはは彼女が愛飲している梅酒を飲み、ドルトンもまた寒さしのぎに常備しているポケットタイプのウイスキーボトルを取り出し、静かな酒盛りは始まっていた。
会話がとぎれて、お互い眼下に広がる村の灯りを見ながらそれぞれの酒を口にしていた頃
くれはが話をしだしたのだ。


「何をです?」
「あのトナカイが、まだ本当にタダのチビトナカイだった頃をさ」
そして梅酒をグイッと飲むと、ふふんと笑い話を続けた・・・




くれはは薬草を取るため、時々山中の奥深くに入り込む。
単独で山の中に入り込むのは危険をともなうが、他に誰かを連れていこうものならそれこそ足手まといというものだった。
くれはの健脚についてこれる者など滅多におらず、ましてや冬山には危険な生き物が数多く生息している。
だが彼女とて無茶な行動を取っていたわけではない。
わざわざ彼らのテリトリーに危険を冒して入り込む事は滅多にしなかったし、また餌場や移動範囲のデーターを出来るだけとって、かち合わないようにしていた。

その日もやはり空気は凍てつき、みぞれのような雪が降っていた。
大きなトナカイの群を見かけたくれはは、少し離れた岩場から双眼鏡で彼らの動きを観察していた。
ちょうど風向きは彼女にとって向かい風だったので、トナカイの群がくれはに気づく様子はない。
大群の中央には、今年産まれたのだろう赤ん坊トナカイが守られるように歩いている。
1つの大きな生き物の様に移動する群の最後尾を見た時、そこからポツンと離れてついていく小さな生き物を見つけた。

「・・・なんだい?」

双眼鏡のズームをあげて焦点を絞ると、それは産まれて半年も経たないだろう赤ん坊トナカイだった。
恐らく餌をあまり取ってないのだろう。痩せた身体には骨が浮かんでいる。
群についていくのが、やっとといった風情だ。
母親に死なれたのか、それとも育てきれなかったのか。
そう思いながら見ていると、何か微妙な違和感をそのトナカイに感じた。

「・・・・?鼻になにか・・・」

最初、鼻先にペンキでもつけているのかと思った。
でなければ壊疽をおこしているのかと。
だが時々立ち止まっては、何かを探すように鼻を蠢かす所を見ると、特に病気という事はなさそうだった。
染色体の悪戯か、突然変異か。あの青い鼻は自前らしい。
「・・・何万分の1の確率で、産まれてきたのかね・・。
 しかし、聴いた事もないねぇ。まぁ、あたしは動物学者じゃないけど・・」
だが当面あの赤ん坊にとって問題なのは鼻が青いということよりも、群に溶け込めず、乳を与える母親もおらず、このままいけばほぼ間違いなく死ぬという事だろう。
弱い生き物は淘汰される。
それが自然の法則だった。
ああやって群から離れた子供は、他の肉食獣のかっこうの餌だった。
可哀相だが、仕方がない。
自分が何かしてやれる事などないし、もしかしたら何かのきっかけで群にうまく溶け込めるかもしれない。
だが寂しそうに1匹だけトボトボと歩いている小さなトナカイの姿は、胸にしこりのような物を残した。

”イヤなものを見た”

それが初めて青鼻のトナカイを見た時の、くれはのいつわざる気持ちだった。



「それからその群は、度々見かけたよ」
ぐいっと酒瓶をあおると、くれはは淡々と話を続けた。
ドルトンは腕を組んで、黙って話を聞いている。
「あのチビトナカイはやたら目につくんだよ。
 なんせ、あんな青ッ鼻トナカイなんて他にいないからね」
「・・・わざわざ、探されたのでは?」
「馬鹿言ってるんじゃないよ」
ふんっと笑うように鼻をならすと、ドラムロックの麓に広がる針葉樹に目を向けた。
「・・・ある日、ついに姿を見かけなくなったのさ・・・」
「・・・」
「あぁ、ついにいっちまったか。まぁ長く持った方だってね。
 その時はそう思ったよ。やっぱりダメだったかってね・・・
 だが・・・ヒッヒッヒ・・・」
おかしそうに笑うと、ドルトンを見てニヤリとした。
「それから1年後の話さ」


