最終話『長煙管と刻蹄桜』










江戸の春は活気に溢れ若葉の頃をすぐに控えている。
往来の人通りは来る春の気配に浮かれ絶えることなく行き交い、物売りの声も賑わしい。人の足下は軽やかになり、財布の紐も多少緩んでくる。そこを狙った物売りもそれを当てにした物買いも賑わしく世の安定平和を嫌がおうにも満喫できる。
その中で一番通りの良いのは瓦版屋の兄ちゃんのできたての紙面を振りながらの声だ。もとより通りの良い声が往来の人全ての足を止めようと張り上げられる。



聞いたかい今年一番の大事件!
なんと御朱印船の黒鰐ってのはたくらんだ鳥取藩乗っ取り事件の真相がわかったよ!!

なんと黒鰐は裏で手下を集めて鳥取藩を襲ったくせに表では御落胤だと騙りやがった!
それを嗅ぎつけたのはなんと藩主の姫様御歳十六才花の容の麗しのお方だ!!
この方が公儀に我が身を省みずに願ったのは『藩民の嘆きをお聞き下さい』ってんだから泣かせるねぇ!てめぇのお家よりまず領民の事を考えたってんで上様もすぐにその件を調査なさったそうだ!!

おかげで無事犯人逮捕で万々歳!!
さぁその姫様はどうなったかって?なんと上様の御正室候補の筆頭だとよ!こんな姫様が上に立ってくれたら俺っちの暮らし向きも少しは明るくなるってすんぽーだ!
その詳しい話はこっちの瓦版に!そして姫様の絵姿と話はこっちの瓦版に載ってるよ!
さぁ!買った買った!!




今噂の種の事件をもっと詳しく知りたがる者もその噂の姫君の話も付いていると在れば飛ぶように瓦版は売れていく。通りすがりの男も一部手に入れて深く被った笠の下からクスリと笑ったかと思うと懐に無造作に突っ込んだ。



「そうねぇ・・もう散っちゃったと思うわ。」
ナミが言う横で、ぺたりと座り込んだ猪把の瞳には涙が溢れていた。
桜の咲き初めから国を半回りして帰ってこれば、江戸に帰ると既に葉桜も蒼々と爽やかな初夏の気配が町に溢れていた。
無言の猪把の涙はぽろぽろと川面に呑まれていった。





「お前様には良き夢を見せて貰ったね。」
「いえ・・・止むに止まれず・・」
「こちらのが迷惑を掛けたからせんないがねぇ。」
「は・・・・・・。」
優雅な香の薫りがふと優しく鼻にはいる。柔らかく優しいくせにどこか暗い薫りが気になる匂いだ。
「小僧が駆け込んできた時には大笑いしてしまったよ。」
「いえ・・・・・。」
「言いも言ったり『ばーさん!俺結婚したい奴が出来たから俺の事は諦めてくれ』って。おほほほほほほほほほほ・・・・・。誰が私が襁褓を変えた小僧相手にそんな事を吹き込んだんだろうねぇ?」
「・・・・・・・・・・はっ・・・・。まったく・・・。」
「という事で宮方の問題だから鮫の方は任せてもらおうか。
美々も・・あの子が私の秘蔵っ子だと知っていたのだろう?巧く巻き込んで私まで引っ張り出すとは見上げた根性だ。」
「おつる様の・・お仕込みが宜しいですから。」

キツネと狸か、白と白の対決か。
「煙。最良と最善の結果の為ならば手法を問わないのは構わないが、お前のはまだ優雅の粋にはほど遠いねぇ。」
「・・・若輩者ですから。」
そっぽを向いた煙の目に庭の緑が浸みた。
「いい日だね。花見には好都合。」
「何かおっしゃいました?」
庭の桜はもう散っている。












