渡河


サンドラ河の上、風はこの国には珍しく涼しい。ビビの話では川幅が50kmくらいあるらしい。
それではもっともな話だ。濡れた服もマントも一気に陽と風を受けて乾いていく。

「このスピードなら一時間くらいで向こう岸に着けるわ。」
なまずの先頭に立ち先を睨んでいたナミが言った。
「一番急いでくれって頼んだからな。クンフージュゴンの意地にかけても最速でついてくれるって言ってるゾ。」
チョッパーは後尾から声を掛ける。帽子を飛ばさないように抑えながらも涼しい風を一身に受けて、そよいでいる髭とマントを脱いだ下の体毛が少しずつ膨らんで来た。さっきは頭の上に載せてあまり濡らさないでやったはずだが、まぁこっちの頭もびしょぬれなら同じはずか。強い日差しは変わりなく自分の頭が乾いていく感じがじりじりしている。

水上の動物達は交代で川を行く。兄弟弟子には苦笑したが、奴らの気合と根性は見上げたものだ。この速さでは立っていると風の負担はかなりのものだ。足元の魚のヌメリ感は仕方がないだろう。最初は躊躇っていた様だが風の強さに今では皆座り込んでいる。その皮膚も乾けばていのいいクッションになった。こんな事態でなかったら、一眠りも気持ちが良いかもしれない。

だが・疲れていても誰も眠れない。
俺やコックのように体力のある奴はいいが、心労がピークに達したビビはともかく病み上がりを隠すように駱駝を手懐けた女の顔色もフードの下で冴えない。
鯰に引き上げたときの腕の温度の低さはこの風で余計に悪化しているのだろう。
現在の基礎体力から言ったら限界を超えてしまっているはずだ。


「ゾロ?」
立ち上がリ強風に向かうような男に怪訝そうにウソップが声を掛けた。
「せめて座っとけよ。この風じゃ余計に疲れるだけだぜ。」
「いや・・。こっちのほうがいい。」
「また、今度は違うタイプの筋トレかよ。お前も懲りねぇな。」
あきれたように言ったウソップはゾロに背を向け、反対の川を眺めた。50Kmもあれば対岸など見えない。残してきた男の事は今は振り返らない。そう決めた。だけど、そちらのほうを向くことくらいはかまわねぇだろう。
(なぁ、ルフィ。)
小さくウソップは口の中でつぶやいた。


二人の会話を黙って見ていたビビはほんの少し微笑んだ。
腕組みをして立つ大柄な彼の服は風を受けて裾だけが広がっている。彼の背後に太陽が中天にあるにも拘らず大きな影ができる。その影の下に細身の影が見える。
ナミだった。そのナミも身じろぎ一つぜず、ゾロのほうも見ない。軽く目を閉じて口元に微笑を浮かべている。ナミは気付いてはいるのだろうが何も言わない。
陽と風除け。
黙って・・決して口になどしないし、指摘しようものなら止めてしまうであろうゾロの苦りきった顔が良く見える。
そうナミが船で困った笑顔を浮かべていっていたことを思い出した。
(馬鹿なのよね。)

二人の繋がり羨ましくもあり、ゾロが優しい男なのだと新たに確信できたことを嬉しく思った。こんな時だけに・・・。
ビビがふと視線を感じて見ると悔しげなそのくせ満足そうな顔をしたサンジと目線が会った。見られていることに気が付いたようにサンジもビビに向かってほんの少し笑って見せる。
(な?)
そう言われた様に感じて何故だか赤面している自分がいた。



