【胡桃】



「はーい皆さん席について下さいね。今日のテーマは”体の目覚めについて”です。」
「せんせー、今更高校にもなって性教育ですかぁ?」
合同クラスだから名前くらいしか知らない男子の混ぜっ返した答えに歓声がどっと上がった。男子の混ぜっ返しは続き若手の女先生は頬を染め、返答に窮しているのが見て取れる。その声を咎めるほどの大きさではないが後方の席で女生徒が口をとがらせていた。
「もう・・大勢でやめればいいのに。先生困ってるじゃない。」
「まもーそうカリカリしないでよぉ。隣との合同喜んでる子もいるんだしさぁ。」
友人の意見は解らない訳じゃない。自分の発言が優等生と言われてしまうことも知っている。けど、許せないものは許せない。どうしてこう隣組は人を困らせる人間の揃ったクラスなのだろう。だから合同クラスは余計に嫌なのだ。見たくもない顔も見なくちゃいけない。
侃々諤々騒ぎが大きくなる中で先ほどから静かな窓際の席にまた視線を向けた。そういえばアイツはこういう席では静かなのが逆に何かを隠していそうで気にかかる。一番窓際の席でこの喧噪の中何を考えているのか外を見たままだ。
「ここからはテストに出すわよっ!」
先生のマヂギレした声に教室中がはっとなった。
自分も驚いていて頭を思い切り横に振った。とりあえず授業に集中集中。
授業よりも窓際に気を奪われていたなんてあるはずがない。
「体は成長とともに反応します。男子なら夢精とかね。」
きゃーと女の子の歓声が上がった。男子の方が静かになった。
「女性の場合月経の他に澱物なども見られます。皆さん、そろそろ下着の洗濯くらいは自分でしましょうって事です。」
先生の言葉にえぇーーと一部の女子が反応した。
「まもは余裕よね。うちの洗濯全部あんたはがやってんだって?偉いよねーー」
「そんなことないよーー」
確かに高校に入って洗濯は私の仕事だ。お母さんは店が忙しいんだもん。

けど。

本当の理由は他にある。
決して誰にも言えない。











「風紀委員の初見回りだ。一年生の諸君も気を引き締めていってくれ。」
三年生の委員長の言葉はさすがの重みがある。受験の日に決意したようにまもりは風紀委員の地位を得た。配られた腕章がくすぐったい。今日は初の校外見回り、今はその前の出陣式と言われたが、気合いのはいるすがすがしいものだった。
「新人のまもり君は怪我などしないように気をつけたまえ。」
肩に置かれた手に信頼を感じ、よりいっそう気分は盛り上がった。期待に応えないと。


「初の見回りご苦労様。そろそろ終了よv」
二人組で回る見回りがもうそろそろ終わる頃。緊張する私をなにくれと励ましてくれていた二年の先輩の携帯が鳴った。
「何?山南君?」
委員長から連絡が入った。だが電話を通してもなにやら慌てた気配が伝わる。
「え?あの書類?だからいつもの引き出しの右っ側に・・無いですって?よく探したの?・・・もう、すぐ行くから!」
電話を切りながら結構怒った顔だ。
「ちょっと期限切れてる書類があってどうしても今日手配しないといけないの・・っと言うことで私これから詰め所に戻らないといけなくなっちゃった。貴方の初見回りにごめんなさい。けどここからならあそこを回った角のチェックで終わりだから・・・悪いけど姉崎さん、そこだけ一人で頼めるかな?今日の貴方を見てれば大丈夫よ!私が太鼓判おすわ!」
「はい、解りました」
「書類は明日提出してくれれば良いからーー。」
もう体が戻りかけている先輩の頼みを快く引き受けた。うん大丈夫。




と思ったのに。
その最後のチェックポイント。今日なんて誰にも会わなかったのにここにだけ人がいた。
しかも・・・・。

なんで初一人見回りであの男に会うわけ??
「だからよー判ってんだろ?」
壁を背にした男子に被さるように男が立っている。手のひらを上に指でお金を招く仕草。
恐喝の現場だ。
そこから先は考える間もなくまもりの足は動いていた。
「ひ、蛭魔君!」
声が震えたのはばれては居まい。
彼、とその前に居る気弱そうな同級生。名前はまだ知らない。その表情は少しだけセナを思い出させる。
「あ・・・あ・・・・・。」
脅しだ。確かに普通の人なら悪名高い彼の前では声も出まい。
「きょ、脅迫の、現場として、風紀委員の名の下に取り押さえます。」
「ああん?」
振り向い金髪と色素の薄い瞳は茫洋と見え、何を考えているのか判らない。獣やは虫類よりは何か悪魔に魅入られたような底の知れない瞳だ。音を立てずに咀嚼した後に頬を膨らませたかと思うと口元から膨らむガムの甘い匂いがした。
「・・風紀委員・・か。確か名前は・・・。」
彼こそはあの入試の日以来の有名人だったがまもりはクラスも違えばましてや口を利いたこともない。
「姉崎、だったな。」
なのにどうして名前が判るんだろう?
「新米の糞風紀委員ごときが出しゃばるんじゃねぇ。」
「!貴方も一年生でしょ!そんな貴方に呼び捨てにされるいわれはありません。それより、貴方のやってたのは恐喝でしょ!」
こんな相手にひるんじゃ駄目。何より怒りが足下から滾ってくる。許せない。
「・・・オレが?どこで?誰を?」
にやりと口元が大きく横に広がった。両手を開いて肩をすくめる。指先はあくまで細い。大きな手なのにきゃしゃな印象だ。
「よーーく見てみろ、今ここには誰もいねぇ。オレとお前の他にはな。」
蛭魔を睨んだままのまもりが振り向いても風が舞うだけ。
なんと言うことか、脅されていた彼は何も言わすにまもり一人を置いて逃げ出した という訳だ。
「オレが何したって?証拠は?ええ?糞風紀委員どの?」
悪党の余裕すら浮かべる表情にまもりは唇をかんだ。確かに自分は一瞬見ただけの相手の名は知らない。顔もよくある顔で多分はっきりと断言はできない。
手はわなわな震えてくる。けど負けたくはない。キッと相手に向かって面を上げた。

