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月の美しい夜のことだった。

部屋に灯りは枕元の小さなランプだけ。だがその台座とシェードの作りの精緻さから素人にでもそのべらぼうな価値が伺える。隣の一抱えもありそうな大きな花瓶には白の花が一色に咲き乱れて香りを放つ。大きな天蓋付きのベッドにはきめの細かいレースが上から下まで四方に張り巡らせてあって四方は金と白銀がふんだんに使われている。
だが今、部屋には光彩はない。

その真ん中に女が一人横たわっている。金色の髪は色醒めて頬はげっそりと。纏うは死相。美貌の往時の面影は薄い。

「私を忘れることは罪なの。貴女をそんな罪に落としたりなどしない。」

海の真横に建てられた重厚な邸宅の寝室で月の夜空に向かって放たれた。それが彼女の最後の言葉だった。
それを聞いた下僕はただ一人最後の脈をとり、それを最後の命、命令とうけた。







同じ月の美しい夜のことだった。


「お−−い二人ともどこいってんだ?」
寝起きらしいルフィののんきそうな声に現実が一挙に押し寄せてきた。


夕方に立ち寄った無人島の木陰。
男は上のシャツは脇に捨て置かれていた。下履きは最後が片足だけ。殆ど身につかない姿になっていた。
女はまくり上がったシャツから零れた胸先から熱い舌が離れたのを感じた。
スカートは腰まで上げられて下着はちょっと手の届かないところに放り投げられている。
男のそそり立った下半身はその頭を濡れた割れ目に進入し始めていたし、女もそれを誘い受け入れていた。ふざけっこから始まったじゃれ合いは酒の影響なのかバギーのお宝に興奮したせいなのか判らない。そのまま二人互いに触れあい、唇を交わし、快感だけに突き動かされるように性急に互いに求め合っていた。
言葉も無く、ただ本能の求めるがまま。

「ありぃ?」

ルフィはその場を動こうとしたわけではない。きょろきょろ周囲を見渡すばかりでこちらの姿が見えるか見えないかは確信できない。焦ったナミが何か言おうとする前にゾロの左手が素早くナミの口を押さえていた。下半身は一旦離れ、間断なく右手はナミの両手をまとめて押さえている。耳元で静かにゾロの声が聞こえた。
(声、出すな。奴ならすぐ寝る)
だがゾロの手の中で柔らかい動きがあった。抵抗を意味するそれに覆い被さったゾロが睨んでいたルフィから視線を外しいぶかしげにナミの眼を見つめた。見られてナミは首を横に振った。声は出せない。身動きできない二人は互いに息を潜めたままだ。そのままゾロの視線が問う。ナミはもう一度強く首を横に振る。静かながらも激しい首の動きでゾロの手を振り払った。
(ここで終わりよ)
(ナミ?)
今まで己の思いを受けた軟体動物のようだった女の全身がいきなり硬くなる。足を閉じ、拒否を始めたナミにゾロの押さえ込む身体はきっちりと動かない。

「っかしーなー。まいっか。」
きょろきょろ見渡した後に焚き火の側の木陰でまたルフィのいびきが聞こえ始めた。



堪えていた呼吸を解除し、ホッと溜息をついた。ナミの腕を押さえるゾロの腕が少しゆるむ。ゆるんだだけではない。瞳には信じられない思いと疑いが浮かんでいる。だがナミはその隙をは見逃さずにするりと身をかわしゾロの下から抜け出て、慌てながらも見破られないように背を向けてゆっくりと着衣の乱れを直し始めた。

「ナ……。」
「ここでお開きよ。」

最大限冷酷な言い方を必死に振る舞った。そう、あたかも相手が魚人の仲間なのだと心を騙して言い放った。
まだ欲しいと身体の奥底がうねりを上げる。理性の戻った今のナミには今までの自分の行為が信じられなかった。あまつさえ、もっととねだる身体を黙らせてもこの事態から逃げだす事の方が優先事項だ。頭の中で警鐘ばかりが大きく鳴っている。
「未遂でよかったわ。ちょっとあんたをからかっただけよ。図に乗らないで……だから忘れて頂戴。」
ベールをかぶろうとするナミにゾロがすかさず答えを返す。
「もう先っぽは入ってたぞ?」
「い……だから忘れて!!」
物理的な問題を言われると仮面が落ちそうだ。それでも。
「中も濡れまくってた。」
ゾロの太ももにべったり付いた液が月の光にちらりと光った。
自分の体液だ。
苦い欲がナミの胎内の深いところで蠢いている。
ゾロの怒鳴り顔もゾロの声も聞かない振りをする。

「……だってあたし、海賊とこうなるつもりなんてまっさら無いもの。」

自分がさっきまでは抵抗など微塵もないほど、身体ごとでゾロと求め合っていたことは強制的に忘れることにする。

「??おまえ今の今まで突っ込まれてたんだぞ?」
「まだ入ってないわよ!ええそうよ、海賊になんて抱かれるのはごめんよ。最初から言ったはず。山ほどの黄金を目の前に積んだって海賊とは寝ないわ!」
「……金の問題、じゃねぇんだな。」
それまで眉間に皺を寄せ、広いおでこを燻らせていたゾロの瞳が一点を凝視した。じっとナミを見つめている。月灯りでも夜に慣れた目にならばその目の光ははっきり見ることが出来る。

最後の一言でそれまでゴリ押して離れようとしなかったゾロの腰が後ろに下がっていく。深く真摯な影が額に広がった後でゾロは下履きを拾い身につけ始めていた。「くそっ」下半身を仕舞い込むときに引っかかったらしくもぞもぞしながら舌打ちを軽くした。

立ち上がったゾロの顔が月明かりを背に隠れる。
「判った。忘れりゃいいんだな。」
そう言って肩を賺して木陰から熾火となった焚き火の横の岩に向かうとナミに背を向けて腰掛けた。
「海賊の見た夢だと思や、忘れるだろ。」
最後の一言は小さくて、遠いナミの耳には届かない。
ゾロは動かなくなったがいびき一つかかずに居たから寝ているのかかなりの時間ナミは判定に困りまんじりともしなかった。







【 忘却 】








遠くに鳥の声が高く響く。
あれは鳶。高くを飛ぶ鳥だ。背後の空は更に高く青い。入道雲もまだまだ空高いところにいる。
肌が感じている。
高気圧が広い勢力を誇って良い天気だ。強い日差しは真上からやや傾き始めて燦々と降り注ぐだけでなく地面からの照り返しも含めて久しぶりの陸の上のナミの肌を焼く。
これが海の上ならば風もあり体感温度は爽やかだ。だが町の中なら建物のひさしや木陰があるだけ。ねっとりした風と今朝方ぱらついたらしい小雨の後で町は余計に熱気を増している。道を歩いてゆくナミが額の汗をぬぐっても次から次から溢れて、小さめの額にはぐっしょり濡れた彼女のオレンジの髪を張り付かせている。
「ふぅ、あっつい。」
けど、あの船の居心地の悪さと比べるとむせかえるような熱気のこの道を一人歩きする方がまだ楽だ。

ふと道なりに一瞬突風が吹いた。潮も含んでないのに海の上を思わせる水の香りを含んだ風だった。
風に乗って二人の顔が浮かんだ。海賊のくせに変で面白い奴らだったのは案外ラッキーだった。海の上でも三人揃えば馬鹿なことばかり言って、ルフィを怒ってゾロを怒って笑ってばかり。肩の力なんて必要なくなりつつある。
とんでもないけど、嫌な奴らじゃない。
海賊だが。


「誰にもあわねーなー。」
「海の上だからな。」
全然退屈してない顔のルフィが向こうの小舟で転がっていた。
あの二人と出会ってまだ数日。小舟二艘の航海は今も続いている。バギー戦で見せたとおりそこそこの敵なら問題ないはずの二人だがナミが手を組んでからは大きな獲物にも会えず海賊らしいことなんて一つもないまま、実入りのない状態は本来ならもう見切っても良い頃だ。体格の大きめの寝てばかりの男が一名と、海賊には見えないのんきな顔に無類の大食漢が一名。どちらも計画性は一切ない。基本的に彼らは先を急ぐ旅ではないらしく、ナミは地図をみて町のある島へと船を導いた。
この二人だけにしておいたらただの漂流と変わりがない様な水事情、食糧事情は航海士としての自負を持つナミの常識とはかけ離れていて信じられなかった。

その連中に妙に懐かれてしまったナミだが、窮状は困る。だからと言って仲間になった訳じゃない。奴らの面倒を見てやる義務など無いのだ。本当は用意するのは自分の分だけでも全く問題ないと思いながらナミは奴ら二人から巻き上げた財布の底までひっくり返して分配をきちんとした。
「いーーい?あんた達の水とか食料に変えてあげるって言ってんだから感謝しなさいよね!」
「おうっっっっ!」
ルフィはしししと屈託無く笑った。

だからといって一緒に買い物などという気にはなれない。上陸前に陸ではそれぞれの行動を提案すると
「そっか?」
「良いんじゃねぇか?別に。」
二人はあっさり承諾し、ルフィはあろうことか「面白そうな匂いがする!」と屋台の見えた町中に飛んでいった。あのルフィのこと、飛んでいった先でトラブルを起こすかもしれないが、今はあまり考えたくなかった。

ゾロは何も言わなかった。

ナミに言いたいことがないのかあるのかいつも平気でヅカヅカ真っ直ぐな彼には珍しい。視線が絡まない。ナミの方もそう言うゾロに目をやれないで居る。

ルフィはこの二人に何も言わなかった。彼だけはいつもと変わらなかった。

ルフィの後を街の方へと向いていったゾロの背中をナミは見送って、バギーの宝も隠してからこの道を歩いている。
(大事なあたしのお宝をあいつらの食料に変えるわけにはいかないんだから)
ナミは誰に言うでなく心の中で言い訳を呟いた。