診察をして欲しいとヒルルクが現れたのは、彼が死ぬ1週間前の事だった。
ギリギリまで我慢していたのだろうヒルルクは、げっそりと痩せて顔面に黄疸が出ていた。
紙のように白く張りのない顔の中の、窪んだ目だけに生気が集中してギラギラと光り、ただでさえ大きな眼が倍以上に膨れ上がって見えた。
「おやおや、『追い剥ぎ医者』の世話にはなりたくないんじゃないのかい?」
「嫌みを言ってるんじゃねェよ。急患だ。頼む」
「・・・まぁ、いいだろう。とりあえず入りな」
ドアを開けてヒルルクを中に入れる際、何かが林に隠れてこっそりとこちらを伺っているのが見えた。
(守備隊か?)
「・・どうした?」
「何でもないよ。診察室に入ってな」
怪訝そうなヒルルクに告げると、階上に上がり丸窓から外の様子を窺った。

何か小さな生き物が林の中をチロチロと走っているのが見える。
木の陰から木の陰へと、だんだん移動して、くれはの家まで近づいてきた。
あと1本でドアの前という所まで来ると、ヒョッコリと鼻面を覗かせた。

「!」

見た目は子供のような姿だった。だが人間ではない。
ピンク色の帽子からは鹿よりも太い角がニョッキリと飛び出ていて、手足にも蹄がついている。
上半身はこの極寒の中で何もつけておらず、ここから見てる限りでは滑らかな毛皮のようだった。
そして見覚えのある、青い鼻。

その妙な生き物はキョロキョロと当たりを窺うと、思い切ったようにくれはの家まで走ってきて、壁にピタリと身体をはり付けた。
くれはからは丸見えなのだが、その事には気づかないようだった。
産まれる確率は何万分の1だろうその特殊な鼻の持ち主は、意外な器用さで診察室の窓枠によじ登り、中の様子を窺っていた。

「・・・・あんな足場のない所に、よく立てるもんだね・・・」
笑いをかみ殺した声には、小さな感動が含まれていた。


生きていた


死んだと思っていたヘンテコな赤ん坊トナカイは、姿を変えてくれはの前に現れたのだ。




「お前、あいつを知ってるのか?」

治療を終えて寝台に横たわるヒルルクが、くれはに聞いた。
「誰だって」
「チョッパーの事だよ」
「・・・さぁね、知らないよ」
「知ってるような口振りだったじゃねェか」
「何のことだい」
「不器用な所がそっくりとか何とかよ」
「…さぁて、そんな事言ったかねぇ」
ふぅんと言いながらヒルルクは寝台から身体をおこすと、身支度を整え始めた。
「何やってるんだい」
「帰るんだよ。邪魔したな」
「誰の許可を得て、そんな勝手な事を言ってるんだい。
 しばらくは大人しく寝てな!」
「・・そうはいかねェ。時間がねェんだ・・・」
コートを羽織り、トレードマークの帽子をかぶると、くれはを振り向いた。
「ありがとよ。これで時間が作れたぜ」
「あたしゃ、とんだ時間の無駄だよ。
 タダの治療ぐらい、やなもんはないね」
「エッエッエッエ・・・」
笑って出ていこうとして、また振り向いた。
「で、チョッパーを何処で知ったんだ?」
「チョッパーなんてヤツは知らないよ。
 あたしが知ってるのは青い鼻のチビトナカイだけさ」
「チビトナカイ?その頃のアイツを知ってるのか?」
「・・・・あぁ」
ヒルルクは不思議な笑みをうかべて、しばしの間くれはを見ていた。