「おい、ちょっと来いよ。」
連れられて、山道を登る。
参児の背中の大きな荷物は食べ物らしく、いい匂いがする。代わりに持ってやるから載せろと要ったら笑った。
「転ぶんじゃねぇぞ、大事なモンが入ってるからな。」
配達にでも行くのだろうか?俺も一緒でいいのかな?などと最初考えていたが、道はどんどん山手に向かい細い道に入っていく。
「重いか?」
「とても大きいけど全然大丈夫。俺なら山道慣れてるし。」
禁猟のえらく物々しい看板と仕切られた木の柵の入り口を越えて付いていく。山道は更に険しくなり少し空気が肌にひんやり気持ちいい。小さな山間の峠を越えると、急に獣達の匂いが濃くなった。参児の煙管の匂いに反応しているらしく、警戒を示す気配も感じる。それ以外はかなり穏やかだが。
「此処に住んでる奴・・多いな。」
「天領だからな。」
「天領?」
「ああ・・つまり勝手に獣を捕ったり出来ないからその分安全に暮らせる場所って・・。ホレ言ってる間に着いちまったな。」
言葉を接ぐ横から道が開けていきなり明るいところに出た。
山の中腹にに広がったなだらかな丘には一斉に咲く山桜が続いていた。
山の碧は更に深くなりその中に敷き詰めたような桜色が広がっている。ずっと。その一帯に。

「つまりルフィのもんだ。ここなら寒いし山がちで時期が遅くても大丈夫だしそれに山桜は咲く時期が遅い。・・自分とこだから見せてやる、花見をするぞ・・だとさ。」
背中のは約束の茣蓙と弁当だぞ、酒は先に届いてるはずだ。
猪把が大口をぽかんと開けた。サンジの説明がゆっくりとしみこんでいく。染みこんで広がって、ようやく震える身体と口が理解した。胸を思い切り膨らませて桜の匂い毎吸い込んだ。花には薫りがないといわれる桜だが、人とは桁違いに敏感なチョパの鼻にははっきりと溢れる匂いが流れ込んでくる。
「それじゃこれ約束の弁当か??」
猪把はドキドキする鼓動を抑えながら背中の荷物を愛おしそうにそっと参児に預け、そして見渡す限りの山桜の棚引きに向かって一気に駆け下り駆け上る。跳ね回る。転んで転がって、それでも嬉しそうに獣型になって駆けていく。木にぶつかっては花を散らし足をもつれさせてその下に倒れ込む。声にならない叫びが山の間にこだました。



「美々も連れてきたわよ。」
「美々!元気か??」
先に付いていたナミが少し遠くから声を掛ける。横でにっこり微笑む懐かしい顔があった。江戸に来て以来美々自身の周囲が大騒ぎでその収集に努めていて猪把達はお目にかかれなかった。
風が彼女の側をすいっと流れて髪先で遊ぶ。流された幾筋かは軽く顔にかかって美々は微笑みながらそれを耳に掛けた。脇に大きな生き物がいる。





迎えに行くならナミが良い、護衛にゾロも付いていけ、とは是府の指示である。
反対の声は横に流して屋敷まで迎えに行くとナミとゾロは通された綺麗な客間ですぐ紹介された。
「私の留守の間身代わりを務めてくれたの。兄弟同然に育った子で・・お軽といいます。」
二人は絶句した。とりあえずナミが言葉を選び始める。
「あら・・・その・・・・なんだか鳥みたいな・・姫様ね。」
「いや、まんま鳥だろ?」
驚きそのまま言うゾロの素っ気なさに美々はくすくすと笑い転げたまま止まらなかった。
約束通りナミの持ってきた服に着替えて裏から四人というか三人と一匹でこっそり抜けてこの山まで来たのだ。道中のびのびした美々はとても嬉しそうだった。
ゾロに案内された天領は彼らが育った所に近い。そう言う話がぽつりと出たが、それ以上ゾロは話さなかった。他は会話などしていないから自然女性二人の会話に花が咲いた。




一通り走って満足すると腹が減る。
サンジが並べた茣蓙に持ってきた弁当が並べられる。宴会用の大きなお重が五段はあったからそれだけでゆうに二十人前の計算になるはずだが、更に小さい重箱も十段積んであった。最大の問題は木に縛り付けて、杯に箸にお茶菓子に・・と配置を完成させるとサンジは嬉しそうに煙管を誂えた。ようやく猪把が来たのを確認して縄は解かれた。