居心地が良いような悪いような。原因はゾロとの会話がちぐはぐする事だと判っているがあえて気づかないふりをした。あの夜以来ほんの少し、今までのリラックス以外の何者でもなかった三人の関係の歯車がきしんでる。僅か過ぎてどこがおかしいのかとも説明できないくらいのきしみが聞こえる。
だから彼と一緒にいなくてすむ方が楽だ。無視してしまえばいい。今までだってそうしてきた。

自分の中に生じた微妙な居心地の悪さと落ち着かない気持ちの整理がついてきていない。
この状態でもまだ船から下りない理由ばかりが頭の中を駆けめぐる。割り切れない思いが足取りにも重しを掛けていた。

それを払拭するようにナミは買い物を想像し値切り倒しを決意した。
そして暑い日差しの下を歩いている。











2

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「これとこれとこれ、一部ずつ頂戴。」
ようやくであった屋台で飲み物よりも先に求める物がある。陸に上がれば欠かさない情報収集。これこそがナミの命綱だ。町の大通りに立つ小物商いの店で堅い物を数部と俗なネタの薄い一片を指さして小銭を渡した。町の影を選んで歩きながら軽く目を通すと今日の一面のニュースはどれも同じだった。その文言に店を離れて数歩のナミの足は止まった。



「美貌の女海賊「金のタヴァサ」逝去」
「美人局海賊逮捕前に死す」
「彼女の隠した財宝は!およそ一億か!?」



『金のタヴァサ〜 女海賊。その美貌で有名。関わった男の噂だけでも星の数。中には海軍や政府関係の大物もいるという。その女海賊がこのたび他界した。男達に貢がせた金銀を湯水のごとく使う彼女の遺産について現在一味と被害者の家族の間で闘争が起きている。軍の介入も近日中にある模様。その財宝は一億ベリーとも言われている。』

道行く人はこの暑さにまばらで、店先にも人影は少ない。
ナミが立ち止まっても、驚く表情を浮かべても気にとめる者など居なかった。



ナミは隅から隅までに目を通し、新聞をたたみふっとため息をついた。空を見上げて一呼吸。再び歩き出す。
(そっか、死んだんだ・・・・・)
いつでも丁寧に鏝がかけられていた腰まで届く豊かな金の髪は香りと艶で手入れを怠らない贅沢を物語った。隅々まで行き届いたそれは彼女の二つ名であり、誰もが圧倒されていた。巨大なドレッサーからバサバサ取り出された豪華で布の少ない衣装と高価な化粧品のむせかえる匂いが思い出される。招き入れられたその背後の小部屋にこそ宝がいれてあると小さかったナミは知った。
(覚えておおき)
綺麗な唇からこぼれた最後の言葉がなぜか今ナミの心に浮かんできて思わず頭を振った。
だがそれは遠い過去のこと。全て、終わったことだ。




配達などのあらかたの手配が済んで町のスタンドで一杯の麦酒を求めて人心地ついた。
夕食の時間にはまだ少し早いが夕方にかかるこの時間でもまだ暑いこの空気にはここの軽い味の麦酒が身体に美味い。
  ごくっごくっ
身体にしみこむ泡と喉ごし。流し込むその音も感触と同じく自分に心地よい。心地よさに導かれてささやかに浮かんでいた弔いの気持ちを一緒に流し込む。これも海賊の運命って奴でしょ。自分も死後善い所に行けるなど決して思わないがそれを後悔するのはもっと先でいい。同じように海賊に対する感傷は自分の中で異様に希薄だ。我欲にはみ出した者達に何の遠慮が要るとも思わない。瞳の色が闇の色に染められていく感触がある。これこそが今までのナミのポリシーだ。奴ら二人と出会う前の。

「うーーんもう一杯!」
「あいよ!」
二口くらいで空にしたナミのジョッキに店員が軽いほほえみをくれて、次を注ぎだしたその時背後の男がナミに声を掛けてきた。
「それは私に奢らせちゃくれませんかね?」
「あら?」
振り向くと小柄な男がこの暑さに帽子にステッキに丸いサングラスで立っていた。漫画にでも出そうな紳士とコメディアンの合間のような出で立ちだ。色彩の思い衣装はこの町には不似合いだ。何故こんなところで可愛い女の子に声を掛けるのかといえば理由は決まってる。
店主に向かって取り出した財布には札束がびっしりと見えた。ナミは一瞬で相手の身なりの値踏みを済ませたうえでにっこり笑顔を浮かべてそのグラスを受け取ることにした。こういう経験は最近増えつつある。教わった以上に年齢と共に自分の外見が武器になることは重々知って利用しているのだから。

カモだ。

「一緒に飲みましょうよ。」
同席料は後で懐からいただきますので。心の中の声のついたナミのほほえみを受けて老人は給仕に声を掛けた。給仕がうなずくと後ろから取り出された柑橘系の木の実を放って鮮やかな手でまな板の上に置いた。
「あれを頼むよ。」
その木の実に包丁を入れてくし形にする。爽やかな香りが広がり一つは絞り、もう一つをグラスの端に乗せた。
「残念ながら私は下戸でして。けどここの名産なのですよ。どうぞ。」
「あらそう?」
受け取りながらもグラスは脇に置いてナミは桃の上で両手を組んだ。ぎゅっと胸を挟んでみせれば相手は年甲斐もなく鼻の下を伸ばす。その反応にナミはにやりとほくそ笑んだ。相手の視線は顔よりも下半身に打ち付けられたかの用に離れない。ナミの承諾に気をよくした男は当然のごとく横の席を指さした。
「私はこちらをいただくことにしましょう。横に座ってもよろしいかな?」
「どうぞ。では乾杯。」
柑橘系の香りが同じ麦酒とは思えない印象を作っている。その味に軽く驚きながらナミは更に老人をこっそり観察していた。
白い髭にゆっくりとした動作。軽く手が震える。この暑いさなかにシャツに薄手とはいえ燕尾服のような上着にネクタイと言う重装備でも汗もかいていない。それ以外は普通の初老の男性だ。
「いや、こんなにおきれいな方と同席できるとは嬉しいですな。お名前を伺っても?」
「ナミよ。」
「綺麗なお名前ですな。さぁぐっとやって下さい。」
男はほうほうと首を上下に振りながらナミがそのグラスをぐいっと傾けるのを細めた眼で見つめていた。口元には相好を崩した微笑みが浮かんでいる。
「良い飲みっぷりでおいでですな。」
「香り一つでこんなに変わるなんて。美味しかったわ。これライム?」
「ライムに似てはおりますが別の実です。この島の飲み方ですが、お口にあって良かった。そうそうそちらのものは囓って召し上がっていただく物なんですよ。」
グラスの脇に添えられた果実を男は指さした。
「こっちの方が良いと思うわ。」
お代わりを瓶で貰うとナミはもう一度それをグラスに注ぎ込んでその上で景気よくその果実を捻りあげた。
爽やかな香気がぱっとナミの周囲をくすぐる。それらを大きく吸い込んで、またナミはグラスを持ち上げた。
グラスからの香気は心地よい。
「うんまぁ〜〜い!」
「いやぁこんなに幸せそうにこの麦酒を飲む人にはお目に掛かったことがございませんな。」
相手の視線が何度も胸と顔の間を往復する。計った笑顔と談笑の合間にそろそろ見物料をいただく頃かとナミの指が距離を測りだしたその時に男は自分の懐に手を入れた。
タイミングを折られたナミは無邪気を装って自分の指の動きを止めた。
「私は手品師でして。ウェイと言って依頼を受けて様々な海を渡っております。」
「有名なの?」
財布の紙幣の厚さからいってそこいらの芸人のはずはあるまい。
「いや、ついこの間までたくさんの仕事をやっておりました。それらから手を引いて・・残りは自分のやりたいことをやろうと思い立ったところなのですよ。」
「へぇ。じゃ、何か見せて!」
相手の言葉に合わせて手を叩くナミに男は微笑むと懐から白い手袋をはめた右手をナミの鼻先に突き出した。そのまま指を鳴らす仕草と共に何もなかったはずの指先に一輪の小さな濃い赤の薔薇の花が顕れた。どこから現れたのか・・眼前の小振りの色の濃い花にナミも思わず凝視する。

はらり、小さな花弁が解けるように開いた。
同時に花の中からぽんと煙のような細かい粉が沸き上がった。そのままナミの鼻孔に吹き込んだその粉は非常によい香りがして吸い込んでもくしゃみも出なかった。その甘い香りが心地よくてナミは息を深く吸い込んだ。
甘さに陶然とする香り。
もっと・・と花が言った気がした。
ナミはその香りを深く吸い込む。更に深く。

「とってもいい香りね。」
「お気に召しました?ならば更に。」
いつしか他の指先に色の違う花が咲いていた。それらも花弁をぽんと開く。
「きれ・・い・・。」
きらきら光る同じような粉がナミの前に広がった。こちらの香りにもうっとりして抵抗無く鼻孔に吸い込まれる。先ほどのとは微妙に違う香りが重なり幾重にも膨らんだ。香りは脳に染みてくる。
肌を刺す日差しがじりじりと身体の中に熱を差し込むように効いてくる。
肌を刺す熱い感じがむずむずしてきた。
「よろしいでしょう?」
遠くに男の声がした。酔ったように身体が浮くように手足の力がゆっくり抜けている。無理な力は入らず、それが気持ちいい。
「うん・・」
「順序よく、良い具合にお効きのようですね。」
「・・・え?・・・・効く・・・?」
その声と同時に視界が少しぐらついた。外の風景がゆがんで見える。更に男の顔がややゆがんでみえる。
声を出そうにも舌が動きにくい。喉がひりついた感覚が上滑りして可笑しくなる。
なにか変だと思うのだが身体の中の警報が作動しない。いや、作動はしているのだが、自分の注意力が散漫になりまとまらない。
「はい、私は副業をたくさん持っておりまして。そちらの方面では一部の方に非常に懇意にさせていただいております。
 そう、最近では・・・・・「金のタヴァサ」彼女から依頼を受けましてね。」



