夏に向かう雨



カウンターの反対、くるっと振り返ったときにはもう遅かった。
「あっちゃーーーもう少し保つって思ってたんだけどなーーー傘売ってそうな所、ここの側になかったし。」

偶然立ち寄った島がバーゲン時期。お店の中があまりにもお買い得に可愛い服が並んでて、時間もないからと一度は通り過ぎて船に戻ろうとしたところをやっぱり我慢出来なくて引き返してきた。店番がオジチャンならチョロかったのに気の良いオバチャン相手に値切り交渉どころか世間話が盛り上がっちゃって。肌の警告のギリギリまで耐えたつもりが一歩遅かった。
もの凄い土砂降り。空をひっくり返したみたい。って言うか予想を超えすぎ。この湿度と気温からも変化があるのは読めてたんだけどなぁとも呟く。そうでなくても緊急の傘ごときに無駄な出費は、柄が気に入らなかったりすぐに壊れそうだったりの怪しげなのが嫌。窓ガラスから見える大きい雨粒の滴りを眺めて心から溜息をついた。

オバチャンががははと笑った。
「しょーがないよ。この島の雨はサイクロンより気まぐれだからね。この傘、持っていけばいいよ」
後から返してくれれば良いからさ。まけるまけないでギリギリを戦った友にも似た感慨をもてた気の良いオバチャンはそう言いながら買った荷物をきっちりくるみ、その上に雨よけの油紙を捲いてくれてる。このレベルの災害的な大雨にもびくともしない辺り慣れた光景なのだろう。かといってせっかくのこれを濡らすのは業腹だし、当然傘はない。ご厚意には甘えたいが最初から判ってた。もうすぐログが溜まってしまう。予定外の島では食料確保はたやすいけどログが溜まる前に出ないと元の航路を見失う。急いで帰らないと。
「ありがとっでもいいわ。もうすぐ出航予定なの。その傘も返しに来られない。」
そんなこと気にしないで出航前に港の事務局にでも預けろとも言われたがこちとら海賊な事は明かせませんので船は港には堂々と泊められません。だからそれも駄目。


やり過ごすか?打って出るか?
気象予報の自分の勘の見せ所、のはずなんだけど。

その目の前で超弩級の土砂降り。
どうも負け。
「ダメーー」
全然止みそうにない。これならと諦めて出て行こうかと思うけどせっかくの服をくるんであっても濡らすのも嫌だし決めきらない。
それでも時間は容赦なく過ぎていく。抱えた荷物をじっと見た。
「濡れたら・・船で洗って干せばいいか。」
も一度胸にぎゅっと抱えた荷物に向かって溜息と共に覚悟が決まりかけたその時。


あら?

遠くから軽い駆け足で人影が。そしてあっと言う間に今目の前に大きな黒い傘。見えるのは大きな傘の綺麗な模様。覚えのあるそれがくるくるっと綺麗に回ってる。嗚呼この番傘、故郷のと同じってアイツが気に入ってこれだけはどうしてもと前の島で譲らなかった奴だ。ええそれなりのお値段だった。奴の借金跳ね上げておいたわよ。
その傘の模様がくるりと動いた。
「よぉ」
傘の向こうには見慣れた呆けた顔の緑頭が立ってる。
片手をポケットに突っ込んで、片手だけでくるくる回してる結構重いこの傘が玩具みたい。
「向かえに来た」
「何であんたがここにいんの?」

あまりの恐怖に頭を抱えたら持ってた荷物が落ちかけた。ゾロがポケットから手を出して慌ててそれを受け止めた。余裕の片手でもってほれと差し出されるのを言葉もなく受け取っちゃった。
だって信じられない。
迎えにきたって? 誰よ? こいつをこんな時期に放し飼いにしたの。 それにどうして迷ってないの?有り得ないでしょ??

