もう駄目だと思った。
肉の焼けこげる匂い。
掌が痛みよりも、はじけて千切れてしまいそうで。

それでも守りたかった。
海賊相手には小さな“命”という物。

背後から海賊達が斬りかかってくる足音を
耳よりも甲板の振動が脚に伝える。
近付いてきた。大勢で。

斬られる。
もう……。
奥歯をギリッと噛む。呼吸が止まった。


「女一人に何人掛かりだ?」


人が倒れる音がして、静かになった。
静かな言葉が力一杯堪えようとする私の中に浸みていく。

大きな背中。
振り向いた目は鋭くて静かで。
黒い頭巾の下から見える瞳。
恐いとは思わなかった。





騒動の元をたどれば、予想に違うことなくルフィの声がした。
違いねぇ。
近付くと檻の側に蜜柑色の頭。
その女がルフィを庇う形で身を投げ出したことが見えた。
迷う必要はねぇ。


「怪我は?」
若い女だった。
何が起こったのか解らない顔をしている癖に
目だけは強く冷静に周りと俺を見つめている。
「ええ、大丈夫。」
燃えそうに熱い視線と冷たくて凍ってしまいそうな声のアンバランス。
その温度差は今も俺の中に残っている。





『 CROSS−交− 』






「あんた達わかってんの?こんな小さい船を二艘併走させるなんて大変なことなんだからね!」

ルフィはそのナミのそういう文句にあっさりと従うつもりらしく、
「じゃあ俺達そっちに移ればいいのか?」と聞くから慌てた。
ナミがそのままルフィに拳骨をくれてその問題は決着が付いたから良いが、
俺にとっても止めて欲しかった。

バギー海賊団はぶっ飛ばしたし、船出も上々だった。
なにより新しい仲間が出来てルフィは喜んでいる。
欲しかった航海士が降ってきた。
今の俺たち二人には航海士が一緒というのは何よりありがたいはずだ。
ルフィは怒られたことを気にすることもなく
機嫌よく俺達の船の舳先で先を眺めている。
向こうでナミは奴らから奪った船の積み荷をもう一度点検しているようだ。
食料を出してくれる気らしい。
金をよこせと言うから人のモンで商売する気か?と聞くと
あたしが手に入れたんだからあたしの船よときたもんだ。
そんな女だという事は見る前から判っていた、はずだ。

だが何なのだろう?
あの女に妙な警戒音がずっと鳴っている。体中に。
泥棒だから?俺たちに盗られる物なんか無い。
女だから?そんなことは尚更言うほどのことでも無い。

とにかくもそれは胃袋の辺りが重くなったり、へその下がむずむずしたり、
俺の今までに知らない信号だけに判断に困る。

この女は一体何者なのか?

解らないくらいでそれに苛立つ自分も慣れなくて落ち着かない。
寝ようにもこのいらつきが取れなかった。



「水もあんまりある訳じゃないから早めにどこかで補給した方がいいわ。」
そういいながら上がってきたその腕に良いモンをもってきやがった。
「酒か!」
「けが人が何言ってんのよ。あんたのはこっち。」
塩漬肉やらパンやらを反対の腕に抱えている。
「酒飲んで寝りゃぁ治るぜ。」
「血が足んないんでしょ?けが人が何動物みたいな事言ってんだか・・
 有名な海賊狩りがこんな奴だったとはね。あきれちゃうわ。」


忌々しそうな口ぶりでいいながらそれでも船の縁越しにしゃがみ込んで
手の中のものを一つずつこちらに渡そうと手を伸ばしてきた。
二つの船は巧い具合に併走している。
船の間隔は俺の腕が楽にあっちの船縁を掴めるくらいにぴったりくっついている。
それでいてぶつからないんだからこの航海士は本人の言葉どおりたいした腕と言えるだろう。


女の力に指先で持った酒瓶は結構重い。
一瞬急に強まった風につるりと滑って逃げ出した。

ナミが慌てて捕まえようとして両手で瓶に触れた瞬間、
顔が歪んだ。
「いっったぁ」

そのまま酒瓶は海への捧物になった。

「あ〜あ。もったいない。さっさと受け取ってよね。」
両手を軽く振りながら海上の波紋が後ろになっていくのを眺めてぶつくさ言っている。



あの時檻に入ったルフィを見つけ近寄れば、
奴の横で女はいきなり燃えていた大砲の火縄を掴んだ。


「・・・さっきのせいか?」
低くなった声でもナミにはきちんと聞こえたらしい。
慌てたような少し上擦った声でその手を振った。
「何てことないわ。舐めときゃ治るわよ。」
隠そうと引っ込めようとした手をそのまま掴み、
引きながら仰向きにさせれば肉の焦げる匂いと黒くなった焼け跡。
周囲は真っ赤に腫れてうっすら血も滲んでいる。
肌の質は滑らかなくせに細い指に似合わない古く細かい傷も幾つか見て取れる。
“泥棒の手”とはこういうものなのだろうか?


故郷をでてから何年か。
命乞いをする奴など掃いて捨てる程居た。
てめぇが助かるためなら何でも犠牲にする奴も数え切れねぇ。
お題目だけが立派な偽善者も見た。
てめぇの命が一番大事な奴しかいないことも
こんな世の中じゃそれが当たり前だと思っていたし、
俺には全く関係のない話だった。


なのにこの手は・・
会ったばかりの見知らぬ者も守るのか?
文字通りの命がけで。


体中で音がまた聞こえる。
大きくなる音が心地よいような不快なような。
何で全身が揺れてるんだろう。





ぺろり



ゾロはそのまま傷の大きいナミの左手を舐めた。
あまりの唐突さと自然なその行為に
ナミは一瞬の虚をつかれた形になり、
手を引くことも忘れて
男の行為を黙ってされるままに受けてしまった。


「何すんのよ!汚いじゃない!」
「舐めときゃ治んだろ?」
「アンタに舐められたら余計に悪化するわ!」
「はははっ」


舌に付いた焦げた匂いと鉄錆びた血の味。
なのに甘く感じるのはさっきから続く
喉が渇いたような感じのせいなのか?

気温も上がってきているのだろうか。
俺の喉の渇いた感じは一層癒されることがない。
今までに知らなかった甘い飢えを予感させている。


真っ赤になって怒るナミに俺の奥で音は姿を変える。

この女を一つ解ったと思う。
そして解らないことがそれ以上増えた。
それ以上は知らない方が安全だと思うのに。
他人の思惑などどうでもいいはずなのに。

音は
一段と大きく。
もっと深いところで。





出会って。
視線が交わされて。
声が交わされて。
意図せずに交わされた体液は身体の奥底に沈着した。
だが、俺はまだそいつに気付いていなかった。




end




ゾロが何故アーロンパークでプールに飛び込んだのか。
私の持っている答えの一つです。
(もちろん始まりなだけで。他に幾らでも)

未弥さんへ愛を込めて

みやさんだけ持ち出しOK



戻る