その名を聞いても自慢の頭がぼんやりしている。そのくせ喉ばかりが何故か渇く。慌ててもたついた手で手元のグラスをとり流し込んでみた。酔ったような仕草に引きずられる。
金の、タヴァサ、という名がナミの周りで跳ねている。そしてどこからか彼女の台詞が聞こえてくる。
(アタシの所にいれば男のあしらい方なんてあんたならあっという間に覚えるわ)
彼女の手の白い肌がまだ幼いナミの胸の上に乗せられているのが見える。
(これは過去の・・・まさか・・錯覚?・・)
「・あん・・・た・・・いった・・・。」
(声が出ない?)
「タヴァサの名をお忘れですか?」
男がのそっと近寄ってくる。
男の声も身体にまとわりついてくる。そのぬるっとした触感は気持ち悪いのに身体が言うことを聞かない。
そしてナミは知らずに頷いていた。
(確かに知ってる・・けど・・何でこんな)

影が変わった。声も変わってきた。仕草も。老人の動きから、年齢を感じさせない、音を出さない獣のような動きに変わっていた。
顔のゆがみは余計に増大している。しわが増え、丸いサングラスではそれも隠しきれなくなった。

「あの方に助けられたというのに、かわいがってもらえたというのに・・貴方はぬけぬけとあの方の宝だけ持って逃げて行かれた。」

男の声が裁判官のようにナミの罪を告げる。冤罪ではない。覚えはある。だがその件ならナミにも言い分はある。
「それ・・は・・」
タヴァサが口にしたのだ。ナミに宝をくれるとはっきり言っていたのだ。「必ずあんたにあげるから待ってな」と。
ただナミには時間がない。だからそれを少しばかりは早めにいただいただけだ。所詮海賊が海賊から巻き上げた物。あのとき泥棒のナミがそれを頂くのに躊躇しなかった。それは今でも同じだろう。

言い訳を口にしようと声を出そうとすると出るのは荒く上気した呼吸ばかり。
その身体の奥底で何かが疼いている。
何かだ。己に制御の出来ない何かが。
来る。奥底から来る。


男の声はそんなナミの様子に関係なく告発を続けていた。
「依頼内容を詳しくお聞きになりたいですか?『あの子を薬漬けにでもして丸裸にして放り出して頂戴。最低の男達にでも喰われてしまえばいいのよ。それこそあの子が大好きな海賊にでも構わないわ。』」
「……な!」
「効いてきたでしょう。先ほどの果実とこの香りと。それぞれにはたいした効果は出ませんが、順序よく重ねると非常に効率の良い媚薬と一過性の筋弛緩剤と自白剤の効果を得られます。」


媚薬。



耳にした音が体内にしっかり落ちたその瞬間に全身が総毛だった。背中も腕もそくっとした感覚が肌の上をさまよい走り出す。
身体の奥底では血が逆流をゆっくり始めた。うねりのように局所がじゅっとうずき始めるのも判る。胸の先に神経が蠢き始める。肌の至る所の体毛全てが逆だっている。頬が勝手に上気するのを止められない。うねってくるのは激しさよりはゆっくり。脳髄の中にまで這い回る感触が気持ち悪い。

そんなナミの姿を薄い笑みを浮かべながら男は見ていた。見ながら更に落ちよと語りかけてくる。
「効いてきましたね?言葉には続きがあるのです。『私を忘れたとは言わせない。貴女が私を忘れないように身体に刻み込んであげる。』」
「忘れ…た訳……じゃ…ないわ。」
そう、ただ思い出さなかっただけ。


暗示がしみこんだのを確認しながら男は自分の白い手袋を外した。かさかさと干涸らびたような手が見える。青白く薄光りするその肌が違う生き物のように見えてナミはぎょっとして手を引っ込めようと下がった。・・・はずだった。だがいとも容易く男は素肌でナミの腕をつかみ取った。捕まれる瞬間背中一帯に怖気が走ったのに、何故か、少し乱暴につかんだその手がナミの身体の奥底に異様な興奮を引き出してくる。
心の底から悪寒がするのにその触感すら心地よく思えてくる。
錯覚だと判っている。判っているのに頭では嫌悪しているその存在から逃げたくてナミは思い切り手を振り払った。
はずが身体も動かなくなっていた。
「あ・・・。」
「ほら、ご自身に正直に成りなさい。まずは触覚がそして体中が貴女を裏切るはずですからね。」

身体が重く力も入らない。ふわふわ浮かんだような感覚のまま男の肩に乗せられることにナミは抵抗できない。
男はナミの身体がいくら軽いからといってもその重さを全く感じさせないほど軽々しく彼女を持ち上げた。
身体が自由にならないナミはせめてもと男をその視線だけで睨み付けた。
「さて。本当に効くまであと半時間以上はありますからね。私におねだりしても無駄ですよ。それは契約に入っていませんから。
 依頼通りの格好のお相手達は効いてきておかしくなりそうな頃にはお会いできるでしょう。
 先日まで居た海賊がちょうど引き払った後というのが少し残念ですがね。」
そういえばと、ナミ達と入れ替わりに出て行った中型の海賊船を思い浮かべた。

「タヴ・・・・死・・・だ・・わ」

依頼主が消えれば契約も破棄というのが相場ではないか。
声を絞って、言葉を繋いで、ナミはこの状態でも取引を持ちかけようとした。
この男なら中和剤を持っているかもしれない。それだけが一縷の望みだ。このままでは見知らぬ無法者に嬲られるだけではすまないことは想像に難くない。
何とかこの状態を・・。
そんなナミの祈りは男の軽やかな声でかき消された。
「はい。あの方の最後の願いなのです。受けた依頼を必ず果たすのが私のモットーでしてね。
 何なら全てが終わってからの自殺のお手伝いならば破格でお受けいたしますけどどうします?」


冷静な、食事のオーダーを受けただけのような男の声に拒絶よりももっと近寄りがたい絶望がナミの胸に去来する。
死ぬわけにはいかない、今だけは。自分に何があったとしても生き延びねばならないのだ。例えこの身を今以上の地獄の底に落としても命だけは渡せない。
ナミの身体は言うことを聞かなかった。それどころかますます口渇感は広がるばかり。風の音も、身体が揺らされる振動もナミの五感を攻める。気候のために研ぎ澄ました感性も今はナミの敵だった。

男が歩き始めた。一緒に荷物のように抱えられているナミは揺られながら活路を見いだそうとしても、ぼんやりした頭には最悪の事態ばかりが浮かぶ。
たとえそうなっても助けを呼ぶ習慣など、8歳の時からずっとナミは持ち合わせていなかった。








3

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身体が思うように動かない。目を開けることも億劫になり今は手も足もぶらぶらと細い肩に乗せられながら揺られるままだった。
動かないままゆっくりと身体の中で何かが蠢いている。身体の奥底で。
耳元の風の音は囂々と。
口は渇くばかり。
手足には触感という物が消失しているのように思うのに。
それは逆に感覚ばかりが亢進しているせいかもしれない。
例えば涙管だけが刺激され、鼻内がきゅうっと狭くなっている。
泣いているつもりなど無いのに。






ところが。
ナミを乗せていた肩が唐突にぐらっと揺れてぴたりと止まった。
その衝撃にも予測も付かねば対処もむろん範疇ではない。
危機感すらうろ覚えだ。何が起こったのかがナミには解らなかった。



「おい。うちの航海士に何してやがる?」
「!」
静かな鋭い声はナミの耳にも聞こえた。
それまではゆがんでしか伝わらなかった周囲の音の中、その声だけは世界を真っ直ぐに切り裂いてナミに届いた。
(どうして………)
この状態では漠然としか来た道が判らない。数度曲がっただけだからさっきの店から数ブロックと言うところだ。
だが響いた声の持ち主が誰かだけは判る。
何で迷子が……とも思う。

この状態では一番来て欲しくて、欲しくない相手だった。





声の届く方向をゆっくり見る。ぼんやりとした視界の端に緑色の髪の男が刀を構えて立っている。

立っていただけではない。その腕から真っ直ぐに伸びる大刀がナミを片手で抱える男の首筋に正面から突きつけられていた。



瞬間で懐に入り込んだ剣士の素早さに男は感嘆の表情を浮かべている。だが余裕からか、感嘆は笑みに変わり、口笛が揶揄のように吹かれた。
「どちらさまで?」
いとも軽やかな男の声音から判断するに最初の驚きはもう消えていた。
「海賊だ。」
返す男の答えは素っ気ないほど直接的だ。そう言うのもあの男らしい。
刀の反射光が男の襟元で揺らめいた。
ああ、ナミの目頭が熱くなる。どうして涙など出るのか。薬のせいで感情の高ぶりも発露も本来のナミにはないくらい激しいのだろうか?