その後誰もが黙ったままだった。



「凄いわね。」
前を見ながら顔にかかるオレンジの髪をすっと耳に掛ける。少々蒼白を増した横顔に映える橙の髪。ゾロは背筋にぞくっとする感覚に気が付いた。この感覚は一体なんなのか。悩むのも嫌で俺は自分の前を見る。ナミの姿が目の端に入るのはこんな狭いところでは仕方ないだろう。
風に載って言葉も飛んで行きそうなのにこいつの言葉は何故だかしっかり聞こえる。
「スピードがか?」
「ううん。・・ビビよ。」
そういって、ナミは反対側に座っているビビのほうを見た。ビビは今目的の先を見ている。城まで見えるのか。でもさっきまでのき追い込みすぎる雰囲気は取れている。
「?」
「ウィスキーピークを出る時にルフィに会った。
そして私達の船に乗って。
レインベースを出る時にハサミが来てくれて。
今もこの出現が稀って言う大鯰をクンフージュゴンがのしてくれた。
おかげで乗り物つきで向こう岸までこんなスピードでいける。」
唄うような喜んでいるリズムがあるように思った。
「・・・偶然だろ?」
「その偶然が。
それこそがこの国に愛されている証拠じゃない。
それに・・。」
「?」
「あんた達の緊張もこのおかげでいい風に抜けてるわ。あんたが筋トレ止めちゃうくらい。」
揶揄するように微笑んでこっちを見上げやがった。
その目つきはこれこそが魔女の呪眼と言われるものだと気がついた。もう逃げられないことは判っているのにいつもそのまま動けなくなってしまう。それが忌々しくて顔が歪む。ナミにはそこまで見切られている気がして余計に癪に触るのだが・・・。
確かに鯰に乗ってから一種の毒気が抜けた感じだ。見るのは先のことだけ。無理に駱駝を担がなくてもよくなった。そして・・・・この先には何かが待っていると言う予感のような感覚がある。それは戦いに飢えている俺への極上のデザートだろう。

「いるな。この先に敵の追っ手が。」
「うん。問題はそこでもあるわ。私達の目的は・・ビビを反乱軍の前に送りだすこと。その援護ね。」「それは俺達に任せとけって。」
「そんな簡単じゃないでしょ?敵の人数も戦力も正確には未知数なんだから。・・まぁ・・足さえ何とかなったら・・全員フル稼働って手はあるんだけど・・・。」

俺は敵を見ている。直接戦う相手を。この女はその手前を見ている。戦いそのものなど見ずに。二人の見ているものは違う。だからこそ自分ひとりの領分に専念できる。他は俺が見なくてもかまわない。判っているから余計に無視するきらいはあるようだ。そのあたりが最近増えていることくらいはわかっているつもりだが。

「向こうに着いてからの足か??
・・・・・何とかなるだろ?こっちにビビがいるんだから。」
今度は驚いた顔。そんなに人を小馬鹿にしなくても良いだろうがよ。まったく・・・。
「そんなうまくいくはずがない・・・・・でも・・・
!そうね。そうなるわきっと。あんたにしちゃ気がきいたこと言ってくれるじゃない。」
声が軽くなったように思う。こいつの緊張も少しは取れたようだ。
その軽さに気が楽になって他のことに気がついた。
「それより・・お前も戦うつもりか?」
「当たり前でしょ?」
「足手まといだ。」
「そんなにきっぱり言うことないじゃない!」
「バカか?自分をよく見てみろ!」
「自分よりも敵だわ!そっちを見てたらそうするしかないじゃないの!そんな事もわかんないからバカって言うのよ」
「バカはどっちだ!」
口論は大きくなり無意識に降りかえりナミの方に真正面を向いて睨んだ。誇らしげだった顔が一気に膨れ上がる。こうなると嫌な事を思いつくのがこの女の悪い癖だ。
「良いか?考えてみろ。自分が実践向きじゃねぇことっくらいおまえのできのいい頭で判ってんだろうが。」
こういうときにこいつを脅してもたいした効果がないことは重々承知している筈だったのに・・・。みなの視線が集まる。
チョッパーは不安そうに見ているし、ビビは笑いを堪えたような顔をしている。
コックは・・コックがこちらを一瞥しただけでそのまますいっと視線をそらしたことが少し落ちつかなった。
「誰に何があってもビビを先に送る。そういったのはあんたよ。」
ナミはまだ俺を睨んでいる。俺に諭すというよりは自分に語るように、皆に語るように。


