生まれゆく君へ |
私たちは時を忘れてずっとその柔らかい繭のなかで眠った。 私と彼との境界が溶けてしまわんばかりに共にあり、私は彼で彼は私だった。 彼、と呼ぶのはいささかの語弊があるのかもしれない。私たちには性別はなく確固とした形もなかったから。世界には空も海もなくただの空間があり、幾百幾億の同種のものがそこにいたのかはわからない。少なくともそれらに個々の認識はなかった。ここに来る前の記憶も。 与えられるのはただ、形をなしたいとの焦がれるような想いのみ。 何もなしえない者。 何にでも成れる者。 命。 私たちの呼び名だ。 私たちの目的はただ一つ与えられる。 殻を選び、道を選ぶ。呼ばれる声を待ち殻を纏うための空間に入っていく事。この世界から旅立つ事。 命達は形がない。境界もない。ここで自我を保てる者は誰もいない。 それがここの法則であったのだが、何処にでもはみ出し者はいるのだ。 「夢を見た。俺は海にいた。お前がいた。」 彼はそう言った。 海・・・。 片方の耳元で鳴る微かな澄んだ音が潮騒に混じって聞こえた。彼に従う重なる金属音も。 この世界に来て全ての記憶を失ったと思っていた。持たないのだと思っていた。 だが、記憶は私の中に眠り、静かに封印されていただけだった。 甦ったと言ってもほんの僅かしか思い出せたわけではない。相手はおろか自分の素性も思い出せず互いの関係も良く解らないと言うのに、溢れ出した彼への郷愁は私の中で尽きることはない。私の中の痛切な思いは全ての条件を凌駕せんばかりの勢いで私たちをともあるようにしていた。 ただ、今の私達は共にあるだけで・・相手に触れる感触もなければ与えあう体温もない。微かに残る記憶がそれも余計に想いを煽るのかもしれない。 「行くぞ」 彼の殻が用意される時が来ている。 「やっと俺の殻が出来た。」 待っていたのだ。幾ら心地よく互いをわかることが出来てもそれ以外は何も出来ないこの身。私たちは殻を得ねば何をすることも覚束ない。互いにも世界にも触れることすら出来ない。何も産み出すことも出来ない。焦れる思いは先の夢ばかりを見る。 微かに残る記憶。手に握られた触感を。世界の匂いを。 「お前ももう殻の種を選んだのか?」 「ええ、でももう少し先じゃないと出来ないみたい。」 「問題にはならんだろ。あいつのように幾ら呼ばれても行かない奴だっているんだからな。」 もう一人の彼も私たちは見つけていた。 記憶を辿る前にも何故か懐かしさを感じた相手だった事に気が付いた。例え帽子は被っていなくとも。彼はあちらから呼ばれていたのに未だ行こうとしなかった。私たちのようにここで待ちわびる相手を捜していたのかもしれない。 封印されている記憶は例え形にならなくともどうにか逃げ道を作り出して、記憶の持ち主を古き友にまた会えるようにと画策するのだ。おそらくは己が選ぶ殻を作る親の組み合わせすらも。 誰もが知らずに自分の運命は自分で選び取っているのだ。 「全ては心が決める・・・。」 心とは一体何なのか、今の私たちとどう違うのか。 「行ってみりゃわかんだろ。」 相変わらずの彼だ。彼はこういう人だった。 だけれど。 「産まれてしまったら私の事は忘れてしまう?」 静かに彼の想いが私を取り囲む。 「ここの決まりはお前の方が判ってるだろう。今は思い出せた。でも先はわからねぇ。そんなに都合良く行く訳ねぇ。一々覚えてられるかよ。」 今の自分達だけが極めて希な事なのだ。そうだ、誰が決めたのか一切の記憶は封印されてそれを開く法はない。自分たちに起こった・・そんな偶然が続くとは思えない。 己の体中が悲しみの色に染まる。その色を見て彼もほんのり同じ色を体に写し始める。 「けど殻が出来なきゃ何も出来ねぇ。お前に触れることも。抱くことも。」 抱きあうことも互いで埋めあうことも出来ないのだ。 互いを傷つける事も。相手の傷を癒すことも。 ただ寄り添うだけ。これが罰だというならば触れあう事で互いを埋めていた私たちにはもっとも酷な罰だと思う。 「けど探す。必ず探す。見つけた時には容赦しねぇ。」 「あんたもあたしも思い出せるとは限らない。」 「思い出さなくても良いんだ。判らなくてもいい。俺はお前を捜しだす。」 記憶は失われても彼は変わらない。それを見るたびに記憶のベールが少しずつ剥がされて、断片となったかつてが思い出される。 海、船、大切な橙の球。 「・・捜し物はあたしの方が上手よ。何処にいたって探し当てる。見つけたら逃がさない。」 「ああ。」 予感がする。会えば互いに血を流さねば抱きあえない。会うまでにも茨の道が待っている。 ここにいればこんなに同一なのに。境界はないのに。 それでも私は持たざる腕(かいな)で彼を抱きしめたくてたまらなくなるのだ。 かつて共にいたから今も恋しいのか。これから与えあうからこれほど切ないのか。 想いも歴史も繰り返されるのかもしれない。その度毎に私たちには初めての痛みと共にそれに出会う。 時も空間も越えて自分が会いたい人を捜しに生まれに行こう。 己に関わる全ての人を探し、愛し、怒り、慈しみあうために。 命は会えるその時をその身にだけ刻み込み無意識に探してゆくのだろう。 会うことが出来たならもう二度と離れるつもりはない。今は。 その為の産まれる場所は自分が選ぶ。産まれる時も目的も。 end <一言> 胎児の誕生(つまり妊娠の事)祝いのつもりでほんわかした話になるはずがなぁんでこんなに殺伐とした産みの血の臭いがする物に??? 私が書いたから?? 固有名詞は一切無しでこれでゾロナミだ!と言うのは間違っているのでしょうか??(うるうる) つたないモノですが今胎内に小さな命を抱えて悪阻と戦うたまちよさんと真珠さんへこっそり捧げます。 (お出ではないと思うのでファンとしてこっそり捧げてるだけです) 私はもう産む気はないのですが、いつでも何処でも命の到来は嬉しいものです。 でも何故彼らがそのタイミングで親の元に来るのかが不思議で仕方がありません。そして来ないのかも。 オリジナルで書けるかな?と思ったネタだったんですが、いい話を聞いたらやはり彼らの話にしたくなりました。 その他現妊婦様、気が向いたら一言の末にお持ち帰りどうぞ。(2003年出産予定の方) |
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