声が聞けて嬉しい、とも思う。この絶望の中で見いだした希望にも思える。だが、ナミの中には譲れない思いがある。
こんな事にこの男は巻き込めない。巻き込みたくない。
海賊だからと言い訳してきた嘘が心の中から溢れていくのが押さえられなくなってしまう。

ナミの煩悶を余所に男達の静かな戦いの火蓋は斬られていた。

「ほほう。うちの、とおっしゃるところを見ると彼女のお仲間で?」
にたりと男は笑みを浮かべてナミの臀部をそっと空いた手で撫でさすった。
その感触に耐え、ナミはぐったりしながらも必死に首を横に一度振る。
だが相手の技量を図る男達は互いに視線を逸らさない。

「うちの 航海士だ。」

ゆっくりと、ゾロは答えをもう一度繰り返す。
「なるほど・・・・・それはそれは。」

ナミは二度、三度と首を横に振った。違う、あたしはあんたの仲間じゃない。そう叫んで頭を振ったつもりだがもう指一本とて自由に動けない。
そのくせに下腹の辺りだけは熱い物がある。疼く、と言う表現をするならまさにこの下半身の落ち着きのなさなのだろう。身体はもっともっと動かない。なのに全身の感覚だけは張りつめたように鋭敏だ。見知らぬ男の触感もゾクッとする。少し離れたゾロならばその声だけでもゾクゾクする。

動かない右手がゾロの方に向かう。肩で息をする。身体の奥がじゅるっと疼きはじめた。
そんなつもりはない。だが胸の先も舌の奥もゾロに触れたくてたまらない気持ちが抑えられなくなる。無意識に手を伸ばす欲に駆られそうな自分に気が付きナミははっとなった。

「野暮ですねえ。デートに見えませんか?」

ナミを撫でたままの、男のカーブを描いた軽口にゾロはあくまで真っ直ぐに剣先を突きつける。
「そいつがどこで誰と何をしようがそいつの勝手だ。俺には関係ねぇ。だが、持ってかれちゃ困るんだ。航海士がいねぇと俺達ぁ進めねぇ。」

淡々とした声だ。真っ直ぐな声だ。
どうしてこいつは人が絶望したときにだけ現れるのだろう?
そんな資格、ナミには無いのに。他の誰よりも、持ち合わせてなんか居ないのに。
そう、あの夜に完全に失ったのに。



あの夜、越せないはずの垣根を越えつつあった二人の繋がりを拒否したのは自分だ。
引き返せないところから自分のためだけにゾロを追い出した。
なのに、やはりゾロが欲しくてたまらない。そんな自分が心底イヤになる。

泣けない自分が泣きそうになる。
胸の奥底から登りくる欲と想いがこぼれそうだ。

一度。
ただ一度だけナミはゾロの方をぎゅっと見た。

救いと、欲と、乞いと……。

視線には拒絶以外の万感が詰め込まれた。




それが限界だった。境にナミの意識も何かにとらわれたかのように自由にならなくなった。
そして意志も。
意識も消えてゆく。

堕ちていく。






****






男はゾロの構えを正面から受けながら流してしまう腕の持ち主だ。ナミのその凝視を見てふふん、と鼻歌を歌い出しそうにゾロに向かった。
「貴方は海賊とおっしゃいましたな。」
「ああ。言った。」
それは上々好都合…。
そう呟いたかと思うと男は肩の上のナミをまるで絨毯の束か何かのようにぽいとゾロに向かって放り投げた。

「な……!」

それはまさしく放り投げたという言葉にふさわしい扱いだった。軽くとも変な姿勢でナミの肢体が宙を舞った。明らかに手足の動きがおかしい。受け身など取れない事はすくに判った。
慌ててゾロは突きつけていた刀を下げて飛び込み、反対の腕でナミの腰の辺りから全身を捕まえぎゅっとその太い腕に抱きかかえた。そして時を移さず剣士の速度でまた構える。
が、目の前に男は居なかった。その隙に男は後ろに向かって優雅に飛び去っていた。視界から消えたと思うと木陰を作っていた背後の大きな木の枝に移動し、そこに立っている。男の身軽さは尋常ではない。しかもそこは丁度ゾロの間合いは一閃では届かない。ましてや意識の消えつつあるナミがまだゾロの腕の中と来ている。ゾロは歯がみした。

「てめぇ!」

悠然と男は木の上動こうとしなかった。
「放置するのが危険な大事なお仲間をおいて私を追いますか?鬼ごっこはこの状況では私に分がありますよ。」
「るせぇ!おい、ナミ!しっかりしやがれ!」
男との距離を測り、逃がすまいと気を張りつめながらゾロはナミの頬を数回叩いた。ナミの意識さえはっきりすればゾロならば身体に似合わぬ俊敏さであの男に追いつける。

「ナミ!?」

叩かれて薄く赤みを帯びた頬。ゆっくりとその上のナミの双眸が開く。
潤みを含んだそれと真っ赤な唇を真っ赤な舌がゆっくりと舐めあげる。
一瞬で放たれた妖気とも言うくらいの気配にゾロは一瞬腰の据わりの悪さを感じた。
ナミの呼吸はゆっくりと深い。だが漏れる吐息が妙に馨しい。彼女の唇はそのままゾロのそれを求めて動き始めた。手足のきかないおぼつかなさはまだだというのにゾロのシャツの胸元にその唇が進入を始めようとする。

「うわっっっ……おい!ナミ!?てめぇ!」
「……。」

返事より先にゆっくりとナミはその腕をゾロの首に回そうとする。ナミはその間も唇を求め、腕で、指で、ゾロの身体に触れようとする。
息づかいも荒く、まずいことにきわめて扇情的だ。このまま釣れて歩くのも放置するのも危険なことくらいは誰の目にも明らかなくらい。

先ほどの瞳ではない。先ほどの、万の言葉を込めた瞳とは違う瞳だ。
唇も、指の先まで男を瞬間でとろかせるその姿に剣士のゾロは動きを止めた。
腕の中のナミをじっと見つめたまま。

男はにやにやと二人を眺めながら木によりかかっていた。その間にもナミの両手はゾロの身体を求めて彷徨う。ナミの意志と言うよりは本能の欲が求めて動いているようでおぼつかない。だが止まらない。ゾロの素肌に触れようと伸ばしてくる。


「こいつ に何をした?」

ゾロの声は低く、冷気を発する。だが問うた相手を逃さない。

「答えろ。」

木の上の男がしらばっくれて両肩を竦めて見せたがゾロの視線の強さに一度口笛をくれた。

「私の依頼主からの要請で、ナミさんには少々媚薬を使わせていただきました。」
「・・やく?」

一度ではその単語の意味が理解できなかったらしい。ゾロの額にはしわが寄った。

「かなり強めの【媚薬】です。その依頼主も依頼理由も彼女がよくご存じだ。」

ゆっくりと繰り返し男は口元に手を添えてくくくと笑った。そのいやらしさを含んだ笑みに単語の意味がようやくゾロの脳内で納得できた。つまり一幅盛られて今はおかしいという訳だ。ならば解法があるはず。この男を押さえれば何とかなるはず。
ゾロの本能はゆっくりとナミを下ろして動ける方法を計算し始めていた。
それを制するように男は続けた。

「薄汚い泥棒が恨みを買うのも仕方ありますまい。自業自得というわけです。

 自慢させていただきますがこれはかなり強力でしてね。解毒剤も中和剤もありません。私を脅しても無駄ですよ。
 そしてここが要の一つですが……途中に男を与えなかったら彼女は今宵のうちに確実に狂い死にます。」

内容は薄寒いのにまるで今日の天気を話題にしているような奇妙な軽さが語感にある。これは他人の生死に関心の薄い人間に共通する特徴だ。

「治療したければなに簡単だ。一晩中男を与えておけばいいのです。それこそ何人でも。薬が切れるまで一晩中彼女の方が勝手に腰を使いますから。なあに今宵の彼女ならばどんな相手にも意に介しやしませんから。それこそ小汚い海賊でもそこいらの破落戸でも喜んで腰を振るでしょう。相手も何もかまいやしない。そんな女ですから相手に不足しないでしょうよ。」

相手の声に情報の正誤の判定は無意味だとゾロは悟った。
淡々と語るその軽やかさにはそれが嘘だとしても全く意に介しない不変の冷たさがあった。今の情報が嘘だとしてもこの男はナミを救う気など無いのだとはっきり判る。




ゾロの動きは止まったままだった。
呼吸も止まったかのように静かになった。

その一瞬後、ゾロの背中から吹き上がる黒いオーラが見えた。
それはさすがに木の上の老練な男にも、瞬時に警戒の姿勢を取らせるほどの威圧感を持っていた。

だがゾロは男を見ようともしなかった。静かな怒りを身にまとい、再びぐったりとしたナミをぎゅっと抱えて立ち上がる。抱えた両手は今にも斬りかかりそうな自分を堪えるようにナミを包んでいた。

「こいつ自身の尻ぬぐいなら、今回は仕方ねぇ。
 だが次にその面を見せたら、そん時はてめぇは俺が殺す。覚えとけ。」

今のゾロが放つ台詞はどんな剣術よりも深く男に切り込んだ。
ゾロが背を向けて歩き始めた。男は彼が立ち去り自身の安全圏を確保してようやく冷や汗をぬぐい、それから自分の戦果に満足げな笑みを浮かべた。






****






「んん……」
腕の中のナミが身じろぎをした。
「ゾロ……しよ……。」
胡乱な目つきなのに爛々と燃えた充血した瞳。

「……触って」
ナミの両腕がゆっくり動き始めた。自身の着衣の胸元を開き、その奥に隠されたぷるんと揺れる白い肌がゾロの視線を誘う。初めて眼にするわけではない。だからゾロはその先を知っている。日差しの中のそれは陽に染まらない白い肌にまろやかな上気した胸。先端の桃色までが目の裏にかっと浮かんで眩しいくらいだ。


「よせ。」
ゾロは慌ててナミを丸く抱え込んだ。視線の先にその魅惑的な肢体がなければどれほど楽で、かつ味気ないだろう。
「イヤ。」
「ナミ。」
「お願い…変なの。」

潤んだ唇から数日前あれほど願った言葉が、そして断腸の思いで諦めた言葉が飛び出してくる。
ゾロは下を向いていた。なんと甘美な罠。

「馬鹿か。何言ってやがる。」
揶揄するような響きを持たせるのが精一杯だった。
ナミはゆっくりと首を振る。
「馬鹿じゃないもん。」
「馬鹿だ。」
「ううん。うん、そうかもしれない……けど変になる。」

ゾロの言葉に面を一度上げたナミがうめく声はかなり苦しそうだ。

「海賊相手に下手な事すると後悔するぞ。」

お前が、といえるはずもない。

「…………そうね。」

柔らかく優しすぎるゾロの言葉にナミは両手でぎゅっと己の腕や肩を握りしめている。肩で息を始めた。

「暑いの……。」
言うが早いかその腕が身体にぴったり付いた服の裾に滑り込んだ。自分の汗だらけのタンクトップ。伸びるに任せてナミが引っ張ると下着が露出する。
「おい待て、すぐ船まで帰る!だから待……!」
「ん……。」
ナミの返事が無くなった。声はうわごとのように漏れるだけ。
焦ったゾロの身体から滴った汗がナミの口元に落ちる。ナミの口元にも、ぽとり、と大粒のそれが落ちた。気配でだけ気がついたのか、それをゆっくりと舐めた舌が真っ赤でこれもゾロは見ないようにした。