「そうか」

じゃあな。と言うとヒルルクはくれはの家を後にした。
あのヤブ医者が何を思ったのかは知らない。
だがその後に自分の所へやってきて「チョッパーを頼む」と言った所を見ると、きっと何かを勘違いしたのだろう。
まるで、くれはもその青ッ鼻トナカイをずっと気にかけていたのだろうとか何とか。
まったくあの男ときたら思いこみが強すぎて、迷惑な男だったから。




桜はまだ降り続いていた。
旧ワポル城の広場はすっかりピンク色の絨毯で敷き詰められていた。
天を降り仰いで見ると空には巨大な満月で、彼らを柔らかく照らしている。


「・・・そんな事があったのですか・・・」
「あぁ」


くれはは酒瓶についた霜を手で払い落とすと、また一口飲み干した。
「雪男が出るという話は聞いてましたよ。
 退治してくれという要請も出てました」
「そうかい」
「・・・彼の事だったのですね」
「あぁ」
「・・・元は何故トナカイの群から追い出されたのですか?」
「母親が嫌ったらしいよ。あいつの青い鼻をね」
「・・そんな・・・」
「子供を育てきれない母親なんて、どの生き物にもいるってことさ。
 人間だろうか、動物だろうがね。
 それでアイツはいつも食べる物には困っていたらしいよ。
 トナカイ時代の頃の記憶は『腹が減った』って事しかよく覚えてないらしい」
「・・・・・・」
「ある日、何処で食べたかは知らないが悪魔の実を食っちまってね。
 群の真ん中で変化したらしいよ。それでとうとう追い出されたんだそうだ。
 トナカイには追い出される。人間には追い立てられる。
 ヒルルクに会うまではあいつは本当に独りぼっちだったのさ」
「・・・そのDr.ヒルルクも死んでしまった・・・」
「あぁ。あいつの、たった1人だけ心を許した男だったがね」
「・・・・・・・」
ドルトンはしばらく目を瞑って、何かを悼んでいるようだった。
それがヒルルクに対してのものなのか、孤独を歩んだトナカイに対するものなのかはわからなかったが。
そして静かに眼を開けて、酒をあおっているくれはを見つめた。
「・・・・心配ですか・・・?」
「あたしが?なんでだい?」
ふっとおかしそうに笑うと、大げさに肩をすくめてみせた。
「あたしは何にも心配なんかしてないよ。
 だいたい心配する必要が何処にあるんだい?そんな義理が?」
そうくれはが言うと、ドルトンは何かを言いたげな表情で彼女を向いた。
だが、くれははヒッヒッヒといつもの調子で笑うと酒瓶を持った手で彼を制した。
「おまえは勘違いをしているよ。
 あの青ッ鼻トナカイはね。滅多な事じゃあ、くたばりはしないよ」
「・・・はぁ?」
「だってそうだろう?考えてもごらんよ」
あぐらをかいていた体勢を少しずらしてドルトンに体を向けると、にやりと笑った。
「言ったろう?あいつが産まれたのは何万分の1の確率だって。
 あいつはね、本当ならとてもじゃないけど生き残れはしない所だったんだよ」
「・・・・・・」
「母親から捨てられて群からも見放されて
 自然からはいつ淘汰されてもおかしくなかった。
 『悪魔の実』だってね、食うかどうしようか最初は悩んだらしいよ」
「でも食べたんですね」
「あぁ。食わなきゃ死んでただろうからね。
 それはね、あいつの意志さ。何としても生きるっていうね」

ヒッヒッヒとくれはは笑った。
心から楽しそうに。

「チョッパーは気づいてないんだろうねぇ・・・」

すっと目を細めて遠くを見やった。
ここからは目に見える筈のない
彼女のトナカイが旅立った遠い海へ。

「あいつは、あんな泣き虫だけど本当はしぶといんだよ。
 どんなことがあっても、あいつは最後まで生きようとするだろうよ。
 例えそれが他のやっかいごとに巻き込まれる事になっても
 生きて生きて、いつか自分の場所にたどりつくだろうさ」

