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空と海の狭間で-24



影が黒というより深緑に見える非常灯だけが点いている薄暗い船の中は、まるで音が切り取られたようだった。
誰もいない空間で、むしろ自分すらいない空間にいるような感じがする。
膝をぎゅっと抱え込んだビビは周囲など見ていない。自分の奥深くに沈み込んで這い上がってこられない。
サンジがやはり発作的に飛び出そうとドアを開けて、また閉じる。なにもできない事ばかりが刻み込まれる。
そんな彼らの動きを他の二人も見ていない。
ルフィはきっと自分の前方を睨んでる。視線の先には何もない。ただ静かに怒ってる。
そんなルフィの横にいながらウソップは逆にどこも見ていない。うつろな視線だ。
4人とも声もなく、何も見ないで床に座ってる。

その間にも船はぎいぎいと操舵輪を回しながら漂うまま進んでる。
時々揺れても気力を失った彼らにはもう何もできない。





誰も口を利く気力のない中で、ルフィがただ一人暗闇の中、操舵室のロジャーの額を見上げた。
ふと、である。
だが何かに呼ばれたような気がしたのだ。

ロジャーの額には文字しか書いてない。直筆だというそれは太めのペンで書かれたゆったりした文字だ。
読みやすいところと読めないところが重なっている。表題にもされている『諦めるな』という文字の他に『海は生命の源、皆が帰るのだ』とも書いてある。

ルフィはそんな文言を読んではいない。ルフィが見ているのは字ではなかった。
だがじっと吸い込まれたようにルフィは額を見続ける。何かに捕まっているかのように。何かを見ているかのように見える。


ルフィが両腕を頭上にあげた。
そしてぷるぷると手と頭を振った。
「ぅおっし!」
生気ある力のこもった声が船内に響いた。その振動に揺すぶられるように三人は我に返った。ルフィの声のした方、額の前に向かう。
「ルフィ?」
「おう!心配すんな。あいつら、きっと何とかなってる」
両手はあげたまま、いつもの顔で笑いながら振り向いた。
声もいつものように軽い。今、この場を支配している空気に不似合いなほど軽い。

サンジはその笑顔をみてこみ上げる怒りをこらえるのに必死だった。が、無理だ。
「勝手にくだらねぇ気休め言うな!」
「なんでだよ、ゾロが一緒ならナミも大丈夫だろ?」
「何でおめぇはなにもわかんねぇくせにそんなこと言ってんだ?この嵐だぞ!そうじゃなくてもバラバラに落ちた可能性の方が高いだろうが!」
襟を締め上げながら詰め寄るサンジにもかかわらずルフィの顔は今も笑顔だ。
けど、さっきとも違うがいつもとも何となく違う。本当に揺らぎのない笑顔だ。

「俺の勘!でも大丈夫だ。」
「何が勘だよ!あのマリモがナミさん追っかけるか?」

「だってあのゾロだぜ?」

ルフィは何か知ってるみたいにニコニコしてる。
確かに、そこは嫌と言うほど判ってる。あのマリモ頭は事の後も先も一切考えないで動く男だ。ルフィと同じレベルにものを考えない男だ。

「ルフィさん・・・」
「だってよ俺たち、まだガキじゃん。だから誰かが助けてくれるようにできてるんだと。ナミがしんどいときにゾロが行ったんならそれできっと何かなってるはずだ」

脱力感という物をサンジは初めて経験した。
ルフィの上着を締め上げながらも今のこいつに何を言っても無駄だと判ってしまう脱力感。
馬鹿と言い続けてもこっちの予想と全然違うところでするりと動いてしまう男への脱力感。
こいつら、絶対、絶対ただの馬鹿だ!



普通に考えればそんな甘い展開を期待できるはずもない。だが皆ゾロのことは何となく判る。
三人は言葉もなかった。だが正気に少し戻ってる。視線を合わせることは辛いけれどできた。そうなって初めて少しだけ互いに話す余裕ができた。
ビビはキャビンの隅に座った。サンジもその反対側の壁に背を預けている。

「まぁ・・二人ともライフジャケットはちゃんと着てたし、大丈夫かもってことも・・・」
それでもサンジの本気じゃない呟きもビビの心を明るくしない。
現実と自分の心の中をどうしても、認めたくなくて一度絡んだ互いの視線はまた空回りする。






外の雨は止み始めてる。

ルフィが船室の方に降りて行ったのに続いてビビも降りた。ルフィはソファにごろんと寝転がりながら足を組んでる。

気づくとビビはドアの前に立っていた。
甲板に出ると恐くなりそうで、でも出口から離れられない。だってドアを開けたらナミさんが立っててくれるかもしれない。

ナミさん。
一人になっちゃいけないって判ってる。一人では考えても考えてもダメになりそうになる。

ナミさんが死んでしまったら・・・考えたくないけどその考えに憑かれてしまう。
どうしよう、わたしがこんな所に誘ったからだ。
来たのは自分が決めたって言ってくれたナミさんだからって、私がいなかったらこんな所には来なかった。


けど私も死ぬかもしれない。
そうしたらもうパパに会えない。パパに内緒でこんな所に来て、そして会えなくなるままなんて、嫌だ。
テラコッタさんにも。学校のお友達の顔も遠くに浮かんでる。