問題はもう一つ。
正直言って、自分では船の場所もはっきりしない。


困ったゾロの眼が周囲を見渡す。すると通りの端に素泊まりの宿の看板が夜に向けてその上に小さな灯りをともし始めたのが目に入った。
粗末な、本当に小さな作りのそこが満員になることはないだろうと思われる。
薬のせいだと言うのなら時間が経てば解決するはずだ。
(とりあえずこいつを縛っとくとか)
ナミを人目から隠すようにしながらゾロは夕闇が広がり始めた町を一目散に駆け込んだ。







4

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宿帳など広げないそこは前金を受け取ると必死なゾロの姿とその腕に抱えられた尋常とは言い難いナミの姿に2階の奥の部屋の鍵をだし案内した。
「今夜はお客さんも少ねぇです。けどお手柔らかに。」
無表情を装いながらも下卑た一言を残して店主は鍵とゾロの注文の荒縄をゾロに預けた。部屋は予想に違わない汚い木賃宿だ。バスタブはないがシャワーブースが付いているだけでもありがたい。

ドアを足で蹴り閉めて居る間にナミの身体の不確かな感じが減っていた。しなやかな腕がすいっと動きゾロのシャツの裾をつかんだ。うつむいて上気した頬。抱えたときの吐息もゾロが知らない物ではない。だが。
「ゾロ…ごめ…。」
「あ”……??」
初めて聞いた謝罪の言葉に驚いた。普段はいかほどの悪態は付いても決してゾロに謝る女ではない。自分に自信を持ち、きちんと自分で立ってる女だ。
どれだけ自分の血を流しながらも倒れない。腕力の強さはなくとも他人を見捨てられない強さを持つ、そんな女だ。
その同じ口から媚びを乗せた囁くような吐息が合間に漏れてくる。

ナミの負担にならぬようにと素早く粗末で広いベッドの上にナミを置くと部屋についたシャワーの栓をひねって水の出を確かめた。
触れていたからナミの体温も熱くなっていた事も判る。男の言葉の全てを信じるわけではないがこういう状態なら冷やした方がマシだろうか。
「おら、脱げ。」
「え?」
「とっととシャワー浴びてこい。冷やしたら少しはましだろ?」
「え、あ。そうね。」
ナミは辛そうであったがゾロの言葉におとなしく従った。今までにない従順さに拍子抜けもするが薬の件で自白剤がどうこう言っていたことを思い出した。

嫌な兆候だ。

その兆候と違わずゾロの眼を気にするふうもなくナミはその場で着衣をするすると脱ぎ始めた。ブラを解くと豊満な胸が揺れ、何のてらいもなくベッドの上に裸身の大輪の花が咲く。腕の包帯だけは何故かそのまま残されていたが、ゆったりと動く抵抗と羞恥のないその光景は視覚だけ刺激されてめまいがしそうだ。…慌てて目をそらした。
「おいあっちでだ!とっとと行け!!」
「んっ。」
見ないようにしてナミの肩を掴みベッドの上から追い出す。痛いくらいに捕まれた肩にナミが反応する。反応して首を前に落とした隙に髪の隙間からうなじがゾロの目の前で開いた。白いきめ細かい肌に一つだけ、小さく色鮮やかなほくろが目に付いた。その周囲の薄紅の肌に、鼓動が一つ大きくなったこともあえて押し込み、そのまま立たせてくるりと背を向けさせてその背中を押すとシャワー室に押し込んだ。

さっきよりもっと熱い肌だった。







シャワーの水音がざあざあと背後に聞こえる。ベッドの反対側に背を向けて座らないと木の小さなスウィングドアで仕切られただけのシャワー室は丸見えだ。何ともやる気に溢れた作りだか。ゾロは天井を向いてため息をついた。
落ち着かない腰を落ち着けて目を閉じながらゾロは窮屈な自分の靴を脱いで放り出した。どさっと腰を落とすと安いがやや硬めのスプリングがぎいぎいと軋む。ひっくり返って天井を見る余裕もなく座り込んだまま、大きな溜息をつくと成り立ちにくい善後策を考えてみた。

男の言うとおり薬だというのならこのまま縛ってでもして寝かせてしまえばいい。
だが問題は最後の言葉が本当だったら、だ。
そのままでは気が狂うとは本当か嘘なのか?



男女のやる気が準備されたこの部屋で欲に負けてナミを抱いてしまうことは至極簡単だ。
だが。
ナミはゾロに抱かれない。
それだけがナミのことで唯一、自信を持って知っている。




あの夜。海沿いの砂地で風もなくだが乾いた焚き火の火付けになる小枝が溢れた島だった。隣の緑の葉擦れの音が一千年も変わらない浜は月影を緑の葉を投げかけてその隙間からの空も見事だった。食事は粗末ながら充実し、安い割に美味い酒がどんどん回った。ゾロの横でナミは宝の値踏みが本当に嬉しそうたっだ。
どちらからともなくその気になったとしか言いようがない。自分には口説き文句の一つもなく、ナミに言い寄られたわけでもなかった。
飲んで騒ぎながら潰れてしまったルフィの横で、触れた肌は信じられないくらい柔らかかった。触れた先から吸い付くように自分に絡んでくるナミにあっという間に溺れていった。触れた肌は放しがたく、その肢体をかき抱き、吸い、かじり付いたときは無我夢中だったと今でも思う。

口は悪く、言葉は信用は出来そうにない。しかしその行動は信頼できる女がこうも魅惑的とは信じられなかった。
いつからナミを女に見ていたのか、ゾロには自分でも解らない。もしかすると肌が絡んだあの瞬間が初めてだったのかもしれない。


だがいきなり、ナミは身体の火照りを否定し、ゾロをはっきりと拒んだ。
寝ぼけたルフィがどうこう言うつもりはないらしい。実際あの後もルフィとの関係は変わりはなかった。
ただゾロが海賊だから抱かれるわけにはいかないという。
突然だったが、本気の豹変をくどき倒す言葉はゾロは持ち合わせていなかった。


夢だと。
夢だったと忘れればいい。

ナミは自分たちには必要な能力を持つ女だ。海賊は嫌いでも男女の仲さえ匂わせなければナミは自分たちを受け入れた。
だから戻ればいい。自分が忘れればいい。そうすれば元に戻る。

ナミは海賊には抱かれない。
おそらくは憎んでするいるのだろう。
つまり海賊のゾロには触れることを許さないのだ。

その事実だけわかった。


昼寝の夢の世界だけは自分の自由だった。
だが願うだけでも苦しくなる。夢も忘れることにしていた。






****




ゾロの物思いは尽きることはなかったがふと気がついた。
「おい、長すぎるぞ。」
いくら熱いからと言って肌の火照りがあるからと言ってシャワーの冷水を被り続けているのは褒められないだろう。
ぼんやりしすぎるのも良いわけがない。中腰に立ち上がったゾロが振り向くとスウィングドアの向こうに蜜柑色の頭はなかった。
居たのは……足元にぐったりと座り込んでなお水を浴び続けている姿だった。

「ナミッ!?」

慌ててシャワー室を開けるとナミは座り込んでいた。踏み込んだゾロのの足に床の水滴が跳ね上がる。冷たい水は壁を作りその向こうでゾロの声に反応してオレンジ色の頭がゆっくりと顔を上げる。肌にも髪に冷たく細かい飛沫が上がっている。
その下の肌は……先ほどよりも一層濃い桃色をなしていた。
冷たい水は肌を冷やし、一度は興奮を沈めるが上気した肌の紅潮は薄皮一枚の下で燃えさかるようだ。引き起こそうと手を伸ばしたゾロの手が触れなくともその熱は伝わってくる。

「熱いのに、もの凄く熱いのに……欲しいのは冷たい水じゃないの。」

ナミが口をきいたことにある意味ゾロはほっとした。意識はあるわけだ。しかし透明な肌の間を流れる流水のうねりが裸身に絡む。首筋からへその辺りに綺麗なラインを描きながら水滴が下生えの中に流れていく姿から目が離せない。水の間に浮かぶ肌の薄紅の対比がやけに扇情的だ。その流れの行き着く先にはオレンジの下生えが水に揺らめく。

「こんな事言っちゃいけないって判ってる。けど。
 シャワーで余計に身体が止まんない。」

目からも耳からも水を掛けたのが自分の間違いだったとゾロはイヤと言うほど思い知らされた。
何もしないよりも水をまとい水に打たれ流れる姿態は扇情的すぎる。
昼寝も封じた自分の封印が解けていく音がもうゾロには聞こえない。

ナミの声しか聞こえない。

「あんたには、触ってみたい。」

うずくまった姿勢から白い両腕が外に開く様は誘惑する花弁のようだった。

「あたしが欲しいのは……」

ナミの開いた手が伸びてくる。
ナミが近づいてくる。
ゾロはごくりと大きな音を立てて唾を飲み込んだ。
ナミが近づいてくる。










動いていたのはナミではなかった。

無意識にゾロの足は一歩前に踏み出してバランスを取った。
ゾロの腕がナミに伸びたのは起こしてやろうとした考えからのはずだった。
もう一歩シャワーの中に入り込む。触れたのは腕と、腰。だがナミはその触れられた肌に驚喜していきなり跳ねた。真っ赤に染まった肌で大きく呼吸に合わせて動く胸が眩しい。 
「あっ……ああっ!」
その肌の白を透かした紅みが、声の大きさが、今まで苦心してゾロが編み上げた理性の封を吹き飛す。