美々の手前の重は飾り細工の鮫と鰐が入っていて一瞬目をつり上げた美々が吹き出したので、端に座った参児は満足そうに微笑んだ。
「まだ煙様に口説かれてるんですって」
「そうだよな。さっさと俺ン所にくればいいのに。」
ルフィは早速と勝手に参児のお重を開いて手づかみで平らげている。
「口の中に物を入れながら喋らないの!」
ナミに小突かれ、飾り鯛に手を出そうとしたところで参児に箱ごとさらわれた。
「んな事言う奴に喰わせる弁当はねぇんだよ!」
「そ〜んなぁ〜。参児の弁当は俺のもんだ!」
「もっと味わって食え!」
「旨いものはすぐに食っちまうのが旨いんだ。美々も旨そうだし。」
「まて!美々ちゃんは俺のもんだ! お前には御正室候補のおつる様がいるだろうが!」
「いんや。断ってきた。つーかばあちゃんも知らない話だったんだぞ。」
もぐもぐと弁当内の厚揚げの煮物が気に入ったらしく口いっぱいに頬張りながら箸で突いたり攫ったりもう一つを探していたら参児がここにある。とばかりに他のお重の中を攫ってくれた。会話もなしに良く互いの意志が判るものだ。猪把は思いながらゆで豆と自分用のドングリをかりかりと食べていた。


「おつるさまは母方の・・知り合いの方で良く面倒みていただいているの。私もいきなり呼ばれたけれど何も言われず、ただにこにことご自身の昔話を少しだけされただけでしたよ?」
美々が困った顔で説明する。

ルフィは頬張った御飯を一気に飲み下して竹筒の水を一気に流し込んだ。
「ばーちゃんは『お腹を一杯にして口説きにいっといで。煙も説得の腕を上げたねぇ』だって。だからまず飯を食うんだ。」
掻い摘みすぎのルフィの説明だが、ようやナミにも得心がいった。
「おつる様の件は煙様の策だったの?」
ナミはおつるにも煙にも繋がりのある男をじっと見た。
桜の花の下で寝る男はこちらをみようともしないし髪に隠れて煙管の煙だけが揺れて立ち上る。
じっと見つめる視線に根負けしてちらりと一度だけナミの方を向いて頷いた。



「という事で俺は喰うぞ!全部だ!!よこせ!」
「・・・・・てんめぇ・・何言ってやがる・・・良い根性だ!飯を前にして料理人に逆らうんじゃねぇ!」
「その魚と煮染めは俺が喰うんだ〜〜!」
「猪把!それに手を出すなんて良い度胸だ!」



その喧噪をすぐ隣の大きな岩の横の大きな桜の下で眺めながらゾロは是府から預かった酒瓶を傾けた。これは最初に飲め、じゃないと旨さがもったいねぇから、と訓辞やら注意やら講釈付きだが期待は裏切られなかった。
真っ青に晴れた初夏の空の下には鮮やかに濃い桜花。極上の酒を昼から手酌で一杯はとても旨い。五臓六腑に染み渡る。
「勝手に離れてさっさと飲んで転がってるんじゃないわ!あの騒ぎどうにかしてよ。」
「ほっとけ。誰も困ってねぇだろ?」
参児と。猪把と。美々と。ルフィと。
「・・・・・そうね。」
納得したナミにゾロは酒瓶を置いて開いた方の親指で自分の横を指し示す。伸びをして肩に付いた桜の花びらを取り上げたナミはちらりと視線だけよこしもう一度騒動を眺めた。溜息を一回してついと足を進めるとゾロの横においてあったぐい呑みを取り上げてすとんと座る。ゾロは手の中の猪口を寄こして傾けた。杯の中には桜の花びら、まだ二杯目の澄んだとくとく言う音が気持ちいい。



