「あの蜜柑・・・貴方のですって?」 「ウソップね。尋問してたんだかされてたんだか・・」 「アラ、早計ね。」 宝石や流木を含んだ紹介が終わり一段落もつかないとは言え、いつもの喧噪にまで関わるつもりはない。階下に降りれば懐かしの自室の暗い入り口が見えた。ドアを開ければ不在による湿り気は感じないまま部屋の懐かしい匂いがうっすら鼻をくすぐる。 だが空けて数日しか経っていないはずが懐かしいと言うよりただ寂しい。 寂しさの原因はわかっている。この部屋で見た笑顔や曇り顔が浮かんでは最後に消えるまでつきあってようやく一呼吸ついた。 落ち着いてあたりを見渡すと微妙に配置の変わった部屋はそれでもこの部屋の色合いを決して崩さず、より使い勝手が良くなっているようで驚いた。 そのまま荷物の整理をしているとロビンが降りてきた。確かに勝手知ったる様子で冷蔵庫を開けて椅子を出しそのまま腰掛ける。冷蔵庫から勝手に取り出してぐいっと煽った水の瓶もここに有ったものでなく、結構有名なブランド品であることが癪に障る。 かといって一々表情を変えるのも小娘然としてそれを見られるかと思うとそれも腹が立つから素知らぬ顔をしておいた。 それを良いことにか彼女の視線はこちらを無遠慮に上から下まで舐めるように値踏みをかける。 (宝石はもうあたしのものだし。) 不快を気取られることも潔しと出来ずに視線は無視するふりをしてナミは彼女の出方を待った。 果たしてか勝者の余裕か、ロビンはにっこり微笑んだ。 「良い木だわ。」 「え・・?」 想像も付かなかった思わぬ一言にナミは彼女を凝視した。予想もつかぬ言葉に正直言葉が継げなかった。 そういう彼女の反応が楽しいのかロビンは笑顔が綻んでいる。目の前の子猫で遊ぼうとする気質はどうやら根っからの物らしい。くすくす笑いながら口元に細い指をそっと当て体を軽く揺らしている。その子猫が爪を研いで待っているのもお見通しというわけだ。 藍色の髪の美女は口元の手はそのままに瞳を上げてナミににっこりと微笑んだ。 「大切にされてるし。」 ベルメールさんの蜜柑の木。 砂の国に管理人不在で置いてゆくことに不安がなかったわけではない。でも、そんな事よりもビビが大切だった。アラバスタに着くまでに出来うる限りのことをして・・。それは例えばウソップに作らせた撒水器だったり、出発直前のゾロとチョッパーにさせた水汲みは全部蜜柑の為だったりした程度で我慢した。 6人になって砂漠を送ってもらって、この緑は遠くからはっきりと見えた。 隠しようのないその特徴に誇り高くも答えるように茂るその枝振り。ほっとしたのも束の間、船に乗ってすぐ根本の処置に真新しい人の手が入っていたことに気が付いた。あれは・・アラバスタの騒動が終わって、体調の癒えぬままに手を入れたというのか? もっともすぐの騒動に忘れてしまったけど。 「あんたが?」 ロビンの表情は以前海上の亀の上で見た時や、地下牢で遠目に見たのと印象が全く違っていた。やや薄赤く頬に生気が差している。唇の結び方が緩い。表情全体が柔らかい。その柔らかい唇から柔らかい言葉が零れてくる。 「葉の間から空を見て貴方がどんな女性か想像してたんだけど・・。」 「あたしはずっとアンタを悪党だと思ってたわよ。」 ナミは素っ気なく言葉を噤んだ。 襟足のザワッとした緊張感は隠せないけれど。 「そうよ。貴方もじゃないの?」 軽く煙に巻く冷たい言葉と柔らかな微笑み。 「本当はウソップじゃないんでしょ?・・・どうして“あたし”の蜜柑だって解ったの?」 「情報は持ってるものの勝ちよ。」 そのくせ目つきの鋭さは隠せない。 「・・・なるほどね。」 「なぁに?」 「別に。何でもないわ。」 微笑みのまま視線を横に動かしたからつられて見てしまった。 「そうそう、落とし物よ。はい」 ナミの隣の机には腕が一本生えていて、細い指先には何かをつまんでいた。 「ベッドに落ちてたわ。」 緑色の髪の毛。 乱れがちな呼吸を必死に抑える。 「邪魔はしないつもりよ。いつでも遠慮無く言ってね。」 「・・・・・。」 「それと本が焦げ茶だと間違えやすいわ。」 ナミの顔色がさっと変化した。 青から赤へ、すさまじい勢いで顔色が変わっていく。 慌てて机の引き出しの更に隠し引き出しの奥を空けてみるとそこにいつもの通り鍵付きの厚い焦げ茶の本は置いてあった。 「見つけちゃった。」 「ちょっと!・・・それ・・・・・・。」 茶色の厚い表紙の本がまさか日記と思う者は居るまいと思って選んだ。 航海日誌とは別に不定期につけている自分の日記。 プライベートやふと気が付いたことの覚え書きなどが書いてある。はっきり言って誰であってもこれを他人に見せるつもりはない。 「・・・・・・・・・!!勝手に見たの!?!?!」 ロビンは軽く首を傾けた。 「本と見ると手が伸びるのは癖なの。貴方もそうじゃない?」 