「fondling」4/3(ナミゾロ)

「おーいゾロー!ナミさんそっちに居ねぇかぁ?」
サンジ君の声は少しだけ高くて結構通りが良い。甲板で呼んでるのにこんな所でもちゃんと聞こえる。
彼から遠いアタシの身体の下でがらっと大きな音がした。サニーの一番高いとこ、見張り台兼トレーニングルームの窓をゾロが勢いよく開けたのだろう。
「ああ?こん中にゃぁ居ねぇぞ。」
こっちは少し低いくせに静かに染みこむ声だこと。自分の顔を顎で支えてると腕から響いて来るみたい。

一般にどんなとこでも共同生活が続くと、人との距離の取り方がトラブルになることがある。だがこの船にはそう言う問題は少ない。関わり合いを楽しめる空気がある。そして同じくらい個人の空間を大切にする包容力もある。関わるのも閉じるのも思いのまま。だから同じ空間にいても銘々が勝手なことをしていることなど珍しくもない光景だし、蜜柑の世話の時にはそここそが私だけの領域とも思う。
それでもたまに。ホンのたまには誰にも話しかけられたくない・・どうしても一人で居たい時間というのはあるけど、それはこの船ではなかなか望めない。仲間は皆楽しいし大好き。だからこれはただの贅沢、なんだろうけど。


芝の甲板で騒いでいた三人が首を揃えてゾロを見上げたが首を横に振られて肩をすくめた。
「お茶とご所望のデザートをお持ちしたんだが・・ま、いいか。今は気分じゃいらっしゃらないんだろ。おし、おめぇらには飯だ。ありがたく喰いやがれ」
「やった!!」
「テーブルの上に並べてあらぁ!」

チョッパーとウソップの足音が響いて聞こえてる。遠くなる笑い声と共に食堂の戸の閉まる音がした。
外はやや暮れかけて茜の色もやや群青に染まりつつある。コックのくせにこんな時間に菓子をたのんでもサンジ君はアタシに甘いから極上の持ってきてくれる。おそらくは食事に負担のない何かを。それにウソップだってチョッパーだって、それぞれに我が儘だって聞いてくれる。
それは判ってる。
けれど今は。その判りやすい甘さからも今は遠くにいたかった。微妙すぎて自分が整理できない状態では心がほどよい距離を保つが面倒で。気が置けないことと甘やかされてる事の両立はなんとなくだが今は嫌だ。片づいてしまった問題にほんの少し引っかかった澱みたいな些細なのに複雑な気持ちのまま優しいみんなの前には立ちたくなかった。
何があるわけじゃなくって。そう、ホンのちょっと。思い出すと複雑な気分になっただけなのよ。



「おい。」

突然ゾロの声が聞こえた。
え?他にだれもいないでしょ?
ここにいるってばれた?まさかね。アタシきっちり隠れてる。

「おい。」

えっと返事をする?けどだって今は気配もかなり消してある。ここはゾロの窓の真上。この角度だし見えない、絶対判るはず無い。

「おおい。」
ゾロの声が上に向かって聞こえる。間違いなくあたしの方に向いてる。

「ナミ。」

ああ。

ここは夕方の。サニー号の一番上の見張り台兼トレーニングルームの屋根の上。マストよりも上だから下から見てもその影になってそう簡単には見つからない所にアタシは転がってる。ゾロの声はその窓の下から上に向けて、つまりアタシに向かって聞こえてくる。

やだな。答えたくない。 けど無視も出来ない。



「にゃ」


どちらも選びかねて細い声で返した。答えたのはアタシじゃない。ただの猫。
「おい。」
「にゃぁ」
声は抑えながら答える。
「・・・泥棒猫かよ。」
ささやかな声とボリボリと頭を掻いてる音が聞こえる。困ったときのあいつの癖だ。
「にゃっ」
ちょっと勝った気分。
このまま猫でも良いかも。