「ふぅ。私も下さいな。」
美々が騒ぎから外れて坂を上ってナミの隣に来た。
「二人の呑んでる姿ってもの凄く自然で美味しそう。」
にっこり笑ってナミの開いている方の隣に腰を下ろす。それまでは人質として静かに質素だったそれがひっくり返ってしまってもはや懐かしむ余裕すらない。今だけはそれとお姫様衣装からの開放感を体中で味わっている。

「あんた、どうすんの?」
笑いながらナミは杯を薦める。嵐の後、身分の上下など霧消した。命を賭けた相手への尊敬の念の前には互いの間に壁はない。男達がそうであるかのように。
その杯を受け取って美々はくいっと一気にあおった。く〜〜〜っと言ってさも美味しそうに顔を崩して緊張を解いてもう一度空を見る。


「ずっと、私の人生って父が亡くなったらお婿さんを取って国を継ぐんだと思っていたけど・・何処にでも転機って訪れるのね。まさかこんな事になるなんて。」
けらけら笑ってもう一杯とゾロの方に杯を出す。ナミばりの飲みっぷりに苦笑しながらゾロは酒瓶を傾けて薄琥珀の液体を注いでやる。そして「あーおいしっ」と言う顔は誰かと似ている。

「煙の旦那そっちに通い詰めてるって聞いたが?」
ゾロはもう一度酒瓶を差し出した。
「ルフィさんが内緒で遊びに来た時に鉢合わせして大騒ぎになった事もあるんですよ。」
幼なじみの奇行は自分には当たり前だが、煙には勘に障る事が多いらしい。是府の所で呑んでかなりこぼしていたらしい。(求婚中の姫ん所に夜ばいに行く馬鹿殿がいるか?)
その時のルフィの逃げっぷりと彼の怒りを思ってくっくっと笑いがこみ上げる。

「で?」
ナミのたたみ掛けに美々は杯から眼だけを上げた。
喰った顔どころか笑い方まで益々似てきた気がする。

「選べる自由って言うのが今は楽しくて。
 お婿さん貰って国を継いでも良いし、
 御台所もルフィさんとなら悪い気はしないけど、
 料理屋の看板娘になる道だって選べるなって。
    とても素敵。」


ゾロはぶほっと一気に咽せた。ナミは唖然とした顔をしてから・・くすくす笑い出した。
「そうね。選ぶのは女の特権よ!美々の自由にかんぱーーい!」
「そうそう!かんぱーーい!!ナミさんだって選び放題ですよ〜〜」
「あったり前じゃないのそんなの!甲斐性無しに用はないわーー!」

「おっかねぇ・・。」
ゾロの呟きは二人のあげる気炎と笑い声に弾かれた。その騒ぎを参次達が聞きつけたらしい。
「ああ!毬藻が美女を独占してる!!」
「なにぃ〜〜〜!」
まるで酔っぱらいのような出鱈目なノリの四人(二人と二匹といった方が良いのか?)が駆け上がってくる。

美女どころか魔女だ・・といいたかったが本当に雷が落ちるのでゾロは黙った。まぁ、どっちもいい顔して笑うようになった魔女だがな。
旨い酒は旨く飲むに限る。これからも色々あるだろうが俺には関係ない話だ。そして桜にも。






弥生は過ぎて卯月の中頃。
日はうららに山桜は満開。世の風味はこの上なし。
酒も肴も横の女も極上と来れば。
天下太平憂いなし。
こいつぁ 春から 縁起がいいやぁ。









終劇







手偏に別れと書いて捌(はち)
旅立ちに涙なんざぁ似合いやせん。
シリアスベースでほろりと楽しい剣客商売に大惨事な参児君とその仲間達。
お馬鹿達がうち揃ってお見送り申し上げやす。
頃合いも丁度「捌(はち)」と来れば古来より末広がって目出度き事と申します。
では皆様一本絞めにお付き合い下さい。
いよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜っぱんっっっっっ。



紙一重の序仁井様、与作様。本当にありがとうございやした。








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