冷えた水が身体を打つ事は何の抵抗にも成らない。ゾロはぐっとナミの腰を抱え込み持ち上げるとそのまま引き寄せた。互いの目と目が見交わされる。鼓動は既にどちらの者か判らないほど部屋にこだまする。
伸びてきたナミの両手がゾロの顔を鷲掴みにしてそのまま相手を齧り倒しそうな勢いで、唇が重なり合った。唇と舌が別の生き物のように相手を貪った。ナミは飢えを満たすようにゾロの舌を吸い、口腔の粘膜という粘膜を絡ませてきた。ゾロもそのまま本気の口吸いを返す。粘度を増した唾液は絡み合い離れる時を許さないとばかりに相手に押しつけ合う。


その間にゾロの両手はナミの腰から胸の辺りを上下に何度も往復しながら跡を残さんばかりの強さで擦りあげていた。「あっ」触れた手にナミが仰け反る。その首に齧り付けばこれも嗚咽のようなすすり泣きを漏らす。また起きあがってきてナミの唇を求め吐息毎吸い上げる。
ゾロの太股に押しつけられた股間がゆっくり前後に動き始めた。薄い下着の感触の両脇に細い癖にむっちりした腿がゾロの下半身を誘い始める。局所はふくらみ熱を持っている。膨らんできた陰核は皮越しの感触を怒濤の快感に置き換えてゆく。はじめはゆっくりだったナミの腰の動きが首の後ろに回した手を軸にして段々激しく揺すられる。
その刺激にゾロの股間も膨らみがはち切れんばかりで痛みすら感じる。

「ああ…!ああっっっ!」

ナミの嬌声が大きくなるに連れて後ろに仰け反ったナミが跳ねるようにゾロの身体に絡んでくる。
「いく…いっちゃう……………けど駄目っっ!!」

その声の大きさに二人、一瞬動きを止めた。
すぐに膝の上のナミはいやいやと首を横に振る。首までもげそうな勢いにゾロはたじろいだ。
「……ナミ?」
それでもナミは首を振るのを止めない。
「ああ〜〜!!」
両腕で身体を押さえつけて叫び始める。
「ナミ?」
「駄目!……駄目なの!だって!こんな……!」
ナミは真っ赤な顔でのたうち回る。もがいて逃げようとする。
「ナミ?」
ナミは両腕を伸ばしてゾロを自分から引きはがした。そのナミの瞳孔ごと大きく見開いている。ゾロを見ているのに見ていない瞳だ。自分を失ったものに共通する瞳だ。
「言えばいいわけ?あんたに抱かれたくって仕方ないって。あんたが気になって、あたしのやらなきゃなんない事も放り出しそうになるって。でもそれは…………あたしじゃない!あたしじゃなくなるっ!あーーーーっっ!」

いきなり吹き出した迸りに興奮に煽られていたゾロの中に理性が戻ってきた。刺激に耐えながらゾロの深いところに沈んでいた理性が戻ってきた。薬でしゃべらされている、そのこと自身がナミを苦しめている。
もがくナミを、脆い細工を扱うようにそっと抱き、優しく抱える。優しく、しっかりと深く。
その腕の中でなおナミは苦しそうに暴れた。

こんなナミはナミじゃない。
『狂い死ぬ』男の言葉はおそらくはギリギリ本物だろう。

狂人じみたナミの欲情と後悔に苦しむ姿に驚かされる事はあっても嫌悪感はみじんもなかった。
何とかしてやりたい想いと、何とかしたい思いだけが残る。
冷たいシャワーの温度にゾロは抑えられた。自分の欲望は静かになっていた。
今は静かに身体の奥底で静かにその佇まいをたたえている池のようだ。

上からかかる水は冷たく冷やしているのにナミの身体にまとわりつく水滴だけがただ熱い。




思い浮かんだ対策は苦い物だった。考えたくない蓋をゾロはきった。

他の男をあてがえばいいのか?



『お相手には困らないでしょう』
そうだ、街に出て、見知らぬ男で良いから海賊以外に声を掛ければこの女を抱きたがらない男など居るはずがない。
一晩抱かれて終わるのならそれがナミのためだ。
ナミのため。

だが。
ゾロは自分の中に今まで見た事もない感情が芽生えている事に気が付いた。
見た事もない感情だ。持っていることが悲しい感情だ。
こんなものが自分の中にあるとは思わなかった。
何故こうなったのかも判らない。


独占。
自分の腕の中にいるこの女を他の誰にも渡したくなかった。







ただ見た夢ならば忘れる事が出来るだろうか?
忘れる事が許しなら、心は従うだろうか?
海賊は見た夢を忘れる事が出来るのだろうか?



安い宿の灯りは暗い。シャワーから出る水が二人の身体を打っては流れていく。
女は抱きかかえられている。二人の身体から立ち上る湯気だけが異様だ。
顔を打つ水滴が目尻から溢れるように流れる様は泣いているようにも見える。
二人を打つ水滴はそれでも二人の身体を冷やし続ける。
それ以上に肌に身体に熱を持つ女とそれ以上に心の奥に暗い熱情を持つ男がいた。






ナミはゾロの横で腰を落としたまま抱えられている。身体に細かな痙攣が走る。呼吸は苦しそうだ。また、意識が混濁し始めているのだろうか。
「触らないで……触って……お願い、おかしくなっちゃう」
ナミは自分の腿に爪を立てた。硬い爪が肉に食い込んで赤い筋のような血が、流れる水に乗って消えてゆく。
流れる血は赤く、冷水の中でも体温を失わずに熱い。

ナミの唇と同じ赤。
ナミの舌と同じ赤。
ナミのと同じ赤だ。
身体の中の熱情を出せなくてはナミは狂う。
その狂気には己の中の刀に巣喰われた狂気が同調する。

矛盾した言葉を繰り返すナミは自白剤とやらのせいなのだろうとゾロは推測していた。
今なら本音を聞けるという嗜虐的な思いが居ないわけではないが、苦しがるナミの姿に決意が一つ。
浮かぶ言葉は苦い。


「ナミ。海賊じゃない男なら、欲しいか?」

ナミの顔には髪がかぶったままで表情は読み取れない。
「…俺は海賊だからな。」

ゆっくりとゾロを見上げる瞳は頂点で爛々と燃えたかと思うと暗い色を翳らせた。

「ああ。そう言う事?」
静かなゾロの答えにナミは瞳を閉じた。また、下を向いて大きく息を吸う。

「要らない。」
「ナミ。」

大きな瞳を固く閉じて、もう一度繰り返す。

「要らない。」
ナミの手が拳を固める。
「……駄目……本当に……あんたの他は要らない。けどあんたに手を出したら、きっと忘れられない……それだけは、あたしには許されない。」



ゾロの拳も硬く固く握り込まれた。
解き放たれた自身の本能を押さえ込むのはもう限界だろう。なのに耐えるという。
素っ気ない言い種のしたにも赤い血が通っているのが見える。
自分で勝手に決める女の肌の下の軛に封じ込まれた赤い血が。


「そうか。」

そっと拳を開いてゾロは指を伸ばした。ゾロの掌からも同じ色の血液がしたたり落ちる。
ナミの血よりも己の血が流れる方が苦痛は紛れる。
余人の血は流してもナミの血ならば不本意に流れて欲しくない。


「おい。」

ゾロのごつい指がナミの細い顎を捕らえた。ぐっと掴んで面を上げさせる。ナミはぎゅっと閉じていた目を開けると上気した頬と弾む吐息を隠せずに、唇を少し開いた。ナミの両目は赤く潤んでいる。
「な……に…。」
ナミの手はゾロのシャツをつかんだ。掌の血の痕が白い服に移る。ナミの頬に付いた赤い筋が流れていく。二人の血液が先に床で交わり流されていく。

「海賊は、嫌なんだな。」

今、ここにあるのは薬でゆがめられた狂気だ。
こんな詭弁など自分らしくない、そう言う声が聞こえてくるようだ。
ナミを腕に抱きながらナミにも、自分にも暗示をかけずには居られなかった。
狂気に引きずられるときにはきっと誰でもこうなのだろう。
ナミは媚薬に酔わされたのかもしれない。
そして自分は……ナミという媚薬に酔わされたのだ。



そっと。繊細なガラス細工を扱うよりそっと、ゾロはナミの唇に自身を重ねた。

掴んだゾロの指が柔らかくナミの顎から頬に滑る。反対の手も頬に伸ばしてゾロの両手がナミの顔を優しく挟み込んだ。低い声がゾロの口から耳元にこぼれてくる。低い声の暗示。
低い……静かに響く男の声。

「安心しろ。これは治療だ。その・・男と女の・・とか、そんなもんじゃねぇ。ただの毒抜きだ。 俺を使ってお前が自分を治すだけだ。
 だからお前は明日のお天道さんを拝んだら、今夜のことは一切全部、忘れっちまえ。全部。俺といたことも一切全部だ。」



ナミがはっと面を上げた。
ごくりと唾を飲み込む。


「これは夢だ。ただのお前の夢だ。」

夢なら忘れられる。
ただの夢ならばお前は傷つかない。

「だから俺も変な薬がお前に見せた、ただの幻だ。だから……。」









5

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村外れの安ホテルの,、外は夜の静寂に満たされていた。
ホテルの小窓から溢れる光がその一部屋の物語をほんの少し外に語っている。


遮断したカーテンには薄い灯りにシルエットが浮かぶ。
細かい水に打たれて冷えたナミは綺麗な肢体の影を壁に描いている。それに繋がるゾロの影がゆっくり近寄っていく。
ゆっくり。躊躇いを含んで。






「夢だからな、触っても、いいか?」

頬を抱え込まれ驚いた顔のナミをじっと見つめて、ゾロはゆっくりと引き寄せ始めた。
ナミはまだためらうように唇を動かした。
「ゾ……。」
「名前は呼ぶな。夢に名前はいらんだろ。」
軽い口づけ。こぼれそうな名前を封じていく。
ナミはほんの少しだけこくりと頭を動かした。そしてふと軽い笑みをようやく溢した。

「もう、触ってる。夢の癖に一々偉そう。」

ナミらしい台詞と共に真っ赤な瞳から涙が溢れたのを承諾の意とゾロは取り、ゾロは再びゆっくりと腕を引き寄せ始めた。封印の終わった唇が再び寄り添う。
口づけは最初はまだ浅く。そして深くへ。