「だからって・・・人の日記を・・。」 「大丈夫。安心なさい、最後の鍵まで開けてないから。」 開けなきゃ良いってモンじゃないわ!第一どうしてあたしのだと知ってるのよ! もうカマなんて掛ける余裕はない。興奮して血が登ってしまう。 この人なんなの! 「・・・・・・!だいたいどうやってこの鍵付きの机を・・・」 悔しいけど声が怒りに震えてる。 「簡単でしょ?これくらいなら。」 机の中から生えた手が勝手に茶色の本をナミに投げて寄越す。 ナミの怒鳴り声は小さな船室から膨れあがって爆発して飛び出した。 机の手の中の茶色の日記を乱暴に元の場所に戻す。 「服はきちんと貸料貰うからね!それと!・・二度と見たら今度は殺すわよ。それに今度こんなトリックやったら叩き出すわ!!今からでも十分なくらいよ!」 啖呵を切って部屋を出るとドアを勢いよく締めて飛び出した鼻の先に、シャワーを浴びようとバスルームに向かうゾロが居た。 こいつがトレーニングと称して水汲みと発電の大部分を占めてくれるからゾロのシャワーに文句を言う奴は居ない。もっともあまり汗をかいているようにも思えなかったが。 ぶつかりかけて体勢を少し崩したナミを軽く支えようとする腕がでてきた。 支えられるまもなくその前に一人で止まったけど。 「物騒な話だな。」 「この船でやっていく上でのルールを叩き込んできたわ。」 「ルール?」 「『あたしに逆らわない。』」 「なるほど。」 あの女スパイがナミに余計なことをかましたようだ。 紅潮した頬は怒りのせいだろう。本気で怒ってげんこつを待っている。この顔ならよく知っている。 にやにやしながらゾロは足を止め、壁に背をもたれかけた。 「けど、素直に聞きそうな玉じゃねぇだろ?」 一度ナミは目を足下に漂わせ、額に軽いしわを作って見せてからゾロを見上げた。 肩を落としてふぅ と呼吸を落ち着ける。 呼吸が落ち着いた。 「あの組織を作った人なんだなって思った。」 「?」 訳がわからず反対に眉間に皺を寄せるゾロが聞き返した。 「ビビから聴いたバロックワークスの構成。 あれって実に人を使い棄てるには能率の良いシステムなのよ。 一見難しそうに見えて仕組みはシンプル。 競争をあおることこの上ないし、悪党には抜け駆けの道が堂々と用意されてて、上だけを見せるから駆け上れそうに見えてその実、上がってみると使い棄てられる。それでもぎりぎりまで気が付かずに。」 「・・・で?」 「人と機を見ることこの上ない・・あの人が作ったシステムなんだなぁって。」 冷静な意見を言いながらもその表情はなにやら楽しげで、それがゾロの神経に僅かに逆波をたてた。 「油断ならなくって質が悪ぃって事か? ・・・・・ま、そういう点ならお前も負けてねェし。」 にやりと悪人面で笑顔を見せながらゾロが言うと、ナミはにっこりと口端で微笑んだ。この笑顔はやばい方だと気が付く前に彼女の手はゾロの頬を思い切り引っ張っていた。目はと言えば一見にっこり笑っているだけに始末が悪い。 「まぁ確かに・・・質は悪そうね。」 軽く首を廻し視線を自分の後方に流す。ドアの中。 「でも本当に悪い人じゃないわ。」 ゾロは目の前にある言い切ったその横顔に一瞬を目を奪われ唖然となった。 見惚れるような綺麗な横顔だった。 見慣れた・・自分の頬をつねっている相手に抱く感情ではないだろうに。 その感情の名前をゾロは知らない。 「離せ。」 相手はバロックワークスのトップだぞ。 妙に気恥ずかしくなって言えば、言われるままこちらも向かずにすぐに手を離してみせる。そのあっさり加減もロビンに気を許しているようで面白くない。 原因は・・宝石か?それよりはルフィの一言か。 「何渋面作ってんの?」 「敵・・・だ。」 「元・・でしょ?いい人よ。」 現金なモンだ。さっきのアレでそこまで手懐けられるとは。 「宝一つであっさり陥落しやがって。」 ゾロはぶつくさ言ってそっぽを向いた。 ナミはその顔の前に思い切り顔を近づけて真正面から目を覗き込む。 「いけない?アレに勝るお宝なんてこの世にはないわ!」 良い匂いがして、風が渡る葉擦れの音。日差しを和らげて、隠れて昼寝をするのにもってこいだ。 隠れてちょっとじゃれあう事も大好き。 蜜柑色の素敵な実を付けるあたしのお宝。 目の前のゾロの顔にいらつきがあることが手に取るように判る。 勝手に間違えてればいいわ。 それだけに笑いを隠せなくなる。 面白いから少し放っておこう。 「ま、確かに信用はしてないけど。」 それでも彼女はいい人だ。 だって蜜柑はあんなに元気だった。 あんなに嬉しそうだった。 だから・・・。 ナミは狭い廊下のゾロの横を通り過ぎて外へのドアを開けた。 「さぁ!風を見てくるわ。」 次の冒険は彼女と一緒に行く。 一つくらいなら分けてあげるのも悪くない。 きっとそれだけで彼女は判ってくれるだろうから。 『好きなものはお金と蜜柑!』 |