でも。それよりももう一つ。もっと強く浮かんでくる。
私の手で突き倒してしまった。
倒れて、血を流して、必死に私たちを止めていた。
私の言葉に驚いてた。
なのにごめんなさいって言えなかった。

言われていることはいつも正しいのに、どうして自分はあの人を見ると胸が苦しくなるんだろう?
苦しくて死んでしまいそうに感じるんだろう?
口からだそうと思っても、絶対に出ない言葉がある。

(・・・・・・・・・)




「顔」
「え?」
「まーたブスになってる」
「ルフィさん・・・」
ソファに転がって目も閉じていたと思ったのに、ルフィの黒い瞳は最初と変わらない色でビビを見つめていた。
「今は・・今は何かするときじゃねぇ。待つんだ。信じろよ。必ず助かるって。俺たちも、ゾロもナミも。助かることを忘れたら嵐にも勝てねぇ」

どうやったらそんな自信が身につくのだろう?
まるで歴戦の戦士のような強い心だ。
信じている強い瞳。
こんな気持ちでいるとちょっとだけ寄りかかりたくなる。








上からサンジとウソップが降りてきた。
ウソップの心の中には嵐が吹いていた。

多分ゾロは・・でも確かに見ていないから自信がない。
自信が無くて言えない。

それよりも大きな絶望がウソップの心を責めている。
謝りたかった。
今はいないナミに。そしてみんなに。謝ればその罪を認めることになる、それが恐い。だが、謝りたかった。謝ったら、楽になれるような気がしてた。本当はそんなに簡単じゃないのも判ってる。
「ご・・ご・・ごめ・・・お、お、お、俺が・・・あ、あのコードにさ、触ったのがい・・いけなかったと、おと、思う。」
「ウソップさん?」
「ご・・ごめ・・・・であ・・あや、まりたかっったけど・・お俺を・・責めるなら俺を・・・」
「ウソップ?」
ぼろぼろ鼻にまで流れ込む涙と、回らない口に涎が絡む。
自分の罪を、口に出すことは恐い。

  恐い。  何がなくても恐い。

自分がないから恐い。
自分に自信が無いから怖い。


けど。いわなきゃ。
謝らなきゃ。
「す・・すま・・。おでのせいで・・」

「コード?」
頷きながら涙ながらに説明を口にする。

「それ・・違うぞ」「違うわ」「違う」
返ってきた三人の声は同じだった。

「え?」
てっきりおまえのせいかと怒って責める辛い声が来ると思ってたのに。

「なんでだ?その後も船はずっと走ってたろ?」
「雷もあったし。それにそうなら抜いたのルフィじゃんか。自分ばっか責めるなよ」
サンジとルフィは肯きあってる。ビビはそっとウソップの側に来た。
「ウソップさんも・・自分ばかりを責めてたの?」
優しい声にはビビの苦悩が見て取れた。ビビも自分を責めてたのか?


「誰もんな事思ってねぇよ」
サンジが取り繕うように言葉を繋ごうとしたならルフィがそれを奪い取った。

「誰のせいでもねぇよ。仕方ねぇじゃん」

ルフィがくるりと振り向いた。
「じゃあなんだ?俺たちって何かの病気とか問題抱えてるよな?それって誰かが悪ィのか?誰か責めたら治ンのか?」
ルフィは自分の帽子を手にとってくるくる回した。赤いリボンの脇がほつれてそれを縫い直した後だけがぼんやり目立つ。
「後からあーすればよかったのにとか自分のせいだって言うのって、言ったモン勝ちだ。ずりぃじゃねぇか。
 同じ事家族に言われ続けてみろよ。嫌になるだけだ。だって本当は全部誰のせいでもねぇんだからな」
言いながら大きなネコのように肩を伸ばしてる。ルフィはそのまま椅子の上に移動した。うつぶせになってニヤニヤ笑ってる。

「だからこの話はもうナシだ。ゾロとナミのことも心配すんな。なんとかなるからよ。ロジャーの海は人も運ぶって言ってたし!」
「なんだ?そりゃ」
「『ロジャーの海は運ぶ』つまり不思議海だってさ!」

ルフィはそう言ってソファに仰向けにひっくり返った。ごろんと本当に寝入ってしまいそうな静かな呼吸をしている。



誰でも過去のことは変えられない。後からああすれば良かったと思うことはいっぱいあるけど、自覚はなくともそれを自分のせいだと口にするとした人は楽になる。自己犠牲の快感は甘いから。

ウソップは母に言われ続けていた。
サンジには祖父の背中にそれを見た。

言われ続けていた自分が辛かった。





サンジはぼりぼりと頭を掻いた。肩を回してゴキゴキ言わせている。拳骨を作って軽く握る。軽い力でルフィのおでこを小突いた。
「こいつってば馬鹿なのか賢いのかときどきわかんなくなるな」
小突かれたルフィはニッと笑った。ビビは思わず吹き出しそうになってそれを危うく止めた。不謹慎だと思う。それでも笑いが浮かんでくる。
三人、互いに目をあわせた。

「でも私、まだとても不安、です」
「ええ、俺も」
「お・・おれ・・も」
「ナミさんのこともだけど、もしかしたら私達だっていつでも・・」
「ビビちゃん?それは今は無しだよ?」
あやすようなサンジの声が身にしみる。
「そうですね。」
「俺たちが今出来ること、考えよっか」



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