【炎の名残(ハンコックとエース)】 |
「ハンコック殿。お暑かったでしょう。」 「何の話じゃ?」 「あああの暑さにも溶けぬ氷の眼差し!さすがは七部海・・!素晴らしい!所長になった私と御付き合い頂きたい!」 地下5階に降りると部屋の暑さは緩んだが今度は最初から小うるさい牢屋番がまた揉み手で声を掛けてきた。顔もセリフも更に鬱陶しい。これも石にして良いかと後を歩く制服に目で尋ねたが、ゴホンと深く響く咳払いで否定を答えた。その髭が今までになく張り詰めている。そして額に顔に汗を浮かべていた。この階に降りて以来奥から漂う気配に多少空気が変わってはいるとはいえこれも鬱陶しいことだ。 4階の監獄所長室の時は確かに暑いと思った。毒を吸わせる男に腹はたったが想うはルフィの事ばかり。先を急ぎ早くこのような面倒はすませたいと思った矢先に電伝虫の向こうから入った連絡にはっとしそうになり慌ててその連絡を揉み潰して先を急がせる。階段を下りながらも彼の人が今はどこにいるのか逃げおおせるのかそればかりが心を占めていて暑さなどどこかに吹き飛んだ。ザワザワした他人の声もあまり耳に入らず全てを巻き込んでここに下ろした今周囲の状況ももはやどうでもよい。残る、なすべき事はルフィの兄に会い、ただ一言の事実を伝えること。彼がここに来ていると。 囚人は居た。 そこにいた。 檻の中で更には太い海楼石の鎖に両の腕を繋がれている。この腕に繋がれたそれよりも遙かに太いそれではどんな巨人でも屈強な男でも能力者であるならろくに身動きは出来まい。 繋がれていた男は、下を向いていた。 ただ静かに、静かにそこにいた。 呼びかけられても慌てるどころか意識してその面を上げようとはしていなかった。かといって気配を読み取ろうと周囲に気を張り巡らそうとするような事もせず、ただそこにいる。無為な緊張もないが警戒心すら持ち合わせていないかのように牢番の言葉を淡々と受けている。漂わせる覇気どころかその意志すら無き男よこれが彼の兄なのか?と思いつつ見て居た。 牢番の言葉はごてごてと続いて最後に告げられたわらわの名にその瞳が少し、ほんの少し上を向いた。視線と共に面が少し上がり緩く鈍い光を宿してこちらを向く。緩い。だが鋭い光。視線に乗った観察の意が薄いカミソリのような力を持つ瞳へと変化してこちらを見ている。その瞳はあくまで冷たい。その冷たさは思いも寄らない名前だったと言うだけのものに向けた苛立ちと見える。いっそジンベエと呼びかけられた男がわらわの名に身をこわばらせた事に比べ、わらわの目的の火拳のエース、船室で聞かされ続けたルフィの兄はただ静かに面を上げて、そしてまずはわらわの到来への値踏みをしていた。 確かにわらわが動く事の重みはわらわにとってはどうでも良きことだが非常に重い。 だが何故わらわがここにいるのか、その理由を量るも判るまい。世界よりも重き物のためだけにここに来たのだとは。 今その重さに値するはずの男の瞳はじっとわらわを見ている。静かな瞳。ルフィからも炎の使い手と聞いたが彼の炎は全て封印されたように今は何も感じさせない。そして不愉快さを隠さない流された己の血で充血した瞳でわらわの顔を真っ直ぐ睨んだ。 「俺に何の用だ。」 開かれた口。 ああ、声の響きが少しルフィに似ている。ルフィを少し大人にしたような声だ。もう少し大人である力を感じる。包み込むような静かで深い声色。だがその声には少々の威嚇と自嘲するような響きが入っている。 「用はない・・・・」 決して故意とはばれないわらわが起こさせた喧噪の中で、伝えるべきは一言で済んだ。当初からの予定していた一言だけ。それ以上話せば危険。なによりルフィに迷惑がかかるであろうことはしとうない。だからこそ最初から本人にただその一言だけ告げると そう決めていた。 そして身を翻せばよい。これで終わりじゃ。 「おい…!!」 低く、彼の粘膜に絡んだような迸った声。 わらわごと掴んで放すまいとする声。何と力強い。 「今の話本当か…!!?」 絞り出された声の中にルフィを案じる心を感じる。強い心を。今まで隠されていた覆いが外れて剥き出された真っ直ぐな心を。 動き出し始めていたわらわの足が止まった。 いけない。わらわは振り返ってはいけない。 だが。 振り返った。 振り返ってしまった。 その危険な問いを無視出来ず、呼吸を整えてもう一度ゆっくりと彼を見た。 食い入る瞳が鋭く大きく見える。その血まみれの顔とは不似合いな、先程までとは打って変わった生き生きとした瞳が私に食い付いてくる。普通ならば見ず知らずの敵とも言える人間を信用して良いのかとも煩悶するであろうその瞬間にその言葉を信じる潔さ。 ああ炎だ。 冷たい熾火のような炎がみるみる温度を上げて白色の光となる。燃え上がって周囲を巻き込んで行く姿が想像に難くない。冷静な判断力と炎の勘のような物が不思議なバランスを持って彼の中にいる。 言うべきではないのに。早くこの場を去って看守からも中将からも不信の芽を消さねばならぬのに。 だが心よりも先に言葉がこぼれる。 「そうじゃ…」 もたらしてやりたい。彼の心に確信と印象を与える言葉を。 「彼はそなたに怒られると憂いておったぞ」 一瞬。彼の背中から巨大な炎が立ち上ったように見えた。同時に瞳に炎が灯り動きなど無くても噴き上げるような気の流れを感じる。その一気に押し出されたような強い覇気に一気に自分もくるまれた。 焼き付けられたようにその触感を肌が感じてそのまま、今度は二度と振り返らずにわらわはこの部屋を後にした。 「熱い。」 熱気を振り払うように軽く頭を振った。 「む、やはりこの階の外が火事と言うだけのことはあるな、下とは大違いだ。大丈夫か?」 監獄所長室に戻って懐から取り出したハンカチを差し出した中将の手はそのまま軽く払いのけた。 「結構じゃ。」 外のどんな暑さよりも、今はただわらわが熱い。 先程の炎と覇気の名残が皮膚の表面にびりびりと残っている。 焼かれるその熱さと同時に身体の芯が凍ったように冷えている。 まるで己ではなくなったような。 思うだけでドキドキはしてもその柔らかい太陽のような微笑みを持つルフィに、今はたまらなく会いたくなった。 fin |
後書き この二人のネタを振って下さったこむぎさんとたかねさんに感謝を! そしてこむぎさんから拙作に素敵なイラストを頂きました!! |