「・・・どうしたの?傘もってなんて。しかもあんたが。」
天気はあたしでさえ読み切れなかったのに。
「船で寝てたら魚をくれた地元の漁師って言うオバハンが 『コサメガエルが鳴いたからいきなりもうすぐでっかい雨が来るよ!村に出てる連中の迎えに行っておやり!』 だと。」
知らない人だけどオバハン、ナイス と拳を握った。
「ルフィが喰わして貰ってた。飯の恩義は重いからな。」
おや?サンジ君のポリシーが移ってる?でも?
「よく迷子にならなかったわよね、これはもう奇跡だわ。」
「迷子じゃねェ。それに奇跡でもねェよ。けどお前しかいねぇな。なんだ帰り損ねたのお前だけか?」
流石にムッと来た。眉間に皺が寄りそう。
「五月蠅い。もう、こんな傘なんて折れちゃえばいいのよ。」
「アホか。この傘の中棒は樫だし骨の作りもすげぇんだぞ!」
「傘?」
「いや、なんでもねェ。」
あたしの質問にはっと驚いた表情の後に、あれ?耳たぶが妙に赤い。照れてる?
そんなゾロを眺めながら思い当たった。
「傘?・・・あんたもしかして新品のそれ使ってみたかったの?」
絶句したまま答えが返ってこない。耳はもっと赤くなってる。

今度はこっちが絶句した。奴の予想外の到来からちょっとドキドキしていた気持ちが一気に醒める。
・・・その辺りよねーー。
とは思うけど嫌なことは絶対しない男だから。それにちゃんとあたしを見つけたんだし。その辺りは好意的に解釈してあげよう。

「うむ、ごくろう。」
ふくれっ面を解いて笑ったあたしをゾロは斜め上から睨むようにみてる。こいつの本質が恐くないくらいもう判ってるからその目つきも可愛い物よ。
「・・・相変わらず上から目線だな、お前は」
本当に笑い出しそう。

で、あたしの傘は?と聞く必要はなかった。
ゾロはその大きめの傘を差しだしてる。ゾロはこれしか持ってない。
あたしは一歩歩み寄る。取りあげることも出来るけど重たいし。ここは『私に』免じて入ってあげましょう。
「うむ。よろしい。入ってあげるわ。」
「お前ホントーに偉そうだな。」
「当然。偉いもの。」
差し出された傘の高さはあたしより少し大きいこの男と並ぶと丁度楽。けど最近この男もう少し大きくなったかも。綺麗で独特の臭いのする傘の中だからじっと ゾロをみてるといつもよりじっくり観察できちゃう。そのまま歩き出した。全然濡れないあたしの横で反対側の筋肉ばかりが盛り上がるゾロの腕は雨に濡れて 光ってる。胸に荷物を抱えたあたしは濡れない。全然濡れない。

そういえばこういう時には自分より他人を大切にする男だ。
まるで恋人に大事にされてるみたいと思いつくとちょっとくすぐったい。一番無骨なこの男相手に何を想像してるんだと思うけどこれが結構楽しい。何だかもっと笑いたくなる。


村を出た。
「あ、カエル、鳴いてる。コサメガエルってこれかな?」
「船で聞いたのはもっと牛みたかったけどな。」
「牛ィ?」
そんなのに負けたのか。かなり悔しい。けど負けたお陰で結構楽しい。結構って言うか、かなりって言ってあげてもいい。下らない話とか、いつもの話が数倍面白くて笑いっぱなし。ずっとこいつの顔を見ながら歩いてる。


ゾロの腕を打つ雨や二人の足元を跳ねる雨粒はどんどん大きく 暖かくなってる。もうこの島にも夏が来る。
「夏ね。」
「夏だな。」
だから夏になるから泳ごうよと言うとアホかこの島からすぐ出るんだろ?と冷静な返事が帰ってくる。
浮かれてるのはあたしだけ?本当にそうかしら?もう少し耳元に近付いてみる。
「じゃ、お迎えのご褒美あげる。さっきセクシーな緑の水着見つけたのよ。今度着て見せてあげるから一緒に泳ご。」
「アホか」
傘の中棒の向こうであっちを向いて染まった頬にまんざらじゃないことくらいはお見通し。
同じ傘の中。どんなたわいないいつもの話も横を向くだけで大事な内緒話みたい。
「じゃ、次の島が夏だったらいいね。」
返事は聞かなくても判る。


雨なんてリズムはバラバラ。なのに心地よい音が響いてる。
暖かい雨がゾロの傘を打つ音にこの島の夏の到来を感じる。
雨音はカエルの声と唱和して響いて、一番暑い夏を連れてくる。






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