いや。
もしかしたら、もうたどりついたかもしれない。
彼が本当に望んだ場所。
チョッパーが欲しかったのは自分を受け入れてくれる仲間だった。
一緒にいることを心から望んでくれる。
そんな居場所。

状況はいつも彼に厳しかった。
泣きながら、だがあきらめずに彼は生き残り
ただのトナカイでしかなかった生き物は、2本足で立ち、言葉をしゃべり
いつしか海へと飛び出していった。


大いなるグランドラインへ



「・・・だから、あたしは別に心配なんかしたりしないよ。
 あぁいうヤツの方が以外にしぶといんだよ。
 大丈夫。あいつは何とかやっていくさ・・・」


「・・・・・」


黙って聞いていたドルトンは、暖かい表情でくれはに話しかけた。

「それを言ってあげれば、よろしかったのに」

だが、くれはは「はっ」と言い捨てて、酒を呷った。
「チョッパーにかい?やなこった。
 だいたい他人が言ったって本人がそう思わないと意味がないよ。
 アイツがいつか自分で気づかなきゃ、それまでさ」
「気づくと信じてらっしゃるんですね」
「・・・・・ふん」

自分を無視して酒を飲むくれはの態度を、ドルトンは全く気にしなかった。
くれはとこうやって話をするのは初めてだった。
守備隊長だった頃は「手に負えない婆さん」というイメージが強かったが、こうやって話してみると心根の暖かさを感じて好感がもてる。
まさかこうやってくれはと酒を飲み交わせるとは、ワポルに使えていた頃は全く想像出来なかった。
だが悪くない。そう、全く悪くない。


「・・・貴女にとっても、彼は息子さんなんですね・・・」

たいそうしみじみと納得した様子で頷きながら、ドルトンは言葉を続けた。

「2人の両親に愛情を注がれた子供なら大丈夫・・!
 何処に行ってもやっていけるでしょうね、きっと」


言われたくれはの顔は、それこそ見物だった。
ポカンとした顔でドルトンを振り向くと、流石に赤くなる事はなかったが思いっきり苦虫を噛み潰した表情でうめいた。


「・・・おまえ・・・そんな恥ずかしい事を・・・・。
 ・・・よくも真顔で言えるもんだね・・・」
「はぁ?」


ドルトンはキョトンとした顔で、くれはを向いた。
「何をです?」
「・・・息子だの、両親だの・・・・
 あたしが、いつそんな事言ったんだい!!」
「いや、そんな恥ずかしがらなくても」
「だから誰が恥ずかしがってるんだい!!!
 全くお前みたいなヤツが一番タチが悪いよ!!」
「はぁ」
「はぁじゃないよ!全く!!」


くれははわめき、ドルトンは訳がわからず困ったような顔で頭をかいた。
舌打ちしながら酒を飲もうとしたら、梅酒はすっかり空になっていた。
瓶を逆さに振りながらいまいましそうにするくれはに、ドルトンは自分のウイスキーボトルを差し出した。
一瞬だけ躊躇したが、黙って受け取るとグイッと一口飲み込む。

「安物だねぇ」
「すいません」

おそらく照れ隠しなのだろうとはいい加減気づいていたが、それ以上何か言うと更にへそを曲げそうなので黙る事にした。


ヒルルクの桜はそんな2人を包むように、咲き乱れている。
何処かであの独特の笑い声が聞こえてきたような気がしたが、くれはは聞こえない事にしてウイスキーを呷った。

END







子供を育てられない親もいれば、育てた子供を手放せない親もいます。
子供自身を見て、それを信頼できる最高の師であり母であるひと。
きっとくれはさんにそう言ったら蹴られてドラムロックから落とされてしまうでしょうけど。
そしてヒルルクさんは笑って頷いてくれるでしょうけれど。
原作の見せない穴をそのままを埋めてくれるrokiさんに感謝を。
カウンターリクに一号にして下さったことに感謝を。
その出会いにも。




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