「私が見たわ。」
「そりゃ気のせいだろ。誰がいたってーんだ?言えるモンなら言ってみな。けど証拠はねぇ。」

蛭魔は広げていた細い指をポケットに入れるとその手が何かを取り出した。
目の前で細い指が手の中のクルミをも放り投げては素早く捕まえてる。
ああ、クルミだ。かりっとこすれる音がした。

「害者が居なきゃ罪は存在しねぇ。それに目撃者がいなけりゃな。」

脅しに負けまいと近づく顔をぎゅっとにらみ返す。
蛭魔の瞳の色が更に薄くなった。
その眼に魅入られて細い指がまもりの胸の前でゆっくり動いた事にまもりは気がつかなかった。

「こんな事をされても犯罪は成りたたねぇんだ、覚えとけよ糞風紀委員。」

その細い指がぎゅっとまつりの胸を制服の上から鷲掴みにしていた。大きく開いた手が掬い上げるように持ち上げたかと思うと強く、制服の上から布も裂けよとばかりにぎゅっと絞られた。
その手はそのままゆっくりと引いて・・・最後に先端を中指と薬指がつまむようにこすりつけて離れていった。

まもりは動けなかった。
己の立ち位置を失うというのは初めての経験だった。
最初は何をされたのか理解できなかった。

ただヒル魔の手の力強さとその指の軌跡だけが体にしみこんで深い痕を刻み込んでいく。
良いも悪いも判らない刹那の間頭は空回りして体は動かない。ただ触感だけが深く、より深くに向かってまもりの体を侵略していった。知らなかった感覚に体の中心を貫かれている。


ようやく衝撃が言葉になってはじけた。
「何すんのよ!」
そこには風が吹いていただけ。蛭魔はもういなかった。



***



「どうしたの?」
「ううん。」
帰り道、他の誰とも口も聞かず怒りだけが体の中をぐるぐるとうねっていた。誰にも言えない事件だけに体に刻まれた軌跡を何度も反芻する。怒りのあまり下腹までおかしくなるなんだ聞いたことがない。
家で困ったのは下着がもの凄く濡れていたことだった。
「どうしよう・・・・・・・。」
「あら?どうしたの?」
「!、お母さん!今後洗濯は私がやるわ!お店、大変でしょ!」
「あら?けど高校は忙しいでしょ。」
「大丈夫大丈夫!娘を信じなさいっ!」
腕に力こぶを作って笑顔を浮かべてみせる。
「そう?まもりはしっかりさんだからなぁ。じゃ、お願いするわね。」
多少後ろ暗かったけどこっそり隠した小さな下着の染みが家族にばれなかったことに何より安堵した。

「まもりー?そっちが終わったらこれ手伝って。」
洗濯も終わって宿題も済んで。ストックが無くなると店のデザートに出すチョコケーキに入れるクルミの実を割る、いつものまもりの仕事。美味しいケーキになる嬉しさとストレス発散にもってこいのこの作業をまもりは結構好きだった。
だがクルミ割りの道具がカラリッとぶつかった音がする度に何かが心の奥に引っかかる。
ストレス発散に向くいつもの作業に何故か集中できなかった。

その後も、汚れが多い日には決まってあの顔を見た日なのだと気がついたのはもっと先のことになる。





「おお〜〜い。ムサシが部室綺麗になったって!」
「ああ、先いっとけ。」
呼びに来たデブの声が遠くになる。
「思ったより・・・・・・。」
指先に残るその触感を握りこんだ拳のままポケットに手を突っ込んだ。
拳の横で握力強化の為のクルミがカラリと鳴った。






 終了

百屋のさらさんに押しつけてしまった突発書きのヒルまもです。
実はワンピース以外の分野に手を染めたのはこれが初めてです。
なんだか熱が出たように書きましたが、オフィシャルカプはまた別の味わいがありますな!

快く受けて下さってありがとうございました!