「これは夢…忘れるべき、名もなき夢……?」

譫言のように呟くナミにゾロは軽く頷きを返す。
これはただの治療にすぎない。
忘れるための一夜限りの夢に名など要らない。

またナミの頬に涙が流れる。

「てめぇ。ただ泣くのだけは勘弁しろ、萎えちまう。」

戯けたように言うゾロの口の端が不器用にゆがんでいる。それを見たナミの双眸から浮かんで溜まっていた水滴がこぼれる。それを隠すようにゾロはナミを抱え込んだ。
唇を放し、頭をすり寄せて、肩から抱きかかえられたナミを包むその両腕は力強さをその上腕に示し、温かい。




幾度も唇を重ねるのは始まりの合図。
落雷のような激しさの交わりの始まり。
互いを求める激しさ故に場所も変えずに二人、絡み合い始めた。

吸い付いたナミは最初はおそるおそるとゾロの口腔内に進入してきた。ぺろりと舌を舐め返すとその弾力を持った固まりが吸い付くように進入してくる。ざらりとした触感が又脳に直接届くような快感を生み出す。一瞬で切り替わったように激しく吸い付き始める。

あの夜と同じ味がする……二人とも脳裏に浮かんだイメージを打ち消すように互いの触感に溺れていった。




薄暗い部屋の中、呼吸を乱し、その興奮だけでしっとりと濡れた肌をつなぎあう二人の体臭だけが部屋のそこここにむせ返る。
解き放たれた本能はその鬱積も手伝って火を噴くように二人を翻弄した。

ナミの手がゾロの肌から濡れた着衣を奪う。そのもどかしさも手伝って二人は唇を離さない。肩から脱がされた上着をゾロが片手でぐいっと脱ぎ捨てた。その間にナミが腰のベルトを外すとゾロが奪って自分でこれも脱ぎ捨てた。
身軽になりそのままナミの肌に手を這わせ、唇を寄せる。そのまま首筋を唇が這い始めるとナミは後ろにのけぞった。暗闇に浮かぶ白い肌の喉頭の辺りが震えている。震える身体と漏らす深いため息が雄弁にナミの快感をゾロに伝えた。新たな快感をもたらすように口付けを細い鎖骨から下に降りてゆけばいきなり弾力を持った膨らみが現れる。舌の動くラインを上下に描きながらゾロの舌はナミの頂点の一つをきつく吸い上げた。壁に押し当てられたナミの背中に気遣う余裕はなく、ナミは仰け反りながら二人の重みを壁に預けている。
ナミの手が、ゾロの局所をこすりあげた。その直接の刺激に更に硬度が増す。柔らかく、しかもしっかりと握りしごき始めた。
「ね、さきに、きて。」
ナミの直接的な誘いに瞳が応じた。
ゾロが指で確かめてもそこからは水とは明らかに違う粘度のしたたりが音を立てて溢れている。
確かめついでに膨れた核にそっと触れるとナミはわずかに腰を落とした。
「ああん……あ…あ……」
膨れて剥かれたつぼみを大きく包み三本ほどの指で愛撫すればナミの身体はのけぞった。一気に後ろから汁が溢れてくる。もう濡れきっているナミの片足を持ち上げて自分の肩にかけぐいと局所に当てた。
「いくぜ。」
「うん。」



ナミの中は狭く、熱い。
「あああ・・・。」
ゆっくり何度も戻し返してその狭い中を進む。突き進まれたナミは瞳を閉じたままその圧力がもたらす快感だけに全ての快感を奪い去られる。
押しては引き、押す度にその圧力の快感に酔い、引く度に皮が引っかける粘膜に酔う。互いの刺激が互いを虜となす。
あっという間にぎゅっとナミの入り口が狭くなり始めた。喘ぐようにナミの声も高くなる。ここぞとそのまま思わず興奮して繰り返すとナミの身体は硬くなる。そして堰を切ったように一気に中に引き込まれるような絞り上げられるような収縮が繰り返され始めた。
「んあ!あ!あ!!!!」
ナミ嗚咽のような声と共にゾロ自身も持って行かれそうになる。
「……!」
(やべ……)
ここで波に乗ってしまえば自分は良くてもナミは足りまいと思う理性が頭の端に引っかかっていた。
そのまま必死に堪える。抜き去って、堪えたゾロの前でナミが全身をがくがく震えさせていた。

「…なんで?」
水の流れる床に腰を落としてナミは息を切らせた。
もう少し余韻に酔いたいのに。満足に少しの不満が影を刺す。

「俺の身にもなりやがれ。あのまま持ってかれたら、次が辛いんだぞ。まだ……要るんだろ。」
耐えきったゾロ自身は少し硬度を失いながらも濡れて光り、まだその重さを讃えている。


ゾロはシャワーの栓を止めた。棚においてあったバスタオルを片手に取り一つは自分に取るともう一つをナミの頭から身体に向けて大きくかぶせた。ナミの視界は白く遮られほうっと酔ったように動かないでいるとその隙に身体がふわっと浮いた。太い両腕が人間一人の重さを物ともせず持ち上げる。
「それとももう要らねぇのか?」

何も見えない。タオル越しに抱えられた肌とからかいを含んだゾロの声の響きだけを感じる。
又腰の辺りが疼く。
触れているゾロの胸にまた情欲がうずき始めている。イッた余韻が身体の奥で幽かな音を奏でている。
だがそれよりも先程の忘れろと言うゾロの言葉の重みが今、ずっしりと身体の中に埋められている。満ちている。
薬とは別にもたらされたその快感に心底酔っている。どんな酒よりも花よりも。

深く身体を預けるとナミはお尻の下に熱い物を感じた。硬くなり、脈打つ物が確かにある。

「ちょうだい。」
脳髄の底からとろけそうになりナミは腕をゾロの背中に回した。



ぎぃとスイングドアが軋んだ音がした。
空気が乾いている。ゾロの歩きが止まった。
ベッドの側に来たのだと気付いたナミは慌ててその両腕でゾロの首にしがみついた。

「おい、降りろ。」
「いーや。」
「てめぇ。」

からかいが半分とこの身体と離れたくないのが半分と。
そして軽い拒絶がもたらすこの後の興奮への予感が体の中で弾けそうになる。
自分の中にある物全てでゾロに絡んでみたくて仕方がない。
ゾロを自分の中に絡め取ってしまいたい。くわえこんで、弾けさせて、呑み込んで。


そっとタオルをずらしてゾロの顔を見上げてみる。
ゾロの瞳を見ているだけでナミの脳から脊髄にしびれたように欲と快感が流れていく。
解ってる薬のせいだ。
色欲も所有欲も収まらないのも、そしてどうしても話さずには居られないことも。

ナミのたがを外したのは薬だけではない。
ゾロの暗示が優しすぎた。薬で無防備になった心にするりと入り込んできた解法の快愉。
全てが無理なのは百も承知で。苦もなく言葉が出てきたのは、ゾロのせいだとすら思える。
戒めが形になる前に心がナミの口からこぼれていた。

「海賊は嫌。けどアンタなら寝てみたかった。全部忘れるんでしょう?だったらこれも忘れて。」

耳元にじゃれつくようなナミの声ははっきりと伝わった。
他を経由することなく伝わった言葉は確実にゾロの耳に忍び込み、居座り続ける。
瞬きも忘れた。ただ自分にしがみつく姿勢で告げるナミの頬の温度が一気に高くなったことだけはゾロは理解した。




ベッドに横たわるとナミはゾロを覆っていたタオルを解放し、ゾロとナミは改めて向かい合う形になった。
「今度はどうする?」
「上も・・・下も欲しい・・・。」

唇から溢れていたこらえる荒い吐息がゾロの身体にからみつくように思えた。
そのままナミは唇を寄せてきた。
「・・んっ・・・。」
舌は唇に絡み歯の粘膜まで侵蝕しようと入り込んでくる。ナミの質感と唾液を吸い込み、またナミに返す。絡んでくる舌を舌でこすりあげたり吸い付いているとナミの身体からじっとりと汗が吹き始める。ナミの身体自身は見事に紅に染まり、白い肌理の細かい肌から透けて見えるようだ。ゾロの右手がきゅっと細くなるナミの腰を片手で支えているがそこからもナミの熱気が伝えられる。左の腕ではたわわに実った果実を下からすくい上げるように持ち上げて二本の指でその先端をぎゅっと締め付けた。
「・・!・・」
ナミは喉の奥から声にならない悲鳴を上げる。だがいやがる素振りは一瞬でその瞬間膣の中が一気に圧力を増すのだ。加減して柔らかくいじっていると、じれたのかナミは摘まれた方の胸をゾロの腕に柔らかく押し当ててくる。
もう一度大きく乳房を鷲掴みにしながら先を攻めた。
「はぁっ・・」
一瞬大きく息を吸い、ナミは答えるように舌をもっと深くに絡ませてきた。


最初の時もそうだったがゾロにはナミの快感は何故か判る。ナミの感度がよいせいなのか、ゾロの愛撫にはほとんど反応がある。その反応の一つ一つがゾロの興奮を更に深めていく。遠慮やためらい、そして見知らぬ者と肌を合わせるときの虚無感がほとんど無い。興奮は興奮を呼び、快感を高めていく。ゾロが攻めを重ねてもナミはゾロに染まり、その受容は更に深まる。
それらを言葉にするような回路をゾロ自身持ち合わせてはいないが底なしの快感の沼間におぼれゆく快感というものを始終身体で感じずにはいられなかった。


もう一度ナミの中に沈むと入り口の狭さの奥に蠢く粘膜が居た。空間はさっきより広く思うのにその粘膜はゾロに絡み始める。吸い付き、
圧搾しざらっとした触感も全てがゾロを刺激した。
柔らかいナミの体はその肌の全てをゾロに触れようとせんばかりにゾロの身体に絡みついた。