「お前が猫なら」
繋いだ声がぶっきらぼうなのに良く通って聞こえる。
「そろそろ降りてくるか?」

これには答えなかった。
迷ってる間にゾロのあっさりした気配が更に引いてしまいそうな感じがした。
続く諦めたような声。
「そうか。猫で、誰にも会いたくねぇんならそこが良いだろ。」
ゾロは本当にあっさりそう言った。
「まぁ、居たいだけそこにいて、てめぇが思い出したくないことが消えたら降りろよ。」
一方的にそう言うとカタンと音がした。手が窓に引っかかる音?ゾロ?そのまま部屋に入るつもりなの?このアタシを置いて?ああ、窓の中に顔を引っ込めた気配もする。

「ちょっと!」

思わず言葉が出てた。ちょっと?確かにアイツらしいというかアタシの事なんてどうでも良いんでしょうけどだからって気がついてて放置するってのは無しじゃないの?
声かけたんなら最後までもう少し絡んでも慰めてくれても良いでしょうが。アタシがここにいるって判ってるくせに。

ゾロが動く音は止まった。そしてししっと笑う声を無理矢理堪えてるのが漏れ聞こえた。
「おめぇ猫じゃねェのか?」

ちぇ。
「・・猫よ。手配書にもあるでしょ。」
へぇって?猫だから答えなくても良いじゃない。
猫なんだから、あんたの言うこと聞かなくても良いじゃない。

「猫か…猫なら来いよ。」

いきなり左手が伸びてきて驚いた。いつの間にかゾロが見えてる。窓腰に立って顔が出てきた。手は一本。アタシに手を伸ばしてる。って言うかアンタいつの間にそこまで登ったのよ!?

「なっなにっ?」
「撫でて欲しいだろ?」
「なっっっっっ・・・!」
直接に誘われてるみたいな言葉にアタシの頬はきっと夕日よりも真っ赤になってる。だって熱いんだもん。けどゾロはそのあたりに気付いてないのか頓着せずに続ける。
「?。猫って撫でられたがりじゃねぇか?俺がガキん時には触れ撫でろってノラでも飼い猫でもしょっちゅう俺ンとこきてたぜ?」
熱くなった頬が一気に醒める。肩から腰からがくっと力が抜けた。と同時にちょっとむっとする。
へぇ。貴方モテモテでしたか、良かったデスネ って睨んでやりたくなる。

「怖がんな。」
威嚇する野良猫かおびえた野生の子虎に伸ばすようにそっと、そのくせ大胆にゾロはその左手を更に伸ばしてきた。
「だ・・誰が怖がってなんかっっ」
「だったら来い。お前猫だろ?ほれ、ここだ」
ゾロはポンと曲げた膝を叩いた。ええ?ここに来いってこと?
「別に悪さしねぇからよ、来い。撫でてやるから。」

ゴクッと喉が鳴った。
アタシは思わず想像してた。
小さなゾロの手が猫の柔らかいお腹を撫でる。
大きなゾロの手がアタシの髪を、胸を、身体を撫でる。
ゾロの腕の中で。あの大きな手で撫でられる。肩も、髪も、足も、腰も。

ゾロの手を感じる自分の肌の触感がリアルに思い出されて背筋がゾクッと身震いした。
ゴクッと響いた音の大きさに堪えていた呼吸をそぉっと吐き出し始める。かすかに吐息になってこぼれる。
ああ。


「にゃぁぁ。」


気がついたら釣られたアタシが窓の中に降り立ってた。ゾロの膝に手を添えてその真横にそっと立つ。何か言おうとそこで一呼吸。何も言えないうちに髪の毛ごとガシッと捕まえられてた。
アタシを掴んだごつい手がアタシをかき回す。いつもの歯を見せるにやっとした笑顔。こういうときだけ邪気が無くて底抜けのお人好しで良い奴にしか見えない笑顔は仲間にしか見せないだろう。いいや仲間と認めれば見られる物だろうけど。
そう言えばこの男、何で隠れてるアタシのこと判ったんだろ?