ったく何考えてんだ?
何があっても自分の身くらいは守ると言うこいつらしさがなかったら誰がおちおちほっとけるってんだ?
「けど・・ナミの言うとおりだ。下手すりゃ全員命がけだぜ。」
ウソップの鼻が微妙に震えている。
「下手しなくってもそうなのよ。」
ナミはついとゾロの真正面に回った。
「じゃ、決まり。あんたが私の護衛。」
「何?!?!?」
「そこまで心配ならきっちり守って頂戴。」
人の正面でにっこりと微笑みやがって・・。
こっちのほうは顔が引きつって痙攣を起こしそうだ。くそっ。

「・・俺は使われるのは嫌いだって言っただろうが。コックにでも頼め!」
「はーいナミさん俺が・・。」
「そこ黙って!」
「そこ黙ってろ!」
サンジの挙手は強い風に押されて言い合う二人にあっさり抹殺された。
言い出すナミの口元も微妙に歪んでいく。会話のまま肩をすくめたり、ナミはこの男の懐柔には絶対手をぬかない。それがわかっていないのは当人同士くらいのものだが・・。
「言い出しっぺが放り出すわけ?それとも怖いの?」
「誰が怖いって?」
「あたし一人バロックワークスから守ることもできないとか。たいしたこと無いわね。」
ゾロは額どころか全身が細かく揺れ始めた。
「・・だから誰に向かって言ってる?」
「逃げ腰の男。」
「誰が逃げてるって?!・・・
・・・・判ったお前と一緒にいりゃ良いんだろ?但し!お前は余計な事言わないで隠れとけよ。俺に手間かけさせるんじゃねぇぞ」
「よく言うわ。あんたこそ道間違えて迷子にならないでよね。」
「よく言ったな!てめぇ覚えとけ!」
怒鳴りながらも刀を握り締めるゾロとではどちらに軍配が上がったかは言うまでもない。
「オイエロ剣豪!ナミさんは俺が守るって・・聞け!」
「ああ?るせぇ!横から口出すんじゃねぇ。」
「勝手に決めんな!」
「やめてぇ!」
ビビの叫びは二人の諍いに水をさした。
「もう、良いじゃないですか。私もナミさんにボディーガードがつくほうが安心ですから。」

ビビはサンジの横に並んで右手を伸ばしてその金髪をぽんっと撫でた。されたサンジのほうが一瞬びっくりした顔をしてそれに邪気を抜かれたようにおとなしくなった。

「ビビって猛獣使いだったのか。」
チョッパーが目を丸くした。横でウソップは笑いを堪えている。
「ナミもだよな。」
「口で勝てないってわかっててどうしてゾロはナミと口げんかするんだ?」
「チョッパーあれは痴話げんかって言うんだ。今からでもいくらでも見られるからな。あれに口や手を出すと命が無いと思え。」
「☆!??」
チョッパーが顎を落としたのを見てゾロが怒鳴った。
「ウソップ!斬るぞ!!」
「何ウソップにあたってるのよ!」
襟首をつかまれたウソップは後ろにのけぞって倒れた頭が視界の先に見つけた。
「おお・・おお・・おい!あっちに川岸が見えるぞ。」
「嘘つくな。」
「見て!嘘じゃないわ!」
ビビの嬉声が響いた。
眺める先には再び岩石砂漠が見える。日は晴天。水面の太陽もきらりとまぶしく輝く。
我々の、そしてこの国の王女の帰還を迎えるために。

「これで・・・。」
「ああ。ああ行くぜ。」
決戦まであと3時間。


太陽はじりじりとこの大地を照らしつづける。
その下を走る7つの小さな影がいた。

捏造計画の余所様の素晴らしさに入りこむ隙はバカップルのみ!
良いじゃないか!滅多に無いゾロが言い出す話でも
お陰で内容がペラペラでも!
お陰でもう一つ別話が出来たとしても!