「上も……」

ゾロはナミの舌の先端が生み出す快感に背筋がぞくっとした。そのままナミのなすように舌を絡まれ続ける。触覚が生み出す興奮は下の屹立に意識を注いでいたゾロを萎ぐかと思われた、だが、ナミの興奮はそれを許さなかった。
舌が絡めば絡むほどナミの膣の中の興奮が吹き出し始める。そのままナミの身体がゾロの動きに合わせて腰を早いリズムで使い始めた。ぬるっとした液体が噴き出してくる。滑りの良くなる局所だが入り口の方が狭くなり始めた。ゾロは思い切りその隙間に自身をねじり込んだ。腰ごとナミの中を突く。
舌も絡み指はつかんだ胸を離せない。
ぎゅっと締まり、又ゆるみをナミ自身も繰り返している。
「いけよ。何度でも。」
「ああ……ああ……!」
ナミの身体がぶるっと震えた。そのまま一番深いところで快感の嵐に耐える。
「わり……俺も限界…」
「なら、飲ませて。」
「良いの…か?」
「飲ませて……。」
一気に引き抜いて外に出そうとしたらナミの一言で顔にまたがった。
大きく開けた口の動きの前に少し脇に溢れたそれも一緒にナミの口は吸い込んで、嚥下した。
溢れた物も赤い舌が舐める。
吐きだした自身もつかんで皮の裏まで付いた物を愛おしそうにしゃぶっていた。





****





はき出したばかりの虚脱感の中でナミの眼はゾロの股間を見つめていた。
身を乗り出して二人の体液が混じったそれを舐めてふき取りくわえ込もうとする。
ぬらぬらした唾液が唇の周囲に広がりその中で自身の黒く光るむすこがすこしずつ硬さを取り戻していく。
させるがままにさせながらゾロの手はナミの腰からあばら骨に沿ってなでられていた。あまり性的な意志を感じない慰撫だ。
そのまま指の線は胸に繋がり先端に達するとナミはその身を震わせた。
「・・ん・・・・・。」
漏らす声に局所に絡む舌がねっとりと粘膜全体を刺激し続ける。
「おい」
手招きしてナミの身体をひっくり返す。顔の先に橙色が強い茂みが汁を貯めている。

ナミの秘所に手を伸ばせばそこからまた液体がぬるっと垂れ落ちていた。
闇を秘めながら真っ赤に燃えるそこを見ているだけでも自身の硬さは維持できる。
幾度か気を放ってもこんなに乱れ、執拗にねだる姿はやはり薬のせいなのだろう。

ゾロの目が光った。
「ナミ。」
「ん?」
「相手を知ってるといったな。」
指を局所にぐっとつきいれると声を漏らしながらナミは体を硬くした。
「ん・・・んん・・・。」
真っ赤な顔で頬張り続けながら答えるナミは素直に頷いた。
そのあっけなさにこれも薬のせいかと思う。クスリの話など聞いた事もないが世間にはこれだけの効果のある物があるのだと驚きを隠せない。妙に理性の勝った今の頭では驚きは好奇心にも転じた。

いつも何かを隠しているナミへの苛立ちがあったせいかもしれないし、ゾロ自身今のナミの姿に酔わされたせいかもしれないがそれは判らない。自分も相手の名を呼びそうになってこらえる抑制がもたらす衝動が普段になくゾロを多弁にしたのかもしれない。

「この稼業じゃ人の恨みなんざ背負ってなんぼだ。仕掛けた奴がお前に恨みがあると。まあ、それもありだろうよ。
だが、お前はそういう海賊達を食い物にして、何するつもりだ?」

増してきた硬さを愛おしげにしゃぶるナミが一瞬止まった。
だがゾロの指は止まらない。もっと奥まで一気に入り込んだ。

「……言えない。」

頬張ったままのナミの躊躇いは長かった。

ゾロが二本の指を膣にねじ込んだ。ナミはクリトリスをこねくり回されて悲鳴をあげる。
整わない呼吸でゾロを見返す視線の中にもまだ媚びと潤みを含んでいる。
肉厚の赤い舌が唇をゆっくり舐める。明らかにいつものナミではないのに芯は変わらない。
ここに至っても、隠す闇を持つナミは今も変わっていない。



おかえしにとばかりにナミは又咥えた心棒の周囲を舐め回し、先端を軽く吸ったあと大きく咥え込んだ。先ほどよりは強力な吸引の刺激で周囲を丹念に吸い続けている。
「言えないの。それは。」
切れ切れにかすれた声だった。ただ、自分の唇をきつくこらえるかわりに丹念に吸い続けるナミのオレンジ色の髪が目の下で揺れている。
ナミの髪をつかんで押さえ込んだ。もっと深く吸うようにとの誘いにナミは乗ってその周囲も含んで口の中で転がした。

「夢の中でもか?」

そっと、上から掛けた声は自分の物でないように優しげな声だった。

「うん。言わない。」

薬の効いた状態でも更にナミを拘束する物がある。
ふとゾロにはそう思えた。
己が壊れても抱えていく秘密をナミは持っている。
幾重にも重なった謎だらけの女と関わるなどろくな事がない。
判っているのに。



長くて深いため息がゾロの口から溢れ出た。
次の衝撃でゾロは下腹部に力が入り、その後ぴしゃりと目の前でゆっくりと揺れる丸い尻を両手で軽く打つ。

ナミはゆっくりと口を開けるとゾロを見上げて微笑んだ。
たき火の側でゾロを拒絶したときに似ている、しかしもっと強いしたたかさを含んだ笑顔だ。
「ね、今度はあたしが上がいい。」
「……好きにしろ。」
ゾロはもう十分硬くされていた。



****















心地よい睡魔が自分の瞼を落とす前にゾロは腕の中のナミをそっと寝かせて裸体の上に布団を掛けた。
尽きない欲も薬の効果も収まったのだろう。汗に濡れた髪がナミの顔に張り付いて居た。落ち着いた呼吸に落ち着いた肌。
ナミが完全に寝てしまった事を確認して、ゾロは窓の側に立ち、開けた窓から流れてくる大気を吸い込んだ。
一服在れば欲しい位に疲れている。疲れながらも外に向けて気配を探る。
風は穏やかにすやすや静かに眠るナミの頬をそよがせた。


もう一度だけナミの方を振り向いてからそっとゾロは深くなる夜の闇に消えていった。











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「ナミ!今帰ったのか?!」
海に浮かんだ小舟は今から反対の方向に次第に影を伸ばし始める時間だ。船縁から身を乗り出してルフィが屈託のない笑顔で迎えた横でゾロはごろりと向こうを向いて寝たままだった。彼らの横に水と食料がいくらか積まれ、ルフィの口ももぐもぐ動いていたのでそこをねじり上げた。
「おもしれー街だったな!」
「あんたの面白いってどんなのか聞くのも怖いわ。」
「なんだと!」
一時むくれた顔をしてはみてもよほど楽しかったのかいつもこうなのか、ルフィの愛嬌は消えない。

ナミは昼過ぎに目を覚ました。ゆっくりと過ごして少しの買い物をして帰ってきたのが今の時間だ。まだ隣の島にならたどり着くことが出来るだろう。いっそもう一泊島の反対側でとっても良いと説明するとルフィは「それも面白そうだ!」と叫んだ。

陽が頂点から傾き始めた甲板の上の風は海から吹く。ナミは軽やかに船に乗り込み、両手を組んで思い切り身体を伸ばした。
「お前はなんか良いことあったのか?」
ルフィは舫紐を外しながら問いかけてきた。
「ん?」
「あったんだろ。」
真っ直ぐな瞳には薬なしでも真っ直ぐな答えが出てくる。
「良いこと?そうね、夢。」
ナミは水平線の方を見ていた。
「んん?」
「夢を見たわ。」
口元がきりっと引き締まる気持ちがする。それでいて自分の居場所に誇りが持てる気がする。
「夢?どんなだ?旨めーかったか?」
ルフィは好奇心に顔を輝かせる。
「あんたじゃあるまいし。それに全部忘れちゃった。けど……良い夢だったわ。」
にこっと微笑んだナミの顔に昨夜の疲れも憂いも欠片も見あたらない。

「忘れちまったか?」
「そうね。たぶん。アンタに関係ないでしょ。」
「そっか。よかったな。」
「どうして?」
ナミの素っ気ない言葉にルフィは心から嬉しそうだ。
「お前いい顔してるからな!夢も観れねぇよりずっといい。」

屈託のない瞳でニカッと笑う。
腕組みをしたルフィの漆黒の瞳には一切の迷いを見つけられなかった。

「ええ……そうね。もの凄く、泣きたいくらい幸せだったことだけ覚えてる。」
「良かったな。」
ルフィは繰り返した。ナミの話一つで本当に幸せそうなルフィに、ナミも吹き出すことを堪えた。
ふと思いだしたように最後に村で求めた荷物の中から白い花束をとりだす。細い金のリボンで結わえられたそれをそっと船縁から海に流す。大振りで白い花束は海の青に吸い込まれて香りまで彼女に届くだろう。海に生きた者への手向けは海に帰す。海は繋がっているから遠くてもきっと届く。

「誰か死んだのか?」
一応この海賊は海の流儀は知っているらしい。
「うん。色々教えてくれた人。忘れたつもりなんて無かったけど、最後まで迷惑かけちゃったみたい。」
「そりゃごち、ごちゅーしょ……。」
「無理は良いわ。関係ない人だし。あたしが感謝してればいいだけよ。」

白い花は青い波に乗り、やがて波間に沈んでいった。

「んじゃ、行くか!?」
「そうね。」
「おーいゾロ!」
「いんじゃない?寝かせとけば。」



船はなめらかに波間を滑る。青い海はいつもと変わらないが同じ模様は二度と描かない。
船尾で寝ているゾロの反対の端で船の行く先を見ながらナミは呟いた。

「身体は覚えてる。忘れないわ。」


起こった全てのことは身体が覚えている。遠い昔のことも。そして昨夜の夢も、波間に消えた花の行方も。







end









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