「・・・・何があったとか聞かないの?」
「何をだ?」
「答えなさい、よ。」
「しらねぇ」
「本当に?」
「しらねぇ」
「じゃぁなんでアタシがここにいるって判ったの?」
「しらねぇ」

ゾロの返事は相変わらず要領を得ないし素っ気なさ過ぎ。なのに声色とこのごつい手だけは優しすぎてアタシを包んでゆく。
他のことも地図を読むことも、人を甘やかすことすら船内一不器用なくせに。何でこの男の手は気持ちが良すぎるんだろう。

「…何っ考えてんのよ。」
「なーんも。」
「あのね。何があったとかじゃないのよ。」
撫でられてる手の中で先に切れたのはアタシの方だった。
言い訳したい訳じゃない、けど。
ゾロは左の腕をゆっくりと滑らせる。アタシの首の後ろとか肩とかにも大きな温かい手が優しく触れてる。全然滑らかとか慣れてるとかじゃない。むしろ不器用な動き。なのに。
「聞く気はないわけ?」
「何をだ?」
もう、この馬鹿。訳わかんないじゃない。
なのに心地よい感覚ばかりが理性とか怒りを裏切る。触れられた所が触れられた順に緩んでゆく。
ああ、この手。いつの間にかアタシの芯が、もう緩んじゃってる。緩んで緩んで。

「も、いいわ。」
しょせん自分にも判りにくいのだ。説明どころか納得だって出来てない。
最初からどことなくもやっとしてるだけ。心から派生した不快な感覚に身体を預けたはずの感覚はもうアタシの中で解れて、こうなったら全部を心よりは身体に任せた方が良い。
思うより先に身体の力が抜けた。
トン、と自分のおでこをゾロの肩に寄りかけて、続く自分の身体ごと全部をゾロの腕の中に預けた。
いくらゾロでも驚いたのかずっと撫で続けていた腕はぴたりと止まった。一瞬の逡巡。そしてまた、こんどはもっとゆっくりとゾロの身体が鋼の強さを持った柔らかさで動き出す。そのままアタシが預けた身体を優しく抱え込んでゆく。
この馬鹿ってば
これでアタシを甘やかしてるつもりなんだよね。
「アンタ相変わらずね。分かんないのに何も聞かない。」
「ああ?」
全然聞いても居ないし多分聞く気もない。だってこいつには理解できるわけ無いのよ。
なのに。なのにこいつはアタシが欲しいものを全部持ってる。アタシが知ってるアタシよりももっとゾロの方がアタシを埋められる。何があったとか絶対分かんないくせに。こいつはそんなただの馬鹿だから。
だからきっとモヤモヤしてただけのさっきのアタシが今はこの腕の中に溶けて、こんなに気持ちよく居る事になるんだ。

もう一度ゾロの手がゆっくり持ち上がってアタシの頭を撫でた。これまで経験したことがないほど、ただ優しく髪を撫でている。
重い黒刀を難なく振り回す無骨な手に似合わない、いつもにない優しい動き。
「いつもと違う。」
「猫だからいいんじゃじゃねぇか?やりたいようにやりやがれ。お前が猫になってケツまくって逃げたところでかまわねぇ。」

ああ、もう。アタシの不安を優しく溶かすこの手がここにある。
あまりの気持ちの良さに蕩けてしまう。




猫のアタシは最後に身体を起して奴の顎から頬を舐め、唇を近く近く寄せる。
寄せるような薄さからちょっとずつ濃く絡み始める。どんどん舌を絡めてアタシを包んでいた奴をアタシは上から押さえつけた。

「ねぇゾロ、今からしよう。」
返事は低い声で小さくにゃぁと聞こえた。優しい手はもっと優しくなって本当に身体の奥が疼き始める。



end



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