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情報の値段

命を取り留めたハチさんも今は軽いいびきをかいている。その音が今を生きる命の音響のように聞こえて喜びの歌の旋律が幾つも脳内に響き渡る。
そこに「あーいいのよはっちゃんの知り合いでモンキーちゃんだから」艶然とした、しかしやんわりと拒絶を含む声が聞こえた。煙草の煙を薫らして甘い香りを口から漂わせるシャッキ−さんを前にナミさんは いいえ、ちゃんとしたお代なら ちゃんと払います とこれも負けまいとする笑顔でにっこり微笑んだ。年期の差のせいか肩の力がまだ入ったままその後見せられた請求書にナミさんは一瞬真っ青になった。おやおやと思っているとその変化をクスクス眺めてシャッキーさんは横から太めのペンを取り出した。これはぼったくりちゃん用のお値段ね と書いてあった料金にくっきりと赤で斜め線を引いて同じペンでその二割に値する分を書き足した。ほっとしたナミさんの顔から言ってもおそらくは格安なようだ。ハチの頼みだから とは言いながらこの女性もかなりの肝っ玉を隠し持ってる。隠れてなくてロビンさんでさえもお二人相手に引いた感がある。
私は心をきめた。このままではいけないと思う。この感覚が古い基準による物なのかは置いて、私には無視できないのだ。


自慢の細くて長い足がくるり回る。皆の出て行く波から外れて振り返った。最後の足を戻して山高帽を軽くあげてシャッキーさんに会釈する。
「あのーー。私もまだ煮豆のお代を払っていないので。」
「あらガイコツさん?それは付き出しみたい物よ、気にしないで。」
シャッキーさんは魅惑の微笑みを浮かべてくれたので私は困って手に杖をかけた。
付き出しとは。酒代に含まれる軽い一皿。それと言い切って船長の冷蔵庫からの飲み食いの分も勘定に入れてくれているらしい。
何とも見事な女性だ。
「でも私もお酒を頂いたわけではないですし。何かお支払いしませんとうちの航海士に怒られてしまうように思いますし。」
もし彼女の場合なら 私と船長を一発ずつ殴っておそらくは怒るよりは目をベリーにして喜びそうだがと思った事は思考から閉め出した。私達は初対面の彼女から過分な情報を頂いてしまった。そうと感じない軽やかさで受けて放ってくれてはいるが情報は彼女たちの命でしょうに。
暗にそうと年長組は判ってる。礼も報酬も受けてくれなさそうなこの女性の凛とした姿勢も判ってて今ドアをくぐって外に出ようとしているのだろう。それは自分の感性が許さない。我々は今後当分、彼女には会うことはおそらくあるまい。

ならば。
衣服に隠れた肉の付いてない細い骨の腕を組んだ。

「では・・私の話を聞いてください。」
「あなたの?」
「音楽家なのです。今楽器は手元にありませんがねーーv」
会話を軽〜くヨホホと流す。


ブルックと出会う前の島--つまり水の都ウォーターセブンと司法の島になる訳らしいがそこまでの彼らの情報は得ていると最初の時彼女は話に匂わせた。最後に仲間に入ったという(正確には最後ではないと彼自身が言っていたが)賞金首になったフランキーのことも知っていたらしいし世界政府の末端組織を打ち負かしたという情報も手に入れながらうすらとぼけて確認を取ってるその強かさ。今では手配書が新聞と共に出回る時代になったのだとは聞いていたが、彼らの動向の全ては新聞程度では流れない情報だろうにそれでも知ってる、情報通というのは侮れないとつくづく思った。彼らはどこからでも些細な情報を集めて組み立てる。無能な物は無能な予想図を。的確な者は一言の集まりでもなにがしかの的確な予想図を描く者だ。だがこの船のものたちは兎角己の名声を語ろうとはしない。その方針に逆らうつもりも必要もない。

その彼女は小首を傾げながらブルックの言葉を秤にかけていたようだ。
一瞬伺うように覗いた瞳からは私の言葉に興味はさほど引かれなかった事をありありと伝える。だが一応聞くだけ聞こうと思ったのだろう。唇の両端が薄く盛り上がった。酷薄ながらこれはこれで魅力的。
「ええ、伺いたいわね。」

「ではその前に、ゲッコーモリアの能力をご存じで?」
「・・モリア?七部海の?確か影を奪って他人を支配する・・と聞いているわ。あたってて?」
ピンと立てた人差し指を顎に当てて記憶を辿っている。おそらくは記憶のあるなしではなくその精度の確認に時間を掛けていたと見える。私は笑って見せたつもりだが、笑顔を作るのは骨だけじゃ無理でして、はい。
「流石ですね。はい、そのとおりです。私はこちらに来る直前に仲間になりましたが、その前までは彼に影を奪われてずっと海を彷徨っていたのです。」
モリア・・。煙草の間から言葉が漏れた。

「では、それだけの話です。お時間を取らせました。」
窓から差込んだ陽の光に私の足元の影が伸びる。私の対の。取り戻して貰った影。
彼女の反応が殆ど変わらない。だからそのまま帽子を取り、会釈した。
これ以上話すつもりは私とて無い。
私は帽子を持つ手と反対の手でドアを押す。外の空気は清々しい。

シャッキーさんの瞳はいきなり大きく見開いた。少々肉感的な唇がぱくぱく音を出さずに動いてる。
「・・政府からの発表はないわ。」
吐息のように聞こえたので足を止めた。
「無いでしょうねぇ。」
こちらも肩を揺すって答えると漸く彼女が柔らかくなる。
「お代分にはなりましたでしょうか。」
それを聞いた彼女はくっくっくと笑いながら煙管をふかした。
「ずいぶん高額な煮豆だったわね。」


彼女の店のぼったくりメニューに「世界一高価な煮豆」が増えたと言うことは、後日遠い海の上で聞いた。